2018年01月04日

末期ガン宣告からもうじき7年に

  3が日を過ぎたので、そろそろ病気の話とそれに対する決意でも書こうかと。

 7年前の1月、恒例のメタボ健診を受けに言った。病院に貼ってあったポスターを見て、「ほぉ五百円でがん検診ねぇ」とふと前立腺癌の検診を受けることにした。採血をして、他の検査もして結果は一月後と言われた。一月経って病院に行った。そして結果を。
 医者がPSAマーカの値を見て「なんだこれ?」って言った。PSA値が390を超えていた。医者は「紹介状書くから大病院で検査を」と。キツネにつままれた感じだ。その時は医者は専門外の病気のようでガンだと一言も言わなかった。
 PSAは通常なら3〜4以下(病院によって標準値の扱いが多少異なる)なにの390もあったので医者が驚いたのかも。初めて見た数値のようだ。

 紹介状は後日受け取って、大病院に行った。これまでこの病院は、仕事の関係で医師たちはたくさん知ってはいたが、病気では鼻血が止まらず救急で一度お世話になったくらいだ。泌尿器科に回されてかなり長いこと待たされた。2時間以上待ったのではないかな?診察の順番になって、担当医の紹介状の内容からまずはエコーからということで別室で肛門からエコーの検査器具を差し込まれて撮影。そして触診とあわせた結果は「精密検査の必要があるんで、検査入院してください」とのこと。まだ癌宣告はない。検査入院の予約をして、その日は帰宅。

 予約の日は3月。メタボ健診が1月、紹介状が2月、そして検査入院が3月ともう2は結経過している。(これは進行の遅い前立腺癌だからできることです)
 検査入院した。もうかなり前の話で検査までどうしたかの記憶は残っていない。検査の日、看護師に伴われて手術室、ななんかステンレスが張り巡らされていたようなkんじで、一瞬葬儀場に来たかと思った。手術台(検査台かな)の周りにいるのは女性ばかりかと思ったほどで、男性がいた記憶が全くない。なぜだかわからないが。
 麻酔を打たれて、肛門から生体検査用の針を合計12本打たれたらしい。検査中に記憶がなくなったのか寝ていたのか、おわっったということで病室に戻るときは車椅子だった。(体格のいい看護師(女性)が付き添ってくれていた。

 この生検の結果、9本にがん細胞を認めた。順序はどうだったか覚えていないが、MR、CTの撮影結果も合わせて「末期ガン」の宣告を後日受けた。そして放射線科の医師、外科の医師との関連・連携の結果をいいわたされた。
 前立腺癌、ステージIV-Cだったかと記憶しているが、どうも自分自身での記憶はないが、頭が真っ白になっていたのだろう、正確なことは頭に残っていない。治療方針の案が出るまで少し日数のタイムラグがあったかと思うが、結果的は「病巣がかなり大きく、他の臓器に癒着、浸潤している(ただ転移はしていない)ので、手術はできない、放射線は他の臓器に当てては化する危険があるのでできない」と。そして残った方法は「ホルモン療法だけ」と宣告された。

 ガン宣告されたらセカンドオピニオンを取るつもりでいたので、友人の医師にセカンドオピを取るための医師を紹介して欲しいと電話した。電話だけではわからないので翌日、友人の病院に行った。そして結果を見せたたら「セカンドオピニオンの必要はないわ。担当医のいう方法しかない」と厳しい宣告。セカンドオピニオンは友人がしてくれたことになってしまった。
 これで、治療方針決定したことになった。大病院に行きその旨を伝えた。

 これが4月のこと。メタボ健診でPSAのための採血から3ヶ月経っていた。大病院での治療開始直前のPSAはなんと590を超えていた。標準値はこの病院で4というのに。
 これから1年近く毎月定期的に検査と診察に通った。治療開始から3ヶ月目でPSAの値が下がり始めた。そしてある程度下がったところで(1年近くになるかな?)通院は3ヶ月に一度となった。
 ホルモン剤を毎日服用し、通院のたびに腹にホルモン剤を注射していた。

 ホルモン剤のおかげで、いろんな副作用(と私は今になって思っている)に見舞われている。
 1:身体中に赤い発疹が出て、痒くなる
 2:胸が膨らんで来た
 3:9月頃にめまい、そして複視に。
 4:体重が増えて来た。
  (尤もこれはあらかじめネットで情報蒐集していたので、                   減量のための食事法を採っていた)
 5:筋力が衰えて階段登りがきつくなった
 などなど

 話は7年に及ぶので長くなる。続きは、気が向いたら書くことに。食事について書いてみようかと思ってますが、いつになったら気が向くか、期待しないでください。

 あぁ、決意が書いてなかったなぁ。
  決意は、死ぬまでガンと仲良く
      お付き合いします。
 これは、ガン宣告された時に、担当医に向かっていった言葉です。
  

Posted by 生田 at 12:15Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2017年12月18日

ガン仲間が亡くなって・・・(17年版)

 今日は、1日大病院に入り浸っていた、いや昼飯だけは抜け出していたが。最後の最後の患者の会で、悲報を聞いた。数年間かガン患者仲間として交流のあった方が亡くなっていた。奥さんがおいでになって、その後報告を聞いたのだ。
 実は、昨年も12月16日に、やはりか患者仲間を亡くしたことを聞いている。たまたま患者の会の日付が近かったことでこうなったのだが、どうもお亡くなりになったのも1年は違うけど近い日だったかもしれない。2年連続での仲間の悲報で、会派全員がショックだったと思う。

 最後は頭を打たれたことで病状が急変しているような印象のお話だったが、癌そのものの進行もかなりだったようだ。奥様はかなり気落ちした状態でおられたのだが、私としては「ご主人の分も生きてください」と声をかけるのが精一杯といったところ。仲の良いご夫婦だったのけど、仲が良かっただけに余計に気落ちは大きいかもしれない。
 何はともあれ、亡くなられたお仲間なお冥福を祈るのみです。

 一方の私といえば、今日は朝から”骨シンチ”のためのラジヲアイソトープでの検査とCTによる断層画像による検査を受けて来ている。
 朝9時30分から画像診断結果の説明を受ける13時45分まで、結構直何があった。途中時2時間くらいの空きが出たので、バスで近くのモールに移動して店内物色と昼飯を食べて戻って来た。
 結果は、顔は消えているかのようだと。骨シンチによる診断は、前立腺癌の転移は見受けられない。ただ、過去にやった脊椎の圧迫骨折に多少問題がある可能性を指摘されたが、まぁ大きな問題ではないとも言われた。
 その他の臓器についてもついでに、放射線科としての診断をしてもらったが、腎臓、肝臓などほぼ正常に動いているとのこと。(ただ、あくまでも画像での所見と断りがあった)

 亡くなった患者と、私のように快方に向かっているかの患者と、どこでどういった違いが生まれるのだろうと。今回亡くなったかも、私も末期ガンだったのだが、病名が違うし、治療方針も当然違い、火の方は抗がん剤治療をされていた。私は手術も放射線の当てられないほどにガン病巣がたの臓器への癒着、浸潤がきつかったことで、残された方法は、当時としてはホルモン療法しか残されていなかったのだが・・・・

 何はともあれ、嬉しいこともあったけど、ショックも大きい1日だった。  

Posted by 生田 at 17:23Comments(2)TrackBack(0)自分の健康

2017年12月17日

天白5寸ニンジンジュース

6年前に末期の前立腺癌の千億を受けた
その時いろんな文献を探した
前立腺癌にいい影響のあるものを探した

そして見つけた文献からニンジンがいいよいうのに出会って
始めたニンジンジュース
美味しいものをあちこち探した
無農薬も探した

始めたのが6月だった
色々飲んだが
甘いと思ったことは少なかった

それでも1日に2リットル以上を飲んでいた

12月になって
名古屋市の天白区近辺の
通称”八事5寸ニンジン”というものに出会った

初めて飲んだ時
甘味料を添加したのかと思うほど
とにかく甘いのだ
それは評判になっているのだが
天白に住みながら知らなかった
家の周りにもニンジン畑が多かった
今は少なくなったけど
それでも作っている

その5寸ニンジンが
今年も出回り始めた
今日結構多量に買い込んで来た
昼飯に
たらこイカの明太子スパを作って
その後に飲んだら
おぉぉぉぉ甘いヨォ



シーズンはそんなに長くはないが
これからしばらくは
甘いニンジンジュースを飲むことができる

え〜〜と
6年前にニンジンジュースを多量に飲んだ
約1年続けたが
その成果が今のPSAが限りなくゼロに近い
そんな体を作ってくれたのかもしれない
6ん年前はそのおかげで13キロの原料やり遂げた

もっとも今はそれだ飲んでいたいので
8キロほどリバンウンドしている
それをまた戻すために
ニンジンジュースを毎食飲むことにした
この効果がいつあわられるか
楽しみです
  

Posted by 生田 at 13:08Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2017年12月14日

インフルエンザワクチンを打ってきた

昨日のこと
毎月恒例の内科診察
ついでにインフルエンザワクチンを打ってきた

打った時に
・夜風呂に入ってもいい
と言われた

毎年打っても
その日も翌日もどうってことなかった
だから安心していたのだが
今朝起きたとき
なんだかおかしい
体に軽い倦怠感
体温測ったら36.2度
普通の人にはどうってことない体温だが
平熱が35度代の私にはちょいと高い

どうもワクチンの副作用らしい
ネットで調べたら
5%前後くらいに起きる副作用らしい
希少種か私は

まぁ今日は
午前中くらいは
おとなしくしておくか
  

Posted by 生田 at 09:35Comments(2)TrackBack(0)自分の健康

2017年12月05日

なぜ松平東照宮に来るようになったか?

 いつか書くとお約束した話です。

 紅葉見物に松平東照宮なんて失礼だけどあまり知られていないところにもう3度目になるかな?なぜ来るようになったのか?

 本当は亜松平東照宮に最初に来たのは、正直に行って偶然。2度目の六所神社の帰りについでに「松平東照宮」と書いた看板見つけたので山道をえんやこら走って来たのだ。
 その時がたまたま秋で紅葉の季節だった。桜の木が紅葉して綺麗だった、と言うところから人がいっぱいいる時期は人のあまりいない隠れスポットに行こうと来るようになったわけです。

 では、なぜ”六所神社”なのか?
 思い起こせば6年前の初夏、1月にやったメタボ健診の時についでに前立腺癌の検診をやって見た。一月遅れで教えたれたなんとその時のガンマーカーPSAの値が300を超えていた。標準値は3くらいまで、それを越えると癌の疑いありと言うことなのに、その100倍もある値が出てしまったのだ。即大病院で診察、検査入院の結果”前立腺癌”の末期ステージIVを宣告された。
 それから治療方針が決まるまで一月余り、決まって治療開始が5月だった。
 
 癌宣告されてから、家内がネットで調べるに調べて、前立腺癌に有効な食べ物を調べて来た。塩はダメ、反芻動物の肉や乳製品はダメ、人参、トマトなどはリコピン摂取で有効などなど。。。そしてついでに健康デリ続けるには自然食品、無農薬野菜が空いいと言うことも。
 リコピンが有効と言うことで人参ジュースを1日あたり400CCくらい飲むことになった。無農薬の人参は結構高いのだ、だから生産農家を探してそこで打ってもらおうと考えて、ネットで愛知県の無農薬野菜の生産農家を探した。見つけたところが豊田市松平だった。
 そこで探しに行こうと、言うことになった。その当時は外食はご法度としていた。ドクターストップではない、ドクターは逆に”ストレス溜めるからやめたほうがいい”まで言われたのだが、それを無視して食事を制限していたわけだ。外食は塩分がかなり多いからダメというのが理由。
 で、家内がえんぶんの少ないものでおにぎりを作って、それを持っての遠足気分にはならない遠出のドライブと相成った。

 松平に来たのだが、無農薬農場は見つからない、農家も見つからない。一番奥の方に入り込んだがわからない。引っ返した途中に”六所神社の舞台”があったのだ。そこで一休みしようと車を降りて、お弁当を持って舞台の上に。
 そして、舞台に上がる階段のところで、家内と二人でおにぎりを頬張った。

 その頃は、末期癌の宣告を受けて、私がどれだけ生きられるかわかっていなかった。後から担当医に聞いた話では、「知らずにいたら余命半年くらい」と言われてゾッとしたが、そんな話もまだ知らなかったのだ。
 なんか先が短いという不安な気持ちでいた頃かなぁ。私自身は”死”というものを考えたことはなかったが、友人の医師に言わせると相談に来た時は顔面蒼白だったと言われたくらいだから、やっぱり考えていたのかな?

 そんな気持ちの二人が、なんかねぇ。おにぎりを仲良く食べて、ピクニック気分に側からは見えたんだろうと思う。(誰もわまりにいなかったけど)

 この時に初めて舞台を見た。そして「秋にもう一度来ようと」と思わせる景色にでったのです。言うなれば「もう一度来よう」「何度も来よう」と思ったことで、今の私があるのかもしれないと思うのです。
 なので、癌闘病の原点と思って、時折、この6年で4回も来るようになったのです。

 六所神社舞台に関しては、この後に投稿します。  

Posted by 生田 at 18:12Comments(2)TrackBack(0)自分の健康

2017年12月01日

飲み薬を減らしたら・・・・

 私はいろんな病気を抱えている。一番大変なのは、末期ガン宣告を受けての闘病をもう6年半やっている。闘病といっても生活は宣告を受ける前となんら変わっていない、ただ薬(ホルモン剤)を毎日飲んで、3ヶ月に一度張らないホルモン注射をしている。これらのホルモン剤のおかげで、胸がでかくなったり、ちょっとした”はるな愛”状態だ。

 3ヶ月に一度の血液検査をするのだが、ガンマーカーのPSAはもう5年半ゼロに近い値を指している。おかげで安定したと言われて大病院を放り出された。ありがたいことなんだろうなぁ。ただ、飲み薬のホルモン剤は止めることはできない。


 ガン宣告を受けて2年立って、突然右目が半分黒くなった。15分くらいで消えたのだが、眼科に行ったら脳梗塞の可能性があるので即大病院に行けと紹介状を書いてもらった。そしてそれをもってすぐに大病院に行ったら、これまた即入院して検査しろと。一過性の脳梗塞で”脳虚血発作”で本物が48時間位以内に来る可能性が大きいから、そのまま入院しろと。

 10日間の入院で解放されたけど、撮影したMRIの結果では「きれいなもんだ」のご選択。これまた大病院をおっぽり出されて、友人の病院で毎月定期的に診察を蹴ることになった。

 で、この”一過性脳虚血発作”の後、脳梗塞対策として、2錠の薬を飲まされていて、これはやめてはいけないぶりのものだと言われている。


 それから、健康診断(通称メタボ健診)の血液検査で痛風の可能性が指摘され、この対策のために多い時は1日3錠の薬を飲んでいたが、今は落ち着いたらしくて1日1錠になっている。


 そして、年齢的な問題からか、かなり重症の便秘になって、その対策のために下剤と便を柔らかくする薬を処方してもらっている。

 さらに、アレルギー体質で春から初夏の花粉症やら、秋のすすきの花粉症と、不y位には乾燥肌になるので、それらの対策のために1日1錠の薬を飲み続けろと耳鼻科や皮膚科で言われている。


 ここまででまともに飲むと1日あたり15錠を超えることになる。


 そして、9月と10月の原因不明の発熱の際には、ステロイド剤を1日6錠、抗生物質を1日3錠、それにめまいを起こしていたのでめまい対策が1日3錠、難聴の緩和のために血行を良くする薬が1日3錠。合計12錠月行かないなっていた。


 今思い出しながら書いているのだけど、実際には数えたら30錠あった。ななんか覚えているの¥は少ないなぁ。(ボケてきたか?)

 

 これだけの薬を飲み続けテイアたら、腹の調子がおかしくなったのか?薬を飲むことを体が拒否するようになった。そして無理に飲んだ後に吐き気がきたりして。。。。


 もうどうしようもないと、友人の医師に相談をした。

 彼はお薬手帳を見ながら、確かに多いなぁと、それで今即命に関わるもの以外はやめてみようということになった。そしてそれからひと月経ったが、体は健康になってきたって感じで、現在薬は10錠を下回っている。体は楽だ世ぉ


 薬は、何がなんでも飲めばいいというものではないらしい。一応調剤薬局で飲み合わせの問題はチェックしてもらってはいるものの、実際に患者の母を見ているわけではないから、彼らにも正直わかってないだろうなぁ。

 複数の病院に通院していると、こうした問題が起きかねないのだが。。。どこかで一度総合的な診察を受けて見たいと、訴えている。
  

Posted by 生田 at 14:16Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2017年11月17日

書き忘れていること

今頃になって
数日経過してしまったのに
本当に人の気持ちを解せぬおバカと
自己嫌悪です

この火曜日
雨の降る中を車を運転して
稲沢の矢合観音に友人が連れて言ってくれた

この友人は
中学・高校と同じ学校でありながら
6年間なんの接点もなかったのだが
仕事で接点ができ
それ以来30年以上のお付き合いになる
なんとも摩訶不思議な関係なのだ

その彼が
私のこの8月からの病状を気にかけてくれ
いろんな病気に効くという
矢合観音に行こうと誘ってくれたのだ

これまで
こういった発想を全く持ったことのない私
なぜ持たないのか自分でもわからない
多分に
実の父親が僧侶の資格を持つ身で
戦死さえしなければ
今頃は私は某大寺院の住職をしていたかもしれない

そんなことなのだが
母親が逆に
私が宗教に身を投じるのをものすごく嫌っていた
だからこういった信心の道からかなり離れたところに
私が身を置いていたからかも

それでありながら
仏像を見る、彫る、仏教の研究をすると
母が亡くなってから
実父の生きていたら歩いただろう道を歩いているような気がする
とはいえ
今回のような矢合観音を詣でる
そういったことはなかった

それが
友人からお誘いを受けて
なぜか素直に行く気になったのだ
そしていってみて
気が晴れたと
精神的になかり楽になったような気がしている

人の口に耳を貸さなかった私
そのおかげだろうが
難聴で本当に人の言うことが聞こえなくなった
しかし
そんな反省もあったのかもしれないが
お誘いがすごく素直に受けられたのだ


今は
こうした機会を作ってくれた友人に
心の底から
ありがとう
と感謝の気持ちでいっぱいです

重ねて
ありがとうございます
また
こうした機会があったら
ぜひお誘いください
  

Posted by 生田 at 16:06Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2017年11月13日

もう大丈夫かな・・・・合計1時間歩く

 今日は、朝一番に歩いて地下鉄の駅まで10分近くを歩いた。何しに地下鉄で?実は補聴器の調子がおかしいことに気づいた。
 耳が悪くなっているので、補聴器から出る音が小さくなっても耳の調子かと思っていたのだが、先日木曜日の夜に補聴器を外してほか容器の中に入れようとしたとき、ぽろっとバッテリーの蓋が外れた。なんで取れたんだ?と思って、そのときは色々考えてなんとか蓋を元にもしたのだが、おとといになってまた取れた。修理に持ち込まねばと思ったのだが、土曜の夜なので持ち込めないし、日曜日はお休みだし。
 今日月曜日に持ち込みことにして、ちょいと思い立ったことをやって見た。右の耳用の補聴器を左にはめて見た。きっちりとはハマらないのだが、音だけは聞こえるだろうと。そしたらものすごく綺麗に聞こえるではないか?では、左の補聴器が聞こえないのはなんでだ?と、考えたらどうしたって補聴器の故障だろう。
 ここで、持ち込む前に調べておかねばと、補聴器がハウリングするかどうかのテストをしてみた。右は確実にするが、左はほとんどしないということがわかった。ということは、補聴器のマイクかスピーカーのどちらかに故障があるということだろうと結論づけた。
 
 この結論をもって今日修理依頼に出かけたのだ。

 出かけた理由を長々とかいだけど、そんな目的で出かけるのに、自分の体の調子のテストもついでにしてやれと、ここのところやっていなかった地下鉄の駅まで歩くことを久々にしてみた。
 オォ、すんなりと疲れもゼッズに歩くことができたし、時間も前とほとんど変わらない。
 帰りには、栄から久屋までも歩い足し、地下鉄に乗って最寄りの駅降りてから家までの上り坂をまたまた歩いた。ちょっとしんどかったけど、これまた気持ちよく歩くことができたのだ。

 写真は、なんぶりかで撮った名古屋のテレビ塔。久屋公園が紅葉しているかと思った広場に向かったけど、まだまだだなぁ。

右の写真は、帰りの道でふと目に入ったコブシ(シデコブシかも)の来年のための芽と勤めを終えた枯れ葉のコラボです。もうこんな季節なんですよね・・・

 今日は合計1時間近くを気持ちよく歩くことができたので、体調はほぼ回復したとお思って良さそう。ただ、耳の聞こえだけは10%くらいしか戻っていないので、補聴器が欠かせなくなってしまったことが悲しい。

 さて、明日は久々のちょっと遠出です。しかも、久しぶりに名鉄に乗ります。そしてお友達の車で矢合観音に連れて行ってもらいます。なんかね、恋人に会うような感じで胸がドキドキしてます。あぁお友達は男で、同学年で、お互いそんな男同士の恋人なんて趣味はないですので。。。。  

Posted by 生田 at 14:45Comments(2)TrackBack(0)自分の健康

2017年11月09日

50分待ち3分診察

 今日は2つの病院のはしご。最初はいつも一番最初に見てもらうのに今日は時間を間違えたので開院から25分遅れで受付。そのせいでいつもよりも時間がかかったが、それでも受付から病院を出るまで30分とちょっとだよ。
 それから地下鉄乗り継いでもう一つの病院に。到着は11時を少し回っていた。受付の時のもらった番号から判断しても結構時間かかると思ってそれなりに準備していたことをして遊んでいた。呼ばれたのが受付から50分を過ぎていた。診察台に乗って先生と話をして(問診と最近の症状)でざっと3分くらいかな?今日は細かい検査しないで次回にということで次回の予約を取って終わり。まぁ人気のある病院はこんなもんですねぇ。

 でも、疲れたなぁ。。。。最近は、あの発熱以来筋肉がたるんでしまってすぐに疲れる。少しずつ筋トレはしているけど、無理するなと言われているんで。実は、今日のガンの診察の時にも「無理しないでトレーニングを」と言われた。無理のない程度に筋トレに励みます。  

Posted by 生田 at 18:05Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2017年11月09日

熱は出なかった 今日は

 昨日は発熱の兆候があったけど、何とか早期対策で逃げ切った。ただよく寝たなぁ。。朝の体温は34.7とかなり低体温。コレまた気をつけないといかんのですが。

 今日は、前立腺癌の敵診察と耳鼻科の経過診察にもうじき出かけます。昨日のも一緒にするということも言えんやったけど、3つの病院のはしごは結構きついのでないかだけは先に済ませた。
 今日はガンの方は採血をする、結果は来月でその結果に応じて来月の処方が変わるかどうか?これまでの流れからいって、PSAに変化はないだろうから(多分限りなくゼロに近い)変わらないだろうと思う。ガン宣告からあと4ヶ月で7年になるけど、本当にガンなのかって言われたり思われたり、思ったり。でも無罪放免にはしてもらえないもどかしさ。

 耳鼻科は、聞こえの調子は相変わらず。補聴器をつけて何とか会話もできテレビも聞こえるようにはなったが、人の話が聞こえる人と聞こえない人の差が大きく、これには閉口している。この辺りを耳鼻科で訴えてこようと思っている。
 ということで、もうじき出かけます。  

Posted by 生田 at 08:52Comments(2)TrackBack(0)自分の健康

2017年11月08日

また発熱????

今日は内科に行ってきた
体温測った時には36.5度あった
帰ってきて昼飯作って
2時間くらいボケーとテレビ見ていた
知らない間にうとうと寝ていたらしい

目覚めたときは4時を回っていた
ドクターXをやっていた
それを見ていたら
また眠くなってきた
発熱の釣行の時のよう

布団敷いてもらって潜り込んだのが5時
潜り込んで即なたらしい
何でもいびきかいて寝ていたとか
目が覚めたらもう8時を回っていた

腹は減るらしく
夕飯をまともに食べた
ホットフラッシュが始まって
汗をかいた
体温を測ったら
356度と私の平熱

でも着替えた今も汗が出ている
これは熱が出そうな気もするが・・・

今夜でなければ
大丈夫さけどなぁ。。。。。
  

Posted by 生田 at 20:35Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2017年11月08日

今日は雨 毎月恒例の医者通い

 夜中なんだか暑かったのか布団蹴飛ばしていた。たぶんにかなり暴れていた感じがする。起きて体がだるいこと、かなり運動した後のような感じ。
 だるい体を起こして新聞取りに外に出た。おやまぁ、もう雨が降っている、予報よりも早いや。それに思っていたよりも降ってるかな?

 今日は月一見てもらう内科の診察日(別に今日でなくてもいいけど)、晴れていたらトレーニングを兼ねてバスと地下鉄で行こうと思っていたのだが、雨の中地下鉄駅から病院まで歩くのがしんどい。ということで車で行こうと思っている。
 車で行くと楽なんだけど体は鈍るなぁ。足腰弱るといずれ歩けなくなりそうで何とかあるように心がけてはいるけど、無理してひっくり返っても行かんし。気持ちの中に矛盾をいっぱい抱えている。

 今日はこの天気のせいかな?補聴器から聞こえる音がボワンとしている。いい傾向ではない。医者との会話もままならないかもなぁ。通訳を連れて行かねばいかんかも。

 雨の中の運転、気をつけて行ってきます。


 庭を見たら、柿の木の葉が少なくなった。雨の風でまた落とされると思う。柿の木の下のモミジが色づき始めた。といってもまだビドリに赤を混ぜた気持ちの悪い色、後1週間は少なくともかかるかな。色付けば綺麗な赤になるんだヨォ。そしたらまたショットしてアップできるかも。
  

Posted by 生田 at 08:24Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2017年11月07日

朝寝・・・ 何で??

今朝は寒かったという感じはなかったけど
6時半頃に目が覚めた
別に前夜早く寝たわけではないのに

起き出して
新聞読みつつ朝飯を食べて
日課の朝の薬を飲んで
朝ドラ「花子・・」をみていたら
何だ?また眠くなってきた
我慢できない眠気なので
まだあげていない寝床に潜り込んだ
即寝てしまった

目覚めた時は9時を過ぎていた

前日の疲れ?
墓参りに行って
星ヶ丘で昼飯食べて
病院の患者の会に行って
 1時間半の談笑
家内は家に車で帰っているので
私はバスに乗って帰宅
家の近くまでは行かないバスなので
 一番近いバス停で 降車
そこから約10分の緩やかな上り坂を
 ちょっと汗をカキカキ登って自宅に

そんなことの疲れが残っているというのだろうか?
8月に熱中症でひっくり返るまでは
30分以上
1時間歩いても平気だった私が
 何でこんなくらいで疲れるんdなろう?
まだ体力が回復してないってことかなぁ?

まぁ最悪の時から比べると
かなり回復しているから
このまま回復するのを
ちょいと自分でリハビリ運動しながら
回復させるってことかなぁ。。。。


今日は
外はいい天気です
風もなく穏やかな様子です
ちょいと今から庭に出てみるかな?
  

Posted by 生田 at 11:47Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2017年10月29日

体のために飲む薬を制限する

8月の終わりに熱中症でひっくり返った
それから聴力をなくし
9月の半ばには原因不明の発熱

そんなこんなで対策の薬が増えた
最多のときは1日に30錠超えるという
バカみたいな量を飲まされていた
胃がおかしくならないかと思っていた

19月の発熱の時
食事に拒否反応をするようになった
これは熱で味覚をなくしたことと
胃が食べるたびに気持ち悪くなることで

友人の医師に相談した
飲む薬を減らせないかと
彼は薬手帳を見て
命に関わるもの以外は飲むのを止めとようと

・めまいが目下起きていないから・•・
・タンを切るのも胸のレントゲンの結果で・・・
・アレルギーの薬も今は止めてみよう
などなど
 ということで
ガンと脳梗塞と痛風以外は極力減らそうということで
結果 量は半分になった

楽になったなぁ
腹の調子も良くなった感じがする

しばらく経過を見て
この後どうするか
来月の診察の時には判断してもらおうと
思っている
  

Posted by 生田 at 10:31Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2017年10月25日

PCに触れない日 5日間

 先週の金曜日、体調がおかしいと木彫りの会を途中で退席。そしてどうしても役所に行かなきゃいかんことがあって家でうだうだしていたが、夜になって発熱。FaceBookに発熱で・・・」と書き込んでから完全にダウン。そpの世は38度9部まで上がって、夜は唸っていた。
 翌土曜日朝、友人の病院まで行く。そして多分なんかの炎症を起こしているからと抗生剤を出してもらった。帰って早速抗生剤と糸長の調整用の薬を飲んでテレビを見ながら過ごした。夕方になって熱は一旦下がった。その夜はたいした熱も出なくてテレビを見ながらのんびり、そして就寝。困ったのはトイレが近かったこと、熱が取れていなかったのだろう。
 翌日曜日。台風が来る・・・ということで対策を昼過ぎてから、熱が少し出ているにも関わらずした。それがいけなかったのか、夜になって手の甲と関節に痛みがで始めた。風が強くなって来るのに。。。。なんとか我慢して選挙速報を見ていた。
 しかし、10時を回ってもう起きているのが辛くてとこに入った。熱が上がって来た。1時間に1度のトリレト水補給しなければならない、それに加えてだんだん風が強くなって夜中は風の音で目が覚めた。ということで完全に睡眠不足。熱はまた39度近くまで上がってしまった。
 月曜になってまた友人の医院に行く。胸のレントゲンと採血をした。採血の結果は翌日ということでレントゲンの結果は異常なしとのこと。原因はわからないが、血液検査待ちで判断するとして、解熱際の処方をしてもらって家に帰る。
 火曜日になって熱は平熱に近くはなったが、夜になるとちょっと上がる、まぁ微熱が続いているといった感じかな。昼に家内の運転で御墓参りに行った。夜は熱もそんなに出ず久々に風呂に入って就寝。熱っぽい感じはあるけど体温の上昇はなく平熱より少し高いだけで、夜中に起きる回数もへりなんとか睡眠も取れて安定はして来た。

 今日・水曜日は熱も平熱になった。と行って筋肉がたるんでしまっているので動くのがしんどい。昼過ぎてから息子がきて下記の収穫をしてくれるというので、お手伝いをした。ちょっと汗をかいたなぁ。筋肉が痛い。。。。

 今これをかいているけど、身体中に痛みが残っている。  

Posted by 生田 at 18:04Comments(0)TrackBack(0)自分の健康
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
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プロフィール
生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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