2007年07月31日

旅の記録 上越3日目 その8 JR越後高田駅

 2005年5月12日 4日目 (上越3日目) 
  JR越後高田駅 上越最後の夜 


JR越後高田駅

 ガソリンは満タンになった、あとは土産を買うだけだ。前回と同様に高田の駅前の和菓子屋さんで買うことにした。何がおいしいのやら、まあこのあたりの名物の笹団子をスタッフ向けと部長向けと、我が家の家族向けに。
和菓子屋さんの場所

 さて、これでホテルへと思って駅のロータリーを回るときに、駅の駐車場が30分無料であることを知った。そういえば、高田の駅のホームには立っていないのだ。ホテルが近いからホテルに戻って駐車してもいいが、またここまで戻ってこなくてはならないので、車を立体駐車場に入れて、駅へいく。

 駅は、次の電車の乗車待ちの人が集まってきている。直江津でもそうだったが、ここでも長い時間待たないで電車を見ることができそうだ。ホテルに行っていたら、チャンスを逃がすところだったようだ。ここでも入場券を買い求めてほかの人よりも先に中に入れてもらう。誰もいないホームの写真を撮ったりする。小説の一節を実行している感じだ。

 ちょっとの間待つと、上下線とも電車は来るという。両方とも普通電車のとこだが、ではごく普通の電車だよねって聞くと、いいや上りは特急の電車を使っているとのことだ。普通電車なのに「妙高」なんて名前がついている。どうしてと聞くと指定席を持っているからだとか。


  普通電車 の 「妙高」

 放送が入る。直江津を出たからしばらく待てと。下りは駅を出た放送はなかったように思う。先に下りが来た。いわゆる普通電車だ。その後で反対側のホームに特急電車の型の電車が来た。これが妙高。電車に詳しくない私には、何型かも知らない。孫は知っているか??写真をとった、後でメールで送ってやろう。
 この普通電車「妙高」を見送った、乗っている人は少ない。ものすごく贅沢な普通電車だ。単線運転。そしてのんびり走る。こんな走りなら、尼崎の事故は起きることはないだろうと、心の中で残念な気持ちでいる。

 さて、これで頭の中にある予定は全て終了した。ホテルに戻り、明日返る準備をしなくては、それに体調が何とかなっているうちに旅行記を書かねばと思う。


 部屋に戻り、荷物をできるだけまとめた。そして、旅行記の2日目あたりをできるだけ記憶のあるうちにと書いた。本来ならもっと早く書いていたはずなのだが、残念な気持ち。もう記憶から抜けているものもある。

 今夜は、上越高田の最後の夜なので、前回来た時に食べたおいしい蕎麦を食べに行こうと外に出た。その店は誰も客は来ていなかったが、味はとにかくすばらしかったよ。そんな思いがあるから、もう一度食べておきたいということなのだ。
 店は、商店街の南のほうになった記憶だ。ホテルを出て商店街をあるいていく。途中、本屋に立ち寄る。本当はもっと早く本屋で、この近辺の地図を買っておけば無駄な走りをすることも少なかっただろう。今は、遅きに失しているが、帰ってからの書き物に必要なので、買い求める。

 蕎麦屋がなかなか見つからない。何のことはない、商店街の一番南だった。その前に来てがっくり。なんと本日はお休みらしい。シャッターが下りているのだ。これなら最初の日に無理しても来なければいけなかったよね。今日できることは今日しておけという教訓か。
 ほかに蕎麦屋はないのかと、飲み屋街(土地の人は飲食街と表されたが名古屋の女子大小路=ウォーク街の小型番みたい、ミニスガのお姐さんがたむろして、お客を待っている)にないかなと思って、行ってみた。飲んだ後で酔客が立ち寄るのだろうか、麺どころがありました。
 入ってみた。私よりの年齢的に上と思うご夫婦が営んでおいでの店だ。仏頂面でのお出迎えを受けた。致し方ない、メニューを見て「天蕎麦」を頼む。この店も出てくるまでに時間がかかった。てんぷらを注文後に揚げているからだろう。
 だから味に期待をしたのだが、油が古くてきつい・・・・ 今の体調には、向いていないよ。でも1300円もするんで、無理して食べた。
 女主人とこの辺りの蕎麦屋の話を。上越のこの近辺には蕎麦屋はないんだそうな。この店に蕎麦は長野から取り寄せて、ここで挽いているとか。

それにしても、最後の晩餐だけは、おいしくしたかったのに・・・・・

**次回から、旅行5日目 上越から松本への移動を連載します**

過去の記録
2005年5月9日2005年5月10日
 名古屋から軽井沢 その1 栃木県二宮町の朝
 名古屋から軽井沢 その2 朝のお勤め 高田・専修寺
 軽井沢から達磨寺 高田・専修寺 その2
 達磨寺から高崎・前橋 稲田・西念寺
 前橋から専修寺 R50号線 水戸市河和田 報佛寺
 栃木県真岡市で宿泊 報佛寺 坊守さんのお話
 筑波山麓を走る
 下妻市 小島草庵後
 下妻から長野に
 関越・花園~上信越・佐久
 佐久~黒姫野尻湖PA
 妙高を越え日本海へ
 日本海の夕日


2005年5月11日2005年5月12日
 上越2日目 その1 上越3日目 加賀街道
 上越2日目 フェリー乗船場  上越3日目 謙信ゆかりの林泉寺
 上越2日目 市役所 上越3日目 五智国分寺奥の院
 上越市埋蔵文化財センター 上越 JR直江津駅 1
 上越 春日山城址 上越 JR直江津駅 2
 上越 五智国分寺 上越 恵信尼廟
 上越 親鸞聖人上陸記念堂 上越 ガソリンスタンドを探す
 上越 寺町浄興寺
 上越 市役所教育委員会
  

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2007年07月30日

旅の記録 上越3日目 その7 ガソリンスタンドを探す

 2005年5月12日 4日目 (上越3日目) 
  ガソリンスタンドを探す

 むなしさを感じた建築中の恵信尼廟を後にホテルに戻ることにした。途中、これまで立ち寄ったことのない板倉の元の町役場を訪れようと思いたった。先ほど来た道を引き返すだけでいいのだ。

 板倉町は上越市と合併した。平成の大合併の一端だ。この合併は行政の圧縮を狙うものなのだが、この板倉の立派な町役場はどうなるのだろう。もう町議会は不要になったし、市の行政とダブるものは町としての担当職員も不要になってくる。そうしたいろいろの部分が不要になるのだが、不要になればなったで、今度は、その入れ物としての役場も中身がなくなるのだから、空に近い状態になるとすると、一体どういうことになるのだろう。何もこれは、上越と板倉の関係だけではない。全国いたるところに存在する問題でもある。

 しかし、これまで板倉の観光資源としてきたものを上越市はそのまま観光資源とするのだろうか。恵信尼廟はその観光資源のひとつである、昨日話をしてきた教育委員会のNさんも恵信尼廟の現況を知らなかった。西本願寺は、そうした行政との連携なしにことを進めたのだろうか?もしそうなら、相も変らぬ本願寺の独走ということになるのか。。。ただ、これは真偽のほどはわからない。

 町役場もお昼でした。ただ一人ぽつんと立っている私に誰一人として声をかける人はいませんでした。外も寒かったのですが、中も寒いものでした。

 ホテルに戻るのだが、戻るコースは前回走った道をと思い、そのコ-スに車をむけた。町内の幹線道路以外は、いわゆる田舎道なのだが、多少整備されているから走るには支障はない。しかし、標識、案内の類は期待できないのだ。しかし、まあ何とか目指す道に戻ってきた。そういえば前回は早朝に通ったところなので、生活感はなく、スーパーマーケットがあるにもかかわらず気づいていなかった。その交差には、前にはなかった建物・店舗が幾つか建っている。だんだん都会化されているわけだ。

 スーパーマーケットの駐車場に車を入れて、食料品売り場やいろんな売り場を歩いてみる。思いもよらないものも売っている。地元の名物を名物として大々的に売るというのは、名古屋では経験したことないだろうとおもうのだが。
 おなかが空いた。昼のセット・うどんと稲荷のセット500円とのことだ。かなり時間がかかった。その間に雨が降り出した。天気予報通りにやっとなったか。しかし、たいした雨ではない。そして明日まで続くことはないだろう。

 食事を終えて、薬屋を探す。まだ体調が戻っていないので、薬が必要だ。見当たらないので店員に聞くと、今はこの店の中にはなく、国道の反対側に薬局ができているという。その指示に従うために車で移動。薬を買ってそのままホテルに移動だ。
 見回して薬屋は見つけたが、道路の反対側、駐車場に入るのに、フェンスの切れ目を見つけたのではいろうとして、対向車線にハンドルを切り、駐車場の下りようとして、わぁ~~~~~~段差がある。急ブレーキだ。対向車線に車がいっぱい。邪魔にならないように路肩には止めたのだが、反対方向を向いた車を好奇の目で見ていく。信号が赤になるのを待たねばならない。こんな悲しいこともそんなにはないだろう。それにしても事故を起こさなくてよかった。

 国道292号線。これが上越市と飯山市を結ぶ国道だ。通称飯山街道という。私は、ひょっとしたら親鸞は家族を連れて、この道で長野に移動したのかもしれないと思うのだ。それは、まだこの道を走ったことのない私が考えることだ。その可能性を探るために、明日の松本への移動では、この飯山街道・国道292号線を走るのだ。
 今日は、この道で高田に戻る。高田に戻って、明日の移動のためにガソリンの補給やら、お土産を買わねばならない。

 上越市は、海岸から離れるほどガソリン代が高かった。これは前回の学習の結果である。そこで北陸自動車道に近いほうに走ってみた。セルフと書かれた看板がある値段は書いていない。不思議なことに今回の上越は、どのスタンドもガソリンの価格表示がない。ということは、なにか後ろめたい理由が隠されていそうな感じだ。それでも聞いて見なければわからないのでスタンドに入って、聞いてみる。
 「いくらで入れてくれるの?」。即返事があるかと思ったら、一呼吸置いて、人の顔色見ながら「229円」と来た。それはないだろう、いくら他府県ナンバーでも、その上越の近辺の価格は走りながら見てききている。これまでの最高金額だ。私は「たっけー。止め」の言葉を残して、ほかのスタンドに行くべく国道へ戻る。

 この3日間の私の上越での動き方は、私自身にも理解できない部分がある。体調を崩していることと、それに加えてとにかくたくさんのものを見て記憶に残さねばならないということから、思いつくたびに行き先を変えている。スタンドを出て、どこに私は向かったのか? 
 どうもかすかな記憶では、また北国街道=加賀街道に戻っている。そして、その道を高田の駅前まで走っている、そして駅前通りを上越南署のほうに走りスタンドを探しているが見つからず(あっても高いブランドだったり)そのまま高田公園の北側に入って国道18号線にまで走っているが、みつからない。
 この道と国道18号線の交差点が、また稲田だったのだが。18号線に乗り北、直江津港に向ける、どうしたことかJASCOのあるインターのもうひとつ南のインターを降りてしまったのだ。理由はわからない。ところが、このインタを降りたところにガソリンスタンドがある。しかも価格表示があって120円と書いてあるのだ。なにかまた導かれたような思いだ。 地図はこちら

 満タンにして、もらった。話を聞くと、このあたり一番安いスタンドとのこと。ついでに、タイヤのエアーチェックをしてもらう。どうも左前が少ないように思うのだ。ハンドルが左にとられる傾向にあるのからだが。実際に見てもらうと、その通りだった。よくまあ高速を走ってきたものだ。


**次回は JR越後高田駅 (上越最後の夜)**

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 前橋から専修寺 R50号線 水戸市河和田 報佛寺
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2007年07月29日

旅の記録 上越3日目 その6 親鸞の奥さん

2005年5月12日 4日目 (上越3日目) 
  恵信尼廟 = 親鸞の奥さんのお墓 地図はこちら


 また、国道18号線に戻る。そして南下する。「島田」というインターで降りる予定なのだが、これまた初めてで、長く感じる。周りは田んぼがいっぱい。そんな中をゆったりと国道18号線は走っている。車の流れもどことなくゆったりと感じられる。周りが広いということは、そういった気持ちのゆとりにもなるもかもしれない。
 「島田」で降りるといってもこのインターは立体ではないので、降りるという感じはない。ごくありきたりの平面交差点。ただし、周りには何もないっていうことが違うだけ。
 左に折れて、道なりに進んでいく、ものすごく狭い田舎道だ。地図では絶対にわからない。この狭い道が急に開けた。広い道と交差しているのだが、方向がわからない。曇っているから余計だ。
 しかし、目の前に交番、いや駐在所がある。(駐在所なんて、懐かしい)道を尋ねようと、入り口に行くが、なんと閉まって鍵がかかっている。へぇ?と。隣にインターフォンがあるので、それを押すと駐在さんの奥さんの思しき若い女性が出てこられた。そしてその後から制服姿の警官が。
 「恵信尼廟に行きたいのだ」というが、どうも廟所をご存知ないようで、とりあえずは板倉町の町役場まで行く道を聞く。ご丁寧にお教えいただいた、またわからなくなったら、あちらにも駐在があるから聞いてくださいとのこと。

 このあたりは田んぼの中だが、結構トラックなどが多いので、新幹線の工事の関係ですかと問うと、それも多少はあるけれど、工業団地ができてきているのでその関係でしょうとのこと。こののどかな風景も、新幹線やら、工業団地に壊されてしまうのだろうか?そう思うと非常に残念に思うのだ。

 教えてもらったように走り、懐かしい通りに出た。これまでとは違った場所だが、その延長上の通りであることはすぐにわかる。この道を南下、右折して直進だ。前回来た時はこの道と合流したところは違うもののこの道を新井(現・妙高)市に向かって走ったのだ。あの当時とあまり変わってはいない。(実はそんなことはなく、すぐ近くを新幹線の高架橋が続いているのだ) 前のときは結構長く感じだが、今回は思いほか早く恵信尼廟へ向かって左折するところに来た。

 左折して、ん????景色が全く違う。新幹線の高架橋だけではない。全く異なったものが周りにいっぱいだ。なにやらとんでもない広い駐車場が作られている。いったいこれは何なのだ。
 まさか、まさか。何の工事なんだよぉと、通り過ぎて、いつも入り込むあたりを左折。ここも見慣れない環境に変わっている。そして、なんと、立ち入り禁止の看板。恵信尼廟改修のための西本願寺の御宣託だ。今まであった、親鸞聖人銅像も、恵信尼廟の五輪塔も何もない。

 立ち入り禁止とあるけれど、車を突っ込んでしまったので、どこかでターンしなければいけないから工事車両の止まっている駐車場に入り込む。工事をされている方がいるので、「入れないんですねぇ。邪魔しないので入ってはいけませんか」と声をかけたら、しょうがないなぁといった顔で、「いっといで」ということだ。たまたま昼になったので、皆さん昼ごはんを食べに工事事務所にお行きになるからだろう。
 工事現場に足を踏み入れる、アーチのようなものがある。どこかで見たような。。。どこかの千羽鶴を下げていたアーチに似ている。これの下に五輪塔でも入るのか?それにしても広い敷地だ。このあたりの田んぼや民家をしこたま買い占めて廟所を作っているという感じがする。(このアーチは、妙高が背景になるのでは・・)
 ここを右に進むと右前方に建物を建てている。以前の汚い環境の中では、寺の本堂に似た建物があったのだが、あれは休憩所だったのか?もし休憩所であったとしたら、その代わりとなる建物だろう。それにしてもあまりにも違いすぎる。またまた歴史がなくなる・・・

 とはいえ、私が過去に見た恵信尼廟も本来あった場所ではないのだと聞く。別な場所にあったものを私が知るところに移転させたものだという。ということはすでに歴史は破壊されているわけだが。

 京都市山科区の日野に親鸞聖人「誕生院」がある。そこには幼稚園があり幼稚園の片隅に親鸞聖人が使ったという産湯の井戸があり、幼稚園の東の山手に誕生院がある。いずれも史実には確定されていないものだ。親鸞聖人伝絵に書かれた生まれた土地としての日野を拡大解釈しての誕生院と産湯なのだが、私は行くたびに苦々しく思うのだ。

 本来親鸞聖人の誕生を言うならば、この産湯のある幼稚園の隣に位置する法界寺に産湯があるのならいざ知らず、その土地の外に産湯を作るとは、そして訪れる善男善女に対して、あたかも真実かのように生まれと産湯の話しをする。どうもうわさでは聖人の真骨を持たぬ東西本願寺は、それに代わるものを作る必要があったことは確かなのだが。西本願寺は5月に誕生会を、東本願寺も日にちは異なるが、誕生会を行う。まあ、本願寺の血流からいけば、当然の行事には違いないが、誕生院、産湯は、空々しいものを感じざるを得ないのだ。

 この恵信尼廟所は、6月意中には完成するという。この恵信尼廟もそういった空々しさを感じさせるものになってしまいそうだ。


工事中の北陸新幹線 右方向には23キロにもなる飯山トンネルです


 恵信尼廟のすぐ横を北陸伊新幹線が通過していくことにもなっている。今建設中のこの施設のすぐ横を新幹線の高架橋が連なっているのだ。悲しい。。


 ** 次回は 帰りの準備、ガソリンスタンドを探す **

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2007年07月28日

近鉄  もうやあこブログさんへ

近鉄の中川乗換え について

もうやあこブログ ぢぢばば さんの記事「どうして だろう?」を読んで
  **記事はこちら**

 ちょっと迷ったんですが、
  コメントが長くなりそうだし、
  トラバ に書き込みなんで、トラバは苦手でもあるので
 記事を書くことに。

ただし、
  あくまでも、私の遠い記憶の中のものなので
  事実と違っている可能性が大きいとは思いますが。
  その点はご容赦を。

近鉄の名古屋-大阪間が直通になったのは、
  伊勢湾台風を境にしています。
 
 年令的に 50代後半以上の方で
  名古屋近辺にお住まいだったか方は
  結構ご存知ではないかと思っていたんですが。

 もともと名古屋―中川間は、関西急行(だったと思う)という鉄道会社のもので、
   **関西急行は、大昔の話のようです**
  大阪伊勢間のものとは異なった系列のものでした(と、これも思います。)
  そのために、軌道幅が異なり、
   大阪-宇治山田(伊勢)間は広軌、名古屋-中川間は狭軌と異なったものでした。
   そのため、直通の工事が施工されるまでは
    全ての電車が、中川乗換えだったのです。

  それが伊勢湾台風のおかげで一変します。

   堤防の決壊で名古屋西部から桑名にかけて
    特に長島近辺は数ヶ月に渡って線路が水没し、
   近鉄は不通状態でした。
  (恩師が長島にお住まいだったので
    お見舞いを持ってバスに乗っていった記憶があります)
  
  台風から数ヶ月後
   そのときの復旧工事の際に全線を広軌に統一したのです。
    そして中川の駅の名古屋、大阪より乗り入れ線を入れることで
   名古屋―上本町 間のノンストップが実現しました。

  

 確か、こんなことだったように思います。
  違う情報をお持ちの方の
  書き込みをお待ちします。  続きを読む

Posted by 生田 at 21:21Comments(2)TrackBack(0)旅行など

2007年07月28日

旅の記録 上越3日目 その5 JR直江津駅 2

2005年5月12日 4日目 (上越3日目) 
  JR直江津駅 の北口と南口

 電車の写真を撮っている間に少し時間がたった。車を止めたコイン駐車場は30分無料(だったと思う)で、その後は確か1時間か30分後とに100円だったかと思う。車に戻ろうと歩いていると目の前で、それまで上がっていなかった車止めが音を立てて上がったのだ。ほんの少しで100円を・・・・

 北口は、直江津駅のメインの玄関口だ。数年前に改築されたとのことだが、改築前は光源ロッジを思わせる駅舎だったとか、いまは帆柱を立てたようなmのが林立する駅舎に変わっている。


 車を南口に回す。駅員がいっていたが、「こちらは今は何もないよと。店は国道沿いに移っていってしまった」らしい。確かに、何もない。駐車場も北口のようにコイン駐車場ではないように思う。遠くから、駅舎を見ると、駅本体(北口)から南口への高架橋が船の船体を思わせるデザインだ。中央に赤い二本線の煙突状の物が配されているが、これはエレベータだ。高架橋の窓は船の窓を模しているから円形になっている。
 こうしたデザインをしながら、誰もこれを評価していないのだろう。こちら側は本当に車の出入りもほとんどないのだ。この先、これ以上この駅が寂れたら、この土地はどうなってしまうのだろうかと、人事ながら心配になってきた。

 さて、これで予定していたものはほぼ終了、まだ昼前だし、天気予報も外れて雨も降っていないので、明日松本への移動の際に立ち寄るつもりだった親鸞の奥さん=恵信尼の廟所へ行ってみようという気持ちになった。国道18号線を南下するということは、これまでショッピングセンターJASCOに行ったときぐらいだろう。そこで、国道18号線から、板倉の町(今は上越と合併して上越市板倉)へ移動するのだ。

 天気がよければ、妙高に向かって走るのだが、雲が低い。残念な気持ちがいっぱい。

 18号を走っていてなぜか、あるインターで下りる気になった。なぜ?しかし、このインターで降りた交差点の地名が「稲田」なのだ。昨日、教育委員会のNさんに教えてもらった「上越の稲田」なのだ。なにかの導き?またもお蔭様なのか。最初に上越の訪問をしたとき、ワイナリーを探してこの東の広いところを右往左往したのだが、そのときにもワイナリーの看板が目に入ったのだ。
 写真を撮って、また国道18号線に戻るのだが、本来このインターで降りる必要なんてさらさらなかったのに、本当になぜ降りることになったのか今もって不思議だ。 地図はこちら

** 次回は 親鸞の奥さん・恵信尼のお墓 **


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2007年07月27日

旅行記を続けます

 一旦過去ログを全て非公開にしたのですが、
 旅行記が完結したわけでもないし、
  毎日お読みいただいている方に申し訳なく


 旅行記を続けることにしました。  

Posted by 生田 at 22:33Comments(0)TrackBack(0)その他

2007年07月27日

旅の記録 上越3日目 その4 JR直江津駅

2005年5月12日 4日目 (上越3日目) 
  JR直江津駅 のホームに立つ

 おそらくかなり昔に直江津の市街地を国道が走っていたときの名残の細い道を駅に向かい、JR直江津駅に到着した。
 コイン駐車場に車を入れて駅に入っていく。長い上り下りのエスカレータがある。これで3度目だが、人がいない。と思っていたら、今回は、年を召された女性が私の前に割り込まれた。上りエスカレータをゆっくりと自力でも上られる。追い越す必要もないので、そのままついていく。

 出札で、「入場券を」というと珍しいのか怪訝な顔をされた。「見送りに来れば入場券くらい買うよなぁ」と思ったものだ。最も土地の人間でない雰囲気が、怪訝かこの原因かもしれない。旅行者が入場券を買うというのは、駅員にしてみれば変だろうなぁ。

 改札を入って階段を下りホームに。私の降りたホームには電車が止まっている。普通電車だが。通称ほくほく線=北越急行の電車だ。隣のホームには特急電車が止まっている。越後湯沢行きの「はくたか」だ。孫への土産に写真を撮る。孫はこれを何だと思うだろう。
 (メールで送ったところ、すぐに 「はくたか」 といったそうだ。孫の親、私の息子もなぜか喜んだとのこと。鉄道マニアの親子。そんな風に育てたつもりはないが。)

 帰ろうと歩いていると制服の乗務員がこちらに歩いてくる。どうもJR西日本の乗務員のようだ。ここで東日本の乗務員、北越急行の乗務員と交代なのだ。直江津は、北陸線の終点、信越線の通過駅でもある。ここで担当会社が変わるので必ず乗員は交代になる。迂闊だった。乗務員が出てきたところを見ると、特急が東から到着するはずなのだ。それを鉄道マニアでない悲しさ。頭に浮かばないので、階段を上ってしまったのだ。階段を上がり、改札で係員と話をする。改札の人々はJR東日本の人だということだ。

 上越市は、数年後北陸新幹線がJR高田駅の少し南の駅(脇野田)に停車する。新幹線が通るということは、これまでの鉄道での人の流れが完全に変わることを意味する。現在の北陸線は新幹線に取って代わるかもしれない。信越線もどうなることか。長野新幹線ができたとき、高崎から軽井沢の間、あの碓氷峠を越える部分が廃線になってしまっている。それと同じことがおきると、高田から長野の間が下手をするとなくなってしまうなんてことにもなりかねない。

 現在では人気のあるトワイライトエキスプレスのような長距離寝台特急を除くと、昼間の特急は新幹線に変わってしまうかもしれない。現時点では、富山、金沢などから東京に向かうには、特急「はくたか」を利用して越後湯沢に行き、ここで上越新幹線に乗り換えるのが早くて安いのだそうだ。
 しかし、この線がなくなってしまうのではないかと思われるのだ。金沢から東京まで北陸新幹線が通る。かなり交通手段に変更が出るだろう。そうするとこの直江津の駅はただ単に長距離夜行列車の通過駅、乗務員乗換駅になってしまいそうだ。北陸新幹線は、この駅は通らないのだ。
 改札の係員は、そんな将来の不安を感じているようだ。しかし、時代の流れとあきらめているのか、あっけらかんと笑っていた。

 **調査で知ったことは、北陸新幹線開業後は、直江津から妙高高原まではJRから営業が分離されるとのことだ。そのほか、北越急行と羽越線のいずれかの残留問題が論議されているようだ。いずれにしても地元民には、大きな関心事であろう。また、上越新幹線の運転本数にも大きく影響を及ぼすとのことだ。**

 車を止めたのは北口で、直江津のメインの出入り口だ。南口方面は、この駅の建て方は船を模していると聞いていた。そこで南口に回って写真を撮ろうと思い足を向けたが、また戻ってくるのが面倒なので、車で移動できないかと外を見ると少し東に踏切があるのが見えた。そこで、北口に戻ることにした。駐車場に向かおうとしたら、東から特急が来た。さっきは迂闊だったのだ。
 乗務員がいるということは乗り換えする特急が来るのだ。いまさら遅いので、フェンス越しにその特急の写真を撮る。腹の線の色が違うのはなぜ??(所有会社が違うようだ。ブルーはJR、赤は北越鉄道ではないか)

** 次回は、JR直江津駅 北口と南口 **

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2007年07月26日

サッカー サウジ戦 負けた

 気分的には、押していたように思うけど、
  足の速さに負けたね。

 最後は、川口の攻撃に加わって
  
 みていて、起用した選手に違和感。
  なんとなく、鈴木、かじ の動きが気になった。

 今の戦力だと、WCはどうだろうって 思った。  

Posted by 生田 at 00:16Comments(0)TrackBack(0)スポーツ

2007年07月26日

旅の記録 上越3日目 その3 五智国分寺奥の院を目指す

2005年5月12日 4日目 (上越3日目) 
  五智国分寺奥の院を目指す 

 林泉寺から、「毘」ののぼりが林立するものがたりの館」の横を抜け、加賀街道に戻った。
 国道8号線に入って、左折する。五智国分寺の奥の院といわれている「明静寺」にいこうとしているのだ。地図はない。ただ国道8号線のトンネルよりも山にある。だからトンネルを越えたところあたりに入り口があるのではないかと、またもや思い込みの走りだ。
 トンネルを越えてもそれらしいものはなく、途中でカニを売っている店に聞いても、「この土地の人間じゃない」というご返事で、あきらめてそのまま進むとJR北陸線の駅があるので、そちらに車を入れた。多分昔の国道ではないかと思う。
 お年を召した方が歩いておられるので、「明静寺に行きたい」というと、五智国分寺の奥の院でということなどの説明をされてから、海岸の方向に下りて、看板にしたがっていけばいいという。車で行けるかどうかは聞かなかった。聞くべきだったのだが、行けると思っているから聞かなかったことが後で困ったことに。

 車をユーターンさせて(元国道なのだろうが、今は海岸側に広い現在の国道がありみんなそちらを通る)、もときた道を引き返すが、海岸におりるところがわからない、結局またトンネルをくぐってしまった。ナビのなさ。悲しい。もう今度はレンタカーでナビ付きにしようと思う。今の車は、来年の車検でお別れだなぁ。長年連れ添ってもらっているのにね。 ( この車、廃車までは2年命が延びました)

 トンネルを超えてたぶん旧国道と思う道を見つけて入り込む。海岸出に、出た、これをまた上越市街と反対の方向に行かねばならない。ご老人のお教えの通りの入り口があったのだが、非常に不親切な入り口で、本当の入り口よりもひとつ手前をほんの数メートルの違いだが手前を入ることになってしまった。この道を入ると山道で上っていく。なかなか案内板がない。行き着いたところにラブホテルがある。こんなところじゃないともっと上がると、公園に出てしまった。
迷い込んだところ
 あらまぁ。。。 草刈をしている人に、お寺のありかを聞いたらご存じない、事務所があるのでそこで聞けとのこと。事務所は誰もいない。事務所を出て見回すとほかにも草刈の人がいる。どうも雰囲気はこれが事務所の人のようだ。この人に訪ねてもわからない。ようは、地元の人間もあんまり知らない寺のようだ。国宝があるというのに。
 致し方ないので、もときた道を下りることに、さてこの道は私には苦手な勾配の道。対向車がいないからいいようなものの、左側は崖だよぉ。

 何とか怖いのを我慢して下りきって、看板をよく見ると小さな川の向こう側にももう一本道がある。そこに車を入れたのだが、これが駐車場?確かにライトバンが1台とまっている。その右に細い道が山に上がっている。これかと思って上がり始めたが、どうも細すぎるし、対向車なんかが来ようものならにっちもさっちも行かなくなりそうだ。上ることのトライもあきらめて、バックした。
 駐車場に止まっている車の人に聞いてみた。これがお寺に上がる道ですかと。よくは知らないけれど、無理なようなことをおっしゃる。どうも諦めたほうがよさそうだ。いとも簡単にあきらめた。

 車を海岸に戻す。これが昔は国道だったのだろう。二股に分かれて、海岸に降りる道と、現在の国道8号線に向かう道がある。大昔は、ひょっとしたらこの海岸の道が加賀街道だったのか?いずれにしても、ここから西は山が海岸まで迫っている。東は、居多ヶ浜だ。


光源寺 **「明静寺」ぼ写真を掲載したいところですが**


 私は海岸に降りて、居多ヶ浜を東に向かう。この道を通って直江津駅に向かう。駅は、親鸞ゆかりの地とは関係ないものだが、書きかけの小説の舞台だ。前回来たときは、駅舎を見るくらいで済ませてしまったが、ホームに立ってみたくなっているので、駅に向かうのだ。
上陸記念堂の横の道を通り抜け、とりあえず途中にある光源寺の写真を撮るために細い道を走らねばならない。

**次回は 信越線・北陸線の JR直江津駅 **

過去の記録
2005年5月9日2005年5月10日
 名古屋から軽井沢 その1 栃木県二宮町の朝
 名古屋から軽井沢 その2 朝のお勤め 高田・専修寺
 軽井沢から達磨寺 高田・専修寺 その2
 達磨寺から高崎・前橋 稲田・西念寺
 前橋から専修寺 R50号線 水戸市河和田 報佛寺
 栃木県真岡市で宿泊 報佛寺 坊守さんのお話
 筑波山麓を走る
 下妻市 小島草庵後
 下妻から長野に
 関越・花園~上信越・佐久
 佐久~黒姫野尻湖PA
 妙高を越え日本海へ
 日本海の夕日


2005年5月11日2005年5月12日
 上越2日目 その1 上越3日目 加賀街道
 上越2日目 フェリー乗船場  上越3日目 謙信ゆかりの林泉寺
 上越2日目 市役所
 上越市埋蔵文化財センター
 上越 春日山城址
 上越 五智国分寺
 上越 親鸞聖人上陸記念堂
 上越 寺町浄興寺
 上越 市役所教育委員会
  

Posted by 生田 at 00:10Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2007年07月25日

ヨシズ と 打ち水

 居は、天気予報ではクモリ、
  そのクモリ具合が薄くて 暑くなりました。

 3時を回って西日が当たるようになって、
  西の壁のタイルは水平だったら 卵焼き出るかと思うくらい。

  この壁に本当は ヨジヅを立てかけてやると
   壁の暑さはものすごく低くなるんです・・・
   しかし、しかし、、、

  打ち水は、効果ありですね。
   毎年していることですが
   風呂の残り湯をバケツに入れていて
   夕方それで打ち水をします。
 結構涼しくなるモンです。

 と、いいつつ キライなエアコンの試運転をしてます。  

Posted by 生田 at 17:20Comments(0)TrackBack(0)庭の花など

2007年07月25日

旅の記録 上越3日目 その2 謙信ゆかりの林泉寺

2005年5月12日 4日目 (上越3日目) 
  謙信居城・春日山城の遺構のあるという 林泉寺

 ホテルから自分の思い込みの加賀街道を走ってきて、間違った道を走ったり、道に迷いかけたりしたものの、車は春日山の方に向かった。ここで途中に「林泉寺」と書かれているので、前日行かなかった林泉寺に車を向ける。一人旅とは、こうして、臨機応変に行き先を買えることができる。(単なる負け惜しみ)
 
 まったくほかに車もいず、どこに行くのやらという感じの道を少し進むと、小さな看板に「林泉寺」と書いてある。もうひとつ向こうの道にも書いてあるが手前の道を右折して ん?? この先どうするの?直進と左に分かれる。看板には矢印がないような・・・・さっきの道にもうひとつ向こうにも寺の名があったからと左折を選ぶ。
 これは、珍しい、今回の旅ではここまで全部右を取ってきたのに、これで正解のようで広い広い駐車場がある。たった一台車が止まっている。静かです。本当に静かです。

 車を止めて門のほうに歩く。古い門だ。これが春日山城から移設した城門とのことだ。まあ、寺の山門を見慣れている私は、本当にどうということのない城門だ。謙信ゆかりの地を訪ねるのを目的としているのなら違った印象になるかもしれないが、綿日は単に「いってかねば」問い程度なのだ。
 。この門の右になんと関所=料金所がある。この関所で500円を支払わないと中には入ることができない。上越に来て3つ目の料金の必要なところだ。もっとも支払うのは2回目。
 これまで料金がいるという場所は、高田城公園の櫓の中に入るとき、浄興寺の宝物殿を見るとき。支払ったのは浄興寺だけだ。今回はこのように関所があるというのは初めてだ。
 女の方が切符売り場でお待ちである。(かなり暇そう)500円をお支払いして、中に入る。

 城門に比べると格段に立派な山門を通り抜けると正面に大きな本堂、かなりきれいで、つい最近建て直したのではないかと思う。本道の左には上杉家代々の墓が並んでいる。ちょっと上っていくのだが、正直興味がないので下から写真を取って終わり。500円払ったからもっとゆっくりしていけばよさそうなものだが。それにしてもここの500円は正直私には高く思える。反対側には宝物殿がある。何があるのかと入ってみる。浄興寺でもそうだったが、ここでも宝物には正直裏切られる。まあ、私には興味のないものが展示されている。
この宝物殿にひとりの男の方がおいでになる。恰幅に言い方で、いろいろと説明をしてくださるのだが、これといって興味を引く話もあまりなく。(興味がないのは、この方の問題ではなく、私の目的が「謙信」ではなく「親鸞」だからなのだ。)

 ただ、織田信長の軍勢がここまで攻めてこなかったのが、歴史的に幸運だった。上越の町、上杉がある程度江戸にまで持ちこたえたのは、信長の攻撃を受けることがなかったからではという話。確かに、親知らず子知らずの難所を大軍勢が超えることは難しかったかもしれない。信玄も川中島で終わりだ。妙高を越えてきてはいない。山や海がこの地を守ったのだろうと。しかし、江戸に入って、上杉家は山形に封印されてしまうということになる。

 そんな話を聞いて、林泉寺を後にする。

** 次回は、五智国分寺の 奥の院 を目指す **

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 名古屋から軽井沢 その1 栃木県二宮町の朝
 名古屋から軽井沢 その2 朝のお勤め 高田・専修寺
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 達磨寺から高崎・前橋 稲田・西念寺
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 上越2日目 その1 上越3日目 加賀街道
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2007年07月24日

セミの合唱

7月24日 午前8時17分
セミの合唱

昨夜までは ジッジッジッ~ 程度だった
この合唱開始はまだ練習程度
今朝は、シャンシャンシャン・・・と長かった

近々本格的な合唱が始まるのだろう。
梅雨は明けた と彼らはいっているようだ。  
  

Posted by 生田 at 08:57Comments(0)TrackBack(0)庭の花など
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
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09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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