2007年10月31日
ドラ勝ったけど・・・
何とか勝ちましたね。
中村ノリ のタイムリーで。
これは、よかった。 明日に繋がったよ。
これで、明日勝ってくれぃ~~~~~~
もう 日本一 待ちくたびれてるんだよぉ
前のときは、小学生だったんだよなぁ。。。
中村ノリ のタイムリーで。
これは、よかった。 明日に繋がったよ。
これで、明日勝ってくれぃ~~~~~~
もう 日本一 待ちくたびれてるんだよぉ
前のときは、小学生だったんだよなぁ。。。
2007年10月31日
2007年10月31日
京都を歩く 寺町・三条 矢田寺
三条通りは、歩けば歩くだけいろいろなものにぶつかる。前回の中京郵便局、文化博物館、そしてその並びにまだいくつかの文化施設がある。とにかく戦争での空襲を免れたことが幸いしているということなのかもしれない。
しかし、戦争で焼け野原になった名古屋のような戦後の都市計画での新しい町並みを望むことは出来ない。そのために車社会という時代になりながら狭い道を一方通行にしているのは苦肉の策でしかないといわれかねない。
この三条通りの古い文化財、建物を生かした街づくりをしているものの、この先いつまでそれを保存できるか、レンガ造りの建物などどのくらいの耐久性があるのだろう。いっそ木造の町家のほうが耐久性があるかもしれないのだが、烏丸~河原町間の三条通りにはいわゆる町家はそんなにはない。既に壊されているところのほうが多いか、そもそもこの通りには昔から町家はなかったのかもしれない。(烏丸からに市には結構残っていたと記憶する。)
そんなことを思いながら東に進んでいき、寺町通りの交差点に来た。この交差点の東北に交番があり、その隣に本当に小さい寺がある。小さい寺ではあるが、今回は訪れている人が思いのほか多い。春に来たときは、私と孫の二人だけだったが、今回はカメラを抱えたお年を召した女性、それよりも若い女性、その他に数人の参拝者がおられた。
この寺は、鐘をつくことが出来る。毎度参拝のたびにつかせてもらっているが、いい音がして、気持ちがよいのである。(実は、この界隈、蛸薬師通りの東詰め、新京極にある蛸薬師も鐘がつけたはず。)
この矢田寺は、写真のようにかわいいお地蔵さんに願いをこめてかけて、参拝者はお帰りになるのだろう。(春に、孫はもって返り、今でも持っているはず)
この寺町通りは、豊臣秀吉の京都都市計画で寺を集めたことから寺の集中するとおりになったのだろう。現在城下町として残るところの多くに『寺町』が存在するが、その事例となったのではないかと、私は乏しい知識の中から思い込んでいる。この通りの北、御池通りの交差点の東南角に本能寺があるが、それも寺町を作った際に引っ越してきたもので、信長が襲われた本能寺は「元本能寺」といわれ現在の堀川高校から三条通りまで一帯に存在していた。
矢田寺 地図はこちら
しかし、戦争で焼け野原になった名古屋のような戦後の都市計画での新しい町並みを望むことは出来ない。そのために車社会という時代になりながら狭い道を一方通行にしているのは苦肉の策でしかないといわれかねない。
この三条通りの古い文化財、建物を生かした街づくりをしているものの、この先いつまでそれを保存できるか、レンガ造りの建物などどのくらいの耐久性があるのだろう。いっそ木造の町家のほうが耐久性があるかもしれないのだが、烏丸~河原町間の三条通りにはいわゆる町家はそんなにはない。既に壊されているところのほうが多いか、そもそもこの通りには昔から町家はなかったのかもしれない。(烏丸からに市には結構残っていたと記憶する。)
そんなことを思いながら東に進んでいき、寺町通りの交差点に来た。この交差点の東北に交番があり、その隣に本当に小さい寺がある。小さい寺ではあるが、今回は訪れている人が思いのほか多い。春に来たときは、私と孫の二人だけだったが、今回はカメラを抱えたお年を召した女性、それよりも若い女性、その他に数人の参拝者がおられた。
この寺は、鐘をつくことが出来る。毎度参拝のたびにつかせてもらっているが、いい音がして、気持ちがよいのである。(実は、この界隈、蛸薬師通りの東詰め、新京極にある蛸薬師も鐘がつけたはず。)
この矢田寺は、写真のようにかわいいお地蔵さんに願いをこめてかけて、参拝者はお帰りになるのだろう。(春に、孫はもって返り、今でも持っているはず)
この寺町通りは、豊臣秀吉の京都都市計画で寺を集めたことから寺の集中するとおりになったのだろう。現在城下町として残るところの多くに『寺町』が存在するが、その事例となったのではないかと、私は乏しい知識の中から思い込んでいる。この通りの北、御池通りの交差点の東南角に本能寺があるが、それも寺町を作った際に引っ越してきたもので、信長が襲われた本能寺は「元本能寺」といわれ現在の堀川高校から三条通りまで一帯に存在していた。
矢田寺 地図はこちら
2007年10月30日
2007年10月30日
京都の紅葉 南禅寺山門
南禅寺 山門
2004年11月撮影
石川五右衛門が
「絶景かな、絶景かな」と
言ったという有名なところ。
公式HP : http://nanzenji.com/ 地図はこちら
足 : 市バス 南禅寺・栄観堂道 下車
地下鉄 蹴上 下車
シーズン中の市バスは、乗れない と覚悟が必要。
地下鉄がいいのではないかと思います。
JR京都駅から烏丸御池乗り換え東西線で蹴上
JR山科から東西線で 蹴上
**バス地下鉄 一日乗車券 1200円
コースとしては、
地下鉄で蹴上へいき、歩いて
南禅寺、永観堂、若王子神社から
疎水(哲学の道)に沿って北上し 法然院、銀閣までがお勧め。
この逆も同様にお勧め。
ただし、週末、祝祭日は人を見て歩くことになる覚悟が必要。
2007年10月29日
京都を歩く 三条通り 07年10月
頂法寺=六角堂でかわいいお地蔵さんやら親鸞のこわもての銅像の写真を取った。正面の門から六角堂通りに出て、もときた道で東に向かい、すぐに出会う東洞院通りの交差点を左折し、三条通りに向かって上がる。
(京都では、きたにむかうことを「あがる」というが、この理由は、京都の地形が、北に行くほど高くなり、現実に上がっているから。なんでも南北の標高差は、東寺の五重塔の高さくらいあるとか.)
三条・東洞院の交差点で写真を撮る。
右の写真は、中京郵便局である。(「なかぎょう」と読んでください。間違っても『ちゅうきょう』とはいわないように。)
京都の『条』のつく通りで、平安京のときのままといわれる通りは少なく、この三条通りはその少ないうちの一つだそうだ。(なぜそうなったかは、豊臣秀吉の京都都市計画によるものらしい。)
そういった閉経の上に、京都は太平洋戦争での空襲を免れたことで、古き建物が結構残されている。上の写真の郵便局の東には、「京都文化博物館」があるが、これも残されているものの一つだ。
まあ、このように残されているとはいえ、平安のものではなく、平安からは遠い、現在に近い明治の頃のものなのだろうか。
地図はこちら
(京都では、きたにむかうことを「あがる」というが、この理由は、京都の地形が、北に行くほど高くなり、現実に上がっているから。なんでも南北の標高差は、東寺の五重塔の高さくらいあるとか.)
三条・東洞院の交差点で写真を撮る。
右の写真は、中京郵便局である。(「なかぎょう」と読んでください。間違っても『ちゅうきょう』とはいわないように。)
京都の『条』のつく通りで、平安京のときのままといわれる通りは少なく、この三条通りはその少ないうちの一つだそうだ。(なぜそうなったかは、豊臣秀吉の京都都市計画によるものらしい。)
そういった閉経の上に、京都は太平洋戦争での空襲を免れたことで、古き建物が結構残されている。上の写真の郵便局の東には、「京都文化博物館」があるが、これも残されているものの一つだ。
まあ、このように残されているとはいえ、平安のものではなく、平安からは遠い、現在に近い明治の頃のものなのだろうか。
地図はこちら
2007年10月28日
京都の紅葉 金戒光明寺
法然上人ゆかりの寺
金戒光明寺
通称 黒谷さん
この寺は、江戸時代幕府の庇護を受けていた浄土宗の寺。
幕府の庇護があったためか、
幕末は京都治安維持のために
会津藩の藩士の宿泊所となりました。
本堂を下り、南東方向には、
会津藩の藩士の墓所もあります。
この金戒光明寺のある山(黒谷)は
紅葉で有名な真如堂が、
この寺の北に位置しています。
公式HP:http://www.kurodani.jp/
足:ちょっと歩かねばなりませんが・・・・
参考HP http://www.kurodani.jp/explain/map.html
一般的には、 市バス 東天王町 下車で歩く
岡崎神社前からは、遠いですが 筆者のお勧め
2007年10月27日
デジカメ画像の編集
デジカメの撮影についての話題がありますが、私のように古いデジカメは機能的にゴチャゴチャいじるのが面倒。そこで、私の場合は、解像度や露出など気にしないで取ってきて、画像編集ソフトでいじってます。
市販にはPhotoShopなどという高額、高機能のソフトもありますが、そこまで必要ないという方はフリーの編集ソフトがあるので、それをお使いになるのも一考かと思います。
右の画像は、オープンソースの画像ソフトで、無料で使用できます。PhotoShopになれた片には操作が面倒ですが、編集機能はかなり高いものがあるので、編集結果はPhotoShopに劣らないものを作ることが出来ると思います。
ダウンロード関連サイト : http://www.geocities.jp/gimproject/gimp2.0.html
(このページには 使い方などもあります。)
オリジナル
GIMPで処理a
GIMPで処理b
あくまでもご参考というレベルです。
市販にはPhotoShopなどという高額、高機能のソフトもありますが、そこまで必要ないという方はフリーの編集ソフトがあるので、それをお使いになるのも一考かと思います。
右の画像は、オープンソースの画像ソフトで、無料で使用できます。PhotoShopになれた片には操作が面倒ですが、編集機能はかなり高いものがあるので、編集結果はPhotoShopに劣らないものを作ることが出来ると思います。
ダウンロード関連サイト : http://www.geocities.jp/gimproject/gimp2.0.html
(このページには 使い方などもあります。)
オリジナル
GIMPで処理a
GIMPで処理b
あくまでもご参考というレベルです。
2007年10月27日
2007年10月27日
京都を歩く 07年10月 六角堂=頂法寺
六角堂は、前にも書いたように「生花発祥」の地である。そんな関係から、池坊で行事があるときなどは、女性がいっぱいということもあった。
今回は、お遍路さんのイメージの団体さんが一組、ご夫婦連れが2組、若い女性の3人グループが一組、そして私のように独り者の男性が二人。団体さんは、なんやら経を読んでおられた、途中から聞いたのだが多分あれは『般若心経』だろう。
私は、ここへ来るのはもう何度目だろう。回数はもう覚えていない、とにかく10回を越えていることは確かだ。来るたびにいろんなものに出会うのだが、今回は特にこれといったものなかったものの、久しぶりに線香を上げてきた。
親鸞がここで「女犯偈」の無告を請けたとかいても、一般の人には「なんのこっちゃ」といわれることだと思う。親鸞はここに通いつめて、ある日の明け方夢を見たわけだ。それが親鸞の生涯に大きな意味を持つことになるというもの。
この寺は、聖徳太子の建立という縁起になっているが、まあ信ずることは難しい。時代があまりにも違いすぎる。聖徳太子の時代には、京都=平安京は生まれる200年以上前、都市の形もなかっただろう。
六角道は、京都の中心といわれている。京都の中心というと、平安京の中心と思いがちだが、平安京の東西の中心は、現在の千本通りになるので、二条城の西まで移動する。ここでいう京都は、秀吉の都市計画によるものかもしれないが、現在の町並みに近いものであるらしいが、ほんとの中心というのは疑わしい。しかし、この寺の本堂の前(南)には『へそ石』なるものがある。
よく気をつけていないと見逃すことになる。正面の門から本堂に向かって進み、本堂の手前右側にある。 京都のへそと信じるか否かは、見た人の気持ちしだいです。
今回は、お遍路さんのイメージの団体さんが一組、ご夫婦連れが2組、若い女性の3人グループが一組、そして私のように独り者の男性が二人。団体さんは、なんやら経を読んでおられた、途中から聞いたのだが多分あれは『般若心経』だろう。
私は、ここへ来るのはもう何度目だろう。回数はもう覚えていない、とにかく10回を越えていることは確かだ。来るたびにいろんなものに出会うのだが、今回は特にこれといったものなかったものの、久しぶりに線香を上げてきた。
親鸞がここで「女犯偈」の無告を請けたとかいても、一般の人には「なんのこっちゃ」といわれることだと思う。親鸞はここに通いつめて、ある日の明け方夢を見たわけだ。それが親鸞の生涯に大きな意味を持つことになるというもの。
この寺は、聖徳太子の建立という縁起になっているが、まあ信ずることは難しい。時代があまりにも違いすぎる。聖徳太子の時代には、京都=平安京は生まれる200年以上前、都市の形もなかっただろう。
六角道は、京都の中心といわれている。京都の中心というと、平安京の中心と思いがちだが、平安京の東西の中心は、現在の千本通りになるので、二条城の西まで移動する。ここでいう京都は、秀吉の都市計画によるものかもしれないが、現在の町並みに近いものであるらしいが、ほんとの中心というのは疑わしい。しかし、この寺の本堂の前(南)には『へそ石』なるものがある。
よく気をつけていないと見逃すことになる。正面の門から本堂に向かって進み、本堂の手前右側にある。 京都のへそと信じるか否かは、見た人の気持ちしだいです。
2007年10月26日
2007年10月26日
京都の紅葉 園光寺
園光寺
2001年11月撮影
記憶では、
南禅寺の修行道場
と書かれていたように思います。
この寺のモミジ葉の葉は小さく
撮影したときは、
風に吹かれて散るモミジは、
さながら吹雪きでした。
いろいろ紅葉を見ていますが、
もみじ吹雪はここだけです。
しかし残念なことに、
カメラには収められませんでした。
地図はこちら
足: 市バス 一乗寺下り松町下車 詩仙堂に向かって上り
詩仙堂少し下を北に(曼殊院方向)に
徒歩10分くらいか?
(市バスは、一日乗車券の圏外で100円が別途必要)
**詩仙堂から曼殊院に向けて歩くのがコース。その途中)
参照HP: http://kamogawa35.exblog.jp/3429163/