2009年06月30日

立ちションと国際線の欠航

 全くお馬鹿な話だねぇ。
 でもね、二日酔いで操縦桿握られるよりはましだったかもしれないなぁ。  
  (いまは、コンピュータの自動操縦だからどうでもいいかな?)


 私がアメリカでボストンからサンフランシスコに移動するとき、機体が故障して、乗客の見えるところで修理していた。気持ちよくなかった。

 名古屋・当時・小牧からアメリカに行くとき、操縦席のガラスが割れたのを英語をそのままカタカナ訳の「エンジントラブル」と言われて二四時間出国手続きしたまま、名古屋で足止め食った。名古屋市内のホテルいるときも、実は日本にいるのではないというとんでもなく変な気分だった。
 「エンジントラブル」は、「機体のどこかにトラブルがあり」なんだけど、日本人には「エンジントラブル」は「ジェットエンジンそのもの」と思いやすいよ。
 航空会社といろんな交渉ごとをそのときしたけど、その中の一つが「エンジントラブルの本当の説明をもう一度きちんとやれ」で、飲ませて実際に飛び立つ前に説明をさせた。
 このときの交渉したことはいくつかあったけど、海の向こうへ行ってなにやら知らないうちにVIP待遇で、到着ら案内してくれた女性に、「あなたの交渉したやり方は、日本人のやり方ではなく、完全にアメリカ式のやり方だ」とほめられたのか皮肉られたのか分からんことを言われた。
 二四時間足止め食っているのに、到着が遅れる旨の連絡をする海外への電話代を自己負担でといわれたので、たまたま乗り合わせた高校生なんか「金がないよぉ」と言うので、航空会社負担にするように交渉して飲ませたり・・・・ついでに食事代も。

 航空会社の社員て、結構エリートみたいだけど、実情はそうでもないよぉ。まぁ、人それぞれだけど、いい加減なところ多いなぁ。本来とっさの判断が求められる場合でも、判断ができず上司に指示を仰いで時間をものすごく使わせるのもいたよなぁ。

 それにしても、近くにコンビニかレストランなかったのかよぉ。  

Posted by 生田 at 21:30Comments(0)TrackBack(0)社会性

2009年06月30日

遷仏法要=お性抜き=閉眼法要

 今日6月30日に実家のとにかく古い仏壇を廃棄することになり、旦那寺の住職に法要の経を上げてもらいました。

 私が生まれてもう66年近く、それよりもうんと前から存在していた仏壇。私の子供の頃はまだきんきらしていたが、私が実家を離れてからは、どういったおもりをされていたかは全く分からない。とにかく信心深い家族ではないので、放っておかれた可能性が大きいかもしれない。
 信心深くないのにはそれなりのいわれがあるわけだが、それは致し方ないものだが。。。

 今日の法要の後で中のものでばらばらのものを一枚一枚見ていたら、なんと私の大ばあちゃんの名前を書いたものが出てきた。それに書かれている日付が昭和4年、あぁちょうど80年も前のものだ。いや、その前から存在していたのではないかと思われる。
 戦争末期の空襲では近くに焼夷弾が落ちて大変だったらしいが、そういったことからも免れて生き延びてきた仏様だ。
 私の大ばぁちゃんがなくなったのが昭和21年。私の二歳半の時。このときのことは何故か不思議と記憶に残っている。

 確かこの仏壇の中には、何冊かの教典があったと思ったのだが、何も入っていなかった。どこに消えたのだろう???

 法要を終えて、仏壇のほこりを払い、ばらばらになった扉などを段ボールに入れて、車でお寺まで運んだ。お寺で処分してもらう手はずになっている。
 昨年父親がなくなって、住人がいなくなったので、おもりができない仏壇だから、こういったことになるのだが、できればもっと前にしておくべきだったかもしれないが、それは父の気持ちが許さなかったかもしれない。

 今は、自宅にもっと大きな仏壇がある。古い仏壇の阿弥陀仏だけは持って帰ってきた。これには私の思い入れがあるからだ。かなり放っておかれてもう光背はばらばら。後ろからの光は出ていないよ。。。
 でもね。阿弥陀さんの立像はしっかりとしてます。光背を除いても、立像だけでも新しい方の仏壇の脇に置くことにしました。
 性抜き をした後なので、仏ではないですが・・・・


 今回の法要は、浄土真宗では「遷仏法要」と言います。言葉の意味としては、仏を他の場所に移すと言うことのようですが、我が家のように廃却する場合にも適用されると行くことです。
 他の宗派では「閉眼法要」と言います。つまり、仏様が目をつぶることになる法要です。この逆が「開眼法要」で、仏様に魂を入れること。日本史に出てきた有名なものは、奈良東大寺の大仏さんの開眼法要です。
 何はともあれ、浄土真宗は、何かと仏教用語が他の宗派と異なる。だいたい「戒名」というものがない。その代わりに「法名」という。言うなれば真実の名前と言うことらしい。このように宗派が違うといろいろ言うこともすることも違うので、戸惑いがいろいろあるだろうなぁ。。
 何かするときには、事前にお確かめになられんことを。
  

Posted by 生田 at 19:03Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2009年06月30日

朝ドラ 「つばさ」が変

 この4月から始まった「つばさ」
 もう6月の最終日だから、半分を過ぎるのだが・・・・・

 埼玉県川越市でのエピソードなのだが、どうも舞台劇を見ているような雰囲気だ。最初の頃こそ川越の町のショットがあったように思うが、どうも町の中でのろけが少なく、元映画館とつばさの自宅付近と・・といった狭いところをセットの中での演技としか見えない。
 多分にディレクターが舞台好みか舞台をやりたかった人物かって思うほど。

 今週は、とうとうその舞台への思いが、本当に舞台演劇がテーマとなる。

 朝ドラの多くが地方都市の紹介という面もあるから、もっと川越の今の姿を見せてもいいと思うのだけどねぇ。


 そうそう つばさの母親役の 高畑淳子 のキャラが、「夫婦道」の母親役と同じに思えてねぇ。同じ時期に同じようなキャラでの出演は本人にとっていいことないだろうなんて心配している。もう少し考えてやってほしいね。
 そういえば、この夫婦道の朝霞も埼玉県で、川越から東武か西武電車で池袋に行くとき通るところじゃぁないか???  

Posted by 生田 at 07:58Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2009年06月29日

雨の中を帰宅

 三時を回ってお客さんが来た。小一時間はなしをしてお帰りになった。雨はひどくはないが降り続いているようだが。
 お客さんが帰ってと始末をして外へ出たら雨が降っていない。では本降りになる前にかえろうと、歩き始めた。もっとも傘はいつでも開けるように手に持って。
 名古屋駅まで歩けるかと思っていたら、バス停一個のところで結構降ってきた。たまたまバスが来たので乗車。あぁ、歩くのが少なくなった。
 歩く歩数のこともあるので、濡れないところで下車して地下街を歩く。そして地下鉄に乗る。

 地下鉄を降りてバスを待つ。雨は少しだが降っている。傘の必要性はないかなぁ?くらい。

 降ったり止んだり。梅雨らしい雨かな?


 いつもより30分以上早く帰ってきた。
 あまり汗をかいていない。

 さて体重はどうなっているのやら。  
タグ :梅雨空

Posted by 生田 at 18:14Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2009年06月29日

6月29日 雨

午後2時を回って雨が降り出した。
本降りになるかと思ったが10分くらいでやんだ。

今日はこれから天気は本格的に崩れるとの予報。
早く帰りたいけど
来るといっている客が来ない。。

早く来いよぉ。
本降りになる前に帰りたいよ。

  
タグ :

Posted by 生田 at 14:30Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2009年06月29日

新幹線300系と700系

 今日は月曜日、いつものバス、地下鉄そして歩きの移動。

 月曜は公共の施設がお休みなどもあり、交通機関はすいてます。

 名古屋駅からは、今日は歩き。その途中で横を見たら新幹線が見える。そこでショット。

ここがどこだかすぐにわかる人は、このあたりをよく歩いている人かも。



 しばらく言って、先日ミスショットした地点から再チャレンジ。また一枚はミスショット。しばらく待って、頭と尻を。下り300系(私が嫌いな車両)です。






  

Posted by 生田 at 12:57Comments(2)TrackBack(0)今日の日

2009年06月28日

天地人 25回 関白を叱る

 6月最後の放映 これで完全に半分を過ぎたことになる。ただ、12月になると二回くらいしかないから、半分以上すぎたと思う。

 兼続は、秀吉に呼びつけられて、「家臣にならんか」と。。。
 家康の家臣に対しても同じことして、成功しているらしいが、兼続は拒否する。当時としては、拒否するのが当たり前のような気がするが。いとも簡単に使える先をかえると、変えたところでまた次という疑いをかけられるだろう。つまりは、その主従がうまくいく可能性は少ないのではないか?
 恥をかかされたことになるはずの関白だが、おとがめなしで景勝、兼続主従を越後に帰している。しかし、この恥をさらしたことが後々の会津への転封のきっかけになっているように思う。そして、その先には山形への転封にもなるのだろう。

 しかし、秀吉が刀を首に当てたときの周囲の雰囲気には全くといっていいほど緊張感に欠けている。このドラマ全体にいえることだが、とにかく緊張感がない。女性が前に出てきて華やかのはいいが、戦国時代という時代背景の緊張か何というものが感じられない。
 いつ戦があってもおかしくない時代に、あのようにのんびりとしていたのだろうかと。まだ天下は治まったわけではない。なのに。。。。。

 それにしても、あの家康は何だろう?あの頭のこぶは?そして秀吉の妹は。いくら何でも見るに耐えない作りだよ。他の女性が切れにされているのに、妹はどうしようもない女として扱われている。いかがなものかと。。。。
 
 視聴率がいいとはついぞ聞かない。
 

 今回のストーリーに幸村の妹・初音が登場している。何となく長澤まさみを出演させるための筋みたいだが・・ この初音に足して石田三成がご執心と言うことになっている。ん??
 僧か、まだ茶々が出てきていないからいいのか。いずれは三成は茶々にということかもしれないが。初音をこの先どう扱うのか?

 関ヶ原まであと14年である。
  

Posted by 生田 at 22:00Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2009年06月28日

実家のお掃除

 実家には私が週に三回通っているのだが、仕事を持っている関係で細かい掃除をすることはしていない。それなので・・・・・

 実家は築何十年になるのだろう。私が中学校くらいに改築をし、家を離れてからもう一度改築をしているらしい。しかし、本体は最初のままのようだ。
 実家には私が生まれた頃にはもう仏壇があった。小さいもので、子供の頃にはまだ輝きがあったと思う。しかし、家を離れてもうじき50年になる。仏壇の輝きはもう記憶とは違うと思わざるを得ない。

 正直言って信心深くない家族で、仏壇の世話などしているとは言い難い。それにはそれなりの家の事情があるのだが。
 家も仏壇も同じで、手をかけないと、荒れるのだと言うことを今実感している。荒れてしまったものはもう元に戻すことはできない。実家の仏壇は、住人がいなくなったことから余計に、誰も何もしなくなるから、そのままおいておけばばらばらになってしまうのは必定と思う。
 そこで、この際、仏壇をお寺にお返しをすることにした。近々お経を上げてもらい、仏壇はお寺に預け、寺で処分をしてもらう。ただ私の気持ちとしては、ばらばらになりかけている仏像だけは、何かに来るんで、自宅にある仏壇に治めようかと思っている。ただ、これも寺の住職がいいと言えばの話だが。

 人の世は移ろう。それに沿っていろんなものが消えることになる。

 いずれ、私も消えていくことになるのだが。
 人は消えても、その人の気持ちは誰かの中に幾分かは残るのだが。それもだんだんと薄れていく、中には最初の人の思いとは異なった受け取り方で生き残ることも多い。宗教がその一つかもしれない。」

 旦那寺の住職にお経を上げてもらうために、実家の掃除をしたのだ。
 少しはきれいになったが。。。。。。  

Posted by 生田 at 18:42Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2009年06月28日

沙羅双樹 今日はもう花はなし

沙羅双樹は、もう終わりました。

今朝は花は一輪も。
昨日までの花も落ちてしまっていて、
白い花は何もありません。

今年は終わったのです。

また来年たくさん咲いてくれるといいのですが。
こればかりは、自然のなす事。
ただ、祈るばかりです。

孫と同じように大きくなってほしい。
  
タグ :沙羅双樹

Posted by 生田 at 18:22Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2009年06月27日

ヤモリ君 ブログデビュー

 一昨日は一匹で出てきた。
 サッシに隠れ、虫を狙ってできたところをパチリ。近くからとれなかったので、拡大したからぼけてるぅ。





 昨夜は、三匹出てきた。熱くなると虫も多くなるので、奴らも忙しい。
 昨年の三匹と大きさが違う。代替わりしたかな?  
タグ :ヤモリ

Posted by 生田 at 20:03Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2009年06月27日

五木寛之 親鸞 綽空から善信へ

 五木寛之氏の小説「親鸞」。やっと「選択集」の書写の許可が出た。

 それにしても何でこんなややこしい筋にせんといかんの?
 預けたときは「見る、読むべからず」で、まるで親鸞を試すかのごとく。門外不出を親鸞に預けたことがばれるような筋だし。いったい何を狙っているのか理解に苦しんでいる。

 ここの新しいサブタイトルは「綽空から善信へ」なのだが。これは多分私の思いとは真っ向から違うことになると思う。
 タイトルから想像できることは、「綽空」という名前が「善信」に変わると言うことを意味していると思われる。一般に「善信」とは親鸞の一時期の名前をとらえられている。多分にその線に沿った筋になるかと思うのだが、
 実は私は、「善信」は名前=僧名と考えていないのだ。僧名ではなか卯、「房名」と考えている。その理由は、多くの僧が、○○房○○ (たとえば、法然房源空) と房名と僧名がある。法然の場合には源空という僧名よりも法然という房名が有名である。
 親鸞の場合には、いろいろ読みあさった書籍の中には、房名が存在していないのだ。「範宴」という幼名、叡山を降りてからの「綽空」、そして流罪になってからの「親鸞」と名乗っているのだが、この中に「善信」も含まれいている雰囲気にある。
 しかし私は、綽空の僧名の上に「善信房」がついていたのではないかと思っているのだ。法然門下の多くの僧が房名と僧名を持っているからには、親鸞であってもそのように房名僧名を持っていても不思議ではないし、あることの方が自然な気がしているからなのだが。

 「善信」という言葉は、親鸞の三夢記の中に記載されている言葉。私は、その記載されたものの意味から僧名の上に自分の房名として、ひょっとしたら「綽空」の名をもらったときに同時に法然から与えられているかもしれないと。。。。
 そんな夢が私の見ているものなのかもしれない。  

Posted by 生田 at 13:36Comments(2)TrackBack(0)小説の話

2009年06月27日

最後?の沙羅双樹

 とうとう最後になったと思われる2輪が咲いた。後のこりのつぼみを探したが見つけられないので、多分これが最後の開花だと思う。
 それにしても、今年はたくさん咲いた。孫の誕生にあわせて植えたもの。もう8年になる。しかし今年が一番多かった。咲かない年もあったものなぁ。。来年も咲いておくれ。









ついでに小さい花を今朝もショット





  

Posted by 生田 at 08:43Comments(0)TrackBack(0)庭の花など
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
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プロフィール
生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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