2010年11月30日
長谷寺 紅葉・日帰り旅 3
記念撮影をして、孫を撮って、孫にも撮ってもらって。撮ってもらえる年齢になったのだ。。。
階段を上がって行く途中にお堂があってその前にロウソクを立てるガラス箱(正式な名前なんというのでしょう?)がある。そこにロウソクを立てたいと孫がいう。自分でやらせてみた。マッチなどすったことがないから、こわごわやってたなぁ。なんとが火がついて、ケースの中にロウソクを立てる。ご満悦な顔をしている。
ここから拝観料を払う山門下までも石段を上って行く。
山門下で拝観料を収める。私と孫で750円なり。まぁこんなものでしょう。(残念ながら、65歳以上無料の特典はなかったですよ)
**なぜか山門の写真を撮ってない。どうしたんだろう????金払うのに精いっぱいだったかな?
山門を入るともう階段です。頑張らなくっちゃ。
少し上がったところでカメラを構えた人がたむろ。左側に色づいた木々があるからだ。私もついでにショット。(孫は先に階段を数えながら上ってます。)
きれいなコントラストです。
この先紅葉がいっぱいなんです。そりゃぁそうでしょうね。紅葉の名所なんですものねぇ。上の写真を撮った後振り向いて一枚。
正直撮った写真を全部出したらとんでもないことに成ります。なにしろ長谷寺だけでも200枚を超える写真を撮っているから。
それでも中にはこうした紅葉以外の花の写真もあります。お寺っていうのは、どうしてこう木や花がたくさんあるんでしょう。これまでなんとも思っていなかったけど、この日歩きながらふとそういった疑問が出てきたのです。
階段を登り切りました。孫が数えた段数は407段だとのこと。同じように数えていた女性(私と同年代かな?)と孫が段数のことで途中でやり取りしてましたね。いいことです、嫌がらないで、ほかの人と会話ができるのは。
上りきったところに石柱と高札。これには、『紀貫之古里の梅』と書かれている。高札には歌が書かれているけど、貫之の故郷ってどこだっけ??名前は歌人として知ってはいるけど、どこで生まれたかなんて言うのは聞いたことないなぁ。(入試に出ないもんな)
たまには、こういう石碑や石仏などの写真も撮って入るんですが、この日は天気がいまいちで日差しがよくないのでこういう石碑などはコントラストが弱くなって、いまいちな写真になってしまいますね。
この堂のあるところは、お地蔵さんやら観音さんやらで、子供に関する供養のために物らしい。実は、私は、こうした水子というような供養が好きではないのですね。理由は私自身がわかっていない。まぁ、人の気持ちの問題なので、人ぞれぞれ思うところがあるから、ほかの人のことをうんぬんする立場ではないですが。
どこにでもありそうなモミジの写真です。
階段を上がって行く途中にお堂があってその前にロウソクを立てるガラス箱(正式な名前なんというのでしょう?)がある。そこにロウソクを立てたいと孫がいう。自分でやらせてみた。マッチなどすったことがないから、こわごわやってたなぁ。なんとが火がついて、ケースの中にロウソクを立てる。ご満悦な顔をしている。
ここから拝観料を払う山門下までも石段を上って行く。
山門下で拝観料を収める。私と孫で750円なり。まぁこんなものでしょう。(残念ながら、65歳以上無料の特典はなかったですよ)
**なぜか山門の写真を撮ってない。どうしたんだろう????金払うのに精いっぱいだったかな?
山門を入るともう階段です。頑張らなくっちゃ。
少し上がったところでカメラを構えた人がたむろ。左側に色づいた木々があるからだ。私もついでにショット。(孫は先に階段を数えながら上ってます。)
きれいなコントラストです。
この先紅葉がいっぱいなんです。そりゃぁそうでしょうね。紅葉の名所なんですものねぇ。上の写真を撮った後振り向いて一枚。
正直撮った写真を全部出したらとんでもないことに成ります。なにしろ長谷寺だけでも200枚を超える写真を撮っているから。
それでも中にはこうした紅葉以外の花の写真もあります。お寺っていうのは、どうしてこう木や花がたくさんあるんでしょう。これまでなんとも思っていなかったけど、この日歩きながらふとそういった疑問が出てきたのです。
階段を登り切りました。孫が数えた段数は407段だとのこと。同じように数えていた女性(私と同年代かな?)と孫が段数のことで途中でやり取りしてましたね。いいことです、嫌がらないで、ほかの人と会話ができるのは。
上りきったところに石柱と高札。これには、『紀貫之古里の梅』と書かれている。高札には歌が書かれているけど、貫之の故郷ってどこだっけ??名前は歌人として知ってはいるけど、どこで生まれたかなんて言うのは聞いたことないなぁ。(入試に出ないもんな)
たまには、こういう石碑や石仏などの写真も撮って入るんですが、この日は天気がいまいちで日差しがよくないのでこういう石碑などはコントラストが弱くなって、いまいちな写真になってしまいますね。
この堂のあるところは、お地蔵さんやら観音さんやらで、子供に関する供養のために物らしい。実は、私は、こうした水子というような供養が好きではないのですね。理由は私自身がわかっていない。まぁ、人の気持ちの問題なので、人ぞれぞれ思うところがあるから、ほかの人のことをうんぬんする立場ではないですが。
どこにでもありそうなモミジの写真です。
2010年11月30日
長谷寺 紅葉・日帰り旅 2
なんとか長谷寺に着きました。かなりたくさんの人がおります。ほとんどが中年以上。孫のような若年はいないよ。お寺詣りになるからかなぁ?もっと子供を連れてくるべきだと思う。信仰の問題ではなく、日本の美を見せるべくして。(奈良県のお寺には、国宝という美術品がたくさんある。)
駅を降りたら、階段を下らねばならない。坂道を行く手もあるけど、遠回りだから、みんな階段を下って行く。この時、孫が寒いと言い出した。見た目にもかなり寒そうに見える。私は着ていたコートを脱いで孫に着せて、私は寒いのは我慢ということになった。
駅からかなり急な階段を下って国道に交差点を過ぎて、川を渡る。たくさんの人がぞろぞろ。橋の上から右を見ると赤い橋と山の紅葉が。
思ったほどの色づき出ないなぁ…
これから参道に入ります。が、突き当たりに麺どころがある。寒いという孫にうどんでも食べるか?と聞いたら、まだ腹が減ってないらしい。。。。。(私は、さほどの寒さは感じていないけど、風があるとやはり冷たいねぇ。。)
参道をえんやこら歩いていきます。狭い参道で、車のすれ違いも大変だろう。車と人とのすれ違いも大変で、結構こわい思いをするよ。
途中で、孫は駄菓子屋さんを見つけた。ここで好みのものを見つけて買うという。はい、こういうとき、じいちゃんは弱いのです。
参道を歩いているとまっすぐ行く道と左折する道とがある。案内人が左折の方が近いという、孫も何か看板で知ったらしく左折しようという。その意思にそって左折したら、結構きつい坂でねぇ。しかも、参道の人波を避ける車が通るのだよぉ。
危ないからと、階段のある側道へ行く。途中おばぁさんと出会ったら、階段は先に行けないというけど、それ嘘だよ。
左の写真は、この坂の峠のところで撮ったもの、向こうが長谷寺です。そしてこの峠を越すと下って行きます。(この峠越えは、急がない限り避けた方が楽、参道をそのまま直進した方が歩くには楽な道です。
さてさて、結構歩いて長谷寺の入口にやってきました。
うわぁ・・・これから先階段いっぱいのぼんなきゃぁいけないんだよなぁ。この寺は階段登るので有名だもんなぁ。。
駅を降りたら、階段を下らねばならない。坂道を行く手もあるけど、遠回りだから、みんな階段を下って行く。この時、孫が寒いと言い出した。見た目にもかなり寒そうに見える。私は着ていたコートを脱いで孫に着せて、私は寒いのは我慢ということになった。
駅からかなり急な階段を下って国道に交差点を過ぎて、川を渡る。たくさんの人がぞろぞろ。橋の上から右を見ると赤い橋と山の紅葉が。
思ったほどの色づき出ないなぁ…
これから参道に入ります。が、突き当たりに麺どころがある。寒いという孫にうどんでも食べるか?と聞いたら、まだ腹が減ってないらしい。。。。。(私は、さほどの寒さは感じていないけど、風があるとやはり冷たいねぇ。。)
参道をえんやこら歩いていきます。狭い参道で、車のすれ違いも大変だろう。車と人とのすれ違いも大変で、結構こわい思いをするよ。
途中で、孫は駄菓子屋さんを見つけた。ここで好みのものを見つけて買うという。はい、こういうとき、じいちゃんは弱いのです。
参道を歩いているとまっすぐ行く道と左折する道とがある。案内人が左折の方が近いという、孫も何か看板で知ったらしく左折しようという。その意思にそって左折したら、結構きつい坂でねぇ。しかも、参道の人波を避ける車が通るのだよぉ。
危ないからと、階段のある側道へ行く。途中おばぁさんと出会ったら、階段は先に行けないというけど、それ嘘だよ。
左の写真は、この坂の峠のところで撮ったもの、向こうが長谷寺です。そしてこの峠を越すと下って行きます。(この峠越えは、急がない限り避けた方が楽、参道をそのまま直進した方が歩くには楽な道です。
さてさて、結構歩いて長谷寺の入口にやってきました。
うわぁ・・・これから先階段いっぱいのぼんなきゃぁいけないんだよなぁ。この寺は階段登るので有名だもんなぁ。。
2010年11月30日
長谷寺 紅葉・日帰り旅 1 東青山駅
11月最後の日曜日、近鉄の3日間フリー切符があるので、飛鳥にでもいっているかと思っていたが、急に切符が2枚になったので誰かを連れて・・ということになった。だれといく??とそこで、最近遊んでいない孫を誘ってみるかと土曜日の晩に電話をかけた。
最初はなんやかんや忙しいらしくてダメといっていたが、後から電話がかかってきて『行く』といってきた。となると飛鳥はいくらなんでも小学生の孫にはきついなぁと、行き先を変更。といって、私は紅葉が最低見たいので、長谷寺に行くことに。そして、時間があれば談山神社に行ってみるかと。。。
日曜日朝7時に待ち合わせ、お互いつらい時間ですが、無事に金山駅で合流。名鉄に乗って名古屋駅に。近鉄に乗り換えなた。もっと時間がかかるかと思ったのだが、とにかくスムーズぬ行きすぎてなんと7時11分の急行に乗ってしまったのだ。
これからえっちらおっちら急行は走って行きます。特急でいってもいけど、貧乏旅を教えるのもご先祖さんの役目。途中で、長島、桑名、富田、四日市、白子、津などなど、通って行く土地についての話をする。結構社会科などの勉強で理解しているようだ。しかし、四日市喘息公害は知っていても、実際にどういったものが公害を引き起こしたのかまでは理解できていなかったようだが、煙突から出る火や煙で説明をしてやった。
そんなことをしながら伊勢中川まで来た。
ところがここで問題が。この先大阪方面に行く電車が30分以上先なのだ。へぇ??唯一東青山に行く鈍行がある。駅員さんに聞いたらどん光が先に着くという。では先行ってみようと鈍行に乗った。
途中いろいろ停車していって、榊原温泉口を過ぎたら、ノッテいるのは私ら二人だけ、完全に貸し切り状態。こんなにも人がいないの、日曜日なのに人が来ないの????
東青山に着きました。おぉ、目の前に色づいた気がたくさんあるわ。
下りた大作方面行ホームから撮ったもの
後から来る急行が車で時間があるからと駅の外に出てみた。(駅員誰もいなんです。人が来ないからいなくても平気みたいです。もっとも近鉄さんは結構鷹揚ななところがあるからなぁ)
改札の外(北側)は、「四季のさと」という公園です。きれいに整備されてますよ。
この駅ではほかに見た人は三人です。一人はバックパックを背負った女性、一人は中川方面にく男性、もう一人は大阪方面に行く女性。なんともさみしい駅ですが、この三人どこからきたのだろう????周りにいえないように思えたけど。なんでも青山リゾートはの公園の近鉄を挟んで反対南側らしいが。
この駅寒いんです。風がなければまだましなのでしょうが、山の上に風車を置くぐらいだから風があるところ。ホームに戻っては見たものの、寒くて。孫は寒い寒いの連発でした。他の駅は待合室が容易されているのに、この駅は待合室ないんですよぉ。
この駅で見たもの、これなんでしょう?
やっと急行がやってきました。
乗り込んだら、うわぁ座れないよぉ。。。。。伊勢中川で待った方がよかったみたいですぅ。。。。
この急行で長谷寺まで。途中名張で私は座りました。孫に座るかと言ったら、年より優先だって。。しかし、かなり叱られました。『どうしてこんなに遅い電車に乗るのだ』『遅すぎる』と。
これには参ったけど、貧乏旅行を教える手前、ちゃんと説明したけど、納得したかなぁ。
この日は紅葉シーズンなので急行も『長谷寺』には停まります。シーズンでない時は停まりません。停まらない時は、榛原で後から来る鈍行に乗り換えねばならないのですが。
最初はなんやかんや忙しいらしくてダメといっていたが、後から電話がかかってきて『行く』といってきた。となると飛鳥はいくらなんでも小学生の孫にはきついなぁと、行き先を変更。といって、私は紅葉が最低見たいので、長谷寺に行くことに。そして、時間があれば談山神社に行ってみるかと。。。
日曜日朝7時に待ち合わせ、お互いつらい時間ですが、無事に金山駅で合流。名鉄に乗って名古屋駅に。近鉄に乗り換えなた。もっと時間がかかるかと思ったのだが、とにかくスムーズぬ行きすぎてなんと7時11分の急行に乗ってしまったのだ。
これからえっちらおっちら急行は走って行きます。特急でいってもいけど、貧乏旅を教えるのもご先祖さんの役目。途中で、長島、桑名、富田、四日市、白子、津などなど、通って行く土地についての話をする。結構社会科などの勉強で理解しているようだ。しかし、四日市喘息公害は知っていても、実際にどういったものが公害を引き起こしたのかまでは理解できていなかったようだが、煙突から出る火や煙で説明をしてやった。
そんなことをしながら伊勢中川まで来た。
ところがここで問題が。この先大阪方面に行く電車が30分以上先なのだ。へぇ??唯一東青山に行く鈍行がある。駅員さんに聞いたらどん光が先に着くという。では先行ってみようと鈍行に乗った。
途中いろいろ停車していって、榊原温泉口を過ぎたら、ノッテいるのは私ら二人だけ、完全に貸し切り状態。こんなにも人がいないの、日曜日なのに人が来ないの????
東青山に着きました。おぉ、目の前に色づいた気がたくさんあるわ。
下りた大作方面行ホームから撮ったもの
後から来る急行が車で時間があるからと駅の外に出てみた。(駅員誰もいなんです。人が来ないからいなくても平気みたいです。もっとも近鉄さんは結構鷹揚ななところがあるからなぁ)
改札の外(北側)は、「四季のさと」という公園です。きれいに整備されてますよ。
この駅ではほかに見た人は三人です。一人はバックパックを背負った女性、一人は中川方面にく男性、もう一人は大阪方面に行く女性。なんともさみしい駅ですが、この三人どこからきたのだろう????周りにいえないように思えたけど。なんでも青山リゾートはの公園の近鉄を挟んで反対南側らしいが。
この駅寒いんです。風がなければまだましなのでしょうが、山の上に風車を置くぐらいだから風があるところ。ホームに戻っては見たものの、寒くて。孫は寒い寒いの連発でした。他の駅は待合室が容易されているのに、この駅は待合室ないんですよぉ。
この駅で見たもの、これなんでしょう?
やっと急行がやってきました。
乗り込んだら、うわぁ座れないよぉ。。。。。伊勢中川で待った方がよかったみたいですぅ。。。。
この急行で長谷寺まで。途中名張で私は座りました。孫に座るかと言ったら、年より優先だって。。しかし、かなり叱られました。『どうしてこんなに遅い電車に乗るのだ』『遅すぎる』と。
これには参ったけど、貧乏旅行を教える手前、ちゃんと説明したけど、納得したかなぁ。
この日は紅葉シーズンなので急行も『長谷寺』には停まります。シーズンでない時は停まりません。停まらない時は、榛原で後から来る鈍行に乗り換えねばならないのですが。
2010年11月29日
リコール署名の縦覧に行きましょう
最初に書いておこう。
リコール賛成署名をした人は、必ず縦覧しに行きましょう。おそらく多くの方が、びっくりすると思います。
名古屋市議会のリコール問題は、河村市長の辞職表明で急展開、それも違った方向に。
とはいうものの、リコールの署名自体の有効・無効は確認をしておかないと、この先同じことがあるとすると、きちんと確認しておかないと選挙管理委員会がまた同じバカなことしでかすかもしれないので、とにかく私の署名が有効だったのか無効だったのかの確認に行ってきた。
会場はガラガラで、それでも係(区の選挙管理委員会、実は区役所の職員が兼任、区長までもお出ましで)がせわしなく動いている。
何を確認しているのか知らないが、ちょっと待たされてはいった縦覧場所はあまり人もいなくて。。。。それなのになんで待たせるのか???
私の書いたシートを見せてもらった。私のは『有効』になっていた。しかし、同じシートの半分以上が『無効』の紅いハンコが押されている。なぜ???(これは私は質問する権利がない)
口調との会話の中から推測すると、私の書いたシートは請求代表者用のもの。つまり受任者のサインがないので請求代表者との間のやりとりで書いたことになる。しかし、これに対して、この請求代表者・受任者の区別のないシートがあまりにも多く、不審に思われたのでしょう差票を郵送したが、それに対する回答が『受任者』が選択されていると、請求代表者ではないので署名は無効となってしまう。
おそらく今回の調査票の書き方も問題で、誤解をした署名者の多くが『受任者』のチェックをしていると思われる。
これでは、せっかく署名しても無効扱いで意味をなさなくなっていまっている。
もともと、請求代表者・受任者名が空白の場合には請求代表者の扱いで、問題がないはずなのだが、それを調査票で誤解させて無効に持っていっているといわれてもしょうがない調査票ではなかったのか?
無駄な税金を使って本当に何がしたかったのか?11万の調査票を発送して、これの郵送代、そして返信の郵送代、用紙、封筒の印刷代、どれだけの無駄な税金が使われたのだろうか?議員や、選挙管理委員会は何も考えていないようだ。
私から見たら、これは一種の詐欺的行為にしか見えないのだけど。
もう一度書きます。
署名した人は、絶対に縦覧をして、確認すべきですよ。無効になっているケースがものすごく多いです。
リコール賛成署名をした人は、必ず縦覧しに行きましょう。おそらく多くの方が、びっくりすると思います。
名古屋市議会のリコール問題は、河村市長の辞職表明で急展開、それも違った方向に。
とはいうものの、リコールの署名自体の有効・無効は確認をしておかないと、この先同じことがあるとすると、きちんと確認しておかないと選挙管理委員会がまた同じバカなことしでかすかもしれないので、とにかく私の署名が有効だったのか無効だったのかの確認に行ってきた。
会場はガラガラで、それでも係(区の選挙管理委員会、実は区役所の職員が兼任、区長までもお出ましで)がせわしなく動いている。
何を確認しているのか知らないが、ちょっと待たされてはいった縦覧場所はあまり人もいなくて。。。。それなのになんで待たせるのか???
私の書いたシートを見せてもらった。私のは『有効』になっていた。しかし、同じシートの半分以上が『無効』の紅いハンコが押されている。なぜ???(これは私は質問する権利がない)
口調との会話の中から推測すると、私の書いたシートは請求代表者用のもの。つまり受任者のサインがないので請求代表者との間のやりとりで書いたことになる。しかし、これに対して、この請求代表者・受任者の区別のないシートがあまりにも多く、不審に思われたのでしょう差票を郵送したが、それに対する回答が『受任者』が選択されていると、請求代表者ではないので署名は無効となってしまう。
おそらく今回の調査票の書き方も問題で、誤解をした署名者の多くが『受任者』のチェックをしていると思われる。
これでは、せっかく署名しても無効扱いで意味をなさなくなっていまっている。
もともと、請求代表者・受任者名が空白の場合には請求代表者の扱いで、問題がないはずなのだが、それを調査票で誤解させて無効に持っていっているといわれてもしょうがない調査票ではなかったのか?
無駄な税金を使って本当に何がしたかったのか?11万の調査票を発送して、これの郵送代、そして返信の郵送代、用紙、封筒の印刷代、どれだけの無駄な税金が使われたのだろうか?議員や、選挙管理委員会は何も考えていないようだ。
私から見たら、これは一種の詐欺的行為にしか見えないのだけど。
もう一度書きます。
署名した人は、絶対に縦覧をして、確認すべきですよ。無効になっているケースがものすごく多いです。
2010年11月29日
今朝の桜通線の人身事故
今朝はいつもよりも30分近く遅く家を出た。そしてやはり30分くらい遅い違うルートのバスで新玉橋に。
連絡よく地下鉄が来た。そしてなんにもなく名古屋や駅のホームに滑り込んでいったのが、停止前でかなり減速してあと少しのところでブレーキがかかった。緊急放送が入って、次の駅を知らせる画面には『急ブレーキ注意』と出ている。
電車は、最後尾の車両の3つのドアが開かないところで停止した。そして、それからなにも放送もされなくて、ホームがざわざわ。。。
乗っている乗客は、とにかく何かが起きたことは認識しているので騒ぐことはないが、みんな不安そうな顔。それからしばらくして車内の照明が全部消えた。それでも車内放送はない。
照明が消えているときに、やっと『人身事故で停止しました』のアナウンス。大体見当はついてはいるものの、詳しい話はない。ドアが開けられることもない。
乗客は、かなりな人がケイタイ電話をかけている。仕事の人が遅刻しそうだろうし、待ち合わせの人も行けないからだろうし。。。乗り換え時間の迫った人は大変だったと思う。
この間、私は車掌がどうしているか最後尾に行ってみた。車掌はいない。。乗客を放り出してどこかに消えている。しょうがないなぁ、と今度は前に行って、とにかく後ろの3つのドアいがいを開けるように頼んでみようと前に移動を始めたのが事故から10分近くたってから。
この移動を始めた直後に、一番前の車両に移動してくれとのアナウンス。乗客もやっと解放されると安どの表情だが、迷惑そうだよね。最後尾から先頭車両に移動しなくてはんらないから。
先頭車両の一番先頭のドアが開かれて、そこから全員脱出。
先頭車両の下に、駅員がもぐりこんで何かをしている様子だが、詳細は見ることはできない。
地下鉄から解放されて、お勤めの人は大変ですね。改札の近くで遅延証明をもらうのに行列です。なんやら自動改札でもできるようで、係がごちゃごちゃいじってましたね。
この前に書き込んだ最初の記事は歩きながら打ち込んで送ったので、『桜通線』ということを書き忘れている。2通目は実家についてラジオのニュースで知った。
その後このニュースは、紀勢自動車道の大事故にかき消されて報道されていないので詳細は今もってわからない。
どんな人身事故だったのだろう。落ちたのか?、落とされたのか?、自殺行為なのか?いずれにしてもその人が大したことがないことを祈っている。
***
夕刊に出ていました。
記事からは『飛び込み』という感じで受け取れました。かなり時間が経ってから救出されたのですが、心肺停止状態と書かれていました。
連絡よく地下鉄が来た。そしてなんにもなく名古屋や駅のホームに滑り込んでいったのが、停止前でかなり減速してあと少しのところでブレーキがかかった。緊急放送が入って、次の駅を知らせる画面には『急ブレーキ注意』と出ている。
電車は、最後尾の車両の3つのドアが開かないところで停止した。そして、それからなにも放送もされなくて、ホームがざわざわ。。。
乗っている乗客は、とにかく何かが起きたことは認識しているので騒ぐことはないが、みんな不安そうな顔。それからしばらくして車内の照明が全部消えた。それでも車内放送はない。
照明が消えているときに、やっと『人身事故で停止しました』のアナウンス。大体見当はついてはいるものの、詳しい話はない。ドアが開けられることもない。
乗客は、かなりな人がケイタイ電話をかけている。仕事の人が遅刻しそうだろうし、待ち合わせの人も行けないからだろうし。。。乗り換え時間の迫った人は大変だったと思う。
この間、私は車掌がどうしているか最後尾に行ってみた。車掌はいない。。乗客を放り出してどこかに消えている。しょうがないなぁ、と今度は前に行って、とにかく後ろの3つのドアいがいを開けるように頼んでみようと前に移動を始めたのが事故から10分近くたってから。
この移動を始めた直後に、一番前の車両に移動してくれとのアナウンス。乗客もやっと解放されると安どの表情だが、迷惑そうだよね。最後尾から先頭車両に移動しなくてはんらないから。
先頭車両の一番先頭のドアが開かれて、そこから全員脱出。
先頭車両の下に、駅員がもぐりこんで何かをしている様子だが、詳細は見ることはできない。
地下鉄から解放されて、お勤めの人は大変ですね。改札の近くで遅延証明をもらうのに行列です。なんやら自動改札でもできるようで、係がごちゃごちゃいじってましたね。
この前に書き込んだ最初の記事は歩きながら打ち込んで送ったので、『桜通線』ということを書き忘れている。2通目は実家についてラジオのニュースで知った。
その後このニュースは、紀勢自動車道の大事故にかき消されて報道されていないので詳細は今もってわからない。
どんな人身事故だったのだろう。落ちたのか?、落とされたのか?、自殺行為なのか?いずれにしてもその人が大したことがないことを祈っている。
***
夕刊に出ていました。
記事からは『飛び込み』という感じで受け取れました。かなり時間が経ってから救出されたのですが、心肺停止状態と書かれていました。
2010年11月29日
2010年11月29日
2010年11月28日
長谷寺と談山神社
今日は朝早くから孫と一緒に奈良まで出かけました。いってきたところは長谷寺と談山神社、両方ともに紅葉で有名なところ。
明日からいろいろ写真を慣れべますが、今日はまずは1枚ずつ。
長谷寺
談山神社
明日からいろいろ写真を慣れべますが、今日はまずは1枚ずつ。
長谷寺
談山神社
2010年11月27日
10年秋の旅 最終回 白鳥IC・四季桜そして帰宅
白鳥から国道156互選をひたすら南下する。この辺りは長良川と並走するところ。過去に何度も走っているところだ。(スキーをしに来たのではないです。実は私スキーの経験は大昔関西のスキー場で2度だけ)
結構懐かしい思いでこの国道を南下した。何年ぶりかなぁ…
ただ、走りながら思ったことは、高速道路ができたことで、この地域が昔のようにのんびりとしたところに戻ったような気がする。高速ができる前まではこの国道は結構な交通量のあったところ。観光バスも走っていたよなぁ。。。ひるがの高原に行くには、スキーに行くには必要な国道だった。しかし、今はそれが東海北陸自動車道が取って代わったのだ。おそらくシーズン中の交通事故も減ったのではないかと思う。
そして、途中になった観光施設、一番目立っていた『土鈴館』という土でできた錫を集めた民間の一種の博物館があるのだが、ここがさっぱり人が入っていない。おそらく数年後にはなくなるかもなぁ。。。。なんと思いながらその横を通過した。
白鳥の街中を通過して、もうじき目指すところだよ。今は郡上市大和町となっているけどね。ここに私の御先祖さんのゆかりのところがあって、気持ちの問題から、この近くに来た時には必ず立ち寄っている。
実は、私の祖父母が息を引き取ったところなのだ。祖父がなくなった時には、本当にいたためれなかった。その前の年に行ったときに、「雪がなくなったらまた来るからな」といって別れたのだけど、雪が少ない年だった割にはとける前に逝ってしまった。それから30年だ。
その場所に行った。サクラが咲いていた。(四季桜です)
これもご縁なのでしょうね。その翌週には小原に行ってももう少し咲いていた四季桜に出会っている。ここの四季桜はまだほんの少し開いただけだったけど。。。
これで、今回の旅行の予定はすべて終了です。ここからはもう家に帰るだけです。どうやってかえるか。時刻は3時40分。高速を使えば2時間で帰ることができるけど、今日レンタを返すには時間が余るので、久しぶりに156号線で帰ることにした。
国道に戻って南下を始める。ここから25分くらい走ると郡上八幡。長良川にそって走って行く。ただ、山が地数義手景色を楽しむなんてことは無理。それに、カーブが多く対向車に注意を払わねばならないところでもある。
郡上八幡を通過。本当はここで左折して、和良に行きたいんだけどねぇ。それをするには今日は時間が足りない。もう一日必要だ。いってもいいけどいってもすることないし。。。なんてお具茶ご茶頭の中でいいながら南下。
途中、日本の『へそ』を通過。(知る人ぞ知る、岐阜の美並辺りは日本の中心部なんです) この辺りはのんびりと走ることはできるけど、対向車には十分注意が必要。何せ道がそんなに広くないものな。それにトンネルもあるしトンネルの手前でカーブしていたり。。。。
美濃市まで南下してきた。美濃市で一時目の前が開ける。長良川と板取川の合流するところ。この辺りの国道沿いにあったレストランみたいなものも閉鎖されているところがあったなぁ。これも時代の流れ、高速のせいかな?
¥小倉公園を右に見て坂を下り右に折れたところで時刻が気になった。このまま国道をいってもいいけど、渋滞に巻き込まれるとレンタが返せなくなる。ということで高速に乗ろうと思ったが、ナビの案内と私の頭と交通標識の案内がバラバラ。おかげで無駄に時間を費やすあちこち動いて、結局高速に乗ったのが「関」。かなりロスした。(ナビの情報がいつも細心にしておきましょう)
関から乗ったのはいいけど、ここまでののんびり走行から急に交通量の多いところに。えっ??
南下を始めて各務原の手前で交通情報が一宮JC~一宮IC間の渋滞を伝えている。これは時間がかかりそうと行き先変更。東海北陸から名神経由で位置のいやと思っていたけど、渋滞で時間がかかるなら木曽川で降りて22号線を走っても同じだろうと。
ということで、一宮木曽川ICで高速を降りた。これ正解だったようです。。。
22号線に入ったら、帰宅ラッシュの時間に入りつつある。あの片側5車線?{4車線?}の22号線が蔵馬がいっぱいの状態で走っている。特に一宮ICを過ぎてからは飛んでおなく渋滞。一宮ICから市高速に乗ろうかと主たけど、これも交通情報が渋滞をいっているから結局22号で行くことに腹を決めた。
この先のナビが面白かった。木曽川で降りてからナビは22号を走っている表示だったけど、一宮ICを過ぎてからは高速に乗ったと思ったらしい。もっともおなじせんをはしっているからそれでいいのだけど、名古屋に入って高速と国道が分かれたときにはあわてたみたいだ。
このまま国道を走って、紙沙羅で国道をおさらばして環状線に。そして、1週間放っておいた自宅に立ち寄ることに。自宅に着いたのが6時少し前。自宅でショット仕事して、あとはいつもの来るまでの自宅絵hの移動。もう安心。。。。
いや、あんしんではなかったのだ。ここまでの4泊5日の長距離ドライブで、事故の可能性はかなり低かった。しかし、しかし、自宅に帰る途中。川名の交差点で渋滞。車線を変えようとしたら前の車が急ブレーキ。ブレーキとハンドル操作背間一髪、事故を免れた。本当に才f¥五の最後まで気を抜いてはいけないという証拠です。
ガソリンスタンドに立ち寄って満タンにして、家に帰って荷物を下ろしレンタを返しに行った。全走行距離2055キロ。過去最長のドライブ旅行でした。
結構懐かしい思いでこの国道を南下した。何年ぶりかなぁ…
ただ、走りながら思ったことは、高速道路ができたことで、この地域が昔のようにのんびりとしたところに戻ったような気がする。高速ができる前まではこの国道は結構な交通量のあったところ。観光バスも走っていたよなぁ。。。ひるがの高原に行くには、スキーに行くには必要な国道だった。しかし、今はそれが東海北陸自動車道が取って代わったのだ。おそらくシーズン中の交通事故も減ったのではないかと思う。
そして、途中になった観光施設、一番目立っていた『土鈴館』という土でできた錫を集めた民間の一種の博物館があるのだが、ここがさっぱり人が入っていない。おそらく数年後にはなくなるかもなぁ。。。。なんと思いながらその横を通過した。
白鳥の街中を通過して、もうじき目指すところだよ。今は郡上市大和町となっているけどね。ここに私の御先祖さんのゆかりのところがあって、気持ちの問題から、この近くに来た時には必ず立ち寄っている。
実は、私の祖父母が息を引き取ったところなのだ。祖父がなくなった時には、本当にいたためれなかった。その前の年に行ったときに、「雪がなくなったらまた来るからな」といって別れたのだけど、雪が少ない年だった割にはとける前に逝ってしまった。それから30年だ。
その場所に行った。サクラが咲いていた。(四季桜です)
これもご縁なのでしょうね。その翌週には小原に行ってももう少し咲いていた四季桜に出会っている。ここの四季桜はまだほんの少し開いただけだったけど。。。
これで、今回の旅行の予定はすべて終了です。ここからはもう家に帰るだけです。どうやってかえるか。時刻は3時40分。高速を使えば2時間で帰ることができるけど、今日レンタを返すには時間が余るので、久しぶりに156号線で帰ることにした。
国道に戻って南下を始める。ここから25分くらい走ると郡上八幡。長良川にそって走って行く。ただ、山が地数義手景色を楽しむなんてことは無理。それに、カーブが多く対向車に注意を払わねばならないところでもある。
郡上八幡を通過。本当はここで左折して、和良に行きたいんだけどねぇ。それをするには今日は時間が足りない。もう一日必要だ。いってもいいけどいってもすることないし。。。なんてお具茶ご茶頭の中でいいながら南下。
途中、日本の『へそ』を通過。(知る人ぞ知る、岐阜の美並辺りは日本の中心部なんです) この辺りはのんびりと走ることはできるけど、対向車には十分注意が必要。何せ道がそんなに広くないものな。それにトンネルもあるしトンネルの手前でカーブしていたり。。。。
美濃市まで南下してきた。美濃市で一時目の前が開ける。長良川と板取川の合流するところ。この辺りの国道沿いにあったレストランみたいなものも閉鎖されているところがあったなぁ。これも時代の流れ、高速のせいかな?
¥小倉公園を右に見て坂を下り右に折れたところで時刻が気になった。このまま国道をいってもいいけど、渋滞に巻き込まれるとレンタが返せなくなる。ということで高速に乗ろうと思ったが、ナビの案内と私の頭と交通標識の案内がバラバラ。おかげで無駄に時間を費やすあちこち動いて、結局高速に乗ったのが「関」。かなりロスした。(ナビの情報がいつも細心にしておきましょう)
関から乗ったのはいいけど、ここまでののんびり走行から急に交通量の多いところに。えっ??
南下を始めて各務原の手前で交通情報が一宮JC~一宮IC間の渋滞を伝えている。これは時間がかかりそうと行き先変更。東海北陸から名神経由で位置のいやと思っていたけど、渋滞で時間がかかるなら木曽川で降りて22号線を走っても同じだろうと。
ということで、一宮木曽川ICで高速を降りた。これ正解だったようです。。。
22号線に入ったら、帰宅ラッシュの時間に入りつつある。あの片側5車線?{4車線?}の22号線が蔵馬がいっぱいの状態で走っている。特に一宮ICを過ぎてからは飛んでおなく渋滞。一宮ICから市高速に乗ろうかと主たけど、これも交通情報が渋滞をいっているから結局22号で行くことに腹を決めた。
この先のナビが面白かった。木曽川で降りてからナビは22号を走っている表示だったけど、一宮ICを過ぎてからは高速に乗ったと思ったらしい。もっともおなじせんをはしっているからそれでいいのだけど、名古屋に入って高速と国道が分かれたときにはあわてたみたいだ。
このまま国道を走って、紙沙羅で国道をおさらばして環状線に。そして、1週間放っておいた自宅に立ち寄ることに。自宅に着いたのが6時少し前。自宅でショット仕事して、あとはいつもの来るまでの自宅絵hの移動。もう安心。。。。
いや、あんしんではなかったのだ。ここまでの4泊5日の長距離ドライブで、事故の可能性はかなり低かった。しかし、しかし、自宅に帰る途中。川名の交差点で渋滞。車線を変えようとしたら前の車が急ブレーキ。ブレーキとハンドル操作背間一髪、事故を免れた。本当に才f¥五の最後まで気を抜いてはいけないという証拠です。
ガソリンスタンドに立ち寄って満タンにして、家に帰って荷物を下ろしレンタを返しに行った。全走行距離2055キロ。過去最長のドライブ旅行でした。
2010年11月27日
10年秋の旅 64 松ノ木峠・ひるがのSA・東海北陸自動車道
今日は11月27日 平泉の旅から帰ってきてもう一月を過ぎてしまった。記憶というものがこのひと月の間にかなり薄れてしまったことが悲しい。薄れると同時に、いろいろ見たことが交錯してしまって、居るどこで見たものかが判然としないものもある。それが2台のカメラに収め画像から思い出してみても、『どこだっけ?』なんてこともある。ただ、車の走行記録を手書きで残しているので、その記録の時刻と、写真に記録された時刻である程度の場所の限定はできるのだが。。。。
さて、東海北陸自動車道で、清見ICを過ぎた。本当にこのICを境に交通量がかなり変わる。やはり観光地高山という土地が後ろに控えているからだろう。それに最近は松本辺りから館t名に来ることができるようになったこともあるのかもしれない。
そういえば、飛騨河合PAで出会ったご夫婦も松本に抜けて中央道で関東に帰るっていってったっけなぁ。
城端から清見までの間は本当に長い長いトンネルの連続だった。上越と朝日の間のトンネル以上ではないだろうか?しかし、上越と朝日の間は対面ではないので気は楽なのだが、ここはトンネル内が対面ときているからあまりいい気はしないけどねぇ。
東海北陸自動車道は、途中に日本の高速道路で最高の標高(1085M)の松ノ木峠がある。この田k様でエッチろっちら上らねばならない。過去に通ったのは反対方向(下り)できつい登りだと思ったものだが、今回は逆方向でやはりここまでののぼりは結構きつい。
この松ノ木峠にはPAに計画があるのだそうだが、まだ今は供用されていない。
エッチラ上ってきて、峠に近くなったが、この峠の前後はカーブしている。まっすぐだとわかりやすいけど、カーブしているために『最高標高』の看板に気付きにくい。あらかじめわかっているからカメラを用意。カメラはコンパクトデジカメ。ハンドルの上でシャッターを押すだけ。これで撮ったのが上の写真。
しかし、危険な車がいて、路肩に車止めて写真を撮っているのがいたぞ。あれはやめてくれ。へたすりゃぶつけかねないから。(他人のこといえないかなぁ。運転中にシャッターを押す私だから)
いずれPAができるだろうけど、この表示がカメラで撮れるようにしてほしいものだ。
一番高いところを通過。ここから先は上っただけ降りるわけだから、下りがきつい。アクセル気をつけないとスピード無茶でてしまうよ。エンジンブレーキが必要なところかな。
松ノ木峠から結構あるんですね「ひるがのSA」は。前に来た時は逆方向でそれも明け方だったkら、本当に気持ち良かった。それに四肢の方の見晴らしもよかったなぁ。今回は逆ののぼり方向で、正直言って景色は滅茶悪い。いろいろ建物が経ったkらかもしれないけど、周りの山があんまりきれいに見えないよ。
それに、全線開通したこともあるのか、ものすごい駐車台数。平日ですよこの日は。それでも乗用車も観光バスもめちゃくちゃ多くて、売店も行列しないとレジが通れないほどの人。
そうかぁ。前通過した時から4年たつンdなよなぁ。この年月が人の往来を変えてきたってことかぁ。
売店に入って、先ずしたことはトイレの次に腹ごしらえ。なにしろ五箇山辺りのそばが食べられるという期待で走ってきて、見事に裏切られてここまで来た。時刻はもう2時半だよ。朝飯が7時でしょ、それから途中で食べたのが肉まん1個。これではおなか空くわ。
期待して食べ損ねたそばを食べたけど。高速のSAのそばはこの辺りは同じものかぁ?前の日に小矢部SAで食べたのと同じだったぞ。
腹ごしらえができたところで、ここの土産を買う。といっても期待のぞ場はなくて、ひるがのの牛乳{瓶入り、保温ケース月950円}とニッキ玉(これは本当は郡上八幡で買うべきだけどね)、などなど。
そして、高速で撮る最後の写真を撮った。山々の紅葉はいまいちでございます。
さて、これで高速道路で撮る写真は終わりです。
ひるがのSAを後に東海北陸自動車道を下って行く。このまままっすぐ行けば結構早く自宅に帰ることができるんドアが、実は寄りたいところがあるので、途中で降りるんです。時間的に行くなら郡上八幡ICを使うのがいいかもしれないけど、その手前の白鳥ICで降りることにしている。
白鳥ICで降りて、国道156号線まで少し入って出た。(出るまでの間上を高速みたいなのが走っている)
さて、東海北陸自動車道で、清見ICを過ぎた。本当にこのICを境に交通量がかなり変わる。やはり観光地高山という土地が後ろに控えているからだろう。それに最近は松本辺りから館t名に来ることができるようになったこともあるのかもしれない。
そういえば、飛騨河合PAで出会ったご夫婦も松本に抜けて中央道で関東に帰るっていってったっけなぁ。
城端から清見までの間は本当に長い長いトンネルの連続だった。上越と朝日の間のトンネル以上ではないだろうか?しかし、上越と朝日の間は対面ではないので気は楽なのだが、ここはトンネル内が対面ときているからあまりいい気はしないけどねぇ。
東海北陸自動車道は、途中に日本の高速道路で最高の標高(1085M)の松ノ木峠がある。この田k様でエッチろっちら上らねばならない。過去に通ったのは反対方向(下り)できつい登りだと思ったものだが、今回は逆方向でやはりここまでののぼりは結構きつい。
この松ノ木峠にはPAに計画があるのだそうだが、まだ今は供用されていない。
エッチラ上ってきて、峠に近くなったが、この峠の前後はカーブしている。まっすぐだとわかりやすいけど、カーブしているために『最高標高』の看板に気付きにくい。あらかじめわかっているからカメラを用意。カメラはコンパクトデジカメ。ハンドルの上でシャッターを押すだけ。これで撮ったのが上の写真。
しかし、危険な車がいて、路肩に車止めて写真を撮っているのがいたぞ。あれはやめてくれ。へたすりゃぶつけかねないから。(他人のこといえないかなぁ。運転中にシャッターを押す私だから)
いずれPAができるだろうけど、この表示がカメラで撮れるようにしてほしいものだ。
一番高いところを通過。ここから先は上っただけ降りるわけだから、下りがきつい。アクセル気をつけないとスピード無茶でてしまうよ。エンジンブレーキが必要なところかな。
松ノ木峠から結構あるんですね「ひるがのSA」は。前に来た時は逆方向でそれも明け方だったkら、本当に気持ち良かった。それに四肢の方の見晴らしもよかったなぁ。今回は逆ののぼり方向で、正直言って景色は滅茶悪い。いろいろ建物が経ったkらかもしれないけど、周りの山があんまりきれいに見えないよ。
それに、全線開通したこともあるのか、ものすごい駐車台数。平日ですよこの日は。それでも乗用車も観光バスもめちゃくちゃ多くて、売店も行列しないとレジが通れないほどの人。
そうかぁ。前通過した時から4年たつンdなよなぁ。この年月が人の往来を変えてきたってことかぁ。
売店に入って、先ずしたことはトイレの次に腹ごしらえ。なにしろ五箇山辺りのそばが食べられるという期待で走ってきて、見事に裏切られてここまで来た。時刻はもう2時半だよ。朝飯が7時でしょ、それから途中で食べたのが肉まん1個。これではおなか空くわ。
期待して食べ損ねたそばを食べたけど。高速のSAのそばはこの辺りは同じものかぁ?前の日に小矢部SAで食べたのと同じだったぞ。
腹ごしらえができたところで、ここの土産を買う。といっても期待のぞ場はなくて、ひるがのの牛乳{瓶入り、保温ケース月950円}とニッキ玉(これは本当は郡上八幡で買うべきだけどね)、などなど。
そして、高速で撮る最後の写真を撮った。山々の紅葉はいまいちでございます。
さて、これで高速道路で撮る写真は終わりです。
ひるがのSAを後に東海北陸自動車道を下って行く。このまままっすぐ行けば結構早く自宅に帰ることができるんドアが、実は寄りたいところがあるので、途中で降りるんです。時間的に行くなら郡上八幡ICを使うのがいいかもしれないけど、その手前の白鳥ICで降りることにしている。
白鳥ICで降りて、国道156号線まで少し入って出た。(出るまでの間上を高速みたいなのが走っている)
2010年11月26日
球形の荒野
あらすじは、サスペンスなので書かないことに。
時代が時代で、東京オリンピックのあった年、昭和39年の話なのだ。私が大学2年で東京にいたからドラマに出てくるいろんなものの記憶がある。新幹線もオリンピックに間に合わせるように走り始めたし。。。
それに、このドラマ奈良やら京都の寺が出てきた。これも見ているところばかりなので。
なんで、こんなこと書くのかというと、時代考証がいまいちおかしい。もっとも昭和39年の時のままを再現させてロケなんてのは無理なことは承知。しかし、いくらなんでもというのがたくさん。
奈良の新薬師寺、元興寺
これらの寺は、この時代はかなり荒れていて、ドラマに出てくるようなきれいな寺ではなかった。よって、昔の再現はできないのはわかっている。(おそらくプロデューサーも知らないかもしれない)
京都の南禅寺
これも、現状と当時とは結構違いがあるもので、ドラマの状態はかなり整備されすぎている。これも今ロケをするとしょうがないだろうなぁ。
タクシー
このころの乗用車観音開きだったかなぁ?もうそんな時代ではないともうけど。
電話
黒電話が確かにドラマに出てくる形だけど、汚すぎるわ。我が家にある黒電話の方がきれいだよ。
それに、この時代は、一方が切っても受話器を取り上げるとまた話ができたんだ。
洋傘
これが一番ひどかったなぁ。今骨の数がたくさんある洋傘があるけど、それを使っていた。当時はあんなにカラフルなものは少なく、骨もねぇ。。。。
アイデアル という折り畳み傘が出てくる少し前だよ。(この傘のCMは、植木等がやっていた)
とまぁ、いろいろ時代考証の問題はあるけど、原作がしっかりしているから、ドラマも面白いなぁ。それに芸術祭参加番組ドラマだから、それなりに力入れて作っているし。
若い刑事やっている生田斗真って、いい俳優ですねぇ。田村正和が、親父さんや兄貴によく似てきたなぁ。昔は兄弟の中でも違う顔だと思っていたのにね。
明日は、後編があるけど。明日も見ます。
そうそう、比嘉愛未はお嬢さん役にはもってこいの俳優さんらしく、その通りやっている。これを卒業させてもらわないとねぇ。
時代が時代で、東京オリンピックのあった年、昭和39年の話なのだ。私が大学2年で東京にいたからドラマに出てくるいろんなものの記憶がある。新幹線もオリンピックに間に合わせるように走り始めたし。。。
それに、このドラマ奈良やら京都の寺が出てきた。これも見ているところばかりなので。
なんで、こんなこと書くのかというと、時代考証がいまいちおかしい。もっとも昭和39年の時のままを再現させてロケなんてのは無理なことは承知。しかし、いくらなんでもというのがたくさん。
奈良の新薬師寺、元興寺
これらの寺は、この時代はかなり荒れていて、ドラマに出てくるようなきれいな寺ではなかった。よって、昔の再現はできないのはわかっている。(おそらくプロデューサーも知らないかもしれない)
京都の南禅寺
これも、現状と当時とは結構違いがあるもので、ドラマの状態はかなり整備されすぎている。これも今ロケをするとしょうがないだろうなぁ。
タクシー
このころの乗用車観音開きだったかなぁ?もうそんな時代ではないともうけど。
電話
黒電話が確かにドラマに出てくる形だけど、汚すぎるわ。我が家にある黒電話の方がきれいだよ。
それに、この時代は、一方が切っても受話器を取り上げるとまた話ができたんだ。
洋傘
これが一番ひどかったなぁ。今骨の数がたくさんある洋傘があるけど、それを使っていた。当時はあんなにカラフルなものは少なく、骨もねぇ。。。。
アイデアル という折り畳み傘が出てくる少し前だよ。(この傘のCMは、植木等がやっていた)
とまぁ、いろいろ時代考証の問題はあるけど、原作がしっかりしているから、ドラマも面白いなぁ。それに芸術祭参加番組ドラマだから、それなりに力入れて作っているし。
若い刑事やっている生田斗真って、いい俳優ですねぇ。田村正和が、親父さんや兄貴によく似てきたなぁ。昔は兄弟の中でも違う顔だと思っていたのにね。
明日は、後編があるけど。明日も見ます。
そうそう、比嘉愛未はお嬢さん役にはもってこいの俳優さんらしく、その通りやっている。これを卒業させてもらわないとねぇ。