2016年10月17日

仏さんに惚れ込んで。。。16 法隆寺夢殿 救世観音

 法隆寺は、聖徳太子開山?ということで、日本の仏教の原点的な存在で、とにかくたくさんの国宝やら重要文化財がある。ただ、それを見る人によっては好みがあるだろうから全てが好きになるものでもない。信仰の対象としてどのくらいの人が見ているかわからないが、一体法隆寺の仏像の中でどれが一番好かれているだろう?
 日本で一番好まれている仏像といえば興福寺の阿修羅だけど、あれはどちらかというとマスコミに乗っかる機会が多いこともあるような気がする。テレビなどに出てくる機会が多ければ多いほど一般の人には好かれる、好きにならねばならないように思われるもの。
 よく「癒される」なんてのをテレビでやっていると、誰も彼もが癒されなくてはいかんような雰囲気があるけど、私はそんなのを見ると余計にイラついて癒しどころではないのだ。阿修羅の話は”興福寺八部衆の沙羯羅”のところで書いたように、私は阿修羅よりも沙羯羅の方が好みなのだ。
 
前に 法隆寺は、百済観音を書いている。とにかく法隆寺では一番好きな仏像で、その次は?となると難しい。あまりにたくさんあるから、記憶を辿るだけでも大変なのだが、やはり百済観音に次いで頭に出てくるのは夢殿の救世観音だ。
 夢殿に行っても救世観音はいつも見ることができるわけではなかったと思う。毎年2回だったかな?この2016年の秋は秋の公開(10月22日から11月22日)として特別開帳される。そんな機会の少ないはずの救世観音に私は3度もお会いしているのだ。多分に秋や春に行く機会が多かったことで、特別開帳に重なったからだと思う。

 救世観音は、明治まで秘仏中の秘仏として公開されることはなかったことで、公開されるようになって人はあの金箔の剥がれていない姿には感激したのではないか?作られた当時の姿を止める仏像の少ない中で、ひときわ目立つ存在だと思う。
 大きさはそんなに百済観音のように大きくなく、確か記憶では聖徳太子の身長に合わせたということではなかったか?開帳されてもいつも遠くでしか見られないから細かいことはわからないにしても、金箔は綺麗だよなぁ。。ちょっと色変わってはいるけど。
 お顔は、アルカイックスマイルそのもの、硬いですね。致し方ないのですが、やはり仏さんは柔らかい表情がいいなぁなんて思うのは贅沢かな?しかし、お姿は綺麗ですね。。左右まったくの対象、宝珠を持った手が違うくらいかな?すばらしいい形だと思います。

 実は、私は救世観音が本当に江戸時代に開帳されなかったのか?と疑問を持っているのです。なぜかというと、円空仏を掘り始め、いろいろな円空仏の写真を見て行くうちに、円空さんが法隆寺を訪れた後で作風がまったくと言っていいくらいに変わっているのです。あの衣が左右にギザギザで開いた状態は、嫌でも救世観音の衣の状態を思い起こさせるのです。
 円空さんが、法隆寺でヒントを得たことは多くの人、学者さんも認めている事実のようですが、逆に救世観音の絶対秘仏についての言及がないのですね。
 まぁ昔のことはわからないけど、明治に頃フェノロサが開帳を望んで開いてもらったときに、グゼン観音を包んでいた布は、昔のままだったのだろうか?飛鳥時代に布がそのまま明治まで何の変化もなく救世観音を包んでいた?どうにも疑問だなぁ。。今ならその布を科学的に分析するだろうけど、明治の時はできなかったのか?この辺り、どこかで明らかにしてほしいなんて思ったりもする。
 まぁ、してもしなくても絶対秘仏がいつからだなんてことは関係なく、素晴らしい仏像であることには変わりはないです。  

Posted by 生田 at 16:29Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2016年10月17日

観音さんのお帰り

 昨日、展覧会は終了。搬出のために出かけて、受け取って来た。
 ちょっとしたお知り合い出会って、「よくできているけど、何か賞を?」と聞かれた。「でもこの展覧会、仏像は審査対象外だったんで、賞はもらってないんです」と答えた。
 まぁ、しょうがもらえればいうことはないけど、それ以上に生きた証を残すための種ピンだから、なんていうと負け惜しみなりそう。もう一つ「仏像は美術展にはふさわしくない」という考えを聞かされたけど、これは理解しがたいなぁ。。。岡倉天心は一体何をしたのか?彼が仏像を美術品にしたのだが。。。

 そんなことはともかく、十一面観音がお帰りになりました。この10日間さみしい思いのもう1体の観音さんと久しぶりに並んで、いつもの我が家に戻りました。  
タグ :木彫り

Posted by 生田 at 09:48Comments(0)TrackBack(0)趣味の木彫り

2016年10月17日

仏さんに惚れ込んで。。。15 東大寺 盧舎那仏(大仏さん)

 おそらく東大寺に行ったことのない人は、いないと思えるくらいに有名なてあだけど、本当に皆さんが行っているんだろうかと思うときもある。
 名古屋で生まれ育つと、私の年齢(60代から上)は多分に修学旅行で奈良・京都に行っているかと思う。そして私の歩いたコースを多くが歩くともうけど、奈良駅(昔国鉄。今JR)で降りて一直線で東に行く(結構な距離あるけど)と猿沢池で、階段上がって興福寺見て、奈良国立博物館の裏手(飛び火野カナ?)を通って、天理に向かう道あたりで左に折れて北に向かうと東大寺に至る。小学校の児童にはちょいときついコースなんだけどね、昔は食糧事情もよくなかったから体力的にも大変だたよな。(今思い出したけど、私の修学旅行は”お米”を持って行ったかと遠い記憶)
 東大寺も広い寺だから、この中歩くだけでも大変なんだですね。とにかく大仏殿に到着して、みあげたあの盧舎那仏。盧舎那仏って、ほとんどの人は言わない。大体”大仏さん”と行ってしまう。日本で最大の仏像と言われているから大仏の愛称なんだろう。あちこちで大仏さんを見ているからその印象の比較でもやっぱりでかい。。。。

 東大寺は、このシリーズでは前に戒壇堂(昔は戒壇院と言っていた)の四天王、三月堂(法華堂)の不空羂索観音についてかいたが、やっぱり大仏さん=盧舎那仏を外すわけにはいかない。
 と言って、そんなに好きと思ってはいない。とはいえ嫌いでは絶対にない。初めて訪れた時は、ただただでかくて、ただ見上げるだけ。仏さんの印象は全く残っていない。残ったのは柱の穴くらいかなぁ。。。。でも、よく歩かされたよ、そのあと若草山にも生かされているんだよ。雨で登らなかったと記憶しているけど。
  
 大仏さん=盧舎那仏には、その後何度もお会いしています。中学の時、大学の時、大阪に住むようになっても、そして名古屋に戻って来てからの数回行っている。大仏さんの顔を見るたびに、印象が変わる。多分、その時その時の心の持ちようや、仏像に関する知識の変化、歴史上に出てくる知識の変化などで、想いが変わるのだと思う。でも、やっぱり私自身の心の持ちようが印象のわかる素だと思っている。
 大仏さんは、結構硬い顔をしていると思う。今のは江戸時代に修復された顔で時代を反映しているのかもしれないが、開眼当時の顔はどんなだったろうと、思いをはせるだけだ。あの平のバカ息子=重衡が変なこと考えなかったらこんなことにはなっていないだろうともうけど残念ねぇ。

 しかし、人はなぜこの大仏を見に行くのだ?盧舎那仏への信仰なんてとても考えられない。では?美術品を見る?歴史を見る?いろいろだろうなぁ。。。。。美術品として見るのなら周囲にある多聞天、広目天の方が良かったりしないか?あれもでかいけど。でも、真ん中に座る大仏さんは別物だよねぇ。。
 
 そうそう、大仏殿の内部の撮影は、三脚を立てない限り撮影可能なんだって。。  

Posted by 生田 at 09:36Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰
  
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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