2017年02月05日

仏さんに惚れ込んで。。。50 当麻寺 弥勒仏

 当麻寺は一度しか訪れていない。2度言ってはいるのだが、最初は門の前で家内が中の様子を見に言っている間車の中で待っていただけなのだ。まぁ、閉門の後に行ったからしょうがないわなぁ。

 当麻寺の中は、いくつかのお堂があるが、中で宗派が分かれているからかなんだか、見て歩くとなんだか変な感じになる。しょうがないといえばしょうがないのだけど、なんだkなぁ。。。。。
 

 この弥勒如来は、初めて接した、当たり前だ1度しかいてないから、その時初めて”弥勒”さんに如来のくらいのほと系¥さんがいたことを知ったのだ。
 だいたい”弥勒”というと"菩薩”と続く言葉になるのだが、菩薩はまだ悟りを開く前のくらい。それがあいつか悟りを開かれたのだろう、如来となっているのだ。
 だいたい弥勒さんは、おしゃkさんがお亡くなりになってん¥かなり時間が経って、仏教が数多石時に人間を救いにお出ましになるのだ。その救いのために長い長い間考え抜いて・・・・という話を聞いているんだけど。私が子供の頃から馴染んで来た浄土教には出てこない仏さんだと思う。しかし、菩薩としては有名で、中宮寺(これは今は弥勒菩薩とは言わないみたいだけど)、興隆寺の弥勒菩薩で日本では名を馳せている。
 しかし、多くの人が弥勒さんが如来になっていたとはあまり知らないのではないか?私が知ったナオは、当麻寺を訪れた時だから4−5年前。つまりは70年近くも知らずに来たということだ。まぁ、中宮寺で初めて接した時から見ても55年は経っているから、弥勒如来の存在は、とにかく知られていないかもなぁ。
 ただ、弥勒如来は、今から考えると結構存在するのだ。弥勒如来とはなっていないが「弥勒仏」と名付けられた文化財が国宝・重文」を含めて13体ある。これにはチョット驚きだった。

 本題に入らねば。当麻寺の金堂の本尊。いくつかの道を回って、この金堂に入ったときに、弥勒さんとはおもなかったのだ。まぁ姿から行けば”釈迦如来”か”阿弥陀如来”と思うだろう。薬師さんでないことだけは確かで。だって、薬壺持ってないもんな。
 大きく感じたなぁ。堂自体がそんなに大きいと思わなかったから大きく感じたのかもしれない。多分造像直後はキンキラキンだったのだろう。今もその面影はあるけど、キンキラキンだったら、今の私にはつまらん仏像に見えたかもしれない。
 この弥勒仏、国宝なんです。制作年代は飛鳥だそうですが、あのアルカイックスマイルではない、でも硬い表示ではある。止利仏師などとは全く違う系統の物資たちの作なんだろうと思ったりもする。
 ただ、全体にちょいと違和感を覚えるところがあるのだけど、いろいろなもの読んでいるうちに両腕はのちの時代に付け替えられたというか、なくなって補われたことで仏師の力が違っているからかもしれないなぁ。   

Posted by 生田 at 14:44Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰
  
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