2017年02月06日
仏さんに惚れ込んで。。。52 六波羅蜜寺 木造空也上人立像
六波羅蜜寺は、3回ほど行っていると記憶している。最初は、これも古美術研究の際にいっている。この寺に観光バスを乗りつけるのは無理だから、何処かで降りて歩いたんだろうと思うが、その記憶はない。
2回目は、五条大橋辺りから歩いて行った。けっこう距離あったなぁ。そんなにあると思っても見なかったけど、五条通りの裏道をくねくね曲がってちょっと坂を登りながら行ったように記憶している。
この六波羅蜜寺には、国宝の十一面観音などもあるが、いちばん有名なのは、日本史の教科書によく出てくる”平清盛”の像ではないかと思う。が、わたしは、それらよりも”空也上人像”の方に興味を惹かれた。
最初に訪れた時には、この寺も現在のように綺麗でなく、なんとなく裏寂れていたように記憶しているが、本堂の裏手のかたすみに”空也上人”は立っていたのだ。口から念仏が連なって出ている、あの有名な姿が。
その頃のわたしは、まだ仏教というものに対しての興味がそんなにはなく仏像などを美術品として見ていたので、空也上人の宗教史の中での位置を知ることもなかった。なので、あの口から出る念仏の形は彫刻としての興味をそそられたということなのだと思う。
2回目の時は、親鸞研究を始めた頃で、浄土教の先駆者としての位置付けを知った頃だった。その時に知った上人のことは、まだまだ浄土教が根付いていない頃に念仏と極楽浄土を説いておられ、なかり苦労をされたのではないかということくらいかな?
空也上人の像は、重要文化財としては4躯登録されているが、この六波羅蜜寺以外はそんなには知られていないと思う。画像で見比べてもやはり六波羅蜜寺がいちばんいいかと思う。
それにしても、かなりリアルな作りだなぁと思う。色付けを幅色なんかにしたら、今にも歩き出しそうかな。作者を調べたら、運慶の4何の”康勝”の作だそうだ。さすがと行ったところかなぁ。このくらい掘ることのできるようになりたいものと思えども、今のわたしには遠い遠いお話です。
2回目は、五条大橋辺りから歩いて行った。けっこう距離あったなぁ。そんなにあると思っても見なかったけど、五条通りの裏道をくねくね曲がってちょっと坂を登りながら行ったように記憶している。
この六波羅蜜寺には、国宝の十一面観音などもあるが、いちばん有名なのは、日本史の教科書によく出てくる”平清盛”の像ではないかと思う。が、わたしは、それらよりも”空也上人像”の方に興味を惹かれた。
最初に訪れた時には、この寺も現在のように綺麗でなく、なんとなく裏寂れていたように記憶しているが、本堂の裏手のかたすみに”空也上人”は立っていたのだ。口から念仏が連なって出ている、あの有名な姿が。
その頃のわたしは、まだ仏教というものに対しての興味がそんなにはなく仏像などを美術品として見ていたので、空也上人の宗教史の中での位置を知ることもなかった。なので、あの口から出る念仏の形は彫刻としての興味をそそられたということなのだと思う。
2回目の時は、親鸞研究を始めた頃で、浄土教の先駆者としての位置付けを知った頃だった。その時に知った上人のことは、まだまだ浄土教が根付いていない頃に念仏と極楽浄土を説いておられ、なかり苦労をされたのではないかということくらいかな?
空也上人の像は、重要文化財としては4躯登録されているが、この六波羅蜜寺以外はそんなには知られていないと思う。画像で見比べてもやはり六波羅蜜寺がいちばんいいかと思う。
それにしても、かなりリアルな作りだなぁと思う。色付けを幅色なんかにしたら、今にも歩き出しそうかな。作者を調べたら、運慶の4何の”康勝”の作だそうだ。さすがと行ったところかなぁ。このくらい掘ることのできるようになりたいものと思えども、今のわたしには遠い遠いお話です。
2017年02月06日
あれ? YS11 飛行をやめた
頭の中のYS11
今日は静かです
ひょっとしたら
メンテに入ったのか?
全然気にしてなかったけど
ただ、どこかでセスナが飛んでいるようです
かなり遠くですが
まぁ
可愛いもんです
こんな静かな日は
そんなにないもんなぁ
明日も
飛ばないでほしい
今日は静かです
ひょっとしたら
メンテに入ったのか?
全然気にしてなかったけど
ただ、どこかでセスナが飛んでいるようです
かなり遠くですが
まぁ
可愛いもんです
こんな静かな日は
そんなにないもんなぁ
明日も
飛ばないでほしい
2017年02月06日
仏さんに惚れ込んで。。。51 法隆寺 塑造塔本四面具
「塑造塔本四面具」という名前は馴染みが薄いものと思います。私自身、文化財データベースを使って仏像などの画像データベースを作っていなければ、この名前は知らずにいっていたことと思います。しかし、名前は知らなくても頭の中にしっかりとその姿は記憶に残っているのです。
法隆寺の五重塔の中に収まっている群像たちです。
つまり、ここに書かれているのは、五重塔の四面それぞれに、経典に書かれている物語を形にしたものということです。
記憶に残るのはこれも大学の古美術研究の時に、あの真夏の暑い日に訪れた時のことです。何があるか知らなかった。金網越しに中を覗き込んでとにかくものすごい衝撃を受けたのです。そんなに大きな人間像ではないにですが、とにかくとにかく表情がものすごくリアルでよくここまで彫られたものだと思ったのです。
釈迦入滅の画面を彫ったところだったかと思いますが、とにかくすごい叫び声を上げているように、私の耳にその叫び声が届きそうにも思ったものです。
法隆寺は、何度訪れたかはもう回数はわかりません。おそらく20回以上はいっていると思います。行けば必ずこの五重塔の群像を見ます。そして見るたびに新たな記憶が残ります。といって、それを書くことはできませんが、群像の一つ一つの顔が新しく記憶に加わるのです。歳のせいでそれを引っ張り出すことができなくなりつつありますが、それでもこの群像の迫力の記憶だけはおそらくなくならないだろうと思います。
惚れた仏像はたくさんありますが、この「塑造塔本四面具」はいわゆる仏像とは違った意味での惚れ込みです。
法隆寺の五重塔の中に収まっている群像たちです。
東面は「維摩経(ゆいまきょう)」に登場する「文殊菩薩と維摩居士の問答(維摩方丈)」の場面、北面は「釈迦の入滅(釈迦涅槃)」の場面、西面は「分舎利(インド諸国の王が釈尊の遺骨を分配舎利供養、舎利供養)」の場面、南面は「弥勒の説法(弥勒浄土)」の場面を表わしています。北面の釈迦の入滅を悲しむ仏弟子の像が特に有名です。
つまり、ここに書かれているのは、五重塔の四面それぞれに、経典に書かれている物語を形にしたものということです。
記憶に残るのはこれも大学の古美術研究の時に、あの真夏の暑い日に訪れた時のことです。何があるか知らなかった。金網越しに中を覗き込んでとにかくものすごい衝撃を受けたのです。そんなに大きな人間像ではないにですが、とにかくとにかく表情がものすごくリアルでよくここまで彫られたものだと思ったのです。
釈迦入滅の画面を彫ったところだったかと思いますが、とにかくすごい叫び声を上げているように、私の耳にその叫び声が届きそうにも思ったものです。
法隆寺は、何度訪れたかはもう回数はわかりません。おそらく20回以上はいっていると思います。行けば必ずこの五重塔の群像を見ます。そして見るたびに新たな記憶が残ります。といって、それを書くことはできませんが、群像の一つ一つの顔が新しく記憶に加わるのです。歳のせいでそれを引っ張り出すことができなくなりつつありますが、それでもこの群像の迫力の記憶だけはおそらくなくならないだろうと思います。
惚れた仏像はたくさんありますが、この「塑造塔本四面具」はいわゆる仏像とは違った意味での惚れ込みです。