2017年03月16日
仏さんに惚れ込んで。。。59-2 岡崎・滝山寺 聖観音菩薩
同じ寺を複数回取り上げるのは初めてのこと。これまでは、結構遠い記憶の中でかていたから、何度も書くことができないこともあったが、今回は一つの寺の中にある複数の仏像について書くので、回数を分けないと、とんでもなく長いものになってしまう。ということで、細切れにして、回数で逃げようということだ。
今回のこの記事は、聖観音についてのみ書いてます。画像は、前回と同じものをトップに持ってきています。
これは、中央が聖観音、つまり観音菩薩の原型で一番シンプルな姿。観音菩薩といえばいろんな姿に変わるのだが、聖観音は何にも変わっていない如来になるために修行中の姿そのものということだろう。
ということで、秘湯にすっきりした姿に作られている。しかし、本来この聖観音にも宝冠が載っていたのだが、その宝冠はバラバラになって、展示の小ケースの中に収まっている、だからあたまの髪の結い上げた姿ママという、女性でいうならスッピンでお出ましって感じになるのかもしれないなぁ。
顔は、いわゆる慶派の顔と思うのだが、何せ彩色されている。その彩色が造像当時そのものとは思えない、造像から800年という年月が過ぎているから、そのまま残っているということはまずないと思うし、ボランティアガイドさんの説明でも江戸期?あたりの修復の際に塗り直していると耳に残っているが、その時に過去の色を再現できたかどうかということが気になるところだ。
この聖観音は、源頼朝おの死を弔うために作られたもので、体内に頼朝の歯と髪の毛が納められ、像高は頼朝の等身大と聞いた。頼朝を弔うのになぜこのにに妖艶になったのか?そう思うのは、現代に生きる私の美的感覚からくるものなのだろうか?彩色だけではなく、体つきについてもそれなりに脂ののった人のイメージがつきまとう。顔は確かに、慶派の多くにある表情なのだが、それ余地もうんと人間の、ちょっと見る目を変えると女性ニムエないこともない。
私は、自分で彫るようになって、いくら趣味程度とはいえ、それが模刻とはいえ、それなりに何かをイメージして彫っているから、ついこの聖観音が何をイメージして彫られたのだろうと思うのだ。
頼朝の菩提を弔うとすれば、髪と歯を残そうとするとすれば、誰が運慶にこの像のイメージを伝えたのだろうか?物資に対して、頼朝の弔いという目的は話しても、イメージは任せたのだろうか?
自分で彫るからこそ、そう行った点にものすごく興味を持つ。だからこそ、ふっくらとした体型、しろいやちょっとピンクがかった肌の色には、それが運営の造像そのままだとしたら、そこにはそれなりの理由が隠されていると思う。
そう行った思いを心の中に置いたまま、わたしはもう目を皿にしたと言われたかもしれないが、観音に本当に顔をできる限り近づけて、その像に施された彩色、切金細工などをじっくりと見させてもらった。
ここで思ったことは、腰から上と下で彩色の技術の程度に差があるように思った。上半身の彩色はかなり均一で衣の切金細工の残りも線がくっきりと残っていると思うのだが、腰から下の彩色は金かなり手抜きというか、粗く感じられたのだ。
左の画像は、足の部分なのだが、衣の彩色がかなり荒い。それに足の指を見るとかけたりしているところを見るとこの像の取り扱いがそれほどいい保存をしていなかったのではないか?それと、修復に関して、良質の物資を選択していなかったかもしれないなどと思ったりした。
顔に戻ると、上半身も含めて妖艶に感じるのは、ふくよかでピンクがかった肌ということもあるが、唇に点した紅で、キチビルがなんとなく半開きに見えることもあるかもしれない。
何れにしても、私には不思議な彩りの仏像である。
もっtも、私は最初に惚れ込んだ仏像が、真っ黒の中宮寺の半跏思惟像、そのあとはとなるとキンキラキンの阿弥陀如来だったりるするが、他には多くは表面の処理が落ちてしまって素地に近いものを多く見ているから彩色の残るものには違和感を覚えているだけかもしれないのだ。
まぁ、この歳になって、こんなことを持ってもなぁ、自分自身、何を考えてんだ?と言いたくあまおなる。
今回のこの記事は、聖観音についてのみ書いてます。画像は、前回と同じものをトップに持ってきています。
これは、中央が聖観音、つまり観音菩薩の原型で一番シンプルな姿。観音菩薩といえばいろんな姿に変わるのだが、聖観音は何にも変わっていない如来になるために修行中の姿そのものということだろう。
ということで、秘湯にすっきりした姿に作られている。しかし、本来この聖観音にも宝冠が載っていたのだが、その宝冠はバラバラになって、展示の小ケースの中に収まっている、だからあたまの髪の結い上げた姿ママという、女性でいうならスッピンでお出ましって感じになるのかもしれないなぁ。
顔は、いわゆる慶派の顔と思うのだが、何せ彩色されている。その彩色が造像当時そのものとは思えない、造像から800年という年月が過ぎているから、そのまま残っているということはまずないと思うし、ボランティアガイドさんの説明でも江戸期?あたりの修復の際に塗り直していると耳に残っているが、その時に過去の色を再現できたかどうかということが気になるところだ。
この聖観音は、源頼朝おの死を弔うために作られたもので、体内に頼朝の歯と髪の毛が納められ、像高は頼朝の等身大と聞いた。頼朝を弔うのになぜこのにに妖艶になったのか?そう思うのは、現代に生きる私の美的感覚からくるものなのだろうか?彩色だけではなく、体つきについてもそれなりに脂ののった人のイメージがつきまとう。顔は確かに、慶派の多くにある表情なのだが、それ余地もうんと人間の、ちょっと見る目を変えると女性ニムエないこともない。
私は、自分で彫るようになって、いくら趣味程度とはいえ、それが模刻とはいえ、それなりに何かをイメージして彫っているから、ついこの聖観音が何をイメージして彫られたのだろうと思うのだ。
頼朝の菩提を弔うとすれば、髪と歯を残そうとするとすれば、誰が運慶にこの像のイメージを伝えたのだろうか?物資に対して、頼朝の弔いという目的は話しても、イメージは任せたのだろうか?
自分で彫るからこそ、そう行った点にものすごく興味を持つ。だからこそ、ふっくらとした体型、しろいやちょっとピンクがかった肌の色には、それが運営の造像そのままだとしたら、そこにはそれなりの理由が隠されていると思う。
そう行った思いを心の中に置いたまま、わたしはもう目を皿にしたと言われたかもしれないが、観音に本当に顔をできる限り近づけて、その像に施された彩色、切金細工などをじっくりと見させてもらった。
ここで思ったことは、腰から上と下で彩色の技術の程度に差があるように思った。上半身の彩色はかなり均一で衣の切金細工の残りも線がくっきりと残っていると思うのだが、腰から下の彩色は金かなり手抜きというか、粗く感じられたのだ。
左の画像は、足の部分なのだが、衣の彩色がかなり荒い。それに足の指を見るとかけたりしているところを見るとこの像の取り扱いがそれほどいい保存をしていなかったのではないか?それと、修復に関して、良質の物資を選択していなかったかもしれないなどと思ったりした。
顔に戻ると、上半身も含めて妖艶に感じるのは、ふくよかでピンクがかった肌ということもあるが、唇に点した紅で、キチビルがなんとなく半開きに見えることもあるかもしれない。
何れにしても、私には不思議な彩りの仏像である。
もっtも、私は最初に惚れ込んだ仏像が、真っ黒の中宮寺の半跏思惟像、そのあとはとなるとキンキラキンの阿弥陀如来だったりるするが、他には多くは表面の処理が落ちてしまって素地に近いものを多く見ているから彩色の残るものには違和感を覚えているだけかもしれないのだ。
まぁ、この歳になって、こんなことを持ってもなぁ、自分自身、何を考えてんだ?と言いたくあまおなる。
2017年03月16日
仏さんに惚れ込んで。。。59 岡崎・滝山寺
ついさっき、午前中に参拝して、帰ってきたばかりです。
今日は、大学の公開講座の出張見学で、岡崎市・滝山寺の運慶作の聖観音、梵天、帝釈天を中心に滝山寺の宝物見学と、滝山寺に隣り合わせの東照宮を参拝しました。
朝、自宅を8時少し前に出発、多分途中ラッシュに引っかかることを覚悟の上で集合の2時間前に出発をした。案の定刈谷、豊田を通過するときはトヨタのラッシュの名残が残っていたけど、思ったよりも渋滞の長さは短かった。それでも目的地まで1時間25分かかった、通常なら1時間かからないはずなんだよなぁ。
10時に滝山寺の宝物殿も階段下に集合。多くが電車で東岡崎まで、そして東岡崎からは台のタクシーに分乗しての集合。車の逢とも何人か、私もその一人。大学の講座の先生も車でしたが高速でおいでになったとか。
いきなり宝物殿に、ボランティアガイドさんの解説付きでの拝観。いろいろ説明を聞きながら、私はやはり彫る技術に目が入ってしまって、説明半分暮らしか聞いてなかったかもなぁ。
一番最初に私の目を引いたのが十一面観音菩薩。綺麗な顔をされているなと思った。作は藤原時代とある。確かにそんな雰囲気の作品だが、なるほどその時代のさくならこれだけ黒く埃っぽくても当たり前か?なんて心の中で毒づいたり。その次がその左の十一面観音の小さい方。こっちは作風が違うなぁ、玉眼だから鎌倉以降?、確かにそう書いてある。彫りは丁寧で綺麗です。
(この辺りは、いずれ書くことにします。)
そして、その左手奥に大きい仏像、それも綺麗に彩色が残った運慶作の国重要文化財の立派なお立ち姿が3体。遠目には色が綺麗に見える、それも聖観音などは肌がピンクって感じでねぇ、江ノ島の観音さんの真っ白のあの気持ちの悪い色っぽさとあとは違うけど、なんとなく艶かしいものがある。どうも後の世に色を塗り直しているとか(そんな解説があった)、ということは、運慶がつけた色ではない?運慶はこんな色っぽい色をつけたのだろうか?などと腹の中でブツブツいう私だ。何せ20人という人間が一同に、狭い宝物殿の中で固まって解説を聞いているから、声出して毒づくわけにいかないし。
皆さんは解説をじっと聞いておいでになるが、私はその解説を聞きつつ、聖観音の後ろに行ったり、ウロウロ。皆さん目障りに思われたかも。
今回は、滝山寺に関しては一度ですませないで、記憶のあるうちに数回に分けて書こうと思ってます。これはその初回ということで、細かい話は後に回しますが、とにかく運慶の作品をこれだけ近くでじっくり見ることができるなんて本当に幸せですよ。この講座を受けてよかったというのは本音です。
宝物殿では他にもたくさん見ました。その後、ものすごい急な坂を息を切らしながらの後って、本堂の薬師如来(忠お前立ち)や寺伝では運慶作といわれている日光・月光菩薩やちょいと面白い十二神将などを拝観、そのあとでお隣の東照宮を参拝した。
全部見終わるまで約2時間。ボラアンティアさんお疲れ様でした。そして、最後にハプニング、岡崎「葵」武将隊の歓迎を受け全員一緒に記念撮影。コレもまた別に書きましょう。
ということで、この先何回かに分けて、書くことに。
今日は、大学の公開講座の出張見学で、岡崎市・滝山寺の運慶作の聖観音、梵天、帝釈天を中心に滝山寺の宝物見学と、滝山寺に隣り合わせの東照宮を参拝しました。
朝、自宅を8時少し前に出発、多分途中ラッシュに引っかかることを覚悟の上で集合の2時間前に出発をした。案の定刈谷、豊田を通過するときはトヨタのラッシュの名残が残っていたけど、思ったよりも渋滞の長さは短かった。それでも目的地まで1時間25分かかった、通常なら1時間かからないはずなんだよなぁ。
10時に滝山寺の宝物殿も階段下に集合。多くが電車で東岡崎まで、そして東岡崎からは台のタクシーに分乗しての集合。車の逢とも何人か、私もその一人。大学の講座の先生も車でしたが高速でおいでになったとか。
わたしが到着してから約40分タイムラグ。この間に、宝物殿の近くをカメラを持っての散策。でも、坂がきつくて、遠くに行けず。
いきなり宝物殿に、ボランティアガイドさんの解説付きでの拝観。いろいろ説明を聞きながら、私はやはり彫る技術に目が入ってしまって、説明半分暮らしか聞いてなかったかもなぁ。
一番最初に私の目を引いたのが十一面観音菩薩。綺麗な顔をされているなと思った。作は藤原時代とある。確かにそんな雰囲気の作品だが、なるほどその時代のさくならこれだけ黒く埃っぽくても当たり前か?なんて心の中で毒づいたり。その次がその左の十一面観音の小さい方。こっちは作風が違うなぁ、玉眼だから鎌倉以降?、確かにそう書いてある。彫りは丁寧で綺麗です。
(この辺りは、いずれ書くことにします。)
そして、その左手奥に大きい仏像、それも綺麗に彩色が残った運慶作の国重要文化財の立派なお立ち姿が3体。遠目には色が綺麗に見える、それも聖観音などは肌がピンクって感じでねぇ、江ノ島の観音さんの真っ白のあの気持ちの悪い色っぽさとあとは違うけど、なんとなく艶かしいものがある。どうも後の世に色を塗り直しているとか(そんな解説があった)、ということは、運慶がつけた色ではない?運慶はこんな色っぽい色をつけたのだろうか?などと腹の中でブツブツいう私だ。何せ20人という人間が一同に、狭い宝物殿の中で固まって解説を聞いているから、声出して毒づくわけにいかないし。
皆さんは解説をじっと聞いておいでになるが、私はその解説を聞きつつ、聖観音の後ろに行ったり、ウロウロ。皆さん目障りに思われたかも。
今回は、滝山寺に関しては一度ですませないで、記憶のあるうちに数回に分けて書こうと思ってます。これはその初回ということで、細かい話は後に回しますが、とにかく運慶の作品をこれだけ近くでじっくり見ることができるなんて本当に幸せですよ。この講座を受けてよかったというのは本音です。
宝物殿では他にもたくさん見ました。その後、ものすごい急な坂を息を切らしながらの後って、本堂の薬師如来(忠お前立ち)や寺伝では運慶作といわれている日光・月光菩薩やちょいと面白い十二神将などを拝観、そのあとでお隣の東照宮を参拝した。
全部見終わるまで約2時間。ボラアンティアさんお疲れ様でした。そして、最後にハプニング、岡崎「葵」武将隊の歓迎を受け全員一緒に記念撮影。コレもまた別に書きましょう。
ということで、この先何回かに分けて、書くことに。