2017年10月05日

1日に30錠の薬で命を繋ぐ 2

 昨日(前回9は、タイトルと内容がいまいちミスマッチといった感じになってしまった。闘病で飲んでいる薬の数に触れなかったから。


 で、ちょいと今日は前立腺癌以外の話を織り込んで。

 前立腺癌については、病期C ということだけど、一般的にはステージIVにあたるくらいの末期ガンだった。なにせ健康な人の前立腺癌マーカーPSAの値は3が正常値なのだが、私の場合は見つかった時(これはメタボ健診で)390あって、その時の医師はこんな数値は初めてだったんだろう「なんだこれ?!」って言い、即大病院に行けと紹介状を書いてくれた。その指示で日赤に行って何回も検査をしているうちに検査入院をした時のPSAは590超えていた。

 CT、MRI、RIの結果から、放射線科では「癒着が激しく放射線照射はできない」と診断、外科担当も「癒着激しく手術で切除不可能」という結論。前にも書いたように、これで残された治療はホルモンれ療法だけということになってしまった。

 セカンドオピニオンを取ろう友人の医師に相談に行ったのだが、数値などを見て「セカンドオピニオンの必要なし、担当医の治療方針のまましかないだろう」とこれがセカンドオピニオンになってしまった。


 それでホルモン療法での治療開始は、癌が見つかった時点から2ヶ月を経ていた。これは見つかってよかったのだとか、担当医に後で聞いたことだけど「知らなかったら、余命半年だっただろう」と言われてぞっとしたものだ。

 これでホルモン剤は、毎日1錠だけなのだが、なんでタイトルのように1日30錠も服用するようになったのか、ということなのだが。。。。


 癌宣告をされて、ホルモン療法が始まってから、自律神経が大きく崩れた。予想通りの「更年期障害」的な症状でてきめんにとにかく激しいホットフラッシュが出てきた。もともと平熱が低く夏の暑さには結構強いが冬の寒さには弱い体だったが、ホルモン療法のおかげ、自律神経の崩壊で余計に体温調節ができなくなり、ものすごく汗を掻くようになってしまった。これは夏場ではエアコンのあることでホットフラッシュが起きようものなら恐怖だ、汗が体をめちゃくちゃ冷やすから、冬場では寒い時にホットフラッシュが起きようものなら夏場のエアコンと同じでとんでもないことになる。風邪をひかないように最新の注意を払わねばならなくなった。


 癌宣告の4ヶ月後に、自立神経がおかしくなったことが原因かと私は思うのだが、視神経に問題がではじめた。目の前の画像が2つ見えるいわゆる複視というやつだ。それもものすごく極端で右が斜めに見え、車なんてとても運転できる状態で亡くなった。ひと月くらいしておさまったのだが・・・・

 よく年、つまりは癌宣告から1年経って、重い荷物を運んでいて、足元が見えずに前のめりに転倒、海老反りになってしまったことで、腰椎の圧迫骨折。これで身長が2センチ縮んでしまった。
 
 そして、その1年後の秋、右目に違和感。15分ほどで解消したけど念のために翌日眼科に行ったところ、即大病院で脳の検査をしてもらえと。その足で大病院に。診察を受けたところ即入院を促された。脳虚血発作で48時間以内日本斧に本物の脳梗塞が起きる可能性があるから入院で様子を見る必要があると。

 10日間の入院。検査検査と毎日の点滴。検査の結果は何の異常も発見されず、脳のMRIは綺麗なもんだと言われたものだ。しかし、大病院を放り出されて友人の病院に転院をしたのだが、このれから脳梗塞対策として”バイアスピリン”などが追加で服用することになった。



 今回は、とりあえずここまで。この先は、痛風、便秘、アレルギーなどの対策の薬の話を書く予定。だんだん薬増えていきます。  

Posted by 生田 at 10:42Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2017年10月05日

1日に30錠の薬で命を繋ぐ

この記事は、Amebaブログに書いたものを転載しています。

 公式ジャンルを「闘病」ということにした限りは、たまには実際にやっていることも書かねばんらないだろうなぁ。まぁ大したことはないと、お叱りを受けることは覚悟で、多少なりともお仲間がいるのならそれはそれで安心というかぁ。。。。
(Amebaには「公式ジャンル」というものがあって、先日「とこと・・・」からあ「闘病」に切り替えたのです。)

 

 これまでのブログには何度も書いて来ているけど、6年半前に「前立腺癌(正式には前立腺腺癌)」の病期Cという診断を受けているけど、同じ病名では天皇陛下が患っておられ手術で全摘されているが、私は浸潤、癒着が激しく、放射線科から照射拒否、外科からは手術拒否ということでなすすべなく、残ったのがホルモン療法ということで、宣告から2ヶ月後からホルモン療法がj¥始まった。

 毎日ホルモンの錠剤(カソデックス)を服用し、最初の一年近くは毎月、安定して来たということでその後は3ヶ月に一度腹への注射(最初はゾラデックス)をしている。宣告から5年近く経ってPSAは当初600あったものが計測不能かもしれないが0.01未満が続くことになり、大病院を放り出され一般の泌尿器科医院に転院を指示された。転院してからは、腹に打つのは「リューブリン」に変わった以外はカソデックス(実際にはジェネリックの”ビカルタミド”)の服用は変わっていない。



 ただ、最初の1年間は、担当医からは止められたが自分なりに食事療法を行なっている。何をしたかは、前立腺癌に関する論文を読み倒していたら「ナトリウム」が癌の餌になっているいうるというのもにぶつかり、1年間塩分カット。さらには「反芻動物の乳製品肉が良くない」という論文にも出会ったのでそれ以降牛肉、乳製品は使わなくなった。実際には最初の1年はもっと厳しくなり、四つ足動物・鳥肉も一切カット、ということを行なっている。

 そしてさらにきついことを。リコピンの多食には前立腺癌患者が少ないという論文にも出会い、最初の半年は、人参ジュースを1日に2リットル近く飲み続けた。



 そのほかには、主食の米は玄米に変更、パンは市販のものは塩が多いのでホームベーカリーを買い込んで自家製にした。

 これらで困ったことは、塩での味付けは、醤油なども含めて極めて少なくしているので、味付けが難しい。どうしたものかと毎日が試行錯誤で、なんとか、胡椒、唐辛子、カレー粉などでの味付けで満足できるようになった。しかし、途中で何度も欲求不満の爆発したものだけど。。。



 こうした対策は、何も論文に書いてあったことを実践しただけではないのだ、おそらく前立腺癌の患者さんでカソデックスなどを服用されている方はご存知と思うが、ホルモン剤を使用すると・女性の更年期障害状の副作用があることと、肥満になる傾向があるというとを薬の注意書きで読んだので、肥満になる前に体重を落としておかないといけないとばかりに、食事制限をしたのが正直なところ。

 この食事制限で半年て13キロ以上の減量を行ったが、一年経って体力が落ちたことに気づき、肉を解禁することにした。が、牛肉だけはもう食べられない舌になってしまっていた。現在は豚肉と鶏肉特に胸肉の油を落とした上で食べるように心がけている。



 書き出すと長くなるので、このあたりで一度止めて、続きはいずれまたの機会に書くことに。
  

Posted by 生田 at 10:34Comments(0)TrackBack(0)自分の健康
  
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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