2019年01月16日

義弟のがん治療を通して思うこと

(後に書き加えたものですが、長文になった上、
誤字脱字見直しなしでアップしますご容赦を)


 昨日横浜の妹の夫=義弟の葬儀に参列してきた。
 
 義弟は、肺癌患者で5年の闘病生活を送った。見つかったときはもう手遅れで、末期がんの宣告を受けた。そして手術をした(と聞いている)。その後抗癌剤治療を行ったようだが、数年して治験による治療を提案されオプシーボによる治療を行った、
 開始した当時は、まだオプシーボが現在のように認知されたものではないことで、治験を提案されたのだ。

 オプシーボによる治療は、現在は認知されて保険適用にもなっているらしいが、その治療費はとんでもない金額なるらしい。私自身も高額のホルモン剤(約7万円かな?)で治療しているが、オプシーボの場合は、安くなっても私の4倍以上の価格らしい。
 確かに新薬の開発には、それなりの開発費が過去に必要であったために、販売となると高額でということになる。命を永らえるためには、その金額を支払う必要がある。
 要は、金さえあれば、最先端の医療技術、薬品を使うことで命を永らえるということなので、生きながらえるのはそれなりにカネがかかるぞと言われているようなものである。

 この「生きながらえるために金が必要:ということは、30数年前に母親の治療で思い知らされたことでもある。母親はm当時難病指定されていた”サルコイドージス”で、心臓が自力でうこな書くなっていた。そのためにペースメーカーを入れたのだが、それも完璧には行かず命が途絶えた。
 その際に担当医からの言葉に「これ以上は心臓移植歯科・・・」というのがあった。どれだけ金をツマねばならないのか?心臓移植ってどれだけカネがかかるんだ?途方もない金額がいつ様だったのだろう。まだ腱健在であった親父は何も手を打てなかった。

 私自身が末期がんを宣告されて、それなりにホルモン療法で命をつないでいるが、それにはそれなりの金がかかっている。幸い(他の方には迷惑かけてますが)健康保険の1割負担ということで治療継続ができているけど、宣告された当時は重粒子線治療などが始まった頃で、当時治療費は300万を超えていた。おそらく提案されてもその治療を受けることはできなかっただろう。

 高額治療というのは、その必要性も認めているし、金額についてもある面認めている。しかし、その治療がすべての患者に適してるかどうかはわからないのだ。患者自身、治療を受けて体の変化を完全に担当医に告げているかどうかは疑わしい。医師は医師で自分の殻ではないから、本当に効果があるかの判断は、検査データ待ちという面も否定はできまい。
 患者にとって、最適な治療なのかどうかは、時間が立ってからの結果論になるだろう。

 そういった面があるにもかかわらず、十把一絡げで高額医療を押し付けられている患者もたまに見る。抗がん剤が体に合わないと訴えていても、それ以上の治療法がないと医師から拒否される患者も見ている。こうした場合、利用の効果が疑われていても、その治療は高額であったとしたら、それはその治療費は無駄ということにならならないか?中には、儲かるからと押し付けえいる医師もいるとも聞く。

 そういった裏の面は置いといて。
 今回の義弟の場合は、まだ認知されていない治療法の治験、いうなれば患者をモルモットにした人体実験でその効果を見るを行う。これは手術や薬などいろいろあるようだ。
 その治験を義弟は受けることになった。オプシーボの治療が非常に高額であるが、治験ということでかなり負担は少なかったと聞いている。
 そしてたまたまそのオプシーボによる治療が義弟にはあっていたようで、ある程度の回復をしたと聞いている。数年目に数回あっているがまずまずの健康状態だった。これは、がん治療の治療法が患者にマッチしたケースだろう。(私の場合も医師が”奇跡的”言うほどのマッチした治療法だが)その御蔭で、末期の肺がんでありながら5年という時間命を永らえることができた。

 最後は、癌によるものかどうかは聞いていないが、肺炎を併発したようで、それが原因の呼吸不全だったと聞いた。何はともあれオプシーボの桶げで命永らえたと妹は喜んでいた。(最も死んだとはそれなりに残念だろうが)

 病気の治療は、その患者に適しているかどうかは、完全にわからない。わたしの場合は医師から「これしかないのでこれをやってみましょう」と言われて始めて、効果が確認できたところで「このまま行きましょう」ともうじきまる8年になる。
 すべての患者に、同じ治療法が適しているとは限らない。それを患者と医師がどう判断して、合わなかったときに動のように修正して適切な治療を見つけるかということです。医師の思うままにだけはならないように、それなりに意見を言う患者で有りたと思います。

 葬儀の翌日に書いています。まだ気持ちの整理もついていません。疲れもあって、頭の回転もいかがかとは思います。そんななkで思うことを書いたものです。誰彼を誹謗するものではないことをお断りしておきます。  

Posted by 生田 at 12:21Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2019年01月16日

今どきの葬儀は。。。。

 先週末から宣言したとおりにお休みをいただきました。
 昨日帰宅してからのご挨拶に書いたように、義弟の葬儀のために横浜に出かけていました。

 義弟が息を引き取ったのは1月10の朝のこと。それがなぜ15日にならないと葬儀ができなかったのか?それは、横浜市の事情によるものらしいのです。
 なんでも、10日に亡くなって葬儀屋と連絡して、葬儀屋が手配したのもの、横浜市にある3箇所の火葬場が満杯でこの日まで空きがなかったということのようです。さすが大都会の葬儀事情というところのようなんですが。。。。

 そのために、訃報から装備までに大きなタイムラグが生じたのですが、この間にこちらは横浜まで出かける準備をしなければいけなかった。近場の葬儀であれば着替えなどの用意もなくて済むのですが、横浜となると300キロ以上離れたところで、日帰りとは行かないのです。
 なにせ、通夜は夜、そして告別式が早朝と来ているのでけっこう大変です。

 最初は私達夫婦二人で新幹線でと思っていたのですが、息子が義弟(妹の夫)の親類への顔つなぎということで、一緒に行くということから、それなら3人で車で行こうということになったのです。
 
 横浜で5時からの通夜となると、名古屋を午前中に出ていかないと、14日成人の日の祝日で道路事情がどうなるかわからないということもあったのです。
 実際は東名高速は思ったほどの込具合ではなかったものの、横浜に近づくにつれ3連休の行楽からの帰りのラッシュに引っかかり、大井松田あたりから横浜までは結構ノロノロでした。それを見込んでの早い出発でしたが、途中昼食や、私の体調緩和などで、結局到着は4時ちょっと過ぎた時間になってしまいました。

 ということで、準備やら何やらのこともあり、ブログの書き込みができないからということで、お休みをさせてもらったのです。

 もっとも理由を書かなかったことで、ご心配をおかけしてしまったようで、本当に申し訳なく思っています。

 なんとか無事に帰宅したものの、往復700キロ近いドライブはやはり75歳という歳になると疲れますねぇ。(運転していたらまた疲れは違ったとは思いますが。)まだ体は殆ど寝てます、頭も半分以上寝てます。これから頭をはっきりさせながら、ドライブの記憶を書いていこうと思います。
 葬儀に関することは、また別に思いを書こうかとも思っています。実はガンが絡んでもいるので。。。
  

Posted by 生田 at 10:43Comments(0)TrackBack(0)今日の日
  
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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