2019年03月11日
地震などのブラアックアウト対策
今日は3月11日
あの東日本大震災から8年経ちました
我が家では
いざというときのために
停電対策を考えて以下のようにしています
市販のソーラーランタンを
結構たくさん買い込んであります
この中に単3乾電池を充電できるものを
用意しています
スマホや携帯電話のバッテリーが切れた時
乾電池を使った充電が可能なものがあり
その充電用の乾電池として
ソーラーランタンの電池が使えるます
ソーラーランタンは
通常は夜の照明にも使え
充電用にも使えるので
こうしたランタンを
いくつか持っていかれるといいと思います
非常時で何時は
このランタンは
夜間の常夜灯として使っています
1:ソーラーランタン
(単三電池使用できるもの)
2:iPoneやiPodTouch
乾電池使用の充電器
3:充電可能な単3乾電池
4:充電コード
5:iPoneやiPodTouch
画像はiPodTouchでかいてますが
他のスマホに
適時置き換えてください
画層はスマホで作ってますが
ガラケーにも充電用のものが
売られています
お役に立つといいなぁと思い
記事アップです
ガラケーにも充電用のものが
売られています
お役に立つといいなぁと思い
記事アップです
2019年03月11日
あれから8年 私は・・・
今日は3月11日
あの東日本大震災のあった日
毎年同じことを思い出す
あの日は実家に行っていた
帰りの地下鉄の中で
地下鉄が停まった
なにかがあったことはわかったが
それが大震災だとは分からなかった
地下鉄は安全確認後にそのまま
何もなかったように動き出した
当時は名古屋の地下鉄
桜通り線はまだ野並が終点だった
バス停でバスを待った
何の変化もなく、いつものように
家に帰って
テレビを付けた
画面に映りだされたのは
大津波の実況だった
広い海に横一線の白い波が
海岸向かって押し寄せていた
画面が変わって
地上の様子を
車で逃げている人がいる
アナウンサーの声で
津波は仙台に向かっていると
その時
仙台が水浸しになる
と思った
しばらくしたら
地上の惨劇の様子に変わった
家が流されている
車が流されている
黒い水が田畑の上に広がっていく
まるで
映画のシーンを見ているようだった
あの”地球最後の日”のように
そして
時間が経って
とんでもない被害になっていることが
ほうどうでしらされていた
地震の揺れ、規模の大きさの報道があって
その時思ったことは
原発が壊れたと
安全性に問題ないと
当時の報道は伝えていた
それはないだろう
あれだけの揺れなら
コンクリートの箱でも壊れるだろう
それが壊れたら中まで壊れるだろう
それが日本の地上で起きていたこと
数日後
私の思ったように
福島の原発は爆発した
その3月11日には
私の体の中に
揺れもなにもないのに
大津波が襲っていたのだ
予感はあったような、なかったような
それから数日後
激震
ひと月後
末期の前立腺がんを宣告された
多くの人は
東日本大震災の記憶が残っているだろう
私は
それに加えて
末期がん宣告の記憶が蘇ってくる
あれから8年を経過した
大震災の被災者は
今も復旧できないでいる人もいるとか
私の体は復旧できない
爆発しないように
抑えているだけ
いつ爆発するかはわからない
今の状態を
石は「奇跡的」と表現している
末期がんで
同じホルモン療法だけで
8年も安定しているのは
奇跡だということらしい
地震は
いずれ我が身のこと
東海地方に済む今は
いつ東南海大地震が来るかもしれない
その時は大津波が来るかもしれない
気持ちだけは準備しておかねば
私も
がんの再発にたいして
心の準備だけはしているつもりだが
どっちも
来ないことを祈るばかりだ
あの東日本大震災のあった日
毎年同じことを思い出す
あの日は実家に行っていた
帰りの地下鉄の中で
地下鉄が停まった
なにかがあったことはわかったが
それが大震災だとは分からなかった
地下鉄は安全確認後にそのまま
何もなかったように動き出した
当時は名古屋の地下鉄
桜通り線はまだ野並が終点だった
バス停でバスを待った
何の変化もなく、いつものように
家に帰って
テレビを付けた
画面に映りだされたのは
大津波の実況だった
広い海に横一線の白い波が
海岸向かって押し寄せていた
画面が変わって
地上の様子を
車で逃げている人がいる
アナウンサーの声で
津波は仙台に向かっていると
その時
仙台が水浸しになる
と思った
しばらくしたら
地上の惨劇の様子に変わった
家が流されている
車が流されている
黒い水が田畑の上に広がっていく
まるで
映画のシーンを見ているようだった
あの”地球最後の日”のように
そして
時間が経って
とんでもない被害になっていることが
ほうどうでしらされていた
地震の揺れ、規模の大きさの報道があって
その時思ったことは
原発が壊れたと
安全性に問題ないと
当時の報道は伝えていた
それはないだろう
あれだけの揺れなら
コンクリートの箱でも壊れるだろう
それが壊れたら中まで壊れるだろう
それが日本の地上で起きていたこと
数日後
私の思ったように
福島の原発は爆発した
その3月11日には
私の体の中に
揺れもなにもないのに
大津波が襲っていたのだ
予感はあったような、なかったような
それから数日後
激震
ひと月後
末期の前立腺がんを宣告された
多くの人は
東日本大震災の記憶が残っているだろう
私は
それに加えて
末期がん宣告の記憶が蘇ってくる
あれから8年を経過した
大震災の被災者は
今も復旧できないでいる人もいるとか
私の体は復旧できない
爆発しないように
抑えているだけ
いつ爆発するかはわからない
今の状態を
石は「奇跡的」と表現している
末期がんで
同じホルモン療法だけで
8年も安定しているのは
奇跡だということらしい
地震は
いずれ我が身のこと
東海地方に済む今は
いつ東南海大地震が来るかもしれない
その時は大津波が来るかもしれない
気持ちだけは準備しておかねば
私も
がんの再発にたいして
心の準備だけはしているつもりだが
どっちも
来ないことを祈るばかりだ
2019年03月11日
3月11日 月曜日 雨から曇りに ちょっと頭痛
月曜日
サラリーマンの頃は好きでなかった
仕事のストレスがあったから
学生時代は好きだった
みんなに会えるから
仕事していない今は
いつもと変わらない
曜日なんて関係ないから
昨日は雨で
花粉が少なかった
おかげでくしゃみも余り出ず
夜もくしゃみが出なかったが
ただ薬を飲んでいるせいだろう
夜中に3回もトイレに起きた
結構冷えてた
そのせいかな?
今日はちょっと頭が痛い
花粉もあるだろうけど
昨日からの雨は
まだ上がっていない
中途半端
もっとどっと降ってくれれば
花粉は流されるのに
風ないな。。。。