2023年03月11日
3月11日 東日本大震災から12年 命を考える
今朝は目下彫っている円空仏の馬頭観音さんが居間でこんな優しい顔で朝を迎えさせてくれました。
仏さんを彫っていると、そのお顔はその彫っているときの気分、精神状態でかなり変わってくるという経験を持っています。今は割と穏やかな精神状態なので、柔らかい顔位なっているかなお思っています。
お先にと 思い出のこし 娘逝く
不謹慎と言われかねない、不快に思われかなねい句ですが、今日のこの日のこともあり、あえて書きました。
実は、この句は、先日友人のお嬢さんが入院闘病中であるとFB (FacaBook)で知りその後友人のブログ記事を、病気回復を祈りながら読んでいましたが、「娘がこんなものを残していきました」という記事を読み、他の読者の方の反応からお亡くなりになったと受けとりました、その時に頭に浮かんだのがこの句だったのです。
親が子供を見送るという辛い経験は、当事者でないとわからないと
思えども、肉親を亡くした時に似ているかと思ったものです。
肉身をなくす。そんな経験は辛いものです。親を2人見送りましたが、本当の親を見送ってはいません。私は一度その実父の胸に抱かれただけで、実親は戦地に赴き、帰って来ませんでした。
父親のいない、母親との二人の生活、いや実は父親の祖母と同居していたのですが、その祖母も終戦の翌年なくしています。この時私は2歳半、この祖母を亡くしたときの記憶は断片的ですが、今でも頭の中に残っています。
それから数年して、血の繋がりのない父親ができ、親が違うという言葉の中で育って、18歳まで親と同居したものの、浪人、大学。就職で故郷を離れ5年、そして結婚しました。
結婚してから、親の面倒をいずれ見なければならなくなるという覚悟を持って、勤めをやめて10年ぶりに帰郷。同居こそしなかったもののほぼ毎日親と顔を合わせる生活に戻りました。
3人の子供が生まれ、私は”親のない子供として育った”辛い思いを子供達にさせたくないと、「私は死んではいけない、私は死なない」とかなり頑張ったつもりです。
子供がまだ小さい頃に、私は母親を見送ることになりましたが、一番下の子供はまだ理解ができていなかったようですし、思い出もかなり薄いようです。それから20年くらいして私は育ての父親を見送りました。
血の繋がりはなかったものの、育ててくれた恩はありがたく、思ってもいなかったのですが、陰で涙を流してしまいました。
違う世界に旅立つ人を見送る。どんな時でも辛いものがあると思います。私ががん宣告された時に、励ましてくれた義弟2人を見送った時は、何ともかんとも辛い思いをしたものです。
人の命は、どんな時に召されるのか?浄土教の話のなかでいえば、「全ては弥陀の計らいにて」ということになるのでしょう。人間である私がその順番を知るなんていうことはとてもできません。
ある日突然に召されることにあることもあり、また長い闘病の末に召されることもあり、これら全てが”弥陀の計らい”なのでしょう。
ある日突然、命を奪われる。それのとにかく多くの人が、短い時間の間に、奪われる。
12年前の3月11日14時46分のこと、突如としての大揺れと、その後に襲って来た大津波。これによって1万6千人弱の命が奪われました。
運命、なんて言葉が一瞬で吹き飛んでしまう大災害です。運勢というものがありますが、何かの「因果応報」でと言われるものですが、全く生活の異なる他人が、同じように命を奪われている。これも弥陀の計らいかと阿弥陀さんに向かって、問うてみたこともある。返事は未だに聞いておりませんが。。。
その12年前の今日、私は地震発生時には地下鉄の乗っていました。地下鉄は止まったものの数分で動きましたが、家に帰ってTVを使えて驚き、大津波が襲うところがライブで流されていました。
津波に飲み込まれていく家屋や人、それを生で映していたのです。
奪われていく命、それをみている命、流されても生き残った命。一体命って何だろうって。こんなことを考えても答えは出てこないのだろうと思います。(出て来たら哲学者か宗教家にでもなれるかも)
押して、祈り。助かってほしいと思う、その気持ちと祈り。普段は、神、仏を無視、いや気にしていない人園でも、いざとなると思い起こすのはなぜ?
命は他人様がどうこうすることはかなり難しい。ドクターであれ、完璧にすべての人を救うことは難しいと思う。やはり、命は、神の世界の中なのだろうと思う。その神に、命存えることを祈るのだろう。
命は尊いものと思います。望んでもらった命ではないけれど、生きは始めたら、生きていこうという欲が出て、死を迎えることはできるだけ先にしたいと思うのが当たり前のようです。
自分から命を投げ出すなんていうことをする人もいますが、それは私は間違いだと思ってます。(自殺も殺人にかわりありません)
書いている私。今書いていることが支離滅裂だと思い始めました。脈絡がない。。。。頭の中に出てくることそのままキーボードで打ち込んでいるだけ。
とにかく、命。大切です。
東日本大震災から12年後の今、私の住む東海地方から西は、いずれくるだろうという”東南海大地震”がいつ起こるかわからない。起きれば東日本大震災の比ではなく、とてつもない被害が出て、奪われる命は数十万になる可能性が言われています。その可能性のために、どうしたらいいのか、それはわからない。地震の揺れに対しての最小限のことはしているけど、いざとなったら、それで命を守ることができるのかと言われれば、返す言葉はありません。
何のために自分の命を守るのか?
私は「死んではいけない」と思いつつ50数年生きていているけど、これは前述したように「親のない子供」時代の辛さを子供にさせたくないというだけこのことだった。でもその子供たちも下の子供でももう45歳になる。私の子供には違いないけれど、もう”親のない・・”という言葉は相応しくないだろうと思います。なので今更「死んではいけないと思う必要もないかもしれないけれど、私が逝く時に涙を流す人はいないかもしれないけれど、流させたくない人もいいる。できればその人を見送ってから行くのがいいのかもなんて思いもあったりする。
命を考えると、あれこれ矛盾した気持ちがたくさん出てくる。
支離滅裂なことを書き綴れば、余計に矛盾したことを書くことにもなるし、本当に難しい”命”です。
何はともあれ、12年前の大惨事での命を亡くされた方のご冥福を祈るとともに、これから先に起きる可能性のある大惨事で、できれば命を落として欲しくないという思いを込めて、この記事をアップします。