2008年01月10日
京都の思い出 宇治・平等院
平等院は、2回行っている。
一度は、大学の研修旅行で、もう一度はもう10年位前になるか、家族揃って正月の初詣ということで車で高速を使っていった。
大学時代に行ったときの記憶は、もうほとんどない。ただ池に映る平等院の建物に美しさを感じたくらいか。2度目のときは、もうそれから30年という時間を経ている。平等院の修復の前である。
修復の前は、かなり建物も阿弥陀像も荒れていた。見るに忍びなかったといっていいだろう。創建当時はキンキラキンの仏様もあそこまで荒れると気持ち悪く見られるかもしれない。どうしてあそこまで荒らしてしまったのか、そのときは疑問に思ったものだ。
修復されてからは、行っていない。実は平等院の阿弥陀像の兄弟といわれる阿弥陀に出会い、そちらに通うことになったからだ。
平等院の阿弥陀像は、定朝の作といわれている。その定朝が作ったのではないかといわれる阿弥陀像が、日野の法界寺にあるのだ。法界寺の阿弥陀像は、平等院よりも保存がよかったのか、きれいである。顔の表情も柔和で、私はこの仏像にほれ込んでしまったのだ。昨春は、孫まで連れて訪れるくらいに。
平等院へは、いずれ近いうちにまた行きたいとは思っているが、交通の便などを思うとちょっと・・・・
一度は、大学の研修旅行で、もう一度はもう10年位前になるか、家族揃って正月の初詣ということで車で高速を使っていった。
大学時代に行ったときの記憶は、もうほとんどない。ただ池に映る平等院の建物に美しさを感じたくらいか。2度目のときは、もうそれから30年という時間を経ている。平等院の修復の前である。
修復の前は、かなり建物も阿弥陀像も荒れていた。見るに忍びなかったといっていいだろう。創建当時はキンキラキンの仏様もあそこまで荒れると気持ち悪く見られるかもしれない。どうしてあそこまで荒らしてしまったのか、そのときは疑問に思ったものだ。
修復されてからは、行っていない。実は平等院の阿弥陀像の兄弟といわれる阿弥陀に出会い、そちらに通うことになったからだ。
平等院の阿弥陀像は、定朝の作といわれている。その定朝が作ったのではないかといわれる阿弥陀像が、日野の法界寺にあるのだ。法界寺の阿弥陀像は、平等院よりも保存がよかったのか、きれいである。顔の表情も柔和で、私はこの仏像にほれ込んでしまったのだ。昨春は、孫まで連れて訪れるくらいに。
平等院へは、いずれ近いうちにまた行きたいとは思っているが、交通の便などを思うとちょっと・・・・