2008年09月01日
五木寛之の小説・親鸞が始まったが
今日9月1日から中日新聞(他に東京新聞、西日本新聞など)で、朝刊の連載小説が始まった。
五木寛之氏の「親鸞」がそれ。
過去に親鸞に関する小sつは数本あるが、史実とはかけ離れたものでいかがなものかと思われるのではないか。というのも、親鸞その人の私生活を記したものがほとんどない。あるのは、歳老いて今日に戻ってからの関東の真宗集団の人々とのやり取りの消息くらいなのではないだろうか。だから、いつ生まれて、どこでそう育ったのかなんていうのは、後世にかかれたものからの推察だけ。
こうしたことから、逆に、誰もが想像で親鸞の生い立ちを書き上げることができる。
今日始まった連載『親鸞』は、生まれたといわれる年代の京都のされた状態を書いている。これは、事実を書いた書物から類推されることではあるが・・・
昨日だったか、五木氏の執筆に当たっての言葉が掲載されていたが、そこには取材先の京都の六角堂(頂法寺)と新潟県上越市の五智国分寺の写真が添えられていた。
どちらも私も何度となく訪れているところ。懐かしく写真を見たのだが。五智国分寺の草案? 本当にそうなのかという疑問が実際にはあるらしいのだ。というのは、上越市(旧直江津市)には、鎌倉期前後より前の古文書は一切残っていないのだ。それに、五智国分寺の本来のものは海の中とも言われている。
こうした歴史上の資料のない有名人物が、どのようにこの先描かれるのか、興味をもって読んでいこうとは思っている。とはいっても、過去に読んだ五木氏の真宗に関する記述の違和感、私には私の親鸞像が出来上がってしまっているだけに、どういう気持ちになるのかと、ちょいと心配しつつ。
五木寛之氏の「親鸞」がそれ。
過去に親鸞に関する小sつは数本あるが、史実とはかけ離れたものでいかがなものかと思われるのではないか。というのも、親鸞その人の私生活を記したものがほとんどない。あるのは、歳老いて今日に戻ってからの関東の真宗集団の人々とのやり取りの消息くらいなのではないだろうか。だから、いつ生まれて、どこでそう育ったのかなんていうのは、後世にかかれたものからの推察だけ。
こうしたことから、逆に、誰もが想像で親鸞の生い立ちを書き上げることができる。
今日始まった連載『親鸞』は、生まれたといわれる年代の京都のされた状態を書いている。これは、事実を書いた書物から類推されることではあるが・・・
昨日だったか、五木氏の執筆に当たっての言葉が掲載されていたが、そこには取材先の京都の六角堂(頂法寺)と新潟県上越市の五智国分寺の写真が添えられていた。
どちらも私も何度となく訪れているところ。懐かしく写真を見たのだが。五智国分寺の草案? 本当にそうなのかという疑問が実際にはあるらしいのだ。というのは、上越市(旧直江津市)には、鎌倉期前後より前の古文書は一切残っていないのだ。それに、五智国分寺の本来のものは海の中とも言われている。
こうした歴史上の資料のない有名人物が、どのようにこの先描かれるのか、興味をもって読んでいこうとは思っている。とはいっても、過去に読んだ五木氏の真宗に関する記述の違和感、私には私の親鸞像が出来上がってしまっているだけに、どういう気持ちになるのかと、ちょいと心配しつつ。