2010年02月07日

龍馬伝 第6回 松陰はどこだ

 黒船が来て、自分のあり方に疑問を持った龍馬。刀の意味を計りかねたのだろう。いったん追い出されることにたが・・

 桂小五郎を訪ね、吉田松陰の話を聞く。そして、少しずつ目覚めていく。
 再度桂を訪ねた折に、吉田松陰がアメリカに黒船に乗り込んで密航すると聞き海岸へ。(この辺り、下田と江戸がゴチャゴチャだ。)
 このとき、桂と松陰を探して海岸に行き、そこで松陰を出会う。自分も行くというと松陰にきつくしかられる。しかしこれが、後の密航を企てた(と記憶しているのだけど)遠因かもしれない。

 千葉道場は、謝罪を入れて復帰。このときに同城主千葉から「剣の意味と剣で黒船に勝てるか」と聞かれ、『勝つの派遣ではなく自分である』時計塔、これがつるされた理由のようだ。
 剣の道、それは人を殺すのではなく、心の鍛錬だということ。

 その後、名目の剣術修行を終えて、土佐に代えることに。佐那との別れで指切りさせるとは。。。


 土佐では、武市半平太が、攘夷の方向に向かっていく。一方の岩崎弥太郎(香川照之)はスポンサーがついて江戸に勉学に出ることになり、加尾(広末涼子)にプロポーズ。

 
 だんだん、幕末の嵐の中にすべての人が入っていく時代になったようだ。しかし、その時代に本当に生きていた人たちは、どこまで切迫感を持っていたのだろう。時代の変わり目は、いつもそれなりのものがあるとは思うが・・・
 私自身が生きてきた66年の中で、時代の大きな転換期はいくつもあったともう。その変化のまっただ中にいたこともあるし、全く気づかなかったこともある。
 
 人それぞれ、時代を読み、漢字、それに応じた生き方をする。あえてするのではなく、都県込んでいくかのように。しかし、時にはつまはじきされて、適応できないこともあるのだが。

 龍馬は、生きていて活躍の時は、本当の意味で適応できていたのだろう。彼の思いがそこにあったかどうかは別として。結果手に溶け込んででいたものの、それをよしとしない連中に。。。。
 急激は、変化は往々にして、たたかれるものらしい。 信長しかり。

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