2007年12月24日
京都への思い入れ 三条
毎年、数回訪れているにもかかわらず、今年は京都を訪れたのは2度だけだった。
一度は、3月に孫と一緒に 日野の法界寺に行った。
(この寺、NHKの『仏像』にも紹介されていた国宝の阿弥陀如来がある。)
その後は、ばたばたとしていて、10月の大阪での仕事の際に前日に歩いただけだった。
私が、京都に行くのは、それなりに思い入れがあるからだ。
ちょっとした縁があって『親鸞研究』に足を踏み込んだことが原因。もう10年くらいになるが、日野の法界寺に行くのも、その延長でもある。行くたびに、いろいろなものを見、いろんなところを歩くのだが、特に三条通りは河原町から堀川までを何度となく歩いている。
三条通りというのは、どうも昔から人通りの多い通りだったと思われる。今の京都の条の通りは平安京の条通りとはかなり違っていると聞くが、三条通りは平安京のときのままの位置でもあるという。
実は、親鸞が入滅したところが、いろんな説があり、その中の一つに「三条富小路」という地名がある。この地には、親鸞の弟の庵があったところで、その場所で親鸞は息を引き取ったといわれている。
この地名の『富小路』を捜し求めていたのだが、なかなか私のイメージする場所にたどり着くことが出来なかった。
今年の10月のときにも、三条通りを東洞院通りから河原町まで歩いているが、もう私のイメージするところは判別が出来ないのだろうとあきらめかけている。写真は、現在の三条富小路の交差点北西角にあるビルだ。
あきらめかけていたのだが、先日ネットでいろいろ京都の通りの名の由来を探していたら、「富小路」は昔と今では1本ずれているというのを見つけた。昔は、一本東、現在の『麩屋町通り』であったということなのだ。地図をじっくり見てみると交差点の北東に寺もある。この辺りに寺が残るのは少ない、その一つだ。
来年は、この辺りをもう一度、じっくりと歩いてみよう、と思ったものだ。
一度は、3月に孫と一緒に 日野の法界寺に行った。
(この寺、NHKの『仏像』にも紹介されていた国宝の阿弥陀如来がある。)
その後は、ばたばたとしていて、10月の大阪での仕事の際に前日に歩いただけだった。
私が、京都に行くのは、それなりに思い入れがあるからだ。
ちょっとした縁があって『親鸞研究』に足を踏み込んだことが原因。もう10年くらいになるが、日野の法界寺に行くのも、その延長でもある。行くたびに、いろいろなものを見、いろんなところを歩くのだが、特に三条通りは河原町から堀川までを何度となく歩いている。
三条通りというのは、どうも昔から人通りの多い通りだったと思われる。今の京都の条の通りは平安京の条通りとはかなり違っていると聞くが、三条通りは平安京のときのままの位置でもあるという。
実は、親鸞が入滅したところが、いろんな説があり、その中の一つに「三条富小路」という地名がある。この地には、親鸞の弟の庵があったところで、その場所で親鸞は息を引き取ったといわれている。
この地名の『富小路』を捜し求めていたのだが、なかなか私のイメージする場所にたどり着くことが出来なかった。
今年の10月のときにも、三条通りを東洞院通りから河原町まで歩いているが、もう私のイメージするところは判別が出来ないのだろうとあきらめかけている。写真は、現在の三条富小路の交差点北西角にあるビルだ。
あきらめかけていたのだが、先日ネットでいろいろ京都の通りの名の由来を探していたら、「富小路」は昔と今では1本ずれているというのを見つけた。昔は、一本東、現在の『麩屋町通り』であったということなのだ。地図をじっくり見てみると交差点の北東に寺もある。この辺りに寺が残るのは少ない、その一つだ。
来年は、この辺りをもう一度、じっくりと歩いてみよう、と思ったものだ。