2017年04月04日

仏さんに惚れ込んで。。。62 岩船寺 阿弥陀如来坐像

 岩船寺は、近くの浄瑠璃寺の陰に隠れてしまっているという印象かも知れない。浄瑠璃寺は、国宝も多く何かにつけテレビ報道もよくある寺だが、近くにあるが交通の便がイマイチなところにあるからか、あまり取りざたされることがない。しかし、寺の境内は浄瑠璃寺に比べると高低差もあり変化に富み、いい寺なのだが。。。

 岩船寺は、2度訪れている。ほうんとうは4回なのだが、1度は車が大きすぎていけなかったし、一度は雨でいくのを諦めたという、まぁ山の中。ただ、今は、その頃と違って申し越し行きやすくなったかな?ということで数年前に50年ぶりにいってきた。
 実は、大学の古美術研修旅行で行っているのだが、あの狭い道をどうやって行ったのかと今更ながら不思議で。その時の印象は、なぜか天井が船底という記憶になっている。現実には違うようなのだが、なぜ船底天井という記憶になったのか?あの時は1週間で奈良県と京都府のものすごくたくさんの寺をバスで回った。なので、阿弥陀如来のある寺の中で記憶が入り組んでしまったらしい。船底天井で有名な寺といえば三千院だが、あそこも阿弥陀さんだから私の気おきの中で一緒になってしまったと思われる。

 岩船寺には、国宝はない(と思う)。阿弥陀如来も普賢菩薩も重要文化財どまりである。
 その阿弥陀如来は、左の画像。一応冗長様式なのかな?平安後期の策だと思うが、平等院の阿弥陀如来に似てるかなと思うが、後背がねぇ。なんか貧相なんだよなぁ。だからなのかな?実は私の頭の中にはっきりとした記憶がない、天井を間違えるくらいだから、あ阿弥陀如来そのものも記憶が違っている可能性が大きい、
 浄土教全盛期の寺だけど、やはり浄瑠璃寺の9体の阿弥陀さんには勝てなかったのかな?

 岩船寺は、寺のなだけがなぜか頭の中でしっかりと残っている。何かショックなことがあったのか?それも忘れてしまった。忘却・・・・・ 君の名」はではないが・・・  

Posted by 生田 at 17:24Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月31日

仏さんに惚れ込んで。。。61 三井寺(園城寺)十一面観音

 滋賀県大津市の三井寺(園城寺)は一度だけ訪れている。という記憶なのだが、ひょっとして大学の時に行ったか?それはない。大学の古美研では奈良県と京都府だけだったはずだから、近いとはいえ東山、逢坂山を越えて琵琶湖の方に来ることはなかったはず。
 ただ、東海道を行き来することも多く、時には比叡山への入り口・田の谷峠を超えることもあるから、浜大津あたりを通ると、三井寺に行ってないなぁなんて思ったりもしていた。

 数年前、思うとの還暦祝いに京都の紅葉を見に行こうとドライブ旅行をした。その時に初めて三井寺に参拝した。この時の話はこちらに書いてあります。
 その時の記憶を今辿っているのだけど、なぜか仏像の記憶がないのだ。あの頃はもう木彫りを始めて何年か経っているから当然のごとくに仏像に興味を持つはず。いや、木彫りをしていなくても、もともと仏像に対しての興味を持っているわたしだから記憶に留めないといけないのだが。とうとうボケてきてしまったのか?新しい記憶がの残っていないということか?でもなぁ、紅葉の記憶もあるし、そのあと行った比叡山やら詩仙堂の記憶もしっかり残っているのになぁ。

 まぁ、残っていないというのはしょうがないので、三井寺の仏像群の写真を見ながらこれを書いている。だいたい、三井寺はなんで三井寺というかなんてことが話題に上るほど本当の斜めが忘れられるくらいになっている。なんでも3人の天皇さんの産湯に使った水の井戸が揺らいだとか・・・まぁ、それはべつにしても、歴史上によく出てきた名前だ、だからな名前は知っていたのだが。ただ、仏像となると、有名なものは?イマイチ思い出せるものがないのだが、なんとか思い出せるのは鬼子母神くらいかな?
 
 で、もっか自作の文化財データベースで「三井寺」を検索。出てきた画像を見て「ん???」
 なんか、ずんぐりむっくりした仏像の多いこと。写真の撮り方ではなく、元々がずんぐりむっくりしている、ひょっとしてこれらの造像時期の流行か?なんて思ったりもするが・・・

 左がタイトルにした十一面観音だが、像高80センチあるからそれなりの大きさだけど、日本人がモデルだろうなぁ、と行っても造像の頃の日本人は知らないが、胴長単属の見本みたいだ。頭に載っけている化仏を除いても胴長短足なのに、その上に化仏の部分がかなり大きいからもう何をか言わんのずんぐりむっくりになってしまっている。
 右は千手観音で、像高180センチとかなりでかいのだが、これも写真を見る限りブングリムックリだよなぁ。
 なんでこんなにずんぐりむっくり?物資がわからないのだが、千手観音も十一面観音も平安時代の作とある。この時代のたくさんの仏像見ているけど、文化財の中でここまでズングルムックリも少ないともうけど。。。。


 この三井寺には、いわゆる仏さんを彫ったもの以外に僧形の彫り物がたくさん文化財に指定されている。正直、僧形の彫り物は苦手なわたしで、できれば見たくない。理由はわからない。
 その中で、ただ一つ見ておきたいと思う像がある、正式には「訶梨帝母倚像」という名前の像で、子供を抱いている母親像だが、これは通称「鬼子母神」と言われている鬼女が仏の差として改心して子供を守る神になったとか。
 確かにこの像は、優しい母親が子供を大事に抱いている姿だ。表情も母親の慈愛に満ちたものを感じる。母親はもんなこんな感じかなぁ。。。厳しかった母親が思い出される。

 もう一度見たいと、この三井寺の仏像の中で思うなら、この「訶梨帝母」は是非見ておきたいと思う像であることは確かだ。
  

Posted by 生田 at 12:58Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月29日

仏さんに惚れ込んで。。。60 法隆寺 九面観音

 法隆寺は、なんども行っている、なのにこの九面観音は一切記憶がない。その理由はわからない。今は大宝蔵院にあるそうだが、宝物殿に並んだことはなかったのだろうか?
 もっとも、彫刻を始め、仏さんを掘るということのなかった頃は興味を示していなかったのかもしれないが。今写真を見ると、一度は見ておきたかった仏像と思う。
 像高は25センチくらいだから、私が彫っている円空さんとよりも小さいけど、ものすごく緻密に彫られている。当たり前といえば当たり前だけど、こんな緻密な彫り物をできたら間近で見たかったものだ。



 多面の観音菩薩というと11面が当たり前のような感じだけど、この9面観音は11ではなく9面なのだ。正面のひたいの上に1面、その左右に3面ずつ、そして後ろの1面(多分大笑顔かなぁ)、そして頭の頂上に大きい阿弥陀さんとこれで合計9面の化仏を乗せている。日本では見受けない形の多面観音です。この像の生まれは中国だそうです、それでも日本の国宝なんですよ。
 
  彫りの深い顔ですねぇ。それでいてちょっとふっくらとして、笑みを浮かべている感じだなぁ。本当に一度見ておかねばと思うばかりだ。ネットで拝観の可能性を探したら、春と秋に特別拝観があるようだ。今年の秋あたりに行って見るかなぁ?  

Posted by 生田 at 15:58Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月29日

岡崎・滝山寺 三門と金剛力士

 滝山寺の拝観を終えて、帰ることに。帰り道にある仁王門に立ち寄る。本当は、来る時に目に入らねばならないのだけど、何せ運転中は目を反らせないというか。。。気づかなかった。ということで帰りに寄ることにしたのだ。

 三門は、本堂とはちょっと離れている。と言っても昔は大きな境内で離れているなんておことを思わせなかったようだが、今は三門から本堂に行くまでの間に民家が建ってしまって同じ敷地内のものとは思えない雰囲気だから、離れてか難じるわけだけど。歩くと10分くらい?そこまではないか?

 三門の前にちょっとした駐車スペースがあるのでそこに車を止めた。そして正面に回る。


 立派な三門だ。本来は、この門をくぐって寺の境内に入るのらしいが、今は周囲を柵に囲まれて通ることはできない。

 立派な三門だ。本来は、この門をくぐって寺の境内に入るのらしいが、今は周囲を柵に囲まれて通ることはできない。上の写真の説明文によれば、国の重要文化財に指定されているとのこと。結構なことで、納得できます。

 さて、超奥を志している私にして見ると興味は、仁王(金剛力士像)だが、柵に囲まれて離れている上に金網で囲まれているから見えやしない。無粋なことだけど、文化財保護の観点からしょうがないのかなぁ。
 

 この仁王像は岡座敷氏の文化財指定を受けている。左が阿形、右が吽業は当たり前だが、いろが・・・・この講座の先生に質問したことがある。「東大寺の南大門の仁王は彩色だったか?」と、回答は「この時代は彩色が一般的」と。ではどんな彩色だったのか?東大寺で廃炉は見えないが、この滝山寺のものは赤く塗られている。怒って体が赤くなっている?どうかなぁ。
 そういえば、あちこちの仁王像って、みんな赤いよなぁ。それでいいのかなぁ?
 
 なんとも割り切れない彩色であるが・・・・

 この像が誰の造像?作者はわかってないのだろうか?まさか運慶や湛慶ではないだろうなぁ。そんな思いを残して帰路に着いた。

 この後が大変だった。帰る途中、刈谷のオアシスファームに立ち寄ろうとしたら、ナビがとんでもない案内をしてくれて、道をあちこち、くねくね。結構遠回りした。久々のちょっとだけ長い一人旅でした。  

Posted by 生田 at 09:44Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月27日

滝山寺で 葵 武将隊と遭遇

お寺と信仰には関係ないけど
滝山寺が徳川家康ゆかりの寺ということで
しかも東照宮があるということで
どなたかがお呼びになられたのか・・・

滝山寺本堂と瀧山東照宮の参拝・見学を終え
帰る方向にとなったところで
なんやら派手な衣装の一団が




ん?????
名前を「葵武将隊」というのだそうです。
つまりは
岡崎市の観光イベントで活躍している一隊です。

この中に 徳川家康 役がいますが
誰だかわかりますかぁ?

体型から行くと
中央のちょっと太めの人と思ったんですが
違うんですって
向かって右のちょっと細め
(隣の関係でそう見えるだけ?)
この人が 家康 だそうです。
わたしが
ちょと太めの人が家康に見える
というと、その人から返事が
「この家康は、家康の若い頃の姿」だって
ははぁ そういう答えもあるかぁ

昔の記憶が蘇った

ある見世物小屋で
ナポレオンの骸骨を見せていた
観客が「ナポレオンって頭大きかったというぞ」と
見世物小屋の親父が
「この骸骨はナポレオンの子供の時のだ」と

まぁそこまでの話ではないが・・・

この後で
私たち見学者と武将隊と一緒に
記念撮影

姫が入っていないって文句言ったら
「姫はお披露目前なので申し訳ない」と
姫は、岡崎城の桜のイベントの時にお披露目だそうです
見たい方は
楽しみにして、岡崎城に行ってください
  

Posted by 生田 at 13:03Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月26日

岡崎・滝山寺 瀧山東照宮

 滝山寺の隣に、隣といってもすぐ横で同じ敷地内といってもいいと思うけど、管理団体が違うということで同じではないという「瀧山東照宮」がある。ということは、愛知県に2つの東照宮があるのだなぁ。もう一つは豊田市の東の方の松平にある「松平東照宮」がそれだ。
 松平東照宮は、桜や紅葉の時期に行くとそれなりの景色を楽しむことができるが、最初に行った時は東照宮に行く目的ではんかったけど、偶然に東照宮の前に来たのだった。東照宮というからには、其れなりにケバケバしいものかと思いきや、松平東照宮は、ごく普通の神社という趣だ。(工事中だったこともあってしっかりみなかったな)



 それに引き換え、この「瀧山東照宮」は、「日光東照宮」に比べれば規模もものすごく小さいし、装飾もかなり控えめなのだが、まぁある程度の派手さは持っている。写真は拝殿の奥の階段のところから撮ったもので、ちょいと奥行きが足りなくて全体が撮れなかった。コンパアクトデジカメの方が良かったかもなぁ。
 最初は、拝殿に上がりラジカセの説明を聞いたりしたんですが、私はどうにも興味が惹かれず、拝殿内の写真を撮ったりしてました。(もちろん撮影禁止でないことは確かめて)

 写真のように、内部には百人一首ではないと思うわかの額があったりしてましたが、これはどの時代のものだろうなどと疑問に思ったりして。。。。

 外に出て勝手に写真を撮っていた。左が拝殿の全体ですが、梁などには結構派手な彩りがなされてます(日光には遠く及びません)。まぁ、隣の滝山寺が煤けていることに比べればとにかく派手でしょう。

その彩は裏手で、破風に施された装飾は流石東照宮と思う感じですね。少年側よりも裏手の方が派手だったという、奥ゆかしいオシャレ感覚なんてこと言うと皮肉に聞こえるかも。何れにしても、それなりに金をかけたんでしょうが、何せ将軍家の管理ではない岡崎(徳川重鎮の本田山の領地)なので、それにいくら家康の生地とはいえ徳川家を差し置いて派手にはできないだろうなぁ。

 拝殿の左右には、たくさんの灯篭が並んでいるが、これは4月17日が家康の命日なので、それに合わせて色々かところから奉納されているということです。みんな4月17日が彫り込まれていた。

 それにしても、愛知県に2つの東照宮があるとはねぇ。。。。
  

Posted by 生田 at 13:06Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月25日

岡崎・滝山寺 薬師如来の脇侍と十二神将

 本当は昨日書こうと思っていたのだけど、メールのトラブルと外出で書くことできなかった。記憶がどんどん遠くなるので、早く書かねば。。。。。

 先回は、本堂の薬師如来のことを書いた。薬師如来には大体が脇侍として日光菩薩と月光菩薩、そして周りには十二神将が付いている。この滝山寺の薬師さんもそのルールは守っておいでになる。まぁご本尊が御隠れになっているので、ちょいと興味も薄れるが、脇侍の日光・月光菩薩は寺伝では運慶作ということらしい。

 どちらも護摩木の煤で煤けてしまっているが、金箔が残っているよなぁ。本当に鎌倉時代か?運慶作ならそういうことになるのだが。
 ただ、見た目、運慶ほどの高尚な物資の作ではないようにお見受けするのだが、目が狂っているか?どちらにしても、この2体は岡崎市の文化財に指定されている。運慶作とわかれば、国の十分やら国宝も夢ではないか?さてさて・・・・・

 この日光菩薩の後ろに6体の十二神将が、月光菩薩の後ろにこちらも6体の十二神将がある。

 左は”子年”の大将だけど何大将かはわかってないようだ。右はイノシシみたいな顔が付いているけど”丑年”の大将だそうです。と、まぁこういう風に十二神将には干支がつきものだけど、その干支がかけてしまているのが多くて残念ね。
 また、左のような顔をしたのが多い、というよりもほとんどこういうユーモラスな顔をしている。円空さんよりもユーモラスだ。一つ一つ、見ていると面白いけど、まぁくらいからわからないよ。懐中電灯持って行ってください。(ただし、見るときは使用許可もらってくださいね)
 十二神将も岡崎市の文化財で鎌倉時代の作といわれているけど、あんまりこういう作りは鎌倉時代にはないように思うけどねぇ。ほんとかなぁ?

 他にもありますが、興味を引かなかったので、これで終わり。

 もう一つ、宝物殿におもそろいものがあった。逗子に入っている毘沙門天で、手が何本あったかなぁ。。。ガイドさんの話では、いくさに出かける武士が背中に背負って行ったものだとか。戦いの神様と言われる毘沙門天だからだけど、絶対に毘沙門天には見えないから。写真があるといいけど、誰も興味示してないなぁ。。。。。公式HPにも上がってないわ。
 行ったら、見てきてください。  

Posted by 生田 at 20:05Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月23日

岡崎・滝山寺 薬師如来 お前だち

 岡崎市の滝山寺の参拝。宝物殿の運慶などの宝物を見た後で、えんやこらもすごく急な坂を登って本堂に赴いた。本堂前の広場に着くとそこはキラキラ砂が輝いている。後ガイドさんに質問して聞いたところ、岡崎市(滝山寺は合併する前は幸田町)は花崗岩の上にある年だそうで、この花崗岩が砂になったものが敷地内に多くある。花コウ岩位は雲母がたくさん含まれているので、きらきたしているのだ。吉良上野介の「きら」の由来は、この砂のきら嫌いしているとこからだとも教えてもらった。「へぇ」であった。

 本堂に上がると、格子の奥に日光・月光があって、その真ん中に薬師如来が鎮座している。しかし、この如来さんは”御前立ち”(座っているのに”御前立ち”なんです)で本物ではない。本物は50年に一度ご開帳になる秘仏で、次回は22年先だって記憶です。みんなが「見られるかなぁ?」「あんたは大丈夫さ」なんて話を買わされてましたね。 
 この御前立ちなんですが、結構いい表情されていたんですが、それよりも目を引いたものがあるんです。台座に施された彫刻です。
 この台座には像やらなんやら動物と四天王みたいな鎧?を着た武将みたいなものが、如来さんの座を支えているんですねぇ。ふと、名古屋の桃源寺の大仏を思い起こした。
 インドの、ヒーンズーの神様の周りにいる感じね。でも武将は中国風だよなぁ。それにしても結構なあ色使いで、如来さんの真っ黒が余計に黒く見える。台座はそうして、如来さんは掃除してないんだろうか?

 それにしても、本物の如来さんが見えないのは残念。日光・月光が自伝では”運慶”作といわれているらしいが、ひょっとしたら、その流れの作だったりすれば、いいものが見られたと思うんだけどねぇ。。  

Posted by 生田 at 14:39Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月20日

岡崎・滝山寺 十一面観音 3体

 「仏さんに惚れて・・・」シリーズを離れて書くことにします。

 瀧山寺の宝物殿には、運慶作の仏像以外にも沢山の仏像がある。どういった理由からないのか”十一面観音”が数体合った。時代がそれぞれ違うので、その時代に時代に誰かの発願で造物されたと思うのだが、一体誰の発願だろうと想像したくもなるが、そんな資料があればいいのだが、今回のように団体で行った時に質問して回答をもらうなんて消えsめて難しいことだろう。
 ということで、あいも変わらず私はかってに頭の中で想像するだけのこと。

 まずは、宝物殿に入って最初に私の目に入った十一面観音。2体並んでいたけど、大きい方(右側)のものがそれ。
 造像の時代は、藤原時代と書いて合った。確かに時代を感じる煤けて黒くて、何度も修復したのか?修復しきれずに足の裏には何かを差し込んで倒れないようにしたりと・・・おから向かった左に少し傾いてます。
 そう言えば、この観音さんの足ね。ものすごく長くて、気持ち悪いくらい長くて・・・

 でもね、この十一面観音さんはじっくり見見るとモノズごく綺麗なお顔なんですよ。ちょっとお澄ましされてますが、まぁ、時代かなぁ。ただ、時代が藤原ということだけど、逗子の作りやキンキラの飾りは時代が違うんではないなかぁ?私には違和感があったんで。専門家はなんとおっしゃるか?

 その隣の小さいこれも逗子に入っている十一面観音さん、こちらは鎌倉時代作と書いて合った。確かに目は玉があ入っているし、後背の作りもキンキラキンもそうだし、やっぱり鎌倉以降だろうなぁと思わせるし。
 こちらの観音さんは、イマイチ私の好みではなくて、顔は玉を入れているからかぱっちり開いてすから、見た目ちょっとびっくり顔ってか何時がしわいわけでもなくて。それに、いちばんの問題は胴長短足で、動きがあるけど、なんだか半端だなぁ。でも、綺麗ですよ。ガイドさんはこっちの方に力入れて話されていたような気がする。

 これは、宝物殿に入ったところ保広い部屋の中にあった2体ですが、実はもう1体あるんですが、残念ながら写真がない。それに写真撮れないから、私にもない。ネットにもない。有名じゃぁないからから?でもねぇ、結構綺麗だったけどなぁ。聖観音の後ろの左に行った突き当たり。記憶では十一面観音だったけど。聞く違いかな?

 さて、宝物殿の外にもう一体。外といっても雨ざらしではなくって、宝物殿からえんやこら行きをはぁはぁあえぎながら登った先にある本堂の中にもう1体あるんです。



 この十一面観音は、本堂での護摩業のせいなんだろうと思うけど、もう煤でススがひどくて、せっかくのキンキラキンの体が汚いよなぁ。ん?ということは金箔がまだ感z年憩っている、とすると新しい?でも表情や作りはそれなりの時代かもなぁ。でもね。私がこの十一面観音に思ったことは、本体は綺麗なんです、それなりの作りなんです。でもねぇ。なんだか後輩がね、手抜きって感じの作りなんです。手が込んでいる割には、なんだかなぁという作りなんですよ。

 それにしても、なんでこれだけの十一面観音がある?
 ひょっとしたら、火災かなんかで焼けて、修復のたびに新しく作ったのかもな?  

Posted by 生田 at 15:46Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月17日

仏さんに惚れ込んで。。。59-4 岡崎・滝山寺 帝釈天

 滝山寺の宝物殿の続きです。これまでは運営造像の3体のうち中央の聖観音と右の梵天を書きました。今回は向かって左の帝釈天です。

 帝釈天といえば、映画”寅さん”で有名な、東京・葛飾・柴又の帝釈天が思い起こされます。昔、浪人中に予備校に通ってましたが、そこは帝釈天からそんなに遠いところではなかったし、同じクラスに帝釈天から通っているのもいたのに、それから大学に入ってから4年の間にも、一度も帝釈天に行っていないのです。一度松戸に行く時に京成電車で帝釈天の駅を通り過ぎたくらいかなぁ。そんな帝釈天の思い出です。

 帝釈天て一体どんな仏さんなのか。ネットで調べて見た。これもインドの神様。まぁインド生まれのお釈迦様のことなので、取り巻きにインドの神様がいっぱいいるのは理解できるんだけど、この滝山寺の帝釈天の衣服というと、どう見ても古代中国の武士の甲冑姿なんだよねぇ。まぁ、多くの寺の四天王やら十二神将やら、なんたらかんたら武士の格好しているのはかっちゅを見にまとっている。多分に唐の時代の流れ、つまりは平安の頃は中国は唐だったから、その時代の影響を受けているのは理解はできるのだが、私の感覚から行けば、インドと中国を一緒くたにして、それを日本人向けにしたごった煮の仏さんということになる。
 なぜ、唐の時代の甲冑?なんておことを思ったか?最近、テレビで中国歴史ドラマをよく見る。唐や随などの時代ものをやる、そこで出てくる兵士の格好が日本のほとさんの守護している四天王やら十二神将という格好なのだ。どうでもいいことだけど・・・・

 さて、この滝山寺の帝釈天。右足を見ると歩き出そうとしている?膝を少し曲げている。でも、両足揃ってんだよ。無理しているなぁ。それに、顔は色こそ違うが表情は、聖観音や梵天と同じ無表情。なので、とんでもなく違和感があるんだ。
 東大寺の仁王門のあの迫力のある表情が全くない。なので、この帝釈天は何を表しているのか、疑問。もっとも、この3体、みんな無表情で違和感いっぱいなんです。
 それともう一つ疑問点。この帝釈天も三眼なんですねぇ。三眼の帝釈天を調べて見たけど、この滝山寺くらいしか見つからなかった。インドの神様で帝釈天にあたる”インドラ”にも三眼と記述を見つけることができなかった。これは一体なぜ?なぜ三眼にしなければならなかったのか?これは是非知りたい。

 本当に、運慶や湛慶は、こんな無表情の疑問の多い仏さんを作ったのだろうか?  

Posted by 生田 at 20:38Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月17日

仏さんに惚れ込んで。。。59-3 岡崎・滝山寺 梵天

 岡崎市の滝山寺の重要文化財、運慶作の聖観音に続いて、その脇侍の2体の仏像、向かって右の梵天と左の帝釈天についての感想を書こうとしてます。
 見てから丸い1日経って、あたまの中の記憶が薄れている部分もあるが、画像を見て思い出しながら書いていく。

 実は、帝釈天やら梵天という仏像への興味をほとんど持たない私です。たとえ仏師が運慶であろうと誰であろうと興味は本当にないといっていい。しかし、こうして目の前に凛と立っておられるのなら、じっくり見させていただかないわけにはいかないのだ。(50年も前に、大学の古美研でもこんな気持ちがあれば、今頃はもっともっといい仏像への想いがかけたと思うのだが・・・)
 
 まずは、向かって右の梵天さん。4面4臂という体をしている。私にはこの4面4臂という仏像は、興味がないから余計にだけど、他には全く見たことがない。ネットで調べたら、梵天は、もともと4面4臂だとある。へぇ。。。。。勉強しておかないといかんなぁ。。
 梵天は、元はインドの神様だと聞くが、この滝山寺の梵天山は、そんなイメージは全くないなぁ。ただ、4面ともに三目という異様な顔のはずなんですが、真ん中・眉間のところにあるのは縦長(通常の目を90度回転させたもの)についているのでただの飾りにしか見えないのはなぁ?目が目に見えないんだよな。
 この梵天さんも、聖観音と同様に顔、体が白くて、やっぱり異様です。それに腰をくねらせているから、聖観音以上に艶かしく思える。どうして、こんなに艶かしくしたんだろ?本当に運慶もしくは湛慶がこのイメージで作り上げたんだろうか?
 腰をひねって動きがあるかのような作りだが、顔が静止している。正直このバランスの悪さには気持ち悪さを感じるほど。なんでだろうなぁ。。。

 この梵天さんも、足元が、まぁ下半身がやはり保存状態が良くない。足元は指が欠けているし、蓮台にしても下半身の衣にしても、肩がけの衣の保存状態に比べると彩色も禿げたというのではなく、かなり荒い塗りに思えて、修復をしたのなら修復自体が悪いと思う。聖観音も右の帝釈天も同じようだから、何か原因があるのかと疑うのだ。
 
 私は、自分で仏さんを彫るようにはなったが、手の数が2本を超えるものは彫ることをしていない。いずれ、何かの時に2本を超える手を持つ仏像を彫ることもあるかと思って、梵天さんの右側に回って、肩、腕の付け根をじっくりと見た。正直、これで済むのか?
 運慶といえば、東大寺の金剛力士像では解剖学を学んだかと思うような筋肉の表現をさせているが、この梵天像にはそういった体の内部を表現することはしていないようだ。やっぱり、施主(発注者)からの何かの依頼事項があったのかなぁ?なんて思ったりもする。
 まぁ、もっとも運慶作品をそんなに多くじっくりと見ているわけではない私には、そんなことを論じる資格はないとは思うが。単に、一仏像愛好家としての興味と疑問ということで。
  

Posted by 生田 at 17:01Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月16日

仏さんに惚れ込んで。。。59-2 岡崎・滝山寺 聖観音菩薩

 同じ寺を複数回取り上げるのは初めてのこと。これまでは、結構遠い記憶の中でかていたから、何度も書くことができないこともあったが、今回は一つの寺の中にある複数の仏像について書くので、回数を分けないと、とんでもなく長いものになってしまう。ということで、細切れにして、回数で逃げようということだ。

 
 今回のこの記事は、聖観音についてのみ書いてます。画像は、前回と同じものをトップに持ってきています。


 これは、中央が聖観音、つまり観音菩薩の原型で一番シンプルな姿。観音菩薩といえばいろんな姿に変わるのだが、聖観音は何にも変わっていない如来になるために修行中の姿そのものということだろう。
 ということで、秘湯にすっきりした姿に作られている。しかし、本来この聖観音にも宝冠が載っていたのだが、その宝冠はバラバラになって、展示の小ケースの中に収まっている、だからあたまの髪の結い上げた姿ママという、女性でいうならスッピンでお出ましって感じになるのかもしれないなぁ。

 顔は、いわゆる慶派の顔と思うのだが、何せ彩色されている。その彩色が造像当時そのものとは思えない、造像から800年という年月が過ぎているから、そのまま残っているということはまずないと思うし、ボランティアガイドさんの説明でも江戸期?あたりの修復の際に塗り直していると耳に残っているが、その時に過去の色を再現できたかどうかということが気になるところだ。

 この聖観音は、源頼朝おの死を弔うために作られたもので、体内に頼朝の歯と髪の毛が納められ、像高は頼朝の等身大と聞いた。頼朝を弔うのになぜこのにに妖艶になったのか?そう思うのは、現代に生きる私の美的感覚からくるものなのだろうか?彩色だけではなく、体つきについてもそれなりに脂ののった人のイメージがつきまとう。顔は確かに、慶派の多くにある表情なのだが、それ余地もうんと人間の、ちょっと見る目を変えると女性ニムエないこともない。
 私は、自分で彫るようになって、いくら趣味程度とはいえ、それが模刻とはいえ、それなりに何かをイメージして彫っているから、ついこの聖観音が何をイメージして彫られたのだろうと思うのだ。
 頼朝の菩提を弔うとすれば、髪と歯を残そうとするとすれば、誰が運慶にこの像のイメージを伝えたのだろうか?物資に対して、頼朝の弔いという目的は話しても、イメージは任せたのだろうか?
 自分で彫るからこそ、そう行った点にものすごく興味を持つ。だからこそ、ふっくらとした体型、しろいやちょっとピンクがかった肌の色には、それが運営の造像そのままだとしたら、そこにはそれなりの理由が隠されていると思う。

 そう行った思いを心の中に置いたまま、わたしはもう目を皿にしたと言われたかもしれないが、観音に本当に顔をできる限り近づけて、その像に施された彩色、切金細工などをじっくりと見させてもらった。
 ここで思ったことは、腰から上と下で彩色の技術の程度に差があるように思った。上半身の彩色はかなり均一で衣の切金細工の残りも線がくっきりと残っていると思うのだが、腰から下の彩色は金かなり手抜きというか、粗く感じられたのだ。

  左の画像は、足の部分なのだが、衣の彩色がかなり荒い。それに足の指を見るとかけたりしているところを見るとこの像の取り扱いがそれほどいい保存をしていなかったのではないか?それと、修復に関して、良質の物資を選択していなかったかもしれないなどと思ったりした。

 顔に戻ると、上半身も含めて妖艶に感じるのは、ふくよかでピンクがかった肌ということもあるが、唇に点した紅で、キチビルがなんとなく半開きに見えることもあるかもしれない。
 何れにしても、私には不思議な彩りの仏像である。

 もっtも、私は最初に惚れ込んだ仏像が、真っ黒の中宮寺の半跏思惟像、そのあとはとなるとキンキラキンの阿弥陀如来だったりるするが、他には多くは表面の処理が落ちてしまって素地に近いものを多く見ているから彩色の残るものには違和感を覚えているだけかもしれないのだ。
 まぁ、この歳になって、こんなことを持ってもなぁ、自分自身、何を考えてんだ?と言いたくあまおなる。  

Posted by 生田 at 21:09Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月16日

仏さんに惚れ込んで。。。59 岡崎・滝山寺

 ついさっき、午前中に参拝して、帰ってきたばかりです。

 今日は、大学の公開講座の出張見学で、岡崎市・滝山寺の運慶作の聖観音、梵天、帝釈天を中心に滝山寺の宝物見学と、滝山寺に隣り合わせの東照宮を参拝しました。
 朝、自宅を8時少し前に出発、多分途中ラッシュに引っかかることを覚悟の上で集合の2時間前に出発をした。案の定刈谷、豊田を通過するときはトヨタのラッシュの名残が残っていたけど、思ったよりも渋滞の長さは短かった。それでも目的地まで1時間25分かかった、通常なら1時間かからないはずなんだよなぁ。

 10時に滝山寺の宝物殿も階段下に集合。多くが電車で東岡崎まで、そして東岡崎からは台のタクシーに分乗しての集合。車の逢とも何人か、私もその一人。大学の講座の先生も車でしたが高速でおいでになったとか。
 
わたしが到着してから約40分タイムラグ。この間に、宝物殿の近くをカメラを持っての散策。でも、坂がきつくて、遠くに行けず。


 いきなり宝物殿に、ボランティアガイドさんの解説付きでの拝観。いろいろ説明を聞きながら、私はやはり彫る技術に目が入ってしまって、説明半分暮らしか聞いてなかったかもなぁ。
 
 一番最初に私の目を引いたのが十一面観音菩薩。綺麗な顔をされているなと思った。作は藤原時代とある。確かにそんな雰囲気の作品だが、なるほどその時代のさくならこれだけ黒く埃っぽくても当たり前か?なんて心の中で毒づいたり。その次がその左の十一面観音の小さい方。こっちは作風が違うなぁ、玉眼だから鎌倉以降?、確かにそう書いてある。彫りは丁寧で綺麗です。
  (この辺りは、いずれ書くことにします。)



 そして、その左手奥に大きい仏像、それも綺麗に彩色が残った運慶作の国重要文化財の立派なお立ち姿が3体。遠目には色が綺麗に見える、それも聖観音などは肌がピンクって感じでねぇ、江ノ島の観音さんの真っ白のあの気持ちの悪い色っぽさとあとは違うけど、なんとなく艶かしいものがある。どうも後の世に色を塗り直しているとか(そんな解説があった)、ということは、運慶がつけた色ではない?運慶はこんな色っぽい色をつけたのだろうか?などと腹の中でブツブツいう私だ。何せ20人という人間が一同に、狭い宝物殿の中で固まって解説を聞いているから、声出して毒づくわけにいかないし。
 皆さんは解説をじっと聞いておいでになるが、私はその解説を聞きつつ、聖観音の後ろに行ったり、ウロウロ。皆さん目障りに思われたかも。

 今回は、滝山寺に関しては一度ですませないで、記憶のあるうちに数回に分けて書こうと思ってます。これはその初回ということで、細かい話は後に回しますが、とにかく運慶の作品をこれだけ近くでじっくり見ることができるなんて本当に幸せですよ。この講座を受けてよかったというのは本音です。
 
 宝物殿では他にもたくさん見ました。その後、ものすごい急な坂を息を切らしながらの後って、本堂の薬師如来(忠お前立ち)や寺伝では運慶作といわれている日光・月光菩薩やちょいと面白い十二神将などを拝観、そのあとでお隣の東照宮を参拝した。

 全部見終わるまで約2時間。ボラアンティアさんお疲れ様でした。そして、最後にハプニング、岡崎「葵」武将隊の歓迎を受け全員一緒に記念撮影。コレもまた別に書きましょう。

 ということで、この先何回かに分けて、書くことに。  

Posted by 生田 at 15:11Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月07日

仏さんに惚れ込んで。。。58 向源寺 十一面観音菩薩

 琵琶湖の周りは、十一面観音がものすごくたくさんある。滋賀県ということで国宝と重要文化財の十一面観音を検索すると35の寺などにあるんだそうな。京都府では32体だから、文化財の数の比較から行けば滋賀県に多くあるということになる。ということで、十一面観音巡りなんてツアーもあるってことらしい。

 向源寺は、その中でもぜひ行きたい寺である。行きたいというよりも、ぜひみなければならない十知面観音があるのだ。
 向源寺の十一面観音は、国宝である。室生寺の十一面観音も国宝だが、作りが全く違う。ムロ時は、どちらかといえば動きが少ないかなと思うが顔はものすごく美人である。向源寺はまだ写真でしかみてないのでよくはわからないが、ちょいと動きが艶かしいかも、腰をちょいとひねっている。まぁ観音さんにはよくある腰の使い方だが、なぜか写真では艶めかしく感じるのだ。私がどうかしているか?
 顔は真っ直ぐ前を向いている。体をよじっている割には頭はまっすぎなんだなぁ。最もあれだけの顔(11も)を乗っけていたら、結婚ぢきの文金高島田よりも重いんじゃぁんしksんsんて思ったりもする。(知らないのに何で言えるかって、ツッコミはなし。)
 実は、この姿も見たいのだけど、それよりももっと見たいものがあるのだ。十一面観音の後ろに回ると「暴悪大笑面」(右の写真)をみることができるはず。(できないか?)この顔が見たいのだ。恐ろしい顔だが、これは人間の煩悩なんかをわらっているとか。行ったら笑われるだろうなぁ。煩悩いっぱい持っている私から。
 マワ、笑われたら、笑い飛ばしてくれて、私から煩悩がなくなるとか。ん???それだと、悟りを開いてしまうことになるか?それだと困る。悟りを開けば、浄土に向かうことにもなりかねないからなぁ。

 場所は、滋賀県長浜市の木之本インターに近いなぁ。今年の秋に、紅葉みがてら行ってみるかなぁ。  

Posted by 生田 at 21:07Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月01日

仏さんに惚れ込んで。。。57 浄土寺 阿弥陀三尊

 「仏さんに惚れ込んで・・・」シリーズも57回を迎えた。もっともっとたくさんの寺に行っているから書くことには困らないと思っていたのだが、行きはしたものの仏さんを見ていないから記憶に残って言わないわ、記憶に残っていても取り上げたくないものだったりと、だんだん手詰まりになってきた。
 そこで、シリーズを続けるには条件を「行きたい寺、見たい仏さん」も加えるということにしようと決めたのだ。ということで、今回はその最初に、一番最後に行くべきかと心の中で思う寺、兵庫県小野市の浄土寺の阿弥陀三尊を取り上げることにした。

 仏さんに最初に惚れたというのは、中学校の時の中宮寺で出会った弥勒さん(現在は半跏思惟像と言われている)なのだが、それからなぜだかわからないが長く惚れることもなく、(たぶんに異性に興味を持ちすぎていたからかもな)寺にはよく行くが本堂に崇めることも少なく、だから当然仏さんを見てこないのだな。何しに行った?写真を撮りに行った、仏さんでなくて景色やら建物を。
 それが、ご先祖さんが亡くなって法要のたびに聞かされる念仏に疑問を持って始めた親鸞研究。その生でどうしても行き着く阿弥陀如来の教え。それを知るためにと親鸞の歩いた道を追っかけて見て、その最初に出会ったのが法界寺の阿弥陀如来。ここで本当に惚れてしまったのなぁ。中宮寺の時は、たんにあの端正か姿に惚れたようだが、法界寺では顔を見た瞬間に気持ちがホッとしたことで本当に阿弥陀さんに惚れてしまったわけだ。最もまだその時は阿弥陀さんの一定rことを知っていたわけではない。それから親鸞研究を進めて、浄土三部経やら正信偈やらを読むうちに阿弥陀さんの修行の頃は”法蔵菩薩”と行って48の願掛けをして、成就して阿弥陀如来になったと知った。で、ついでに阿弥陀如来は浄界の西の国”極楽浄土”にいて、全ての人を差別なく”おいでおいで”と言っていると聞いた。
 ということで、阿弥陀さんの像は坐像が多い。ところが、一遍、空也、法然、親鸞と浄土教が普及したら、死に際には阿弥陀さんが迎えに来る、きて欲しいなんてことになって立ち姿の”来迎”の姿が多くなってきた。


 この浄土寺の阿弥陀三尊は、立ち姿だ。お迎え?この浄土にでは金堂(本堂かな?)で東を向いて立っている、なんでも夕焼けの時に見るこの阿弥陀三尊は赤く映え、きんきらしてまるで浄土の中に。。。浄土に行ったこともない人間がそう言っている。
 西を背にし東を向いて、ひょっとしたらお迎えのために出立する姿かな?まぁそれだとしたら、お迎えは拒否して、前に行って「まだこなくて結構です」というべきかもなぁ。でも、最後は行着かねばならない浄土だから、最後の最後にいって、「やっと来る気になりました」って言うべきか?

 先日息子に、「車で連れて行ってくれ」と行ったら、「小野なら電車で行けるから、電車で行ってこい」って言われた。冷たい息子だ。でも、行きたい。しかし最後がいいかな?もうどうしようもなくなって、歩けなくなったら、その頃には孫が免許取るだろうから、孫に連れて行ってもらおうと狙っている。  

Posted by 生田 at 14:21Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰
  
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 トップの写真は、新潟県上越市の居多ヶ浜海岸での2005年5月に撮影したものです。沈みゆく夕日のごとく、をきれいに・・という思いで使っています。  
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