2018年11月30日

仏さんに惚れ込んで 64 東大寺 南大門 金剛力士像


 今回のタイトルでおわかりと思いますが、東大寺です。日本人の多くが一度は行っている(そんなことはないかな)超有名なお寺で、私が初めてここを訪れたのは小学校の修学旅行だからもう63年も前になるんだが、それから何度訪れたことか、回数はもうわからない。

 JRや近鉄の奈良駅から奈良県庁を左に見ながら、奈良公園を通り越して東に行き、国立博物館のちょいと東の交差点で左折して北に向かうと、大きな山門に出会います。これが南大門。



 この南大門の左右にものすごくでっかい彫刻作品がある。国宝の金剛力士像、通称。仁王さんだ。向かって左が阿形、右が吽形。とにかくでかい。阿形:836.3㎝ 吽形842.3㎝ とのこと。



このでかい像を運慶、快慶など慶派の仏師たちが2ヶ月ちょっとで制作したと言われている。もっとも寄木造りなので、形が決まればそれなりに部分部分で作ってくっつけるという作業なので、一木で彫るのとは製作期間が大幅に違うのは確かだが。
 
 東大寺は、平安末期に平重衡の悪行によって焼き討ちされて、多くの建造物や仏像をなくしている。その中にこの南大門、金剛力士もあったのだと思う。それを重源が東大寺復興のために慶派に造像を依頼したということらしい。
 (重源は、今年参拝した兵庫県小野市の浄土寺の阿弥陀三尊も快慶に造像させている、)こちらを参照

 最初に見たときは、とにかくその大きさにびっくりだな。と言ってももう記憶にも残っていないが。大きいのだが、今は風雨にさらされて着色部分はなくて(残っているのかな)木の素地がモロに出てしまっている。おそらくは完成時は着色されていたと思うのだが、何色だったのだろう?多くの仁王像は朱色で赤色されているが、これも朱色だったのだろうか?あの大きさで朱塗りとなると、想像しただけで圧倒されて気持ち悪いな。
 仁王像は、いく寺寺に多く存在する。しかし、私には、この南大門の仁王像、金剛力士像が一番力強いと思っている。

 今年、趣味の木彫で”じっと見る手”というのを彫ったが、頭の中には、この仁王像の、特に阿形のあの力強く手開いたを描いたりしていた。いずれこんな手も掘ってみたいと思っているが、そのまま掘れば模刻になるので、それはダメ。何とかオリジナルを彫りたいものだ。


私の今年の作品です
比べ物にならないなぁって
精進しなければ
  

Posted by 生田 at 22:33Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2018年11月28日

仏さんに惚れ込んで 63 広隆寺 阿弥陀如来坐像

 広隆寺となると一般的には”国宝第1号指定”の”弥勒菩薩”ということになるのだが、この”弥勒菩薩”に関してはすでにこちらに書いている、
 そちらにも書いたことだが、実は私は広隆寺の”弥勒菩薩”にはなんだか引かれないのだ、”なぜ国宝指定になったのか?”とさえ思うくらいなのだ。多分4度(これを書いている時に記憶を辿ってみたら前の”弥勒菩薩”を書いた時の記憶が間違いだと気づいた)広隆寺には行っているともうのだが、どうにも興味がない。多分に今は”如意輪観音”と言われている、奈良・中宮寺の私が若い頃”弥勒菩薩”と言われていたあの黒い美人が私がこの世で一番最初に惚れ込んだ仏像だから、その反動で中宮寺に行った数年後に広隆寺に行っているから、中宮寺の印象がかなり強いんだろうと思う。
 その”弥勒菩薩”を一番最近見たのはもう25年くらい前になるかもしれない。京都に遊びに行って、映画村なんぞを見て、その後で立ち寄ったと記憶している。
 当時は霊宝館に弥勒菩薩は安置されていたのだが、その霊宝館にはたくさんのぶつぞうがおさまっていた。参拝者の殆どが”弥勒菩薩”の前に立ち止まる。他の仏像には殆どと言っていいくらいに興味を示さない。そんなに”国宝”という文字に拘らねばならんのだろうかと思うのだが。

 今回書こうとしている”阿弥陀如来坐像”は、記憶では未読菩薩を見ている位置の背中の方向にあったと思う。最後に参拝した時に、弥勒菩薩を見て振り返った時に”おぉこちらの仏像のほうが良くできている”なんて声を出してしまったと記憶しているのだ。
 このときは、まだ法界寺の阿弥陀如来に出会っていない。それにまだまだ阿弥陀如来を見て回ろうなんて思ってもいないときだった。それが素晴らしいと思ったものなのだが。

 この阿弥陀如来は、法界寺や平等院の阿弥陀如来よりも少し小さいんですが、置かれている場所や状態が違うので、そんなに大きいという印象が持っていなかった。でも私自作の仏像データベースで大きさ比較するとそんなに違わないんだって。。。
 法界寺や平等院の場合は方丈の中に収まって単独なのだが、こちらはたくさんの仏さんの中にいるし、建屋が大きいから小さく思ったのかもしれない。

 しかし、今ネットで確認位をたのだが、”阿弥陀如来”は本堂にでんと置かれているという。では私が見たと記憶している阿弥陀如来は一体阿だったんだ?
 ということで、今回のこの記事は、間違いということになるんだろうなぁ。20数年、いや下手すると30年という時の流れで、私の記憶が間違っているのだろうと思う。年は取りたくあないものだ。

 どなたか、霊宝殿で”弥勒菩薩”脳知りにある大きな坐像をご存知の方。ご教授いただけないでしょうか?もしできればその画像がわかれば幸いです。
  

Posted by 生田 at 23:21Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2018年06月16日

阿弥陀さんに会いに行くドライブ旅行 26 三室戸寺

今回も長丁場です。
三室戸寺の境内の散策、参拝を一気に書きました。

 三室戸寺に到着したのが3時半を回っていた。あと1時間で閉門となる。まぁ拝観時間ギリギリの参拝ってとこです。


 車を止めた駐車場から三室戸寺の入り口方向を見ています。車でなければ、駐車所の入り口の右手にある参道から入りますが、この際時間がないので駐車場から入ることにしました。
 入り口を入ると関所(金を払うところ)があるんですが、気のいいお嬢さん(?)がお出でになりました。と、ここで朱印帳を持って来るのを忘れたことに気づいたのです。私の体はもう運転の疲れでクタクタ、家内が取りに行くと言ったのですが、入れ場所の説明が面倒なので自分で取りに行くと、一杯一杯の体を鞭打って走りました。戻った時はもうゼイゼイ言ってます。杖を持って出て正解でしたが。。。
 このおかげでこの先写真を撮るなんて余裕はありませんでした。とにかく急いで登らねば。。。


この画像は、帰りに撮ったものです

 山門を通り抜け、疲れている体にはきつい坂を登って行きました。そして、遠くに階段が見えます。それのかなりきつい。この際こんな階段登るのは幾ら何でもきつい。まだまだゼイゼイ言ってるんです。
 ということで、左にある女坂(だと思う)坂を、これも急ですが会談よりはマシと喘ぎながら登って行きます。


 なんとか頑張って坂を登りきり、本堂の見えることで三室戸寺に入って最初にショットが上の画像です。いやはやなんともツマンナイショットです。
 関所からこのショットのところまでの記憶は、ゼイゼイ言っていたこと以外ほとんど覚えてません。

本堂の前に来ました。本堂を見上げる前に、この寺なお名物が気になって。。。。
 ウンチングスタイルの狛兎です。このウサギの前に丸い玉がありますが、その玉の中にも玉があってその玉を持ったときの重さの感覚で。.。って伏見稲荷のおもかる石のパクリかいなぁなんて腹の中で毒づいてましたが、違いました。中の玉を持って中で立たせてみろってことです。心の中の毒づきを読まれたのか、立たなかったですねぇ。。。。願いごと叶わずのようです。


 本堂に目がいきました。うわぁ。。。中を見るなんてできないねぇ。多分仏像なんかは宝物殿かな?宝物殿はこの時間は見ることできないんです。できれば阿弥陀さんに会いたかったけど。。。まぁ、いずれお迎えに来てもらえて、その時会えるから我慢です。

本堂の右手だったかな?牛ヶ首持ち上げて寝てます。宝勝牛っていうんだそうですが、私の頭の中には、”ここは天神さんか?”が。。。なんでもこの牛の口の中にも石の玉があるんだって。やってこなかったよ。

おみくじもあったけど、やる気なし。。。。最近おみくじ引いたことない。今更運勢がどうのって言われてもねぇ。末期ガン宣告されて、最悪の生活やってるもんね。

本堂の右手だったかな?賓頭盧尊者がおいでになりました。何も食べさせてもらっていないのか、まるで骸骨です。他で見た賓頭盧さんは、大体があみなさんが触るので、顔なんて訳のわからんものになっているのが多いんですが、ここはこの顔のせいですか?触ってもらえないのか、骸骨に見えますね。(ごめんなさい)

 そんなことよりも、賓頭盧さんの右手に小さい仏さんが倒れている。哀れですね。真っ直ぐにしておきました。
 それにしてもなんですか?この仏像は。手に薬壺を持っている。それでいて如来さんではないですね、姿は菩薩さんか天か?何れにしてもなんだかなぁ。多分に観音菩薩が薬壺を持って立っていると思ったのですが。
 しかし、この仏像が賓頭盧さんと並んでいる画像をsがしたのですが、たった1枚だけ、この2月くらいにアップされたRAKUTENのブログだけでした。どなたが置かれたのでしょうねぇ。。


 この画像は”竜頭”だそうで何でも鐘についていたものだとか。右手にいわれが描かれますが、本体の鐘は処分されたけど、この竜頭浜踊って来たので"カネが帰る”ってことのようです。そんな縁起を担いでもなぁ。。。鐘がどれだけあってもいいけど、今更戻ってくるという夢は持ってもなぁ。。。。だいたい使う金がないもんな。


 本堂の前庭には水連の肺がたくさん並んでました。でも、残念ながら全く咲いてませんでした。その数日後、友人宅では睡蓮が完全に開いてたとブログで。この寺はあかねを払わないと、花を見ることができないのだろうか?この寺は花の寺として有名だから。


 境内のスピーカーが「主因の時間は残り少ない」ってガンガン流してます。朱印帳を持って窓口に。
 ここで優しい顔の男性をお会いしました。主因をドライアーで乾かしておいででした。その朱印帳は、何と巻物のだったのです。初めてですね、こうした朱印帳は、最近流行してるんだってことでしたが。。。埋まったら床の間にでも飾るといいのかも穴。。。。

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 宝物殿を見ることができないので、もうこれで三室戸寺は終わりです。帰る方向です。階段の方に歩いていきます。
 階段に向かって左側に、何だ?宇賀神さんがいるではないか。蛇の上の人間の頭の乗った、いや頭が人間の蛇です。(同じ意味だけど、ニュアンスが違うなぁ)
 宇賀神は、円空さんがあちこちで掘っているけど、これがモデルということはないと思うよ。この像は結構新しく思ったから。

 このあと階段を降りました。かなり急で、苦手な私ですが、登りよりも降りるほうが楽と、怖さを押し込んで、手すりにしがみ付きながら下りまし。

階段の後は、ゼイゼイ言いながら上がって来た坂を下ります。その途中には右手の坂側にちょっとだけ花が咲いてました。
 この花は何?もう咲き終えてしまう寸前のようです。


 上の花のちょっと下から右手にちょいちょいみかけた花です。紫陽花のようですが、この手の紫陽花は初めてかなぁ。。。6月になれば、この寺はアジサイ寺として定有名なので、紫陽花を見に来る人がいっぱい来るんだろうと。。。ただし有料ですヨォ。。。


 さらに下ります。左手に花園でしょう、げ^とから先は入れない広い場所があります、そしてすい先頃まで有料で見られたツツジをの残を見ることができました。多分6月はここが紫陽花園になるのかも。。。


 これが三室戸寺最後のショットです。坂を下りきり、関所の前を通り抜けると、そこには参道を閉じるテルの門扉が待ち構えていました。参道へっ出ることはできません。入ることはもちろんです。もう閉門の時間を過ぎていることがわかります。
 三室戸寺から外に出るには、この門扉の右側にある、鉄の回転扉を押して駐車場に出ます。アントも味気ない感じがしたものです。

 さて、これでこれも念願だった三室戸寺への参拝は終了です。ただ、幾ら何でもと思う宝物殿のベット有料でありながらは朝の一時だけなので宝物を見ることができなかったことが悔やまれます。

 さて、この先どうする? 天気予報は、明日は全国的に雨、それもちょっとした量になるようなことを言っていたと。この京都近辺での宿泊先も取っていないし、行くとすれば奈良かなぁ?とは思えども、雨の中での散策はイマイチ気が乗らない。ということで『お家に帰ろう」ということになりました。  

Posted by 生田 at 13:36Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2018年05月25日

浄土寺に行って思い出したこと

 先日車飛ばして兵庫県小野市の極楽山浄土寺に行ってきた。
 この話は

で、阿弥陀三尊の印象を書いている。また、その旅行記を目下書きつつあるところ。

 この浄土寺の阿弥陀三尊は、須弥壇の上で雲に乗って、阿弥陀如来は施無畏印、来迎印と来迎そのものの表現をしている。平安末期から鎌倉時代にかけての末法思想の中での快慶の作なので、よくあるスタイルではある。
 この”来迎”という形を見ていて、つい先だってテレビで見たアニメ”かぐや姫物語”の最後のシーンを思い出したのだ。
 かぐや姫って、子供の頃の童話やら竹取物語のあらすじで”天(月)に帰っていく”とおしえられ、聞いていて、それを信じていたんだけど。このアニメでは最後は阿弥陀如来が観音・勢至の2菩薩の他に楽隊まで引き連れて賑やかにお迎えに来ている。これは末法思想全盛のときに描かられた来迎図をそのままアニメにしたってところなんだよなぁ。
 まぁ月=浄土なんですねぇ。。。。
 
 竹取物語には、その来迎が書かれているのか?ネットで色々探したが竹取物語の原文には来迎とは書かれていないように思う。となれば、来迎は”かぐや姫物語”の監督・高畑勲の考案創作ということなのだろうか?竹取物語自体の成立は”平安初期”と言われているけど、その次代ならばまだ末法思想は全盛ではないので、”来迎”は書かないだろうなぁと思うんだが。

 あにめでは、かぐや姫をもとも月の住人とし、月=浄土(極楽)と考えているようだ。私の知る限りでは、浄土は"西方”にあるもので天・月にあるものではない。まぁ作り物なのでどうでもいいことだけど、このアニメの対象年齢がどのくらいのところを狙っているのか?まぁその対象を絞らないにしても、月=浄土というマワ浄土教のおしえと違うことが見た人たちの中にあ残ってしまわないかぁ? 杞憂であることを祈って。

アニメの来迎シーンを載せたかったけど、多分に著作権に抵触すると思い諦めた
  

Posted by 生田 at 18:36Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2018年05月24日

仏さんに惚れ込んで 特別編・浄土寺阿弥陀三尊 2


 前回は、浄土寺阿弥陀三尊の中尊・阿弥陀如来を拝観しての思い、印象を書いた。実際の思いはそんな短く表現できるものではない。子供のころから”南無阿弥陀仏”の中で育った身として、いくら途中30年以上もその世界から離れていたとはいえ、心の中の思いは消えることはなかったのだろう。まぁ生身の人間の例えで言えば「焼けぼっくいに火がついた」といったところかもしれない。
 そんな大好きな阿弥陀如来のでっかい立ち姿を見て感激していても、やはり両脇の菩薩さんもものすごく気になるんだなぁ。今まさに(どこかの国の総理がよく使う言葉)私は十一面観音を彫りつつあるから、余計に観音様の立ち姿はしっかりと目に焼き付けておきたい気持ちがある。
 写真でも撮らせてもらえるなら、目に焼き付けたいと思っているところをアップで撮っておきたいのだが、この寺は”浄土堂”堂内は撮影禁止なのだ。なので目に焼き付けるしか術はない。
 私が拝観終えて出るのと入れ違いに数人のグループが入堂されたんですが、多分にどこかの大学の研究室のメンバーかと思われるんだけど、その中のリーダー格の人が、受付で「阿弥陀三尊以外の撮影もだめか?」と聞いていたが、「堂内撮影禁止」とあれば当然許可されないだろう。まぁ聞くのはダメ元だったのだろうが。。。。。

 三尊に向かって左が右脇侍の観音菩薩で、右が左脇侍の勢至菩薩。この右左未だに混乱する、というもの寺によって違うことがあるから。でもこの浄土寺は正当な並びということのようだ。
 
 どちらもなんて表現したらいいのかな?仏さんの部類のものを表現するのにちょいと抵抗を感じるときもあるけど、まぁここはお許しを頂いて。
 両菩薩さんも正直色っぽい印象だ。だいたい観音さんは真っすぐ立っているというよりも、こちを少しひねっている。踊るところまではいっていないが、なんともまぁ色っぽい。この腰のひねりの最たる仏像が秋篠寺の伎芸天なのだが、それとも印象は違う、どこがと問われると困るが。。。。
 
 この2躯はモデルが女性ではないかと思う。手の指など女性の柔らかく、指先など中尊の丸い太いのとはとは違って先細りのしなやかな表現となっている。
 
上記の印象は、あくまでも記憶の中でのもので、でっかい写真を見ると阿弥陀如来も結構指先が細いなぁ。坐像の阿弥陀如来など、上げた右手の先が太いという印象の先入観でこんな間違った印象をもたせたのかな??

 実は、ここまで近くで大きな仏像の手先の表現をまともに、じっくりと見たことがなかったので、新しいもの、素晴らしいものを見たということ感激したのだ。

 向かって左の観音菩薩、よく単体の観音菩薩があるが、あれは観音信仰でのもので、本来は阿弥陀如来についているものだが、単体の観音さんは阿弥陀さんの化身として代役を詰めていると聞いている。しかし、ここはメインの阿弥陀如来がいるわけで、あくまでもお付き=脇侍なのだ。
 向かって右の勢至菩薩は、どちらかというと単体で経つことはあまり見ていない。殆どが阿弥陀三尊の中に見ている。この勢至菩薩は浄土宗や浄土真宗を知識の中では”法然上人は勢至菩薩の生まれ変わり”などと言きいてきている。まぁ知恵の菩薩さんなのだろうと。。。

 この2躯を横から眺めて思ったこと。実はちょっと、密やかに笑ったのだが、おへその周りがとんでもなく膨らんでいるのだ、メタボ検診で腹囲を測定する場所がものすごく大きい。中尊=阿弥陀さんのお腹ポッコリなんてものではなくて、かなり出ている。ひょっとしたらモデルの女性がそれなりに出ていたのかなぁなんて思ったものだ。我が身の行く末のお腹を見た感じでもある。

 横に回っての印象は、2躯ともに腕の付け根から肘までが結構太いということ。今自分で彫っている仏像=十一面観音もそうするかって思ったのだが、やはりモデルがそういう体型をされてたのかなって思ったものだ。

 顔の表情は、半分笑みを浮かべたような印象だった。美人の女性が軽く微笑んでいるのを思い浮かべたらいいのかも。時代が違うし、作者も違うので伎芸天と比較するのは無理だが、この観音2躯は一種独特の表情に思えた。快慶の渾身の作と聞いているが。。。

 いずれにしても、素晴らしい仏様たちだと思う。本当に来てよかったと思ったものだ。浄土堂を出るときに、受付においでになった女性に「素晴らしいものを見せていただきました」といったものだ。
 こういう素晴らしいものを見たときは、自然と合掌する。


 あぁ、書き忘れていたことが。目のことだが、この時代(鎌倉期)には結構玉眼が使われているが、この浄土寺の作には玉眼は使われていなかった。
 私個人の好みとしては玉眼はいまいち好きになれないんだなぁ。まぁ多分にリアルすぎるからかもしれないし、なんだかじっと見られているようで。。。ということで玉眼でなく良かったと思っている。  

Posted by 生田 at 12:11Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2018年05月23日

仏さんに惚れ込んで 特別編・浄土寺阿弥陀三尊 1

 18年5月22日
 前日は、かねてより念願の有馬温泉に宿泊。なぜか精進料理が夕食と相成った。別にそれを望んだわけでもないのだが、たまたま採れたホテル(旅館)の夕食が精進料をセットしていた。結構美味しかった。

 朝食をとって、30分ほどしてホテルをチェックアウト、中国自動車道に入って”ひょうご東条”で降りて田舎道(ごめんなさい、途中ものすごく細かったから)を延々と走って浄土寺に到着。
 
 参拝者用の駐車場には神戸ナンバーの車が2台だけ、他府県ナンバーはいない。私が最初の参拝者かな?まだ10時半だからなぁ。。。。

 


 上の画像は、止めた車を背に浄土寺を見ている。屋根はこれまでの知識から”浄土堂”と判断した。右手にある案内図を見て、右側の入り口から入ることにして歩いていく。
 掲載に入って見たものの、若い女の子が2人木陰で話しをしているだけで、他には誰もいない。やっぱり私らが最初の参拝者のようだ。
 浄土堂に入る前に、境内を一巡。これは別途旅行記で書くことにして、本題の阿弥陀三尊を見に行く。

 境内を一巡している間に、他の参拝客(後でわかったけど、世田谷なナンバーのご夫婦)が先に入られてました。拝観料と依頼した朱印の代金を払って、リーフレットをもらって阿弥陀如来の前にいく。

 まずは、合唱をした。そして見上げる。うわぁ〜〜〜〜でっかいです。背の高さ5メートルを超えているんだ。しかも須弥壇の上にあり、さらに雲にのっているのでとにかく顔はかなりな角度で見上げねな貼らない。頚椎に問題がある私は、要注意の仏さんだ。こんなでっかい阿弥陀さんの立ち姿は初めてだ。快慶の作とあるが、あの東大寺南大門の金剛力士に制作に関わったと言われているけど、あの力強さというものはこの阿弥陀三尊には見られない。かなり印象が違う作風と思う。
 
 まずは、阿弥陀如来の目を見た。堂内で如来を真正面に見て一番離れた壁・扉に一番近いところ(阿弥陀から一番遠いところ)絡みても、目がかなり釣り上がっている。多分に阿弥陀に一番近い眼下でみあげることをいしきしているのかと思うほどだ。
 実際に一番近くまで移動して見上げてみたら、そこで初めて柔らかい目になった。おそらく高い位置から、正面から見たら、かなり釣り上がって見るんではないかと思う。仏像は眼下で見るのが一番いいのかもなぁ。。
 
 躯体は、がっしりとした体だ。現代で言えばメタボ予備軍で、華奢な印象はまったくない。しかし、前にも書いたように力強さの印象はない。あくまでも柔和なお迎えの形を表しているのだと思う。”来迎”は両手の印がそれを示している。
 右手は腕を下げて”施無畏印”、右手は手を胸場であげ、人差し指を伸ばし、親指と中指を合わせた”来迎印(詳細はちょっと違う)”をもっている。
 つまりは、この阿弥陀如来は使者を浄土に迎えるために雲に乗って降りてきたところを表しているわけで、このお迎えの誘いに乗ってついていくともうこの世には帰れなくなるわけだ。柔和な表情だけに、ついていきたくなると思う。
 余計な話を書いてしまった。この如来の手の指は太く真っ直ぐな太さのもの、まぁごく普通の仏さんの手の感じはそのままに表現されていると思う。

 この阿弥陀如来を横から見ると、ちょっとメタボかなぁ。。。だいたいぶつぞうはおなかぽっこりにつくられている。なんででしょうね、私の体型みたいですよ。いずれ仏さんになる見だけど、阿弥陀佛のように悟りが開けるかどうかわからない、でも見た目だけは合わせておくのもいかって、医者に嫌味の表現だな。

 この時代の仏像はリアルな作りが多いが足を見たら本当にリアルで、足の指なんかも爪まできちんと彫られている。足の甲は結構高く靴を作ると大変かもな。まぁ裸足でおいでなのでその心配はない。

 見たときの印象を書くと止めどもなく書くことになる。論文でも書くのならそれも致し方ないけど、ここは私の行きた明石のためのブログ、長くは書かない。とにかく、素晴らしい阿弥陀如来立像です。写真で見ていた印象よりも生の人間に近く、恐れを感じさせない作りだと思った。
 来迎だから当然といえば当然だが、それにしてもさすがの快慶の作と敬服した。

 さて、次回は両脇の脇侍、観音菩薩と勢至菩薩を書くことにする。  

Posted by 生田 at 13:28Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年04月04日

仏さんに惚れ込んで。。。62 岩船寺 阿弥陀如来坐像

 岩船寺は、近くの浄瑠璃寺の陰に隠れてしまっているという印象かも知れない。浄瑠璃寺は、国宝も多く何かにつけテレビ報道もよくある寺だが、近くにあるが交通の便がイマイチなところにあるからか、あまり取りざたされることがない。しかし、寺の境内は浄瑠璃寺に比べると高低差もあり変化に富み、いい寺なのだが。。。

 岩船寺は、2度訪れている。ほうんとうは4回なのだが、1度は車が大きすぎていけなかったし、一度は雨でいくのを諦めたという、まぁ山の中。ただ、今は、その頃と違って申し越し行きやすくなったかな?ということで数年前に50年ぶりにいってきた。
 実は、大学の古美術研修旅行で行っているのだが、あの狭い道をどうやって行ったのかと今更ながら不思議で。その時の印象は、なぜか天井が船底という記憶になっている。現実には違うようなのだが、なぜ船底天井という記憶になったのか?あの時は1週間で奈良県と京都府のものすごくたくさんの寺をバスで回った。なので、阿弥陀如来のある寺の中で記憶が入り組んでしまったらしい。船底天井で有名な寺といえば三千院だが、あそこも阿弥陀さんだから私の気おきの中で一緒になってしまったと思われる。

 岩船寺には、国宝はない(と思う)。阿弥陀如来も普賢菩薩も重要文化財どまりである。
 その阿弥陀如来は、左の画像。一応冗長様式なのかな?平安後期の策だと思うが、平等院の阿弥陀如来に似てるかなと思うが、後背がねぇ。なんか貧相なんだよなぁ。だからなのかな?実は私の頭の中にはっきりとした記憶がない、天井を間違えるくらいだから、あ阿弥陀如来そのものも記憶が違っている可能性が大きい、
 浄土教全盛期の寺だけど、やはり浄瑠璃寺の9体の阿弥陀さんには勝てなかったのかな?

 岩船寺は、寺のなだけがなぜか頭の中でしっかりと残っている。何かショックなことがあったのか?それも忘れてしまった。忘却・・・・・ 君の名」はではないが・・・  

Posted by 生田 at 17:24Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月31日

仏さんに惚れ込んで。。。61 三井寺(園城寺)十一面観音

 滋賀県大津市の三井寺(園城寺)は一度だけ訪れている。という記憶なのだが、ひょっとして大学の時に行ったか?それはない。大学の古美研では奈良県と京都府だけだったはずだから、近いとはいえ東山、逢坂山を越えて琵琶湖の方に来ることはなかったはず。
 ただ、東海道を行き来することも多く、時には比叡山への入り口・田の谷峠を超えることもあるから、浜大津あたりを通ると、三井寺に行ってないなぁなんて思ったりもしていた。

 数年前、思うとの還暦祝いに京都の紅葉を見に行こうとドライブ旅行をした。その時に初めて三井寺に参拝した。この時の話はこちらに書いてあります。
 その時の記憶を今辿っているのだけど、なぜか仏像の記憶がないのだ。あの頃はもう木彫りを始めて何年か経っているから当然のごとくに仏像に興味を持つはず。いや、木彫りをしていなくても、もともと仏像に対しての興味を持っているわたしだから記憶に留めないといけないのだが。とうとうボケてきてしまったのか?新しい記憶がの残っていないということか?でもなぁ、紅葉の記憶もあるし、そのあと行った比叡山やら詩仙堂の記憶もしっかり残っているのになぁ。

 まぁ、残っていないというのはしょうがないので、三井寺の仏像群の写真を見ながらこれを書いている。だいたい、三井寺はなんで三井寺というかなんてことが話題に上るほど本当の斜めが忘れられるくらいになっている。なんでも3人の天皇さんの産湯に使った水の井戸が揺らいだとか・・・まぁ、それはべつにしても、歴史上によく出てきた名前だ、だからな名前は知っていたのだが。ただ、仏像となると、有名なものは?イマイチ思い出せるものがないのだが、なんとか思い出せるのは鬼子母神くらいかな?
 
 で、もっか自作の文化財データベースで「三井寺」を検索。出てきた画像を見て「ん???」
 なんか、ずんぐりむっくりした仏像の多いこと。写真の撮り方ではなく、元々がずんぐりむっくりしている、ひょっとしてこれらの造像時期の流行か?なんて思ったりもするが・・・

 左がタイトルにした十一面観音だが、像高80センチあるからそれなりの大きさだけど、日本人がモデルだろうなぁ、と行っても造像の頃の日本人は知らないが、胴長単属の見本みたいだ。頭に載っけている化仏を除いても胴長短足なのに、その上に化仏の部分がかなり大きいからもう何をか言わんのずんぐりむっくりになってしまっている。
 右は千手観音で、像高180センチとかなりでかいのだが、これも写真を見る限りブングリムックリだよなぁ。
 なんでこんなにずんぐりむっくり?物資がわからないのだが、千手観音も十一面観音も平安時代の作とある。この時代のたくさんの仏像見ているけど、文化財の中でここまでズングルムックリも少ないともうけど。。。。


 この三井寺には、いわゆる仏さんを彫ったもの以外に僧形の彫り物がたくさん文化財に指定されている。正直、僧形の彫り物は苦手なわたしで、できれば見たくない。理由はわからない。
 その中で、ただ一つ見ておきたいと思う像がある、正式には「訶梨帝母倚像」という名前の像で、子供を抱いている母親像だが、これは通称「鬼子母神」と言われている鬼女が仏の差として改心して子供を守る神になったとか。
 確かにこの像は、優しい母親が子供を大事に抱いている姿だ。表情も母親の慈愛に満ちたものを感じる。母親はもんなこんな感じかなぁ。。。厳しかった母親が思い出される。

 もう一度見たいと、この三井寺の仏像の中で思うなら、この「訶梨帝母」は是非見ておきたいと思う像であることは確かだ。
  

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2017年03月29日

仏さんに惚れ込んで。。。60 法隆寺 九面観音

 法隆寺は、なんども行っている、なのにこの九面観音は一切記憶がない。その理由はわからない。今は大宝蔵院にあるそうだが、宝物殿に並んだことはなかったのだろうか?
 もっとも、彫刻を始め、仏さんを掘るということのなかった頃は興味を示していなかったのかもしれないが。今写真を見ると、一度は見ておきたかった仏像と思う。
 像高は25センチくらいだから、私が彫っている円空さんとよりも小さいけど、ものすごく緻密に彫られている。当たり前といえば当たり前だけど、こんな緻密な彫り物をできたら間近で見たかったものだ。



 多面の観音菩薩というと11面が当たり前のような感じだけど、この9面観音は11ではなく9面なのだ。正面のひたいの上に1面、その左右に3面ずつ、そして後ろの1面(多分大笑顔かなぁ)、そして頭の頂上に大きい阿弥陀さんとこれで合計9面の化仏を乗せている。日本では見受けない形の多面観音です。この像の生まれは中国だそうです、それでも日本の国宝なんですよ。
 
  彫りの深い顔ですねぇ。それでいてちょっとふっくらとして、笑みを浮かべている感じだなぁ。本当に一度見ておかねばと思うばかりだ。ネットで拝観の可能性を探したら、春と秋に特別拝観があるようだ。今年の秋あたりに行って見るかなぁ?  

Posted by 生田 at 15:58Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月29日

岡崎・滝山寺 三門と金剛力士

 滝山寺の拝観を終えて、帰ることに。帰り道にある仁王門に立ち寄る。本当は、来る時に目に入らねばならないのだけど、何せ運転中は目を反らせないというか。。。気づかなかった。ということで帰りに寄ることにしたのだ。

 三門は、本堂とはちょっと離れている。と言っても昔は大きな境内で離れているなんておことを思わせなかったようだが、今は三門から本堂に行くまでの間に民家が建ってしまって同じ敷地内のものとは思えない雰囲気だから、離れてか難じるわけだけど。歩くと10分くらい?そこまではないか?

 三門の前にちょっとした駐車スペースがあるのでそこに車を止めた。そして正面に回る。


 立派な三門だ。本来は、この門をくぐって寺の境内に入るのらしいが、今は周囲を柵に囲まれて通ることはできない。

 立派な三門だ。本来は、この門をくぐって寺の境内に入るのらしいが、今は周囲を柵に囲まれて通ることはできない。上の写真の説明文によれば、国の重要文化財に指定されているとのこと。結構なことで、納得できます。

 さて、超奥を志している私にして見ると興味は、仁王(金剛力士像)だが、柵に囲まれて離れている上に金網で囲まれているから見えやしない。無粋なことだけど、文化財保護の観点からしょうがないのかなぁ。
 

 この仁王像は岡座敷氏の文化財指定を受けている。左が阿形、右が吽業は当たり前だが、いろが・・・・この講座の先生に質問したことがある。「東大寺の南大門の仁王は彩色だったか?」と、回答は「この時代は彩色が一般的」と。ではどんな彩色だったのか?東大寺で廃炉は見えないが、この滝山寺のものは赤く塗られている。怒って体が赤くなっている?どうかなぁ。
 そういえば、あちこちの仁王像って、みんな赤いよなぁ。それでいいのかなぁ?
 
 なんとも割り切れない彩色であるが・・・・

 この像が誰の造像?作者はわかってないのだろうか?まさか運慶や湛慶ではないだろうなぁ。そんな思いを残して帰路に着いた。

 この後が大変だった。帰る途中、刈谷のオアシスファームに立ち寄ろうとしたら、ナビがとんでもない案内をしてくれて、道をあちこち、くねくね。結構遠回りした。久々のちょっとだけ長い一人旅でした。  

Posted by 生田 at 09:44Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月27日

滝山寺で 葵 武将隊と遭遇

お寺と信仰には関係ないけど
滝山寺が徳川家康ゆかりの寺ということで
しかも東照宮があるということで
どなたかがお呼びになられたのか・・・

滝山寺本堂と瀧山東照宮の参拝・見学を終え
帰る方向にとなったところで
なんやら派手な衣装の一団が




ん?????
名前を「葵武将隊」というのだそうです。
つまりは
岡崎市の観光イベントで活躍している一隊です。

この中に 徳川家康 役がいますが
誰だかわかりますかぁ?

体型から行くと
中央のちょっと太めの人と思ったんですが
違うんですって
向かって右のちょっと細め
(隣の関係でそう見えるだけ?)
この人が 家康 だそうです。
わたしが
ちょと太めの人が家康に見える
というと、その人から返事が
「この家康は、家康の若い頃の姿」だって
ははぁ そういう答えもあるかぁ

昔の記憶が蘇った

ある見世物小屋で
ナポレオンの骸骨を見せていた
観客が「ナポレオンって頭大きかったというぞ」と
見世物小屋の親父が
「この骸骨はナポレオンの子供の時のだ」と

まぁそこまでの話ではないが・・・

この後で
私たち見学者と武将隊と一緒に
記念撮影

姫が入っていないって文句言ったら
「姫はお披露目前なので申し訳ない」と
姫は、岡崎城の桜のイベントの時にお披露目だそうです
見たい方は
楽しみにして、岡崎城に行ってください
  

Posted by 生田 at 13:03Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月26日

岡崎・滝山寺 瀧山東照宮

 滝山寺の隣に、隣といってもすぐ横で同じ敷地内といってもいいと思うけど、管理団体が違うということで同じではないという「瀧山東照宮」がある。ということは、愛知県に2つの東照宮があるのだなぁ。もう一つは豊田市の東の方の松平にある「松平東照宮」がそれだ。
 松平東照宮は、桜や紅葉の時期に行くとそれなりの景色を楽しむことができるが、最初に行った時は東照宮に行く目的ではんかったけど、偶然に東照宮の前に来たのだった。東照宮というからには、其れなりにケバケバしいものかと思いきや、松平東照宮は、ごく普通の神社という趣だ。(工事中だったこともあってしっかりみなかったな)



 それに引き換え、この「瀧山東照宮」は、「日光東照宮」に比べれば規模もものすごく小さいし、装飾もかなり控えめなのだが、まぁある程度の派手さは持っている。写真は拝殿の奥の階段のところから撮ったもので、ちょいと奥行きが足りなくて全体が撮れなかった。コンパアクトデジカメの方が良かったかもなぁ。
 最初は、拝殿に上がりラジカセの説明を聞いたりしたんですが、私はどうにも興味が惹かれず、拝殿内の写真を撮ったりしてました。(もちろん撮影禁止でないことは確かめて)

 写真のように、内部には百人一首ではないと思うわかの額があったりしてましたが、これはどの時代のものだろうなどと疑問に思ったりして。。。。

 外に出て勝手に写真を撮っていた。左が拝殿の全体ですが、梁などには結構派手な彩りがなされてます(日光には遠く及びません)。まぁ、隣の滝山寺が煤けていることに比べればとにかく派手でしょう。

その彩は裏手で、破風に施された装飾は流石東照宮と思う感じですね。少年側よりも裏手の方が派手だったという、奥ゆかしいオシャレ感覚なんてこと言うと皮肉に聞こえるかも。何れにしても、それなりに金をかけたんでしょうが、何せ将軍家の管理ではない岡崎(徳川重鎮の本田山の領地)なので、それにいくら家康の生地とはいえ徳川家を差し置いて派手にはできないだろうなぁ。

 拝殿の左右には、たくさんの灯篭が並んでいるが、これは4月17日が家康の命日なので、それに合わせて色々かところから奉納されているということです。みんな4月17日が彫り込まれていた。

 それにしても、愛知県に2つの東照宮があるとはねぇ。。。。
  

Posted by 生田 at 13:06Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月25日

岡崎・滝山寺 薬師如来の脇侍と十二神将

 本当は昨日書こうと思っていたのだけど、メールのトラブルと外出で書くことできなかった。記憶がどんどん遠くなるので、早く書かねば。。。。。

 先回は、本堂の薬師如来のことを書いた。薬師如来には大体が脇侍として日光菩薩と月光菩薩、そして周りには十二神将が付いている。この滝山寺の薬師さんもそのルールは守っておいでになる。まぁご本尊が御隠れになっているので、ちょいと興味も薄れるが、脇侍の日光・月光菩薩は寺伝では運慶作ということらしい。

 どちらも護摩木の煤で煤けてしまっているが、金箔が残っているよなぁ。本当に鎌倉時代か?運慶作ならそういうことになるのだが。
 ただ、見た目、運慶ほどの高尚な物資の作ではないようにお見受けするのだが、目が狂っているか?どちらにしても、この2体は岡崎市の文化財に指定されている。運慶作とわかれば、国の十分やら国宝も夢ではないか?さてさて・・・・・

 この日光菩薩の後ろに6体の十二神将が、月光菩薩の後ろにこちらも6体の十二神将がある。

 左は”子年”の大将だけど何大将かはわかってないようだ。右はイノシシみたいな顔が付いているけど”丑年”の大将だそうです。と、まぁこういう風に十二神将には干支がつきものだけど、その干支がかけてしまているのが多くて残念ね。
 また、左のような顔をしたのが多い、というよりもほとんどこういうユーモラスな顔をしている。円空さんよりもユーモラスだ。一つ一つ、見ていると面白いけど、まぁくらいからわからないよ。懐中電灯持って行ってください。(ただし、見るときは使用許可もらってくださいね)
 十二神将も岡崎市の文化財で鎌倉時代の作といわれているけど、あんまりこういう作りは鎌倉時代にはないように思うけどねぇ。ほんとかなぁ?

 他にもありますが、興味を引かなかったので、これで終わり。

 もう一つ、宝物殿におもそろいものがあった。逗子に入っている毘沙門天で、手が何本あったかなぁ。。。ガイドさんの話では、いくさに出かける武士が背中に背負って行ったものだとか。戦いの神様と言われる毘沙門天だからだけど、絶対に毘沙門天には見えないから。写真があるといいけど、誰も興味示してないなぁ。。。。。公式HPにも上がってないわ。
 行ったら、見てきてください。  

Posted by 生田 at 20:05Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月23日

岡崎・滝山寺 薬師如来 お前だち

 岡崎市の滝山寺の参拝。宝物殿の運慶などの宝物を見た後で、えんやこらもすごく急な坂を登って本堂に赴いた。本堂前の広場に着くとそこはキラキラ砂が輝いている。後ガイドさんに質問して聞いたところ、岡崎市(滝山寺は合併する前は幸田町)は花崗岩の上にある年だそうで、この花崗岩が砂になったものが敷地内に多くある。花コウ岩位は雲母がたくさん含まれているので、きらきたしているのだ。吉良上野介の「きら」の由来は、この砂のきら嫌いしているとこからだとも教えてもらった。「へぇ」であった。

 本堂に上がると、格子の奥に日光・月光があって、その真ん中に薬師如来が鎮座している。しかし、この如来さんは”御前立ち”(座っているのに”御前立ち”なんです)で本物ではない。本物は50年に一度ご開帳になる秘仏で、次回は22年先だって記憶です。みんなが「見られるかなぁ?」「あんたは大丈夫さ」なんて話を買わされてましたね。 
 この御前立ちなんですが、結構いい表情されていたんですが、それよりも目を引いたものがあるんです。台座に施された彫刻です。
 この台座には像やらなんやら動物と四天王みたいな鎧?を着た武将みたいなものが、如来さんの座を支えているんですねぇ。ふと、名古屋の桃源寺の大仏を思い起こした。
 インドの、ヒーンズーの神様の周りにいる感じね。でも武将は中国風だよなぁ。それにしても結構なあ色使いで、如来さんの真っ黒が余計に黒く見える。台座はそうして、如来さんは掃除してないんだろうか?

 それにしても、本物の如来さんが見えないのは残念。日光・月光が自伝では”運慶”作といわれているらしいが、ひょっとしたら、その流れの作だったりすれば、いいものが見られたと思うんだけどねぇ。。  

Posted by 生田 at 14:39Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰

2017年03月20日

岡崎・滝山寺 十一面観音 3体

 「仏さんに惚れて・・・」シリーズを離れて書くことにします。

 瀧山寺の宝物殿には、運慶作の仏像以外にも沢山の仏像がある。どういった理由からないのか”十一面観音”が数体合った。時代がそれぞれ違うので、その時代に時代に誰かの発願で造物されたと思うのだが、一体誰の発願だろうと想像したくもなるが、そんな資料があればいいのだが、今回のように団体で行った時に質問して回答をもらうなんて消えsめて難しいことだろう。
 ということで、あいも変わらず私はかってに頭の中で想像するだけのこと。

 まずは、宝物殿に入って最初に私の目に入った十一面観音。2体並んでいたけど、大きい方(右側)のものがそれ。
 造像の時代は、藤原時代と書いて合った。確かに時代を感じる煤けて黒くて、何度も修復したのか?修復しきれずに足の裏には何かを差し込んで倒れないようにしたりと・・・おから向かった左に少し傾いてます。
 そう言えば、この観音さんの足ね。ものすごく長くて、気持ち悪いくらい長くて・・・

 でもね、この十一面観音さんはじっくり見見るとモノズごく綺麗なお顔なんですよ。ちょっとお澄ましされてますが、まぁ、時代かなぁ。ただ、時代が藤原ということだけど、逗子の作りやキンキラの飾りは時代が違うんではないなかぁ?私には違和感があったんで。専門家はなんとおっしゃるか?

 その隣の小さいこれも逗子に入っている十一面観音さん、こちらは鎌倉時代作と書いて合った。確かに目は玉があ入っているし、後背の作りもキンキラキンもそうだし、やっぱり鎌倉以降だろうなぁと思わせるし。
 こちらの観音さんは、イマイチ私の好みではなくて、顔は玉を入れているからかぱっちり開いてすから、見た目ちょっとびっくり顔ってか何時がしわいわけでもなくて。それに、いちばんの問題は胴長短足で、動きがあるけど、なんだか半端だなぁ。でも、綺麗ですよ。ガイドさんはこっちの方に力入れて話されていたような気がする。

 これは、宝物殿に入ったところ保広い部屋の中にあった2体ですが、実はもう1体あるんですが、残念ながら写真がない。それに写真撮れないから、私にもない。ネットにもない。有名じゃぁないからから?でもねぇ、結構綺麗だったけどなぁ。聖観音の後ろの左に行った突き当たり。記憶では十一面観音だったけど。聞く違いかな?

 さて、宝物殿の外にもう一体。外といっても雨ざらしではなくって、宝物殿からえんやこら行きをはぁはぁあえぎながら登った先にある本堂の中にもう1体あるんです。



 この十一面観音は、本堂での護摩業のせいなんだろうと思うけど、もう煤でススがひどくて、せっかくのキンキラキンの体が汚いよなぁ。ん?ということは金箔がまだ感z年憩っている、とすると新しい?でも表情や作りはそれなりの時代かもなぁ。でもね。私がこの十一面観音に思ったことは、本体は綺麗なんです、それなりの作りなんです。でもねぇ。なんだか後輩がね、手抜きって感じの作りなんです。手が込んでいる割には、なんだかなぁという作りなんですよ。

 それにしても、なんでこれだけの十一面観音がある?
 ひょっとしたら、火災かなんかで焼けて、修復のたびに新しく作ったのかもな?  

Posted by 生田 at 15:46Comments(0)TrackBack(0)寺と信仰
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
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4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
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生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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