2008年10月12日

小説『親鸞と真佛』(15)

 恵信尼への文 3

 真佛は、書き終えて親鸞に話しかけた。

「上人。恵信尼様にはその偈文だけをお書きになられたのでしょうか」
「真佛よ。恵信には、示現の文だけではなかったぞ。偈文は漢字にしたが、そのほかはかな書きの文をつけた。やはり、女子への文はかなでしたためるのが、思いやりというものであろう。恵信は漢字の読み書きもできるのだが、今の世は女子にはかなで文を書くのがしきたりというものだからな。恵信は、文を受け取ったときはたいそう驚いたといっていた。それはそうだろう。自分自身が救世大菩薩の化身なるわけだからな。しかし、私の強い思いは、その文で伝わったようであるし、恵信もやっと決断をすることになったのだ」
「上人。それでその後のお二人は、ご一緒にお住まいになられたのでしょうか」
「真佛よ。恵信の決断の返事をもらったときは、まだ私は叡山にいたのだ。だから一緒に住まうことはならなかった。これまでと同じように、私が洛中に通ってくることになっていた。
私が叡山を下ったのは二十九歳になっていた。磯長の太子廟での夢告からちょうど十年。叡山にいたときまでの私は、夢告の通り十年で命を終えて、叡山を下りた私は生まれ変わったのだ。夢告はこの私の叡山を下り、空師のもとに入ることを予言したものであったのだろう。これも弥陀の計らいであろう。
先にも話したように年が明ければ二十九歳という前の日、つまりは大晦日に夢を見た。如意輪観音が立たれ、
善哉善哉汝願将満足
善哉善哉我願亦満足

 とおおせられたのだ。これは、そのとき考えていたことを如意輪観音がお認めになられたということと私は受け止めた。そのときの私の考えていたことは、世の女人の差別をなくするためには僧が妻帯をすることで、仏の前では男も女も同じであることを示すべきだということであった。これを観音がお認めになられたということであろうし、そのように図られたのは阿弥陀仏であろう。この夢で私は、叡山を下りることを決め、明くる朝、元旦に山を下りたのだ」
「上人。叡山を下りることになるには、恵信尼様とのことだけが理由ではなかったということでございますね」



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 ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
 また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
 そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
 
 WEB公開していますが、著作権は放棄していません。

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