2024年10月28日
昔書いた 小説 を恥ずかしくもなくアップ
先日から”過去の栄光”の断捨離とばかりに、いろんなものを片付けていた。その中からいろんなものが出てきた。今日はその中で、短編小説を載っけてみることに。
20年くらい前に、教鞭をとっている時、学生たちのイベントで小説の競作があった。それに応募させろと学生たちに申し入れいたけど残念ながら実現しなかった。でも小説だけは書いていたのだ。
その時の凶作のテーマは「境界」だったかと記憶している。そのテーマに沿って、その滝頭に浮かんだものを書き上げた。
この下に、その本文をくっけます。長いし、横書きなので読みづらいと思われそうなので、A3版の縦書きにしたものをPDFにしてダウンロードできるようにしてあります。
私のこのブログは、生きた証を残すために始めたものなので、出来のある差は置いといて、アップしておこうということです。興味が終わりでしたら、お読みいただければ幸いです。
実は出てきたのがデジタルデータではなく、プリントアウトしたものだったので、Googleのテキスト変換機能を使って文字に起こして、それをアップするために少し書き直してます。
挿絵を入れようかとも思ったのですが、絵を描くのが得意ではないので、原作に近いままにすることにしました。
じょうけは、お空買う人それそれ異なるのお脳ので、想像してください。
微睡
長い旅の疲れが出たのか、眠気には勝てず車の中で仮眠をとったのだが、どのくらい眠ったのだろうか、まだ少しモウロウとしているが、すこしずつ目が覚めていく。
目の前はなんとなく薄暗く、まるで真冬の雪国の雪の降る前といった灰色のモノトーンの重たく冷たい風景に似ている。気付いてみると、目の前に川が流れている。私の今回の旅行にはこんな川は予定になかったと思うのだが。
そんなに大きな川ではなく、向こう岸が見えている。向こうは、今の私の周りとは違って、とにかく明るい。こちらは雲に覆われ、向こうは太陽がさんさんと照っているということなのか。
少し離れたところに舟着場があり、さほど大きくはない舟が停泊している。舟に乗っている人たちは、一人だけという人が多く、時々二人や三人という人たちがいる。その人たちが舟から岸にいる人に手を振っている。岸にいる人も一所懸命手を振っている。向こう岸に渡るのではないのかな?どこかほかに行くのだろうか。
それにしてもいろんな人がいる。正装した人、怪我をした人、いろんな人がいる。よく見ると付き添いもいないのか、親と逸れたのかあちこちが痣だらけで元気なく泣いている幼子もいる、その反対にもう90歳を越えているのではないかと思われる人もいる。
私は、とにかく明るく見える向こう岸に興味を引かれ舟に乗ってみようかと、舟着場に向かった。桟橋の入り口には、「美都之川渡し」と書かれている。係員なのだろう、見送りの人とは雰囲気が違い、どことなく無機質な人たちがいる。そのうちの一人に声をかけてみた。
「この舟はどこに行くのですか?」
「川を渡り、向こう岸までです。」
「岸の向こうは、明るくて、たくさんの花か咲いて、すごく明るくきれいなところのようですが。なんと言う所ですか?」
「『佳之貴志』といいます。ちなみにこちらは、『古之貴志』といいます。」
「その『佳之貴志』はどんな所なんですか?」
「とにかくすばらしい所だと聞いてます。争いごともなく、食べるものにも困らず、仕事の心配も無く、みなさん伸び伸びと暮らしておられるとのことですよ。実は私もまだ行ったことがないのですが、舟に乗って行かれた方がどなたも戻ってこられないところをみると、噂の通りなのでしょうねえ。」、
「そんなにすばらしい所なのですか。一度は行ってみたいものですね。私でも行けますか?」
「往くときが来れば、お往きになれると思いますよ。」
「ぜひ行ってみたいのですが、今あの舟に乗ることはできますか?」
「この時間は、定員で無理ですね。多くの場合予約制ですが、この次なら空いているので大丈夫でしょう。」
「料金は、いくらですか?」
「とくに決められたものはありませんが、といっても必ず某かのお金がいりますよ。舟の中で払っていただきます。」
「みなさんどのくらいお金を持っていかれます?」
「そうですねえ。いろいろですが、多くの方がお持ちのお金は黒ずんだ十円硬貨ですが、なかには焦げた萬札なんていう人もたまにありますねえ。」
「へえー、10円と万札・・・本当にいろいろですね。」
話をしている間に舟は出ていった。見送りをした人たちがぞろぞろ歩いくる。ほとんどの人が涙を流している。中にはすっきりとしたような満足気なニコニコ顔の人もいる。ここも人それぞれなのだろう。
舟に乗るには金がいるとのことなのに、私は、金を持っていないのに気づき、財布を取りに車に戻った。車に戻ってはみたものの、財布がない。どこを探してもないのだ。今回の旅行にはかなりな金を持ってでかけている。大きい金は、カバンの中のはずだし、小銭はダッシュボードにおいていたはずなのだが、それが見つからない。車を離れている間に盗まれでもしたのだろうか。
お金がないのでは、舟には乗せてもらえないと係りの人は言っていた。諦めなくてはいけないようだなと思ったのだが、どこかに小銭はないかとあちこちをさわると胸のポケットに免許証があった。その中にはクレジットカードがある、これが使えないかと、また乗舟場に向かった。
乗舟場にはもう見送りの人たちは誰もいなくなっていた。次の舟までには時間かあるのか、今は誰もいない。さっきの係りを見つけて声をかけた。
「次の舟は何時ですか」
「二時間後です。」
「結構インターバルは短いんですね。」
「今日は短いですね。全く無い日もありますし、無い日の翌日は多くて大変です。」
「所で、乗ってみたいのですが、お金がないと乗せてもらえないのですか」
「ここの『美都之川渡し』の規則のようです。」
「そうですか、今私は現金の持ち合わせがないのですが、クレジットカ
ードの持ち合わせならあります。クレジットではだめですか。」
「残念ですが世界が違いますね。まあ、無理されずに今回は諦めてください。いつか必ずお乗りになれますから。」
「そうですか、乗せていただけないのなら致し方なですね。残念だなあ。」
私はまだ向こうに渡ることに未練はあったが、舟に乗せてもらえないのではと諦めざるをえなかった。
舟に乗ることを諦め、私は車に戻った。車を発進させようとしたのだが、どうしたことなのだろう。座席に座ったところで眠気に襲われた。そのまま私は眠ってしまった。
部屋
どのくらい眠ったのだろう。何かずいぶん周りが騒々しい。それに私を呼んでいるようだ。うっすらと目をあけてみると、どうしたことか、車の中で寝ているのではなく、私はベッドに横たわっているではないか。意識が少しずつはっきりとしてくる。目を少しずつ開いてみた。
なんだ? 家族が全員ベッドの周りにいるではないか。どうしたことなのだといぶかしく思った。
私が目を開くと同時に、周りの全員が大声で歓声をあげたのだ。「うわぁ、よかった、生きてるよ。本当に心配させてえ。」
「よかった、よかった」
みんなが口々に、私が生きていてよかったと言っている。私は、まるで狐に摘まれたような気持ちだ。みんなに何を言っているのかといってやろうと思ったのだが、声が出ない。手も足も動かない。とにかく何もできないのだ。
白衣を来た医者らしき男が、「もう大丈夫だと思いますが、ただ、まだ薬とアルコールの副作用から醒めてませんし、今夜がやまです。とにかくしばらくは朦朧とされていると思います。譫言のようなどを話されるかもしれません。山を越えられるのは、この方ご自身のお力です。」
確か、子供のころにもこんなことがあったなぁ。肺炎を患って高熱を出した。何でも42度を超えていたと母がいっていた。そのときは、布団の中でぐったりしていたが、往診の医者が脈を診て、聴診器で胸を診て、家族に何も言わずに、怒ったような印象で帰ってしまった。私は医者に投げられてしまったのだ。熱はあったものの、私の記憶に今でもしっかりとそのときの様子は残っている。
でも、今はいったい私はどうしたというのだ。旅の途中で、眠気に勝てず車の中で寝たのでないのか。それとも寝ている間に何かあったというのか。いろいろな顔が私の顔の顔を覗きこみ、みんな一様に「しっかりね。がんばるのよ。」と声をかけていくが、その人が誰なのか分からない。一所懸命思い出そうとするが、何しろはっきりと見えるのではない、まだはっきりと見えないのだ。昔の記憶ははっきりとしているというのに。
しばらくすると、また眠くなってきた。さっき医者がクスリがどうのと言っていたが、そのクスリのせいなのか、吸い込まれるように、まるで谷に落ちておくように目の前が・・・・・・ああ、枕から頭がずれた夢ならいいのだが。
母
私を呼ぶ声に目が覚めた。呼んでいたのは母親だ。目を覚まし目が合うなり母は、私に向かって怒ったようにいう。ずいぶん懐かしい、昔よく怒られたものだが、もうかなり昔のことで遠い遠い記憶だ。
「こんなところに何しに来たんだ?」
「何しにきたんだって。舟に乗ろうと思ってさ。」
気づけば、私はまた舟着場に来ている。母は例の舟の上から私に声をかけたのだ。
「お前はここがどこだか分かってるのか?この川は三途の川、この舟は、三途の川の渡し舟。乗ったらもうそっちの世界には戻れないのだよ。お前はまだ乗るには早すぎるのよ。」
「母さんは、乗ってるじゃない。なにいってるんだよ。」
「お前もぼけたね。30年も経つとそんなにぼけるものかね。私は30年前にこの舟に乗ったよ。忘れたのかい? ついさっき、向こうの岸、そうそう、むこうは『彼岸』というところ、その向こう岸を歩いていたらたまたま舟が着いて、お前が舟付き場に来ているといっている人がいたんで、まだ間に合うかもしれないと舟に乗ってきてみたんだ。」
「向こう岸が『彼岸』? 係りの人は『佳之貴志』って言ってたよ。こっちのことは『古之貴志』って。」
「そりゃね。『佳之貴志』て、漢字を書き換えてみな。『彼岸』さ。まだ向こうに渡る必要のない人がたまに来るからわからないようにしているのだよ。」
「それにしても川の名前が『美都之川』って、渡りたくもなるよ。なんだよ、これも漢字の置き換えかよ。さっきは、舟に乗ろうとしたけど金がなかったから、乗せてもらえなかった。」
「それでよかったんだよ。金が見つからなかったのは、運がよかったのさ。お前はまだまだ、向こうに来るには早いのだから。もうお家にお帰り。みんなを安心させておやり。」
「わかったよ。ん?『古之貴志』って『此岸』ってことか。そういえば、もうじき彼岸だな。
「そう。だから、私は向こう岸の近くまで来ていたってわけさ。」
「わかった、わかった。それじゃあ帰るよ。だけどここからどうやって帰りゃいいんだ?」
「さっきと同じだよ。車に帰って寝てればいい。そうすれば帰っていけるから。もう当分来るんじゃないよ。お前はまだまだやらなきゃいけないこといっぱいあるはずだろう?」
「そうだな。やり残していることあるもんなぁ。だけどどうしてここにいたか知っている?」
「ああ。旅行の途中で飲めないのに苦手な酒を飲んで、酸欠になって・・・」
「へえ? それにしても、麻酔でもかけられたのか? 手術でもしたのかな?」
「まあ。帰ってから誰かに聞いてみな。とにかくもう帰れ。」
「そう怒るなよ。相変わらずだなぁ。わかった。わかった。それじゃな。」
母と話すのは、母が亡くなって一週間くらい経ってから、夢の中で話をした。母は、とんでもなく明るい花園の中にいた。花の中に立っていた。そういえば、ついさっき向こう岸に見えた花園がそんな感じだったかな。そんなことを思いつつ、母のいうとおりに車に戻り、眠くなるのを待った。
目覚め
目が覚めてきた。前よりもはっきりと目の前のものが見える。家族がみんないる。さっきよりも心配な表情がきつい。半ば諦めているようにもとれないことはない。そういえば、医者は「今夜がやまだ」とか言っていたな。そんなときに、また意識がなくなったんだから、みんな心配したか、諦めたかのどっちかなのかもしれないな。
私は、さっきは声が出なかったが、とにかく今度は何かいわねばと思っ思い切って声を出してみた。
「みんなどうしたんだ?」
「なにがどうしたじゃないでしょう。飲めないのに酒飲んで。ばかあ。。。。」
家内だ。びっくりしたようでもあり、怒ったような声を出してはいるが、涙をぼろぼろ落とし、顔をくしゃくしゃにして泣きながら叫んでいる。「アルコールが許容量を超えたんだってよ。どうしてそんなに飲んだの
「そんなに飲んじゃいないよ。缶ビール一本だよ。」
「うそ。いくら弱くったって、缶ビール一本はないでしょう。どうし
「歩き疲れて、風呂上りに飲んだ・・・・そうじゃないや、またやっちまったんだ。頭痛くて、くすり飲んでたんだ。それを忘れてたよ。」
「ばかねえ。昔それで意識なくなったことあったでしょうに。お友達に二度とするなって言われたでしょう?」
医者が割って入ってきて、私の脈を取り、まぶたを押し開いて懐中電灯を当てた。
「もう大丈夫でしょう。これだけお話になれますしね。それにしてもたいした生命力だ。一時は、意識がなくなって、酸欠状態で脳死状態でしたからね。もうだめと匙を投げましたけどね。頭痛薬とアルコールでしょう。人によっては、時には命取りになるかも。とにかく催眠作用がありますから。」
それにしても、わたしは三途の川を渡る寸前まで行っていたことは確かなようだ。母親にたしなめられなかったら、あのまま無理にでも渡しに乗っていたかもしれない。三途の川・・・・こちらの岸と向こう岸の境か。渡っていたら、こんな話を書くこともできなったのだ。でも、いつか必ず渡ることにもなるのか・・・・
9月はじめの旅の途中の出来事だった。
20年くらい前に、教鞭をとっている時、学生たちのイベントで小説の競作があった。それに応募させろと学生たちに申し入れいたけど残念ながら実現しなかった。でも小説だけは書いていたのだ。
その時の凶作のテーマは「境界」だったかと記憶している。そのテーマに沿って、その滝頭に浮かんだものを書き上げた。
この下に、その本文をくっけます。長いし、横書きなので読みづらいと思われそうなので、A3版の縦書きにしたものをPDFにしてダウンロードできるようにしてあります。
私のこのブログは、生きた証を残すために始めたものなので、出来のある差は置いといて、アップしておこうということです。興味が終わりでしたら、お読みいただければ幸いです。
実は出てきたのがデジタルデータではなく、プリントアウトしたものだったので、Googleのテキスト変換機能を使って文字に起こして、それをアップするために少し書き直してます。
挿絵を入れようかとも思ったのですが、絵を描くのが得意ではないので、原作に近いままにすることにしました。
じょうけは、お空買う人それそれ異なるのお脳ので、想像してください。
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『川』 作 生田佳石
微睡
長い旅の疲れが出たのか、眠気には勝てず車の中で仮眠をとったのだが、どのくらい眠ったのだろうか、まだ少しモウロウとしているが、すこしずつ目が覚めていく。
目の前はなんとなく薄暗く、まるで真冬の雪国の雪の降る前といった灰色のモノトーンの重たく冷たい風景に似ている。気付いてみると、目の前に川が流れている。私の今回の旅行にはこんな川は予定になかったと思うのだが。
そんなに大きな川ではなく、向こう岸が見えている。向こうは、今の私の周りとは違って、とにかく明るい。こちらは雲に覆われ、向こうは太陽がさんさんと照っているということなのか。
少し離れたところに舟着場があり、さほど大きくはない舟が停泊している。舟に乗っている人たちは、一人だけという人が多く、時々二人や三人という人たちがいる。その人たちが舟から岸にいる人に手を振っている。岸にいる人も一所懸命手を振っている。向こう岸に渡るのではないのかな?どこかほかに行くのだろうか。
それにしてもいろんな人がいる。正装した人、怪我をした人、いろんな人がいる。よく見ると付き添いもいないのか、親と逸れたのかあちこちが痣だらけで元気なく泣いている幼子もいる、その反対にもう90歳を越えているのではないかと思われる人もいる。
私は、とにかく明るく見える向こう岸に興味を引かれ舟に乗ってみようかと、舟着場に向かった。桟橋の入り口には、「美都之川渡し」と書かれている。係員なのだろう、見送りの人とは雰囲気が違い、どことなく無機質な人たちがいる。そのうちの一人に声をかけてみた。
「この舟はどこに行くのですか?」
「川を渡り、向こう岸までです。」
「岸の向こうは、明るくて、たくさんの花か咲いて、すごく明るくきれいなところのようですが。なんと言う所ですか?」
「『佳之貴志』といいます。ちなみにこちらは、『古之貴志』といいます。」
「その『佳之貴志』はどんな所なんですか?」
「とにかくすばらしい所だと聞いてます。争いごともなく、食べるものにも困らず、仕事の心配も無く、みなさん伸び伸びと暮らしておられるとのことですよ。実は私もまだ行ったことがないのですが、舟に乗って行かれた方がどなたも戻ってこられないところをみると、噂の通りなのでしょうねえ。」、
「そんなにすばらしい所なのですか。一度は行ってみたいものですね。私でも行けますか?」
「往くときが来れば、お往きになれると思いますよ。」
「ぜひ行ってみたいのですが、今あの舟に乗ることはできますか?」
「この時間は、定員で無理ですね。多くの場合予約制ですが、この次なら空いているので大丈夫でしょう。」
「料金は、いくらですか?」
「とくに決められたものはありませんが、といっても必ず某かのお金がいりますよ。舟の中で払っていただきます。」
「みなさんどのくらいお金を持っていかれます?」
「そうですねえ。いろいろですが、多くの方がお持ちのお金は黒ずんだ十円硬貨ですが、なかには焦げた萬札なんていう人もたまにありますねえ。」
「へえー、10円と万札・・・本当にいろいろですね。」
話をしている間に舟は出ていった。見送りをした人たちがぞろぞろ歩いくる。ほとんどの人が涙を流している。中にはすっきりとしたような満足気なニコニコ顔の人もいる。ここも人それぞれなのだろう。
舟に乗るには金がいるとのことなのに、私は、金を持っていないのに気づき、財布を取りに車に戻った。車に戻ってはみたものの、財布がない。どこを探してもないのだ。今回の旅行にはかなりな金を持ってでかけている。大きい金は、カバンの中のはずだし、小銭はダッシュボードにおいていたはずなのだが、それが見つからない。車を離れている間に盗まれでもしたのだろうか。
お金がないのでは、舟には乗せてもらえないと係りの人は言っていた。諦めなくてはいけないようだなと思ったのだが、どこかに小銭はないかとあちこちをさわると胸のポケットに免許証があった。その中にはクレジットカードがある、これが使えないかと、また乗舟場に向かった。
乗舟場にはもう見送りの人たちは誰もいなくなっていた。次の舟までには時間かあるのか、今は誰もいない。さっきの係りを見つけて声をかけた。
「次の舟は何時ですか」
「二時間後です。」
「結構インターバルは短いんですね。」
「今日は短いですね。全く無い日もありますし、無い日の翌日は多くて大変です。」
「所で、乗ってみたいのですが、お金がないと乗せてもらえないのですか」
「ここの『美都之川渡し』の規則のようです。」
「そうですか、今私は現金の持ち合わせがないのですが、クレジットカ
ードの持ち合わせならあります。クレジットではだめですか。」
「残念ですが世界が違いますね。まあ、無理されずに今回は諦めてください。いつか必ずお乗りになれますから。」
「そうですか、乗せていただけないのなら致し方なですね。残念だなあ。」
私はまだ向こうに渡ることに未練はあったが、舟に乗せてもらえないのではと諦めざるをえなかった。
舟に乗ることを諦め、私は車に戻った。車を発進させようとしたのだが、どうしたことなのだろう。座席に座ったところで眠気に襲われた。そのまま私は眠ってしまった。
部屋
どのくらい眠ったのだろう。何かずいぶん周りが騒々しい。それに私を呼んでいるようだ。うっすらと目をあけてみると、どうしたことか、車の中で寝ているのではなく、私はベッドに横たわっているではないか。意識が少しずつはっきりとしてくる。目を少しずつ開いてみた。
なんだ? 家族が全員ベッドの周りにいるではないか。どうしたことなのだといぶかしく思った。
私が目を開くと同時に、周りの全員が大声で歓声をあげたのだ。「うわぁ、よかった、生きてるよ。本当に心配させてえ。」
「よかった、よかった」
みんなが口々に、私が生きていてよかったと言っている。私は、まるで狐に摘まれたような気持ちだ。みんなに何を言っているのかといってやろうと思ったのだが、声が出ない。手も足も動かない。とにかく何もできないのだ。
白衣を来た医者らしき男が、「もう大丈夫だと思いますが、ただ、まだ薬とアルコールの副作用から醒めてませんし、今夜がやまです。とにかくしばらくは朦朧とされていると思います。譫言のようなどを話されるかもしれません。山を越えられるのは、この方ご自身のお力です。」
確か、子供のころにもこんなことがあったなぁ。肺炎を患って高熱を出した。何でも42度を超えていたと母がいっていた。そのときは、布団の中でぐったりしていたが、往診の医者が脈を診て、聴診器で胸を診て、家族に何も言わずに、怒ったような印象で帰ってしまった。私は医者に投げられてしまったのだ。熱はあったものの、私の記憶に今でもしっかりとそのときの様子は残っている。
でも、今はいったい私はどうしたというのだ。旅の途中で、眠気に勝てず車の中で寝たのでないのか。それとも寝ている間に何かあったというのか。いろいろな顔が私の顔の顔を覗きこみ、みんな一様に「しっかりね。がんばるのよ。」と声をかけていくが、その人が誰なのか分からない。一所懸命思い出そうとするが、何しろはっきりと見えるのではない、まだはっきりと見えないのだ。昔の記憶ははっきりとしているというのに。
しばらくすると、また眠くなってきた。さっき医者がクスリがどうのと言っていたが、そのクスリのせいなのか、吸い込まれるように、まるで谷に落ちておくように目の前が・・・・・・ああ、枕から頭がずれた夢ならいいのだが。
母
私を呼ぶ声に目が覚めた。呼んでいたのは母親だ。目を覚まし目が合うなり母は、私に向かって怒ったようにいう。ずいぶん懐かしい、昔よく怒られたものだが、もうかなり昔のことで遠い遠い記憶だ。
「こんなところに何しに来たんだ?」
「何しにきたんだって。舟に乗ろうと思ってさ。」
気づけば、私はまた舟着場に来ている。母は例の舟の上から私に声をかけたのだ。
「お前はここがどこだか分かってるのか?この川は三途の川、この舟は、三途の川の渡し舟。乗ったらもうそっちの世界には戻れないのだよ。お前はまだ乗るには早すぎるのよ。」
「母さんは、乗ってるじゃない。なにいってるんだよ。」
「お前もぼけたね。30年も経つとそんなにぼけるものかね。私は30年前にこの舟に乗ったよ。忘れたのかい? ついさっき、向こうの岸、そうそう、むこうは『彼岸』というところ、その向こう岸を歩いていたらたまたま舟が着いて、お前が舟付き場に来ているといっている人がいたんで、まだ間に合うかもしれないと舟に乗ってきてみたんだ。」
「向こう岸が『彼岸』? 係りの人は『佳之貴志』って言ってたよ。こっちのことは『古之貴志』って。」
「そりゃね。『佳之貴志』て、漢字を書き換えてみな。『彼岸』さ。まだ向こうに渡る必要のない人がたまに来るからわからないようにしているのだよ。」
「それにしても川の名前が『美都之川』って、渡りたくもなるよ。なんだよ、これも漢字の置き換えかよ。さっきは、舟に乗ろうとしたけど金がなかったから、乗せてもらえなかった。」
「それでよかったんだよ。金が見つからなかったのは、運がよかったのさ。お前はまだまだ、向こうに来るには早いのだから。もうお家にお帰り。みんなを安心させておやり。」
「わかったよ。ん?『古之貴志』って『此岸』ってことか。そういえば、もうじき彼岸だな。
「そう。だから、私は向こう岸の近くまで来ていたってわけさ。」
「わかった、わかった。それじゃあ帰るよ。だけどここからどうやって帰りゃいいんだ?」
「さっきと同じだよ。車に帰って寝てればいい。そうすれば帰っていけるから。もう当分来るんじゃないよ。お前はまだまだやらなきゃいけないこといっぱいあるはずだろう?」
「そうだな。やり残していることあるもんなぁ。だけどどうしてここにいたか知っている?」
「ああ。旅行の途中で飲めないのに苦手な酒を飲んで、酸欠になって・・・」
「へえ? それにしても、麻酔でもかけられたのか? 手術でもしたのかな?」
「まあ。帰ってから誰かに聞いてみな。とにかくもう帰れ。」
「そう怒るなよ。相変わらずだなぁ。わかった。わかった。それじゃな。」
母と話すのは、母が亡くなって一週間くらい経ってから、夢の中で話をした。母は、とんでもなく明るい花園の中にいた。花の中に立っていた。そういえば、ついさっき向こう岸に見えた花園がそんな感じだったかな。そんなことを思いつつ、母のいうとおりに車に戻り、眠くなるのを待った。
目覚め
目が覚めてきた。前よりもはっきりと目の前のものが見える。家族がみんないる。さっきよりも心配な表情がきつい。半ば諦めているようにもとれないことはない。そういえば、医者は「今夜がやまだ」とか言っていたな。そんなときに、また意識がなくなったんだから、みんな心配したか、諦めたかのどっちかなのかもしれないな。
私は、さっきは声が出なかったが、とにかく今度は何かいわねばと思っ思い切って声を出してみた。
「みんなどうしたんだ?」
「なにがどうしたじゃないでしょう。飲めないのに酒飲んで。ばかあ。。。。」
家内だ。びっくりしたようでもあり、怒ったような声を出してはいるが、涙をぼろぼろ落とし、顔をくしゃくしゃにして泣きながら叫んでいる。「アルコールが許容量を超えたんだってよ。どうしてそんなに飲んだの
「そんなに飲んじゃいないよ。缶ビール一本だよ。」
「うそ。いくら弱くったって、缶ビール一本はないでしょう。どうし
「歩き疲れて、風呂上りに飲んだ・・・・そうじゃないや、またやっちまったんだ。頭痛くて、くすり飲んでたんだ。それを忘れてたよ。」
「ばかねえ。昔それで意識なくなったことあったでしょうに。お友達に二度とするなって言われたでしょう?」
医者が割って入ってきて、私の脈を取り、まぶたを押し開いて懐中電灯を当てた。
「もう大丈夫でしょう。これだけお話になれますしね。それにしてもたいした生命力だ。一時は、意識がなくなって、酸欠状態で脳死状態でしたからね。もうだめと匙を投げましたけどね。頭痛薬とアルコールでしょう。人によっては、時には命取りになるかも。とにかく催眠作用がありますから。」
それにしても、わたしは三途の川を渡る寸前まで行っていたことは確かなようだ。母親にたしなめられなかったら、あのまま無理にでも渡しに乗っていたかもしれない。三途の川・・・・こちらの岸と向こう岸の境か。渡っていたら、こんな話を書くこともできなったのだ。でも、いつか必ず渡ることにもなるのか・・・・
9月はじめの旅の途中の出来事だった。
**
画像は無料のサイト
から拝借しました
2014年07月09日
五木さんの小説・親鸞 完結
またまたさぼっている間に世の中はかなり動いていて、テレビのドラマも新しいのが始まったり・・・・ その中で長いこと続いていた新聞の連載小説『親鸞』が完結した。
この完結は、親鸞が浄土に旅立ったことが最後になった。91歳 でもなぁ、この年令は戸籍からわかったなんてものではなく、実は奥さんの恵信尼さんが娘・覚信尼に当てた手紙に書かれていたことからだったかで推定されたんではなかったっけ?
で、この最終回に越後から息子がやってきて、覚信尼に宛てた恵信尼の手紙を持ってきているんだけど、これだと史実と食い違いはしないか?でもないかぁ。。。。
恵信尼さんの手紙には、親鸞がなくなったことは覚信尼からの手紙で知ったようで、その知らせから恵信尼さんが親鸞の思い出を綴った手紙を覚信尼に宛てた。これが残っていて、一時歴史上から抹殺されかけた親鸞が実在したと証明されたと聞いている。
それにしても、最終回は、何故かものすごく急いで無理矢理完結させたような気がするなぁ。。。親鸞が死んだら「紫雲たなびく・・・・』なん敵対をみんなが持っていたのにそんなことがなかったと、覚信尼が耐火ぼやいていたように思うけど、そんなこと最終回に書いてなかった記憶だけど、記憶が違ったか?
それにしても全3部にわたった小説親鸞。ナンやら怪しげな人物がいっぱい出てきて、いつ起算は親鸞をどんな人物に仕上げたかったのか?どうにも訳が分からんなぁ。。。この最後の編では恵信尼の妹の成れの果てが寺を造ったり、それが燃やされたり、こんなの必要だったんだろうか?
多分に、親鸞を信仰する人の多くの期待を裏切ったような気がせんでもないなぁ。まぁ、終わってよかった。
この完結は、親鸞が浄土に旅立ったことが最後になった。91歳 でもなぁ、この年令は戸籍からわかったなんてものではなく、実は奥さんの恵信尼さんが娘・覚信尼に当てた手紙に書かれていたことからだったかで推定されたんではなかったっけ?
で、この最終回に越後から息子がやってきて、覚信尼に宛てた恵信尼の手紙を持ってきているんだけど、これだと史実と食い違いはしないか?でもないかぁ。。。。
恵信尼さんの手紙には、親鸞がなくなったことは覚信尼からの手紙で知ったようで、その知らせから恵信尼さんが親鸞の思い出を綴った手紙を覚信尼に宛てた。これが残っていて、一時歴史上から抹殺されかけた親鸞が実在したと証明されたと聞いている。
それにしても、最終回は、何故かものすごく急いで無理矢理完結させたような気がするなぁ。。。親鸞が死んだら「紫雲たなびく・・・・』なん敵対をみんなが持っていたのにそんなことがなかったと、覚信尼が耐火ぼやいていたように思うけど、そんなこと最終回に書いてなかった記憶だけど、記憶が違ったか?
それにしても全3部にわたった小説親鸞。ナンやら怪しげな人物がいっぱい出てきて、いつ起算は親鸞をどんな人物に仕上げたかったのか?どうにも訳が分からんなぁ。。。この最後の編では恵信尼の妹の成れの果てが寺を造ったり、それが燃やされたり、こんなの必要だったんだろうか?
多分に、親鸞を信仰する人の多くの期待を裏切ったような気がせんでもないなぁ。まぁ、終わってよかった。
タグ :小説・親鸞
2013年07月15日
小説・親鸞 完結編
五木寛之氏の「小説・親鸞」の最終バージョン=完結編がこの7月1日から始まっている。出始めから私にはどうでもいいような話が延々と続いているのだが、今日15日に”親鸞が山を下りたのは17年の修行の後で、しかも慈円を裏切って法然のもとに”と書かれていた。。。
ん??慈円は、法然の信奉者であり、後援者であるので、「裏切り」とはどういうことなんだろう?「裏切り」の言葉は元の仲間内の僧の話なのだが。。。この話は、この先にわかるのか?
で、山を下りたのは一般的には20年の修行の後といわれている。つまり20歳で下りたことになって射rのだが、この17年という年数はどこから出たのだろう?私のこれまで知ってきた情報と異なる何かがあるのか?
まぁ、もっとも、この小説はあくまでも小説で、取り巻きの人物は確たるものは出てきていないし、なんでこんな取り巻きの話が延々と続くのかとも思っている。これまでの全2つのパートについても同じで、いったい五木氏は何を言いたいがためにこうしたストーリーにしているのか全く理解ができない。
こうしたストーリーを全国紙に匹敵する紙上に掲載して、どれだけの人が読んでいるのかわからないが、やはり、あくまでも小説であることを明確にしておいてほしいもの。
こうしたストーリーは、別に親鸞を使わなくてもできることではなかったのか?ただ親鸞750年大遠忌に合わせた話題のっただけのことではないのか?だいたい嫌いな小説家であるけど、このストーリーを西本願寺も最初押していたような… 内容も知らないで押していたのだろうけど、このいまの内容で本願寺はどう思っているのだろう?
それにしても、新聞社もこれでいいのだろうかって???
親鸞の生き様については、いろいろとあるだろうが、本願寺などは本願寺系譜の覚如の「親鸞聖人伝絵」が有名だけど、高田派系の「正明伝」もそれなりに読まれている。(哲学者・梅原武さんはこちらの支持かな?)私は、いろんな本を拾い読みしていて、どうにも森羅の生きざまに疑問を持っていたのだが、「正明伝」に出会った時に多くの疑問が解消されたものだ。
特に親鸞の奥さんのことについては、「正明伝」の方が正解のような気もしているなぁ。これは「親鸞の二人の妻」ということなのだが、五木氏の小説には登場しない内容ね。またく無視されているといっていいだろう。。
さて、この先どんな結滞話が展開されるのか?違った目を持って読むことに。
**
総いえば、中日新聞のどこかの記事に、故・三国連太郎さんが映画・親鸞を監督しているらしい。彼は彼なりの解釈をしているようで。。何せ公式文書の無い親鸞なので、いつ何をしたのかということは勝手に想像出来はするが。。。
ん??慈円は、法然の信奉者であり、後援者であるので、「裏切り」とはどういうことなんだろう?「裏切り」の言葉は元の仲間内の僧の話なのだが。。。この話は、この先にわかるのか?
で、山を下りたのは一般的には20年の修行の後といわれている。つまり20歳で下りたことになって射rのだが、この17年という年数はどこから出たのだろう?私のこれまで知ってきた情報と異なる何かがあるのか?
まぁ、もっとも、この小説はあくまでも小説で、取り巻きの人物は確たるものは出てきていないし、なんでこんな取り巻きの話が延々と続くのかとも思っている。これまでの全2つのパートについても同じで、いったい五木氏は何を言いたいがためにこうしたストーリーにしているのか全く理解ができない。
こうしたストーリーを全国紙に匹敵する紙上に掲載して、どれだけの人が読んでいるのかわからないが、やはり、あくまでも小説であることを明確にしておいてほしいもの。
こうしたストーリーは、別に親鸞を使わなくてもできることではなかったのか?ただ親鸞750年大遠忌に合わせた話題のっただけのことではないのか?だいたい嫌いな小説家であるけど、このストーリーを西本願寺も最初押していたような… 内容も知らないで押していたのだろうけど、このいまの内容で本願寺はどう思っているのだろう?
それにしても、新聞社もこれでいいのだろうかって???
親鸞の生き様については、いろいろとあるだろうが、本願寺などは本願寺系譜の覚如の「親鸞聖人伝絵」が有名だけど、高田派系の「正明伝」もそれなりに読まれている。(哲学者・梅原武さんはこちらの支持かな?)私は、いろんな本を拾い読みしていて、どうにも森羅の生きざまに疑問を持っていたのだが、「正明伝」に出会った時に多くの疑問が解消されたものだ。
特に親鸞の奥さんのことについては、「正明伝」の方が正解のような気もしているなぁ。これは「親鸞の二人の妻」ということなのだが、五木氏の小説には登場しない内容ね。またく無視されているといっていいだろう。。
さて、この先どんな結滞話が展開されるのか?違った目を持って読むことに。
**
総いえば、中日新聞のどこかの記事に、故・三国連太郎さんが映画・親鸞を監督しているらしい。彼は彼なりの解釈をしているようで。。何せ公式文書の無い親鸞なので、いつ何をしたのかということは勝手に想像出来はするが。。。
タグ :小説・親鸞 完結編
2011年10月28日
東海村原発殺人事件
タイトルは、別に実際の事件ということではなく、目下読んでいるサスペンス小説の題名。サスペンスと書いたのは、この小説が推理物なのかどうかがまだ分からないから。
この小説実は20年以上前に書かれたものなのだが、福島原発を予想しているような感じのことがいっぱい書かれている。そして原発で働く人や、組織の動きなどがな借りリアルに描かれている。しかも会社名や施設名がなぜか実名で書かれている。(一応断り書きは入っているけど)
今年の東日本震災での福島原発事故で原発関連の組織、企業、作業員の話がちらちら漏れてくるが、組織や企業の隠ぺい体質や従業員、作業員の悲劇はこの読んでいる小説にもろに書かれている。本当にこの原発事故を見てい書いてるのではないかとすら思えるほど。ひょっとしたら著者の生田氏(私の生田とは全く無関係)はタイムマシンで未来に来て事故を見て、それをもとに書いたのかと思うくらいに。
実は、毎日寝床で睡眠薬代わりに読んでいるので、毎度数ページしか読めないから半月たってもまだ4分の1くらいしか読めていない。いつ読みあがるか分からないけど、終わりまで行ったら、また違った乾燥になるかも。
しかし、この本。いつ買ったのか?、読んだことがあるのか?全く記憶にないのだ。だから完全に始めて読むといった感じで。
読み終わったら、また気が向いたら書きます。
この小説実は20年以上前に書かれたものなのだが、福島原発を予想しているような感じのことがいっぱい書かれている。そして原発で働く人や、組織の動きなどがな借りリアルに描かれている。しかも会社名や施設名がなぜか実名で書かれている。(一応断り書きは入っているけど)
今年の東日本震災での福島原発事故で原発関連の組織、企業、作業員の話がちらちら漏れてくるが、組織や企業の隠ぺい体質や従業員、作業員の悲劇はこの読んでいる小説にもろに書かれている。本当にこの原発事故を見てい書いてるのではないかとすら思えるほど。ひょっとしたら著者の生田氏(私の生田とは全く無関係)はタイムマシンで未来に来て事故を見て、それをもとに書いたのかと思うくらいに。
実は、毎日寝床で睡眠薬代わりに読んでいるので、毎度数ページしか読めないから半月たってもまだ4分の1くらいしか読めていない。いつ読みあがるか分からないけど、終わりまで行ったら、また違った乾燥になるかも。
しかし、この本。いつ買ったのか?、読んだことがあるのか?全く記憶にないのだ。だから完全に始めて読むといった感じで。
読み終わったら、また気が向いたら書きます。
タグ :東海村原発殺人事件
2011年05月14日
小説「親鸞」 激動篇 最近…その2
五木寛之氏の親鸞の連載が、ここのところなかなか進展を見せない。なんや知らんけどもう一月も『雨乞い』の法会に向けての話が続いている。
なんで、こんなどうでもいい話をうだうだ続けるんだろう?この先のストーリーへのどういった布石になっているのだろう?
昨日だっけ、奥さんの恵信さんが都から妹の娘を連れて帰ってきた。しかし、しかし、親鸞の年表から行くと親鸞には、この時期子供がいてもいいはずなんだけどなぁ。そんな話はどうでもいいといわれそうだけど。
妹の娘は見つかったけど、肝心の妹の鹿野が見つからないんだよね。気がふれたということになってなかったっけな。これもこの先どうするんだろう。
で、前の連載のときに私はそれに時折コメントをかいて投稿していたけど、それには結構多くの人に閲覧していただいた。これは、このブログの検索キーワードの足跡を見るとよくわかる。
しかし、今回の連載では、その検索ワードに全く上がってこないのだ。それに、前の連載に比べて評判記もあまり見かけないし。。。。 いまいちなんだろうなぁ。
そろそろ、いい加減にして雨降らせて、話を先に進めてくれんかなぁ。怒この辺りで連載を止めるか?関東へ移住吸うのはまた別な連載にするんだろうか?
なんで、こんなどうでもいい話をうだうだ続けるんだろう?この先のストーリーへのどういった布石になっているのだろう?
昨日だっけ、奥さんの恵信さんが都から妹の娘を連れて帰ってきた。しかし、しかし、親鸞の年表から行くと親鸞には、この時期子供がいてもいいはずなんだけどなぁ。そんな話はどうでもいいといわれそうだけど。
妹の娘は見つかったけど、肝心の妹の鹿野が見つからないんだよね。気がふれたということになってなかったっけな。これもこの先どうするんだろう。
で、前の連載のときに私はそれに時折コメントをかいて投稿していたけど、それには結構多くの人に閲覧していただいた。これは、このブログの検索キーワードの足跡を見るとよくわかる。
しかし、今回の連載では、その検索ワードに全く上がってこないのだ。それに、前の連載に比べて評判記もあまり見かけないし。。。。 いまいちなんだろうなぁ。
そろそろ、いい加減にして雨降らせて、話を先に進めてくれんかなぁ。怒この辺りで連載を止めるか?関東へ移住吸うのはまた別な連載にするんだろうか?
2011年04月15日
小説「親鸞」 激動篇 最近…
五木博之氏の小説「親鸞」。話がとんでもないことになっているので、もう書く気にもなっていなかったけど、たまたま昨日京都の市立美術館で「親鸞展」を見てきたので、ちょいと思い出したから小説のことを。
激動篇になって、新潟、上越に舞台が移ったのはいいけど、何やら変な輩がいっぱい出てきて、けんかしたり、犬に襲われそうになったり、鎌倉の役人といざこざを起こしたり。。。。
それは小説で好きなようにかくことだからいいとしても、いったい五木氏は親鸞をどういった人間に仕上げていきたいのか全く分からない。争いがあってそれを防ぐのに、京都で子供のころに覚えたつぶてで相手を攻撃するのを使う寸前まで・・・ それはいいけど、まだご赦免になったという市とーリー出ないと思うのだけど。まだ罪人の分材ではないのかな?だとすれば、そんな人間が鎌倉幕府の役人といざこざを起こすとはいかが?って。これは私の誤解?
それと、妻の恵信尼が京都に出かけた。それは行方不明になっている妹”鹿野”の子供を引き取りに行っているのだ。このストーリーでの話題では法然がすでにご赦免になっている。ということは親鸞のご赦免になるはずなのだけど。なんかすっきりしない。
それに、妹の子どをも連れてきて育てるといっているけど、このとき親鸞と恵信尼の間には子供はいないのか?ん??いつになったら最初のkどもが生まれるの?一説によると京都で子供が生まれているという話も。(これはこの小説の話ではなく)
妹の子供を連れてきて、それを育てる。ひょっとしたら親鸞の数人いる子供の中に含んでしまうことになったりして。。。。それはないと願ってますよ。
どっちにしても、どんな親鸞ができるのか。まぁここまで読む限り、荒唐無稽?なんてことにならなければいいがと思っている。前の連載のときには、それなりに評判を呼んだようだけど、この激動篇の評判はいかが?世に評判が出てきていないように思うけど。
親鸞750回大遠忌。そんな年に、こういう小説は、どういうものだろう?この小説が攻勢に残ってほしいと思う人はどのくらいいるだろう?
激動篇になって、新潟、上越に舞台が移ったのはいいけど、何やら変な輩がいっぱい出てきて、けんかしたり、犬に襲われそうになったり、鎌倉の役人といざこざを起こしたり。。。。
それは小説で好きなようにかくことだからいいとしても、いったい五木氏は親鸞をどういった人間に仕上げていきたいのか全く分からない。争いがあってそれを防ぐのに、京都で子供のころに覚えたつぶてで相手を攻撃するのを使う寸前まで・・・ それはいいけど、まだご赦免になったという市とーリー出ないと思うのだけど。まだ罪人の分材ではないのかな?だとすれば、そんな人間が鎌倉幕府の役人といざこざを起こすとはいかが?って。これは私の誤解?
それと、妻の恵信尼が京都に出かけた。それは行方不明になっている妹”鹿野”の子供を引き取りに行っているのだ。このストーリーでの話題では法然がすでにご赦免になっている。ということは親鸞のご赦免になるはずなのだけど。なんかすっきりしない。
それに、妹の子どをも連れてきて育てるといっているけど、このとき親鸞と恵信尼の間には子供はいないのか?ん??いつになったら最初のkどもが生まれるの?一説によると京都で子供が生まれているという話も。(これはこの小説の話ではなく)
妹の子供を連れてきて、それを育てる。ひょっとしたら親鸞の数人いる子供の中に含んでしまうことになったりして。。。。それはないと願ってますよ。
どっちにしても、どんな親鸞ができるのか。まぁここまで読む限り、荒唐無稽?なんてことにならなければいいがと思っている。前の連載のときには、それなりに評判を呼んだようだけど、この激動篇の評判はいかが?世に評判が出てきていないように思うけど。
親鸞750回大遠忌。そんな年に、こういう小説は、どういうものだろう?この小説が攻勢に残ってほしいと思う人はどのくらいいるだろう?
タグ :小説・親鸞
2011年03月02日
小説「親鸞」 激動篇 観音と阿弥陀
ここのところ書く気もしなくて。。。。 理由は、話が なんで? と思う方向に行っているから。そういえば、昨日か今日から、シーンが変わったのだ。。
先週までは、親鸞が外道院に監禁された状態で、心配した恵信が迎えに来たら、外道院がいちゃもんをつけて、恵信に病院を振りに入れて洗ってやれと命令して。恵信は裸になってその秒委任を風呂に入れて洗ってやって。。。。。
なんで裸にしなければいかんのかがわからん。
まぁ、ここまではいいとして。この状態を見た群衆が恵信を「観音様だ、観音様だ」といった後に、なんと『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』といっている。
なぜ五木氏はこれを書いたのか?わかって書いていると思うけど、多分にこの時の群衆のレベルをそこまで低レベルと表現したいのかもしれないが。
観音様を敬うのなら「南無観音菩薩」というのが筋。間違っても『南無阿弥陀仏』はないのだ。理由は、観音様と阿弥陀仏とは違うもの。一応仏様と両方を扱ったとして、観音様は“菩薩”でまだ完全に悟りを開いていないのであり、阿弥陀仏は”阿弥陀如来”を言って悟りを開いた仏様だ。この『阿弥陀如来』の悟りを開く前の状態を『法蔵菩薩』というので「観音菩薩とは違う仏さま。
このことを五木さんは、この先どう表現、扱いをするのかってこの先を楽しみにしようと思っている。
***
話はそれるけど、韓国の歴史ドラマを見ていると、お寺や僧侶が出てくることがある。儒教だけではないのだということを教えてくれるのだが、私が見ている数本のドラマに出てくる仏様は「観音菩薩」だけである。仏像としては如来もあるように見受けるのだけど、出てくるセリフが「名無観音菩薩」だけ。
このセリフが、ハングルで聞いていても同じなんですねぇ。。。。
先週までは、親鸞が外道院に監禁された状態で、心配した恵信が迎えに来たら、外道院がいちゃもんをつけて、恵信に病院を振りに入れて洗ってやれと命令して。恵信は裸になってその秒委任を風呂に入れて洗ってやって。。。。。
なんで裸にしなければいかんのかがわからん。
まぁ、ここまではいいとして。この状態を見た群衆が恵信を「観音様だ、観音様だ」といった後に、なんと『南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏』といっている。
なぜ五木氏はこれを書いたのか?わかって書いていると思うけど、多分にこの時の群衆のレベルをそこまで低レベルと表現したいのかもしれないが。
観音様を敬うのなら「南無観音菩薩」というのが筋。間違っても『南無阿弥陀仏』はないのだ。理由は、観音様と阿弥陀仏とは違うもの。一応仏様と両方を扱ったとして、観音様は“菩薩”でまだ完全に悟りを開いていないのであり、阿弥陀仏は”阿弥陀如来”を言って悟りを開いた仏様だ。この『阿弥陀如来』の悟りを開く前の状態を『法蔵菩薩』というので「観音菩薩とは違う仏さま。
このことを五木さんは、この先どう表現、扱いをするのかってこの先を楽しみにしようと思っている。
***
話はそれるけど、韓国の歴史ドラマを見ていると、お寺や僧侶が出てくることがある。儒教だけではないのだということを教えてくれるのだが、私が見ている数本のドラマに出てくる仏様は「観音菩薩」だけである。仏像としては如来もあるように見受けるのだけど、出てくるセリフが「名無観音菩薩」だけ。
このセリフが、ハングルで聞いていても同じなんですねぇ。。。。
2011年02月12日
小説「親鸞」 激動篇42
今日から新しいセクションに入ったけど、昨日までの続きで、親鸞は外道院に拉致されたようなもの。
今日は、なんか食えと言われたのが肉で、それを遠慮しないで食べている親鸞だが、これでいいのだよな。
どうして坊さんは、肉を食ってはいけないのか?誰が決めたのか?私は、これが不思議でしょうがないのだ。いつも書くことだけど、命あるのは、動物だけではなくて草花にも気にもショック物だって生きている命があるんだ。だから動物を殺すのが悪で、植物を殺すのは悪ではないとの理論は、まったくもって理解に苦しんでいる。
赤道直下の仏教国では、肉を布施としてもらったら、それを食べるって話だけどねぇ。日本の精進料理なんておかしくって。
親鸞が肉を食うのは、嫁さんをもらったの同じくらいに当たりませの世界なんでしょう。外道院は、今回のセリフで「彦山房は徳がないが、親鸞は徳がある」っていっているけど、何をもっての話で、この先これをどう生かすのやら。。。。
今日は、なんか食えと言われたのが肉で、それを遠慮しないで食べている親鸞だが、これでいいのだよな。
どうして坊さんは、肉を食ってはいけないのか?誰が決めたのか?私は、これが不思議でしょうがないのだ。いつも書くことだけど、命あるのは、動物だけではなくて草花にも気にもショック物だって生きている命があるんだ。だから動物を殺すのが悪で、植物を殺すのは悪ではないとの理論は、まったくもって理解に苦しんでいる。
赤道直下の仏教国では、肉を布施としてもらったら、それを食べるって話だけどねぇ。日本の精進料理なんておかしくって。
親鸞が肉を食うのは、嫁さんをもらったの同じくらいに当たりませの世界なんでしょう。外道院は、今回のセリフで「彦山房は徳がないが、親鸞は徳がある」っていっているけど、何をもっての話で、この先これをどう生かすのやら。。。。
タグ :小説・親鸞
2011年02月09日
小説「親鸞」 激動篇 39
ここのところ意識あいてかくのをさぼっている。あまりにもストーリーがとんでもない方に逝ってしまったので、書く気がなかなか・・・・
親鸞は外道院に呼ばれて船まで行ったのはいいけど、途中で人しい売買の現場に出くわしたりして、それを外道院に話して。。。この辺りがどうもよくわからんのだなぁ。
この当時も人身売買があったとは思われるけど、今日のストーリーではその売買を役人がしている。国司は都の役人だけど、守護代も役人だけど、こっちは幕府の役人だよねぇ。この時代、親鸞が流されたころは鎌倉幕府開幕15年の頃、流罪は今日の役人のしたことで、このころはまだ今日の役人の目が届いていた。これまでの読んだ記憶の中の書物には親鸞の越後時代には鎌倉幕府の役人とのかかわりはなかった気がする。(関東移住後は、鎌倉に行ったとの話も出てくるけど)
今日のシーンは、外道院の配下と守護代の配下がレスリングをする感じなんだけど。これで何をしようって?
親鸞は外道院に呼ばれて船まで行ったのはいいけど、途中で人しい売買の現場に出くわしたりして、それを外道院に話して。。。この辺りがどうもよくわからんのだなぁ。
この当時も人身売買があったとは思われるけど、今日のストーリーではその売買を役人がしている。国司は都の役人だけど、守護代も役人だけど、こっちは幕府の役人だよねぇ。この時代、親鸞が流されたころは鎌倉幕府開幕15年の頃、流罪は今日の役人のしたことで、このころはまだ今日の役人の目が届いていた。これまでの読んだ記憶の中の書物には親鸞の越後時代には鎌倉幕府の役人とのかかわりはなかった気がする。(関東移住後は、鎌倉に行ったとの話も出てくるけど)
今日のシーンは、外道院の配下と守護代の配下がレスリングをする感じなんだけど。これで何をしようって?
2011年02月01日
小説「親鸞」 激動篇31
う~~~ん なんでこんな挿絵になるの?結婚式の招待状でもあるまいに、外道院から「愛恋」といわれたのを招待状として表現する挿絵は、いったい何なのだろう?あまりにも中身が軽く見えてしまう。(といって重い話でもないけど)
数回前からだっけ?恩師・法然上人の著書『選択本願念仏集(通称・選択集)」を書写したものが登場しているけど、これホントだろうか?流人として流されてきた親鸞の持ち物検査はなされなかったということ?
大体この選択集は、人の目には触れさせてはいけないと法然上人がいっている内容のもの。それを流人が持っているとは、いくらなんでも。どうやって隠して持ってきた?ん??ひょっとして恵信が持ってきたとでもいいたいのだろうか?たとえそうであったとしても、流人に対しての持ち物検査はないのか?郡司ゆかりの人間だから大目に?
春風の中でというサブタイトルの章。この春風は、いつ吹いているのだろう?何月だ?今の年打でいうと4月初めころに親鸞は直江津海岸に上陸したといわれているけど(これも定かではないが、短文に流人として京を出たときからの換算かな?)実際にその時期にいったけど、妙高から吹き下ろす風はものすごく冷たかったよ。5月近くならないとねぇ。。。
数回前からだっけ?恩師・法然上人の著書『選択本願念仏集(通称・選択集)」を書写したものが登場しているけど、これホントだろうか?流人として流されてきた親鸞の持ち物検査はなされなかったということ?
大体この選択集は、人の目には触れさせてはいけないと法然上人がいっている内容のもの。それを流人が持っているとは、いくらなんでも。どうやって隠して持ってきた?ん??ひょっとして恵信が持ってきたとでもいいたいのだろうか?たとえそうであったとしても、流人に対しての持ち物検査はないのか?郡司ゆかりの人間だから大目に?
春風の中でというサブタイトルの章。この春風は、いつ吹いているのだろう?何月だ?今の年打でいうと4月初めころに親鸞は直江津海岸に上陸したといわれているけど(これも定かではないが、短文に流人として京を出たときからの換算かな?)実際にその時期にいったけど、妙高から吹き下ろす風はものすごく冷たかったよ。5月近くならないとねぇ。。。
2011年01月29日
小説「親鸞」 激動篇28
なんかねぇ 変な話になってきたし、挿絵も変なのが出てくるし。。。。
今回28の挿絵は、プロレスラースタイルの人間が突っ立っている。何だこれは?多分トラ、タイガーマスクかなぁ? タイガーマスクなら今はいい人だよ。だって、寄付をして回ってんでしょ?それが、この小説では『虎=敵』という構図になっている。まぁ、五木さんが書いたころにはまだ今の他ー0がーマスクの寄付の話なってなかったかもね。
それにしても、この筋書きでは外道院は親鸞を連れてこい、いやだと言ったら殺せといっている。なんでそんな話になるんだ?見た目で、そして『生き仏はいない』といわれただけで、警戒しなくて反乱のか?いくらなんでもそれはないだろう?それに外道院が大物なら、そこまで親鸞を恐れることもないだろうに。
大体、親鸞はその当時有名人だったのか?まぁ流刑地では目立つ間もしれないが、そんな有名人ではなかっただろう。有眼人なら、それなりに都の記録に残っているだろう。(ただし、鎌倉時代の越後の記録は、資料すら存在しないらしいから、なんとも言えないが)
なんか、だんだん小説のレベルが下がっていくように思えてねぇ。
今回28の挿絵は、プロレスラースタイルの人間が突っ立っている。何だこれは?多分トラ、タイガーマスクかなぁ? タイガーマスクなら今はいい人だよ。だって、寄付をして回ってんでしょ?それが、この小説では『虎=敵』という構図になっている。まぁ、五木さんが書いたころにはまだ今の他ー0がーマスクの寄付の話なってなかったかもね。
それにしても、この筋書きでは外道院は親鸞を連れてこい、いやだと言ったら殺せといっている。なんでそんな話になるんだ?見た目で、そして『生き仏はいない』といわれただけで、警戒しなくて反乱のか?いくらなんでもそれはないだろう?それに外道院が大物なら、そこまで親鸞を恐れることもないだろうに。
大体、親鸞はその当時有名人だったのか?まぁ流刑地では目立つ間もしれないが、そんな有名人ではなかっただろう。有眼人なら、それなりに都の記録に残っているだろう。(ただし、鎌倉時代の越後の記録は、資料すら存在しないらしいから、なんとも言えないが)
なんか、だんだん小説のレベルが下がっていくように思えてねぇ。
タグ :小説・親鸞
2011年01月27日
小説「親鸞」 激動篇26
当分続くのかな?親鸞の人となりの解説。
親鸞が、力持ちでいろんな力仕事をこなせるというのは、そんな文献はないだろうから、できるできないは書く人の想像でしょうがないよね。しかし、これが何を意味するのかは何時か知りたい。
過去に読んだ論文やら論説やら随想みたいなものでは、親鸞が京都の六角堂にこもったといわれているときは、95日間京都烏丸六角堂(山上の一本南)と比叡山の間を毎日往復したと書いている人もいるけど、私は無理だと思うんですけどね。まぁできるということはそれだけ屈強だったということを言いたいのだろうなぁ。それに千日修行なんてこともやったとしたらそれはそれだけの体をもっていないとできないし。(ただ親鸞が千日修行したとは聞いたことはない)
さて、彦山房と六角一馬の話を立ち聞きしていたのは誰でしょう? まさか親鸞じゃぁないよね?
親鸞が、力持ちでいろんな力仕事をこなせるというのは、そんな文献はないだろうから、できるできないは書く人の想像でしょうがないよね。しかし、これが何を意味するのかは何時か知りたい。
過去に読んだ論文やら論説やら随想みたいなものでは、親鸞が京都の六角堂にこもったといわれているときは、95日間京都烏丸六角堂(山上の一本南)と比叡山の間を毎日往復したと書いている人もいるけど、私は無理だと思うんですけどね。まぁできるということはそれだけ屈強だったということを言いたいのだろうなぁ。それに千日修行なんてこともやったとしたらそれはそれだけの体をもっていないとできないし。(ただ親鸞が千日修行したとは聞いたことはない)
さて、彦山房と六角一馬の話を立ち聞きしていたのは誰でしょう? まさか親鸞じゃぁないよね?
タグ :小説・親鸞
2011年01月25日
小説「親鸞」 激動篇24
どうもどこかで一日サボっているらしい。。。回数が合わないのだ。(どうでもいいことだけど)
今日のところも、親鸞の人物像と周りの自分つの話。
この最後のところで、「親鸞は意地で労役をしている」というようなことが書かれている。なぜ維持なのかはあす以降のことらしいけど。
親鸞は、後々教行信証の中で流罪に関することで、特に法然上人が流罪になったり、先輩が斬首の系になったことについて、かなり激しく非難している。(ころ絵は、朝廷批判になるということで、戦争中は黒塗りされたとのこと)
そういった親鸞の真底の怒りを五木さんは書きたいのかもしれないが。。。
話は変わるけど、
流人の生活を書いたものって、公文書として残っているのだろうか?一度読んでみたいとは思っている。
昔、14年くらい前になるかな?富山県の五箇山に行ったときに国民宿舎の下に流人小屋というのがあった。(写真撮ってきたけど、当時はデジカメでなかったものなぁ。。。どこにあるか不明)牢屋の小型版で、格子状のものがはめ込まれた頑丈そうな小屋だった。(五箇山の流刑地だったということなのだろう)
では、しんらんの流された現・上越市居多ヶ浜(越後国分)の流刑小屋はどうだったのだろう?
この連載に書かれているように、伯父・日野宗業の恩恵で緩やかな生活を食っていたのだろうか??この門所の一切ない親鸞の越後生活。想像するだけで…
今日のところも、親鸞の人物像と周りの自分つの話。
この最後のところで、「親鸞は意地で労役をしている」というようなことが書かれている。なぜ維持なのかはあす以降のことらしいけど。
親鸞は、後々教行信証の中で流罪に関することで、特に法然上人が流罪になったり、先輩が斬首の系になったことについて、かなり激しく非難している。(ころ絵は、朝廷批判になるということで、戦争中は黒塗りされたとのこと)
そういった親鸞の真底の怒りを五木さんは書きたいのかもしれないが。。。
話は変わるけど、
流人の生活を書いたものって、公文書として残っているのだろうか?一度読んでみたいとは思っている。
昔、14年くらい前になるかな?富山県の五箇山に行ったときに国民宿舎の下に流人小屋というのがあった。(写真撮ってきたけど、当時はデジカメでなかったものなぁ。。。どこにあるか不明)牢屋の小型版で、格子状のものがはめ込まれた頑丈そうな小屋だった。(五箇山の流刑地だったということなのだろう)
では、しんらんの流された現・上越市居多ヶ浜(越後国分)の流刑小屋はどうだったのだろう?
この連載に書かれているように、伯父・日野宗業の恩恵で緩やかな生活を食っていたのだろうか??この門所の一切ない親鸞の越後生活。想像するだけで…
2011年01月25日
小説「親鸞」 激動篇22
今日は、メールのトラブルで、親鸞の小説は頭から消えていて。メールのトラブルを明日に回してホッと。。。おや、親鸞忘れてたぁ。とばかりに思い出して。
今日のところは、親鸞の流刑になるいきさつが簡単に書かれている。しかし、なんか違う。。多分に表現が違うだけかもしれないけど、このころはまだ親鸞は師匠の法然さんの教えをそのままにしているころのはずで、まだ彼のしっかりとして独特の話はないと思うけどなぁ。
まだ、このころは教行信証なんて手もつけていない時期だと思う。
今日は、親鸞ゆかりの人物名が出てきた。伯父の名前、日野宗業がそれ。そして親鸞の奥さんの恵信尼については越後の豪族につながる旧家と書いている。
宗業は、それなりに公文書に出てくる名前でいいとして、恵信尼の実家については『三善』という家の娘であるといわれていて、それが越後なのか京都なのかは見解が分かれている。それを『豪族につながる旧家』という表現で曖昧にしている感じがする。
私は、越後の三善家と思っている(事実はどうあれ)。五木さんがそこを本当はどう思っているか、はっきり書いてほしかった。(これから書くのかな?)
明日はどうなるでしょう?
今日のところは、親鸞の流刑になるいきさつが簡単に書かれている。しかし、なんか違う。。多分に表現が違うだけかもしれないけど、このころはまだ親鸞は師匠の法然さんの教えをそのままにしているころのはずで、まだ彼のしっかりとして独特の話はないと思うけどなぁ。
まだ、このころは教行信証なんて手もつけていない時期だと思う。
今日は、親鸞ゆかりの人物名が出てきた。伯父の名前、日野宗業がそれ。そして親鸞の奥さんの恵信尼については越後の豪族につながる旧家と書いている。
宗業は、それなりに公文書に出てくる名前でいいとして、恵信尼の実家については『三善』という家の娘であるといわれていて、それが越後なのか京都なのかは見解が分かれている。それを『豪族につながる旧家』という表現で曖昧にしている感じがする。
私は、越後の三善家と思っている(事実はどうあれ)。五木さんがそこを本当はどう思っているか、はっきり書いてほしかった。(これから書くのかな?)
明日はどうなるでしょう?
タグ :小説・親鸞
2011年01月22日
小説「親鸞」 激動篇20/21
昨日はさぼってしまった。なんとなく書きたくなくて。。。。
今日は、親鸞の出自の話が出始めたので、書くことにした。
今日のストーリーでは、親鸞が京都の日野(現在の山科区日野)で生まれたといっている。そして父親が日野有範という下級役人であったと書いている。これは、善信聖人親鸞伝絵、親鸞伝絵という後の世に書かれたものに記載されていることをそのまま踏襲している。
しかし、これが本当なのかどうかは私は疑問を持っている。前の連載のときにも書いたけど、父親・有礼が役人であったとして、親鸞の生まれたところから通勤するのには無理がある。それに下級役人であって、今回の連載に書かれていることだと牛車も持たない身分となると、日野から京都の街中まで歩かねばならないのだ。今は40分に1本のバスと地下鉄東西線で烏丸三条まで行ってもまともに行って30以上は絶対にかかる。これを歩くと何時間かかるのだ?
それに牛車も持てない身分の役人が日野家の別荘に住んでいたとは考えられないし・・ また出産のときだけ使ったとしても、この法界寺は今でこそ本堂と薬師堂だけだけど、昔はものすごくでかい寺で、それは日野家の別荘を寺にしたものといわれている。
こうした矛盾を満足のいく解説をしている書物に出会ったことがないのだ。
まぁ、お西さんがこの小説をバックアップしているから、お西さんの機嫌を損ねない話にしなければいけないだろうが、お西さんは結構この土地でひどいことをしている。
親鸞た城の寺といわれる法界寺の南隣にお西さん恵系のよう治安があり、その西隅に「親鸞聖人産湯の井戸」なるものがある。こういう嘘を大っぴらにやっている宗教集団だということ。また、この幼稚園の東には「誕生院」というものも存在する。
毎年4月には親鸞の誕生日を祝って観光バスで多くの人が押し寄せる。しかし、親鸞の誕生日は公式に記されたものは存在しない。入滅の日は、末娘・覚信尼と奥さん・恵信尼戸の手紙のやり取りで明らかにされてはいるが。
小説しか知らない人だと、こういう有名人が書くものを信じてしまいそうになるのが、気になるものだ。夢夢、描かれていることをそのまま受け止めないでほしいもの。
今日は、親鸞の出自の話が出始めたので、書くことにした。
今日のストーリーでは、親鸞が京都の日野(現在の山科区日野)で生まれたといっている。そして父親が日野有範という下級役人であったと書いている。これは、善信聖人親鸞伝絵、親鸞伝絵という後の世に書かれたものに記載されていることをそのまま踏襲している。
しかし、これが本当なのかどうかは私は疑問を持っている。前の連載のときにも書いたけど、父親・有礼が役人であったとして、親鸞の生まれたところから通勤するのには無理がある。それに下級役人であって、今回の連載に書かれていることだと牛車も持たない身分となると、日野から京都の街中まで歩かねばならないのだ。今は40分に1本のバスと地下鉄東西線で烏丸三条まで行ってもまともに行って30以上は絶対にかかる。これを歩くと何時間かかるのだ?
それに牛車も持てない身分の役人が日野家の別荘に住んでいたとは考えられないし・・ また出産のときだけ使ったとしても、この法界寺は今でこそ本堂と薬師堂だけだけど、昔はものすごくでかい寺で、それは日野家の別荘を寺にしたものといわれている。
こうした矛盾を満足のいく解説をしている書物に出会ったことがないのだ。
まぁ、お西さんがこの小説をバックアップしているから、お西さんの機嫌を損ねない話にしなければいけないだろうが、お西さんは結構この土地でひどいことをしている。
親鸞た城の寺といわれる法界寺の南隣にお西さん恵系のよう治安があり、その西隅に「親鸞聖人産湯の井戸」なるものがある。こういう嘘を大っぴらにやっている宗教集団だということ。また、この幼稚園の東には「誕生院」というものも存在する。
毎年4月には親鸞の誕生日を祝って観光バスで多くの人が押し寄せる。しかし、親鸞の誕生日は公式に記されたものは存在しない。入滅の日は、末娘・覚信尼と奥さん・恵信尼戸の手紙のやり取りで明らかにされてはいるが。
小説しか知らない人だと、こういう有名人が書くものを信じてしまいそうになるのが、気になるものだ。夢夢、描かれていることをそのまま受け止めないでほしいもの。