2008年10月14日
小説『親鸞と真佛』(17)
親鸞の結婚 1
「真佛よ。これも弥陀の計らいかのぉ。弥陀も少々意地のお悪いときもあるのかもしれぬ。恵信との話が二人の心の中で固まったころに、越後の三善家の都合で恵信は、里帰りを余儀なくされてしまったのじゃ。二人は、泣いたものじゃ。しかし、いかんせん、覆すことができない事情であったのだ。しばらくして、恵信は、泣く泣く越後に帰ることになった。必ずの再会を誓ってな。。
このように恵信と離ればなれにならねばならなくなったのだが、これまでのいきさつは、九条様も空師もご存じなかったことでもある。ご存知であれば、里に帰る前になんからの手は打たれたこと思う」
「上人。なんとなんと、悲しい出来事でございますなぁ」
「真佛よ。これも弥陀の計らいじゃ。人生は、すべて弥陀の計らい」
親鸞の人生は、波乱に飛んでいるとはいえ、こうしたこともあったのかと横で聞いている私としては、いくら弥陀の計らいと親鸞が話すにしても、人生の不思議を感じざるを得ない。
親鸞の話は、まだ続いている。
「真佛よ。弥陀の計らいは、奥が深いものじゃ。私と女人のかかわりは、それで終わるということではなく、また違った計らいをされたのだ。恵信が里に帰って悲嘆に暮れいている私に、追い討ちをかけるように、なんと九条様から『妻を娶れ』というお話になったのだ。それも恵信ではなく、他の女人、『玉日』ともうす九条様ゆかりの女人をな。これは、九条様と空師との間のお話でできたことであり、お二人から娶るように仰せつかったのだ。これは赤山明神のできことから三年近い月日、そうよな。ちょうど千日くらい立った頃であったろう。あの明神の女人はこれを予言したということのようじゃ。しかし、九条様も空師も、お二人が恵信と私の間をご存知であれば、内心『恵信のことは諦めろ』というお心ではなかったかと思う。それでいて、私の女人への考えは空師はご存知であるし、九条様は『僧が妻帯しても往生できるか。』と空師に再三詰問されておったのだが、空師も腹を据えられたのか、私への進言ということになったようじゃ」
「上人。私としては、驚くばかりでございます。それで」
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ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
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