2019年05月04日
2019年02月12日
診察の合間に 般若台へ

最初の診察でCT画像で問題ないとの結果をもらって気分良く診察室を出た。その時刻がもうじき12時という時間。次の泌尿器科の予約が1時半なので1時間24分位の空きがあるからこの間に食事に行こうと。病院の中ではなく外で食べることにして、病院に北の交差点からいりなかに向かって歩いて、杁中に向かって3分の1くらい歩いたところにあるお蕎麦屋さん(手打ち蕎麦・まきの)で蕎麦のランチを食べた。(ここは時折行きます)
美味しく食べて終わったのが12時20分位だったかな?腹いっぱいなので、腹ごなしに坂道を歩いて上って病院に戻るかと歩き始めた。お蕎麦屋さんの西の交差点で南に曲がってそのまま真っすぐ行き、喫茶店マウンテンの前を通り過ぎて少し行ったところで「般若台」という案内味であった。なんだろうという事で行くことにした。
般若台に向かって歩く。。。歩くなんてもんじゃァない、山登りだ。だから前にマウンテンがあるのか?ものすごい急坂。もう喉がヒューヒューいうほどに。
途中で、犬が私を見つけて待っている。近くまで行ったら尻尾振って喜んで近づいてきて体擦り寄せて・・私も嬉しかったなぁ。。あいつわかってたんだぁ。
それかまだ登りました。喘ぎました。そして峠のところで左にお履かみたいところの入口があった。



入り口の両横には左と右の画像の石柱が立っていた。
両方共なんなのかさっぱり。名古屋の人間でありながら、しかも昔この知覚を仕事場にしていたのに、こんな処知らなかったよ。

このお墓の先にお寺がある。”香積院”と書かれている。ん??”香積院”といえば名古屋の桜の名所で、やまなかの交差点からいり中に行ってすぐ東に道を取ると、その先にあるところなのだが、なぜここにもあるの???
帰ってから調べました。ここの”香積院”は元の”香積院”の4世がここに来て”般若心経”を書写したのだそうな。それでこの場所を”般若大”というのだそうな。
これで2つの脊柱の一つ”般若台”はわかったがもう一つの「妙香城」は何だ??これも調べました。が、残念ながら、ネット上で見つけられなかった。私の力不足です。
"妙香”となると、名古屋のお茶屋さんに有名な”妙香園”があるが、HPでも店の中¥前の由来が書いてなかった。という事で、わかりません。。。

そんなことはさておき、ここが”史跡”書かれていても、そんなの知らないよ。名古屋人でありながらここが”史跡”ってどのくらいの人が知ってんだ?
史跡って普通は、教育委員会かなんかが考察出して、ちょいとした説明があるものだけど、なかったような気がしたけどなぁ。。。
その石柱を知り目に、そろそろ病院に戻ろうと真っすぐ東に歩きました。どん詰まり。突き当りで右は通せんぼしてあった、左を向くと階段がある。右に折れると正面に八事に席が見える階段がありました。

ちょいとした山登りをして、お腹もそれなりにこなれたかなぁ。。。
2019年02月10日
長久手市 長久手文化の家

途中VIVAホームで木彫りの刃物(アートナイフ)とメダカの餌を買った。そしてすぐに目的地に向かった。VIVAからは近かったなぁ。もっと離れているかと思ったが。。
目的地は、長久手文化の家、猿投グリーン道路に行く道から北に坂を上がって、長久手市図書館の反対側で、峠を越したところの少し先に入口がある。車の出入りが多い。この日は子供のイベントが朝から開催されているのでそのためかと思うが。。
道路から文化の家の敷地内に入ったが、ん??駐車場は?車を停めてかかりのおじさんに聞いたら、左側の建物の中に入れという。バックできないからロータリーを一周りして建物の駐車場に突っ込んだ。1階の駐車場は満杯で2階に上がれと、どこから上がる???延々と走って一番端っこの突き当りで右折したらすぐ左折しろと。左折したら、ん??外にでてしまった。道なりに行ったら2階じゃぁねぇ屋上だよ。。。。車がいっぱい。イベントに来ている人だろう。空いているところ(一番東の橋)に車をおいて、建物に入る。
入り口から入ったところが、この”文化の家”の2階なんだ。。。目的のホールの場所がわからない。とにかく案内がまともに表示されていない。(このあたりはスタッフがきちんと考えるべき)
しょうがないので子供のイベントの受付をしている人に聞いたら調べてくれて、1階と教えてくれた。(ありがとう)言われたように1階に下りたのだが、エレベータの乗場がわからない。(これも考えてほしい)階段で降りた(健康のためにはいいけど)。
1階に下りて、会場に行ったら開くのはちょいと先というので、建物の中を散策。

これが正面玄関です。車もここに向かって入りますが、左側に駐車場の入口があります。
この正面のショットでおわかりと思いますが、真ん中に白いものが見えます。これは反対側(内側)から見るもので、外から来る人には何だ???状態で、入り口を塞いでいる。どうもここのスタッフは美的センス、人の動向を無視している感がある。

右側のガラスドアを押して中にはいって通路の真ん中からのショットです。この右側にホール、左側に今回の講演会のホールがあります。
画像中央に見える左上がりの斜めのものは1階から2階に上がる通路で、車椅子、乳母車はここで上下しろということなのかな?狭いけど。。。


これは通路の左側においてあった、ダンボールアートのハープシコードで実際に音が出ます、弾けます。小さい女の子が弾いてました。これは昨日紹介した展覧会の作者の作品のようです。

この後、奥の方に行ったら例の展覧会場があって中を覗きました。
このショットは、作品の一つです。おそらく作者の意図としては、作り上げた物自体が作品であると同時に、このライトを当てて出来上がった陰影の様子も作品と考えているのではないかと思います。申しそうでないとすると”ん????”となりますが。。。この状態でいい雰囲気の作品でしたよ。

これは昨日紹介した猫の連作の一つかと思います。なんか小さい熊が立っているかと思ったけど、隣に小さい猫がいるので、猫の立ち姿ね。阿弥陀さんの立ち姿だったら、ここで”迎えに来ないでください”といったと思う。

でも、この日開催されていた子供イベントに来た子どもたちにはいいかもな。
しばらくのタイムラグの後、講演会の会場の扉が開きました。
講演会は、愛知県医師会の主催の耳鼻科の話で、今回は”耳寄りな話”ということで、耳に特化した講演会でした。演者は長久手市の開業医の杉山先生です。
70人位の収容人数の会場は秋咳がちらほら、でもそんなに空いてませんでしたね。聞く人は殆どがお年を召したから、私もその部類です。
講演会の話は、大変申し訳無いですが、もともと眠いのを無理していっていたので、公演が始まってしばらくしてからウトウトし始めて・・・・・
ただ、後半の”補聴器”の話は結構しっかり聞きました。これまでかかっていた耳鼻科の医師とちょっと趣の違う話をされていたので聞き入ったわけです。まぁ、難聴になったら”ボケ防止”も視野に入れて補聴器のおすすめでしたが、最近の補聴器の進化も少しあって、患者の状態に合わせたものの選択の話など。ただ闇雲に作ればいいというものではないということのようです。大変参考になったあいいお話でした、かかりつけの闇雲に補聴器を作り直せという医師に聞かせたかった。
この先生の診察を受けたい〜〜〜 (遠いので却下)

公演が終わって、帰ります。スロープを使って2階に上がり、2階の入り口から駐車場に。
このショットは駐車場を背中に文化の家の2階部分(東端)を見ています。真ん中や左の建物などは高校生と思しき人たちが勉強してました。図書館からあぶれたのかな?

このショットは、文化の家の駐車場を背中に左手に建物を見て、北東の方向を向いてのショットです。中央上の方にある白いものは、この名古屋・尾張地区にTV地上波(地デジ)を送っている電波塔です。
天気があまり良くなかったので、こんな景色ですが、天気が良ければ長久手ののんびりした住宅街が見えているkと思います。
以上、長久手をつまらない書き方で報告してしまいました。長久手の方ごめんなさい。
長久手市は、年齢層が若い年です。若者が住みたいという都市と言われていると思います。都市の区画整理は昔からの道を生かしているので、ちょいと方向音痴になりかねませんができたらナビを付けた車で起こしください。
2018年10月31日
1時間50分の冒険の旅 3 帰り道で いい音に出会う

相生山緑地に中のメインストリートを西に進んで、相生山神社で参拝してまた西に進んで突き当たり、ここで右に折れて緩やかな坂を下っていきます
しばらくすると左側にグランドが見えます。千秋家の墓はその向こうにあるようです。今回はいきません。そのグランドのすこし手前だったかな?下のように赤くなった葉の灌木がありました。

そしてグランドの横辺りだったと思いますが、民家の玄関先に”大黒さん”の石の彫り物がでんと構えてました。いいですねぇ、こういうの。あぁ”たぬき”もいるんだ。。それに大きな木の”打ち出の小槌”かな?

この先はあまり写真をとってません。景色が取るほどでもな愛ということと、民家があるので、下手に取るとプライバシーの問題になりかねないので自重してます。

自重してはいるものの、きれいなものを見ると撮りたくなる悪い癖ですねぇ。。。これはシロヨメナっていうのかな?(ネットで調べたけど、合ってるかわかんない)これはあちこちで見かけました。自生なんでしょうね。。。
この花を見た先で右に折れました。直進して突き当たってから右折という道もあるんですが、オアシスの森を通らねばならないと、ここで出会った女性に教えてもらいました。この時期、平日のこの時間に一人でオアシスの森は、おすすめでないよぉ。誰もいないと思うから。ということでそれを避けて広い通りをしばらく女性と話をしながら歩きました。

しばらくして、その女性と別れて先に歩いていたら左側に柿のたくさん実った木がありました。民家の横なんで植えたんだろうかと思いますが、収穫してないのは渋かな?ほうっておくと甘くなったりしてね。

この画像は、T字路になったところですが、ここで道に名前がついていることに気づいたのです。まぁ脇道が多く、それに似ている感じの道なので名前をつてたのだろうと思うのですが。。。そういえば、この上に昔池があったんではないかと、今思い出した、どうなんたのだろ?

上の上のT字路のところの道の名前の後ろにバラかな?きれいに咲いてました。ただ鉄線が張ってあるし足場の問題でこれしか撮れなかった。。。
ここからさらに東に歩いてます。少しずつゆるく登っていきます。
少し歩いたところで、ん????ギータの音色が耳に飛び込んできた。通り過ぎる前は、なんだか木彫りの材料にでもしているのかと思う木が沢山ある家だなぁとしか思っていなかった。しかし、ギターの音で振り返ったら、一人の男性がギターを引いているんだ。
道を少し戻って、その家の方に歩いていき、じっとそのギターの音を聞いてたんですが、挨拶して何をされているのか聞いたりして。。。 どのくらいお話していたかな?耳の悪い私にこんなにきれいなギターの音が聞こえるなんて思っても見なかった。
引いていたギターはナイロン弦のクラッシックの一番太い弦だったけど、最後の方には別の全部の弦を張ったものを出していただいて、高い音も聞かせてもらいました。とにかく補聴器をとってもすごくきれいに聞こえたのです。全く予想外の音とそしてその音を出してくださった方との出会いでした。
このときは写真は撮りませんでしたが、何時かまたお邪魔して写真を撮らせていただこうと思ってます。この方は、ギターの修理などを仕事にされている方です。そしてその建物は、彼の工房でした。

さてさて、素晴らしい出会いの工房を後に帰り道です。
少し上ると突き当たります。この先が面倒なのです。突き当たって左の足場の悪い細い道を下り、また細いT字路に出ます。ここで”八つ墓村”という横溝正史の小説の冒頭を思い出したのですが、一人の高齢の女声が乳母車を押して通っていかれました。
写真は、相生山に入ったときの交差点に出る手前で撮ったものです。この先に相生小学校があります。これで1時間50分の旅の終焉が近づきました。 あとは10分弱で我が家に帰り着きます。
これで 今回の度は終了です。いい旅でした。
2018年10月29日
1時間50分の冒険の旅 2 相生山緑地 相生山神社

緑地の中は、結構広いし、道が細くて(車のすれ違いは多くが難しい)脇道がたくさんあって、まるで迷路のようです。方向音痴の人だと中でまとって遭難なんてのは大げさだけど、鬱蒼と茂った手入れしていない木々の中の道を歩くのはなれない人は一人ではなく数人でやってほしいなぁなんて思いますが。。。
葉書塔を後に西に向かいます。昔はこの地殻に恩師(といっても学校ではない)のお家があったけど、どうされたかな?そんなこと思い出しながら歩いていきます。
途中の脇道は無視して東海通りの延長のバス通りから車でも上がれる道(これはちと広い)にでました。この先に”相生山神社”というのがあったと、先日どこかで見たような記憶。それを思い出したのでどこだろうと歩いていく。

広い道に出てすぐ右側に公園がある。歩いている時間は、小さい子は幼稚園だろうし、大きい子は学校に行っている時間だ。誰もいないガランとした公園だ。でもなぁ、この地殻にはそんなにたくさんの家があるわけではない。それに子供ってたくさんいるのかな?なんて思った。
その公園の中ほどに下の画像の地図がある。

この相生山緑地の中は、かなり昔から緑地指定になっていて住宅など建築には名古屋市の許可が必要なんですね。実は我が家は、昔ご先祖さん=両親がこの地域に土地をかったことがあって、そのまま時間が経っていたら家を立てていたかもしれないんですが、私が高校時代くらいに緑地指定なるという話を不動産屋が持ち込んだので、現在済んでいるところに買い替えたらしい。
こんなきつい条件のあるところの割には、歩いていたら結構新しい家が建ったりしてるんだよなぁ。。。勇気のある方々かもしれない。
その公園を後に真っすぐ進んでいくと右手にのぼり旗が見えた。それが靉嘔射山神社のようだ。

昔は車で時折通ったものだけど、こんなところに神社があるなんて知らなかったなぁ。。。ひょっとしたら、近い過去に手直しでもしたのかもしれないなぁ。

上は、相生山神社の境内にある祠です。ちょっとだけある空間にこの祠が建っています。なんでもこの神社は、昔は入口の鳥居もなかったということなので、私が知らないのも当然かな?
とにかく小さい神社です。

どんどん進むと、この道は突き当りに来ます。まぁ知ってはいるんですが。。。この突き当りにはカーブミラーが右左それぞれようがついてます。
この突き当りを左に行けば野並の方に出られ、右に行けば野球のグランドがあり、休日等はそれなりに交通量があるんではないかな?だからミラーが必要なんでしょう。
私は、この突き当りを右にいきます。帰る方向です。画像をよく見ると「千秋家の墓」と書かれています。今回の私の歩くコースからは外れていますが、なんだかいわれのある時代の家系の墓とか。(ネットで「千秋家の墓」で検索するとお和借りになるかと思います。)
さて、この突き当りを右に折れて坂を下っていきます。
名古屋市の「歴史散策コース」になってます。
その案内地図は
http://www.city.nagoya.jp/tempaku/cmsfiles/contents/0000001/1042/tenpaku_2_aioiyama.pd
を参考にされるといいかなぁって思います。
私は勝手に歩いているだけですが。。。。
2018年10月29日
1時間50分の冒険の旅 1 相生山緑地 葉書塔

天気も秋空の晴天でものすごくいいし
体の調子がまずまず
めまいも耳鳴りも少ないので冒険に出た
多少体が左に流れるきらいはあるがほんの少しだけ
10時過ぎに家を出た
出て少し歩いて忘れ物に気づいた
iPod touch を忘れたのだ
これがないとバウも地下鉄も金払わねばならない
というよりも歩数計をがついているからそれが必要
取りに帰ってすぐ再出発
相生小学校の横を抜けて
相生山緑地に入り込む
緑地は手入れが全くされていないのだろう
もう鬱蒼と時が茂っていて
日当たりが悪いから枯れてきているものもたくさん
計画道路の建設を止めてしまったことで
余計に開発が遅れ緑がだめになっていく
道路建設に反対した人々にこの現状を見てもらいたい

画像は、相生小学校を背に緑地に中にはいったところ、この先のT字路で左に折れて坂を登っていく。途中造園工事の車が止まり医師化ブロックをサンダーで削っていたけど、気を使ってもらい道を開けてもらった。
そのまま直進するとなんだかなぁ。。。。ずんぐりむっくりの塔がある。このあたりに葉書塔(葉書塚とばかり思い込んでいた)があるという記憶があったので、多分と思ったが、値ゔには”納骨堂”なんてものあるんでこっちか?ともおもったが、正面に回って”葉書塔”と確認できた。
この塔のいわれを書くと長くなるのでネットで見てください。”葉書塔”をキーに検索するといっぱい出てきます。

正面です


正面にはめ込まれたいわれなどの銘板です

ただ、ガラスがものすごく汚れていて、そのガラス越しには、この画像がせいいっぱいの綺麗さでしょう。次に行くときはなにか拭くものを持っていこうかな?
葉書塔を後に道を西にとります。緑地内の細い通りは、車が来ないかと思っていたのですが、ちょいちょい通りますね。そのたびに脇によって通過をまりました。
この先まだ1時間半の散歩ですが、画像は期待しないでください。大した景色はありませんので。。。
2018年05月17日
家を追い出され5時間の一人旅 6
いいかげんにせんといかんなぁ。。。。この先もっとボケるからなぁ。。

旭川の旭山動物園では顔を触れるくらいに近くに見てきたが、東山ものすごく遠くにいるよなぁ。(あぁ、後日ニュースで東山も顔を触れるらしいことを知った)
それにしてもガランと広いわ。キリンが葉っぱを食べている気が可愛そう。何も残ってないみたいね、キリンももうないのかって感じだよ。

何枚かショットしたけど、フラッシュたくわけにも行かないのでどう仕様もない物になってしまっている。この写真では、どこにいるかわかりませんねぇ。。。。。これでも一番見えるものを撮ってきたんですよ。
そういえば、最近、赤ちゃんコアラの名前が決まったとか、そんなことえんないでやってたか?
そうそうにでてきました。そして池の西橋を通って北に向かった。行き先は北園、イケメンにアイニです。
2018年05月11日
家を追い出され5時間の一人旅 5
前回はでっかい猫(ライオンとトラ)のことを書きました。その虎を見る前にメインストリートの方に目が行ったとき、眼下に恐竜がいました。

この恐竜、きれいですねぇ。。。。私が子供の頃にも東山動物園には恐竜がいました。でも、コンクリートが荒れていてそれはそれは時どいものだったような記憶です。いっとき接近禁止になっていたと思いますが、それを取り壊して作り直したのでしょう。
恐竜の先に人が写ってますが、これを見るとそんなに混み合っていない感じですね。まぁ昼時ですので、食べるものを提供しているところに人が行ってストリートは人が少なかったのかもなぁ。
さて、次はコアラ舎に行きますが・・・・
2018年05月08日
家を追い出され5時間の一人旅 4
ライオンを見ているときには、太陽が強い日差しをぶつけて着るようになった。この日は湿度が低くてちょっと肌寒さを感じた朝だったので、ベストとパーカーを着ている。さすが暑くなってきたので、パーカーを脱いでバックパックに押し込んだ。そして熱中症にならないようにとペットの水を飲む。
ライオンはでかいけど”猫”に変わりはない、その同じ”猫”の仲間の虎がちょいと坂を登ったところにいる。かいだんをあがるのだが、せまいのでひとがひしめきあっているかんじだ。檻の前も人だかりで、なかなか檻に近づけない。
虎は動き回っている、これまでの動物たり寝ているのが殆どだったけど、なんでこいつは動き回っているのかと思った。動くおかげでカメラで追っかけるのが大変だ。折に近づけないから余計なのだが、それでもなんとかショットできたが、ピントがどこに合っているのやら、ひょっとしたら檻にあってしまっているかもしれない。

いい顔してますねぇ。。。。。ライオンよりも好きかもなぁ。。。。そういえば子供の頃に我が家には虎がいた。と言っても”加藤清正が虎退治している”人形だったけど、あの人形どうなったんだろ?70年近い前を思い出してどうする?
東山動物園は長いことしていないうちにかなり改装されているけど、この虎舎のあたりは改装されてないみたいだなぁ。虎舎の通路を挟んで反対側に熊舎があり、建物も変わってないと思う。
熊舎はパスして東に行くと階段をまた少し登ったところに首の長いのがいた。私の来るのを長いこと待っていたから?手なことはないねぇきりんです。
旭川の旭山動物園では直ぐ側でキリンの顔見たけど、ここのキリンは今日は遠くで食事中だ

しっかり食べたんだろうねぇ。木には葉っぱがないよ。。。。
さて次は????
2018年05月06日
家を追い出され5時間の一人旅 3
家を追い出されたジイさんは
行くあてもなく外に出ました
といってカネがないので遠くにはいけません
バスと地下鉄の敬老パスを使っての旅です
前回までに書いたように
バスと地下鉄を乗り継いで
名古屋市立の東山動物園に来ています
本園の正面ゲートから入園
本園のメインストリートを
左にモノレールを見ながら東に歩きました
コンクリート製の像の所まで来たことは
前回書いています
コンクリート製の像の北側(おしりの方)に
本物のゾウさんのお家があります
昔は反対側(南側)だったんですが
こんな広い新しいところにいるなんて
長いこと来ていない証拠ですねぇ
この像者の運動場は区切らているのですが
その境のところの檻か鉄柵を挟んで
多分親子だと思うのですが
大小3頭の像がじゃれ合っています
いいものですねぇ
親子がじゃれあうのは
人間も動物も微笑ましくていいものです

しばし眺めていましたが
そんなに長く見ていてもねぇ。。。。
次はどこに行こうかと
メインストリートの反対側に足を向かました
頭の中に
これまで”コアラ”を見たことがない
そんな事があるので
コアラ舎に近い方を選んだようです
記憶では
歯科がいたところを通り越したら
右手の坂の上に”ライオン”と書いた矢印を見て
人の流れに沿っていきました
昔とちょっと違うな
橋を渡ったところのガラス張りの向こうに
メスのライオンが丸太にあご乗せたように見える格好で
ねていました

そのライオンの上の方に黄色い丸い玉がある
橋を渡ったところで
係のお姉さんがいたんで
”このボール名にするの?”って聞いたら
”ライオンがじゃれるんです”と
”鉄の玉で重いでしょ?”と聞いたら
”はい”と返事してきた
<重い球で遊ぶの?>と疑問ではあったけど
百獣の王だもんなぁと。。。。
人の流れに沿って進んだら
どうもオスライオンがいると思われるところに来たが
中が暗すぎて何もわからんかった

この前に写真の穴の空いた黄色い玉があった
”ライオンの爪痕”と書かれている
こんな鉄の玉に穴あけるの?と
叩いてみた
なんだ、なんだ 硬いプラスチックではないかあ
係のお姉さんに騙されたよぉ
2018年03月17日
蕾が膨らんで・・・

桜のツボミ
結構大ききなりました
でも日当たりが悪いので
満開にはかなり時間がかかりそうです

これを見てもまだまだですねぇ

モクレンです
一見鳥が並んで止まっているみたいに
茶色の服を脱ぎ始めています
他のところでは
もう満開のところもあるのですが。.。

ボケがまた咲き始めました
側から見ると
梅かいなぁ?桜かいなぁ?
なんて・・・・

スイセンです
この花たち一年中直射日光を受けないところに咲いてます
本当は鉢植えだったのですが
私が嫌ったので
家内が庭の一番隅に地植えしてしまった
でも
健気に咲き続けてます
日陰の身でも、命は簡単には死なないものだと
2018年01月20日
今年の恵方の先取り・笠寺観音 その3
本当はここから入るといいのでしょうが、旧東海道は細い道で交通量が多いだけでなく、名古屋環状線から笠寺観音の西門の近くまでは西行き、東行きお互いに一方通行なんですが、この仁王門の前は相互通行でちょっと気をつけないと危険です。と言うことで、環状線から来る時は西門から入るのが安全でしょう。

仁王門は、当然のごとく仁王さんが2体あります。正直もうして色々仁王さん見てますが、力強さはイマイチかな?最も荒子観音は円空さんの彫った仁王さんですが、ここはどなたの作かわかりませんが、まぁごく当たり前の仁王さんです。


仁王門の前には堀があってそこに石の太鼓橋があります。お寺での太鼓橋ってたくさんあったかなぁ?古い寺ではあんまり見たことないと思いますが。。。


右の写真は”玉照姫泉増院”の門です。これを入るとつきあたりに干支のお守りの仏さんが並んだお堂があります。その突き当たりを右に折れます。

そしてその左側に薬師堂とか書いてあったような、中に綺麗な仏さんがありました。(薬師さんの立ち姿が何で東向いてるんだろ?)
この玉照姫泉増院でへぇ?と言うものに出会いました。梅の花、蝋梅です。梅というのはこれから咲くものと思っていたのですが、蝋梅は12月頃に開花すっるんだそうですね。なんかちょっと季節を設けたような気になりました。

蝋梅はいい匂いがしていたと家内が言ってました。残念ながら私は匂いは嗅ぐことはできませんでしたねぇ。。ほんと植物のことも知らない恥かきです。

玉照姫泉増院を出るところで、コンパクトデジカメのバッテリーが切れました。ということで、今回はここでお話を打ち切りします。
アァ、書き忘れ。玉照姫は、観音さんに傘をかぶせたことのご縁で、貴族なんでしょうねぇ、藤原兼平に嫁いだということで、玉の輿伝説ということで、そんな願いを叶えるためのスポットにもなっているようですが。私のかぶった傘もそのものだそうですが、今更私が玉の輿に乗るなんてねぇ。。。。。
2018年01月19日
今年の恵方の先取り・笠寺観音 その2


この本堂の真後ろに仁王門があります。これは帰りに通る予定です。

本堂内に入ると正面に本尊の十一面観音さんがあるんですが、遠くて見えやしないよ。今彫っている十一面観音さんの参考にさせてもらおうと思ったんだけどねぇ。とにかく合掌。
この左手に行列。なんか沖縄で見た女性の踊りで被っていた傘みたいなものの中に頭を入れて、呪文を唱えてもらっている。その順番待ちなんだ。家内がすると言うので、じゃ私もと行列に並んだ。順番が来たところで家内にショットしてもらったのが下の写真。指名手配に使われると困るのでモザイクをかけました。

呪文は、何だか全くわからない。最後に”ソワカ”って言ったかなぁ。このかぶった傘は、観音さんが被っていた傘だそうだけど、かなりでかいのでどの観音さんがいつ頃かぶっていたものかすごく気になったけど、そんなことは質問できるわけないしなぁ。。。
本堂は、この日(実は今年の”初観音”だそうで)は時間によっては本堂の観音さんの前まで行けたようですが、私らは残念ながら時間が合わず入れませんでした。
祈ってもらって本堂の右手に出て行く。その手前に小さい石の地蔵さんが座って並んでいる。なんでも”おもかる地蔵”と言うのだそうで、たぶんに京都の伏見稲荷の”おもかる石”と同じ役目をしている感じ。真ん中の大きいのと、市場なん左の小さいのを抱いてみた。重いのか軽いのか何とも言いようがないなぁ。。。
お行きになったら是非試してみてください。

その後ろに降りるスロープがあり、その左手に小さい祠、お堂がいくつか。その中に”宮本武蔵”の塚があった。確かに武蔵はこの地に来ていることは聞いたことがあるけど、何の碑何だろう?疑問のままです。
さて、このあとその武蔵の日の後ろにある駐車場に行きました。結構高台で周りの渋滞が見えますが、見晴台はどこかわかんなかった。
本堂はこれで終わり。次回は仁王門から玉照姫ゆかりの寺を書きます。
2018年01月18日
今年の恵方の先取り・笠寺観音 その1
バスに乗って地下鉄の駅まで。地下鉄に乗り換え得て3つ目のr機・桜本町で下車、そして地上に出たところで、目の前にバス停があるけど乗らないで歩くことに、だって歩きに来たんだからねぇ。
環状線を南に進んで、バス停で言うと3つくらいかな?歩いた歩いた。そして本当の東海道に来てここで左折。細い道をまっすぐ東に行くとそこが笠寺観音の西門。久しぶりですねぇ。。

笠寺観音は、今回でくるのは3回目です。一番最初に来たのは、たぶん3歳になってなかったかと思うけど、記憶に残っているのは近所のおじさんの肩車で豆まきを見たと言うこと。途中の記憶は全くないけど、なぜか肩車で豆まきを見たと言う記憶だけが残っている。
2回目に来たのは、娘がまだヨチヨチ歩きの頃で、初詣に行くには空いているところに行こうと言うことでやって来た。はずなんだけど、その時の記憶は西門まで来たと言う記憶があるだけで、他は全く残っていない。情けない話だ。40年くらい前の話なのに。
まぁ、境内に入るのは3回目だけど、この西門に突き当たる道、これが本来の東海道なんだけど、ここは昔仕事でよく走ったし、今でも時折鳴海から西に向かう時に利用している。
久しぶりに境内に入りました。記憶に残っていないから目新しいですねぇ。今日は、縁日があると家内が言っていた割にはお店がない。目に入ったのは2軒だけ、で一軒は片付ける寸前だよ。午前中の早い時間に商売を終えたと言うことなんだろうか?
西門から入ってすぐ右手に地蔵堂がある。なんで観音さんと地蔵さんがと言う疑問と同時に、この先にもいくつかの地蔵さんに出会うことになったけど、なんだかなぁ。。
観音さんは如来さんの化身としての役目をするけど、地蔵さんは左の写真のある六道の輪廻から抜け出るお手代をしてくれる。役目が違うから同居してもいいけど、どうにもこれだけ地蔵さんがいるとなぁ。。。。
左がお堂の東外から、みぎはお堂の中に立っている6地蔵
六地蔵といえば、京都の山科区にその地名があるよなぁ。駅の名前にもあるし。昨年久々に行かなかった法界寺に行く時には、車でなければ必ずと言っていいくらい使うことになる駅名で、その駅名の受かりになった寺も近くにある。一度行ったことあるけどねぇ。。。
上の六地蔵のお堂の後ろ(境内の方角でいえば北)に”笠寺延命地蔵”と言うのがあるが、そのお堂の中をのぞいたら石で彫った三ざる(ミザルイワザルキカザル)があった。まだ新しいねぇ。
この境内の中に石で彫ったものがいくつかぞんざいするが、多くが岡崎の石膏団地からの奉納品のようだ。どう言ういわれから奉納されているのかわからないが、縁日の出店の一つに、石工団地からの出店で石で彫ったフクロウを売っていた。
また反対方向(南側)を向くと多宝塔がある。結構な年代もんだなぁ。その前にも石の仏像があるけど、これも新しいねぇ。
近くに行かなかったけど、何だろう?たぶんに弘法大師の旅姿かな?なんて思ったりもね。
その左手(東)に手を清めるところ“漱玉盤”と言うのがあった。手を洗うところにこんな名前のものを見るのは初めてのような気がするけど、普通はなんて言うだったっけ?
この漱玉盤の左手(写真の左上角に小さく写っている)に仏さん(地蔵さんの坐像)があって、これに水をかけて祈るんでしょうねぇ。。と言うことは、通常の手を清める所とは意味が血が合うのかな?(書いたもの読んでこなかった。あったか?)
さて、次回は、本道からを書きます。
2017年11月28日
青空とテレビ塔
栄にいた
診察を終えて院展の会場に向かう途中
久屋大通りの交差点を渡る途中
青空の下のテレビ塔を見た
青とシルバーのコントラスト見事でした

このテレビ塔
日本で最初に建てられたもの
あまり知られていないかなぁ
名古屋がもっと誇るべきものなんだけど
放送関係では
日本で最初の民間放送がある
中部日本放送CBCである
コールサインが
JOAR とAの文字が入っている
たしか昭和26年だったか9月1日に放送開始した
これも誇るべきものなんだけどねぇ
(ちなみに2局目は京都放送でJOBR)
(NHK名古屋は東京、大阪に次いで3局目でJOCK)
今は携帯電話の送信塔になっているけど
いつまでもあり続けてほしいものです