2008年10月07日
小説『親鸞と真佛』(10)
女人差別 1
「上人。お話を逸らせるようなことをお聞きして申し訳ありません。もう一度、恵信尼様との馴れ初めにお話を戻させてください。
お手紙を交わされても、それが夫婦になるということになることは、まだまだ遠い関係と思うのです。上人のお気持ちを恵信尼様が理解されていることはわかりますが、お二人が夫婦になろうというお気持ちに至るには、まだ紆余曲折がおありになったのではないかと思うのですが」
「真佛よ。平安の昔から、この国の夫婦はいつも同じ屋根の下で暮らしたということではないであろう。多くの公家たち、都人に限らず多くの人たちが、異なった屋根の下で別々に暮らしていても、それは周りから夫婦として見られる関係にあったものが多い。こうしたことが、僧職にあるものであっても妻を持つことができたということではないかな。僧職にあるものは、寺や庵の中で生活するが、その妻はそこに住まわなくてもよいのだ。妻となる人はその人の住まいで、夫となる人と同じ屋根の下でなくてもよいのだ。別々の営みを持つことが、お互いに相手が一人とは限らない場合も多くあったのではないであろうか。女人は、夫婦の相手の男は一人ということが多かったかもしれないが、男のほうは幾人もの女子とかかわりを持つことも多かったであろう。
叡山の僧職にある身の人が、そうした妻と呼ばれる人、妻とは言われなくても男女の交わりを持ったという証しはまずは残さないもであったろうし、子供をもうけたとしてもその子供がその僧の子供とは公言されることはなかったであろう。
私は、僧職にある人のかかわりで生まれた子供が親子を名乗ることもできず、最悪は生まれることや生まれたことを疎ましく思われるような、そうした大きな意味での差別には大いに疑問を持ったのだ。あの赤山明神での出来事がその思いをより重くしたのだが、そうした思いのあるときと、私の恵信への思いが熱かったときがたまたま重なったということでもあるのだ」
「上人。上人が奥様を娶られたということから先、多くの僧が奥様を公然とお持ちになるかと思ったものですが、世の中はなかなか簡単にはいかないものか、僧職にある方の妻となろうとされる女人はそんなには多くはございません。まだまだ風当たりが強いものがあるからでございましょう。今ですらそういった世でございますから、恵信尼様がご決断されるには強いお心が必要ではなかったとご想像いたします。それに、恵信尼様がお心をお決めになるには、それなりの上人からのお申し出でがおありになったのではとも思っておりますが、いかがなものでございましょう」
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ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
WEB公開していますが、著作権は放棄していません。
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この記事へのコメント
歴史上、高名な僧侶が愛を語(問答調)る。興味深い話でした。
Posted by 水鳥側 at 2009年07月04日 22:03
ご感想をいただき、心から御礼申し上げます。
Posted by 生田 at 2009年07月04日 22:24