2008年10月06日
小説『親鸞と真佛』(9)
赤山明神の女人 3
「上人。私、真佛も人間でございます。男として女に惹かれるのは当然として、私も若いころは巷の女に目が行ったものでございます。そのときは修行が足りぬと、自分を叱咤したものでございます」
「真佛よ。確かにな。私も、修行が足りぬと心底思ったものだが、その思いをはるかに超えたのが恵信への思いだったのじゃ。
先にも話したが、釈尊の出家が『女犯』という掟の遠因になっていることは確かだとは思うが、それ以上に『女犯』という掟をつくらねばならなくなった事情が出てきたのではないかと思っている。というのは、釈尊の教えが時間の経過とともに大きくこの世に広まり、信じる人の集団がどんどん大きくなっていったことであろうが、人の集まりが大きくなるとそこにはその集団をまとめる規律、掟というものが自然に出来上がるものであるし、特に男女の集団となると、そこには不逞の輩も多くいるであろうし、いわゆる風紀が乱れがちになるものだ。そのために、少なくともまとめる立場となる僧職にあるものだけは、そうした風紀の乱れの因となることを戒めるために『女犯』という掟をつくらねばならなかったということもあるのではないだろうか。
かの承元の法難のときのように、空師(法然上人)のお弟子であり、私の先輩の善綽房殿 性願房殿 住蓮房殿 安楽房殿の四人が斬首になった因となるものも、空師の責任ということではなく、多くの男女の集まりからいくらかの風紀の乱れが生じ、それをひとつのきっかけとして、同じような風紀の乱れが浄土宗の上層部にもあるという作り話が、真実あのようにして裁かれたということなのだ」
「上人。清いといわれている人や集まりを貶めるにはそうした風紀の乱れ、異性を扱い、『女犯』が一番手っ取り早いと思うのですが」
「真佛よ。男と女の問題は、人の心の中の一番大きな欲望、煩悩なのだが、やはり人を貶めるには一番簡単な、身近で大衆にわかりやすい問題であろう。わからぬではないが、あまりに安易過ぎるように思えてなぁ」
七百年以上の時間を経た現代でも同じことだろう。人の営みや、心の動きには大きな差はないということだろう。現代では情報伝達の速さは、マスコミやインターネットを通して相当なものがあり、それが、身近なところだけではなく瞬時にして世界中に広がるのだ。そして、スキャンダルはその仲でも一番大衆に好まれる最たるものである。
七百年以上のまえでは、インターネットというものはなくとも、『くちこみ』という口伝えの噂話の伝わり方は速かったのであろう。
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ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
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