2008年10月05日
小説『親鸞と真佛』(8)
赤山明神の女人 2
「上人。そのようなことがおありになったのですか。しかし、不思議な体験でございますな」
「真佛よ。さよう、不思議な出来事であった。しかし、この出来事は、私の心に重く留まることになった。やはり女人を差別することの無意味さが重く重く感じるようになったのだ。女犯という問題もさることながら、女人差別をなくすにはどうするのがよいか、深く考えさせられることになった」
「上人。それで、この出来事が恵信尼様との間のことに何か影響はございませんでした」
「真佛よ。そのときは表にでるようなものはなかったが、私の気持ちの中で、少しでも早く恵信に気持ちを話さねばとよけいに思うようになったことは確かだ。
そなたも知ってのことだが、私はいかにも気性の激しい性格であるが、一度思い込むとなかなかその意を曲げることが少なかったのだが、恵信への思いもよけいに断ち切ることができなくなってきたものだ。とは言え、いかんせん解決する道もなく、私は僧職にある身、恵信は女人で、そこには宗門の『女犯』という大きな壁があることが余計に気持ちを意固地とも言える方向にしていったものだ」
「上人。お気持ちよくわかります。凡夫の私などは、おそらくもっともっと昂ぶった気持ちになったのではいかと思います」
「真佛よ。そなたもなぁ」
「上人。何を隠しましょう。一度、二度というものではございません。やはり、心の中に根が生えたように拭い去ることができない気持ちというものがございました」
「真佛よ。それが本当の人であり、人の心は、無理に曲げようとすれば余計に意固地になっていくものであろう。『女犯』という重い言葉がなかったら、私の恵信へ甘い気持ちも変わったものになっていたのかもしれないものだ」
「上人。それで上人は、恵信尼様との間をいかにして近いものにされていかれたのでしょうか」
「真佛よ。熱く燃えたときには、その思いをいかに昇華するかにずいぶん苦労したものが、昇華しきれず人知れぬように、そのたびに文をしたためたものだ。巷で言う恋文なのだろうが、私にしても、恵信にしてもそのような思いは持つことはなかったといえるが、さてほかの人がそれを見たり読んだりしたら、いかが思うことであろう。
それにしても、今思い出せばずいぶん文をしたためたものじゃ。昂ぶった気持ちのときは、ほとんど修行も手につかず、毎日文を書いておった。それをいかに恵信に届けるかがまた問題ではあったがの。幾日かまとめて、使いを頼んだりしたこともあったが。何かにつけては、九条様のお屋敷に用を作って出かけたこともずいぶんあったものだ」
「上人。それではずいぶん目だったのではございませんか」
「真佛よ。確かに少しは、いや今思えば大いに立っていただろうな。しかしな。そのころは、確かに僧職にあるものが女人とのかかわりを持つことは『女犯』としてご法度とは言うものの、僧正という立場の人であっても影で妻同然の女人を持っていたし、修行僧という立場であっても巷に繰り出して女人とのかかわりを持つのは公然と認められていたも同じようなものであったのだ。そうしたことで、私のように文のやり取りをしたとしても、さほどの問題になることはなかったといえるだろう。まあ、問題があるにしても、師から『そこそこにしておけ』というお叱りをもらうくらいであったのだろうが、私の場合にはそうしたお叱りを受けることもなかったな」
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ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
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