2008年10月10日
小説『親鸞と真佛』(13)
恵信尼への文 1
なかなか核心に向いていかないことに真佛が少し苛立ちを覚えたのか、顔が少しゆがんだ。そのちょっとしたしぐさを親鸞が気付かないわけがないのだろう、ゆっくりとしたおだやかな話しぶりには変わりはないが、きりっとした表情で親鸞は話し始めた。
「真佛よ。そろそろ核心に行ってくれないかという思いのようだな」
「上人。心の中まで、読まれましては、言い訳のしようもありません。しかし、上人と恵信尼様との馴れ初めについては、多くの人の関心ごとでございます。今お話いただいたことは、高田に帰りましたら、皆さんにお話させていただこうと思っております。おそらく賛同される方が多くおいでになるでしょうし、上人の採られた道をついていかれる人も多くなろうかと思います」
「真佛よ。私と恵信の馴れ初めがそんなにも人の関心事ということなのか。私としては、私たちの馴れ初めよりも、抑えられている女人の扱いが変わってくれることのほうが望ましいものだが」
「上人。確かに仰せのとおりです。しかし、上人の望まれる女人の扱いも、上人の恵信尼様へのお心をしっかりと理解すればするほど、女人の差別からの開放の理解も得られると思います」
「真佛よ。確かに、そういった面もあろうな」
「上人。それでは、先ほどの恵信尼様との馴れ初めの続きを」
「真佛よ。そのように、急かすではない。今話そうものを。
私は、真剣に考えているときほど、夢をよく見るものだ。十九歳のときだったか、老師にお供して河内の磯長に行ったときのことだが、そのころは二十歳になるのを目の前にして十年もの叡山での修行の成果を自分で確信することができず悩み続けていたのだが、なにひとつ精神的に解決がついておらなかったときに、聖徳太子の廟での参籠の折のある夜夢を見た。その夢で『お前の寿命はあと十年』と宣告を受けてしまった。
それから十年の歳月が流れて、聖徳太子の廟の予言の満つる前の夜にまた夢を見たのだよ。救世大菩薩が枕元におたちになり、『善信よ、我が望みは満ちた』とおおせられたのだ。その夜が明けた元旦からから六角堂で太子の前で自分の思いを改めて願をかけて百か日日籠もることにしたのだ。そして九十五日目の明け方また夢を見たのだ。救世大菩薩が夢に現れ出でられ『女犯のおきてを破らねばならぬときは、その女人にとって代わろう』とおおせられたのだ。この夢も、弥陀の計らいであろう。
私は、その夢の救世大菩薩の示現を弥陀の計らいとして、恵信を妻とすることを私は決断したのだ。そして、その夢での出来事を文にしたためて恵信に送った。私がこのように心を決めたのも、自力ではない、弥陀の計らい、お蔭様なのだ。真佛よ」
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ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
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