2008年10月04日
小説『親鸞と真佛』(7)
赤山明神の女人
「上人。それで恵信尼様とのその後の再会はいつごろだったのですか」
「真佛よ。私も叡山にこもっているばかりが私の生活ではなく、洛中に時折座主や老師の御用できているから、時折恵信の顔を見る機会はあったのだが、何にしても私と恵信は歳が十歳離れているから、私が彼女を女人として意識するのは、私が二十五歳か六歳のころだったかと思う。それにしてもずいぶん昔の話になってしまったものだの」
「上人。上人が恵信尼様を女人として意識されるようになったには、何かきっかけでもおありなのでしょうか」
「真佛よ。弥陀の思し召しだ。人というものは、話したり、会ったりする機会が多くなると、それなりに情というものが出てくるものではないだろうか。後になって、恵信と話したものだが、九条様が、何かにつけ私をお屋敷にお呼びになり、そのたびに恵信をその場に立ち合わせられていたようで、九条様に何か思うところがおありになったのではないかとすら思うのだ。しかし、九条様が何をお考えであったとしても、そのように九条様のお心にそうした所業を思いつくようにさせられたのも、弥陀の御計らいというのもではないか。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
「上人。左様でございますね。いずれの人のお心の動きも、すべて弥陀の御計らい。いま上人と私がこのようにお話をさせていただく機会をおつくりになられているのも、弥陀のお心のことと思います。南無阿弥陀仏」
「真佛よ。生きているということは、不思議なことよ。私が、そうした恵信への気持ちで悶々としているときのある日、九条様のお邸に出かけた帰りのことなのだが、叡山への入口の『赤山明神』に詣でたのだが、そこで不思議な女人にお会いしてな。ことのとき心の底から『女人差別』を思い知らされた、そして私の思いを成し遂げ、仏の前での男と女の差別を取り払わねばと心に誓ったものじゃ」
「上人。それはどのようなお話でございますか」
「明神の本殿から鳥居に向かっているとき、鳥居の影から一人の女人が私の前にたたれ、『叡山に帰るのなら伴をさせてはもらえぬか』と申されるのだ。心の中には、恵信への気持ちを持ち、男と女の差別をなんとかせねばならぬとは思ってはいるものの、叡山に女人をお連れするなどまだまだそのような大それた気持ちは持つところまで至っておらなんだのじゃ。致し方ないので『女人禁制の御法度』の旨をお話ししたのだが、かなりきつくお叱りを受けたものだ。『叡山には、鳥や動物の雌はおらぬのか』、『法華経には、龍女の成仏ことが記されておろうが、そなたは僧でありながらそのようなことも知らぬのか。』と。私の気持ちにはかなり堪えたものじゃ。心の中では同じことを思っているだけに、一層堪えたものじゃ。女人には納得はしてもらえなかったが、なんとかご容赦してもらったといったところだろうか。その女人は、私に玉を渡され、『これは太陽より火を得る石である、人の足下にある石であるが、人の上にある太陽の光といえどこの石がなくては夜毎つける灯火を作ることはできぬのじゃ。千日の後にこの意味を知ることになろう。』と話され、お姿を消されたのだ」
きらら坂から見た赤山明神鳥居
赤山明神
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ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
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