2018年08月01日

8月1日の想い出 その2 運河神社夏祭り

画像は、記事リスト表示用のためのもので記事とは無関係

今日は8月1日
昔昔の思い出がいっぱいある日です

頭の中に残っている思い出が2つあり、その2目

・名古屋・中川運河の運河神社の夏祭り
  名古屋の港と旧国鉄の笹島貨物駅(現・笹島ライブ)を結ぶ
  中川運河
  最近再開発できれいにしようとしているが
  作られたのは昭和初期(らしい)
  私が子供の頃は水がまだ綺麗で泳げたし底も見えた
  しかし、流れのない運河で水は淀んでヘドロで埋まってしまったが

 その中川運河の北の方に
  小栗橋という北から3番目の橋があるが
  その端の北西に”運河神社”という小さい神社がある
  その神社の8月1日の夏祭りだ
  今は全くそんな気配もないのだが
  当時は神社の祭りはそれはそれは賑わっていた
  子供の絵画コンクールみたいなものもあり
  何度か賞をもらった記憶もある

  この夏祭りの最高のイベントは
  大花火大会だ
  当時の名古屋の花火大会でも屈指のものだった
  昼間からボンボン昼花火が上がり
  夜になるとものすごくたくさんの花火が打ち上げられた
  運河にかかる一番北の運河橋から
   猿子橋を過ぎて3番目の小栗橋まで
  今でいう”歩行者天国”になり
   この運河沿いの道をとにかくものすごい人が行き交ったのだ

 その花火大会は
  私が名古屋を離れるまで行われていたと記憶している
  しかし
  高校を卒業後10年間名古屋を離れていた
  その間に夏祭りも花火大会もなくなっていた
  その10年の間にはかなりな不況が有ったので
   花火を上げる寄付が集まらなくなったのかもしれない
  何にしても今は昔の話になった
 
中川運河は目下再整備中
  小栗橋の北東にある下水処理場も整備され
  公園の様は空き地もできているが
  できれば、これを使って
  名古屋中川運河の花火大会を再興してほしいものだ

  

Posted by 生田 at 11:21Comments(0)TrackBack(0)思い出・想い出

2018年08月01日

8月1日の想い出 その1 和良村の夏祭り

画像は、記事リスト表示用のためのもので記事とは無関係

今日は8月1日
昔昔の思い出がいっぱいある日です

頭の中に残っている思い出が2つ
まずはその1

・岐阜県郡上市和良の8月1日(だったと記憶)
  小学校の2年背の夏まで毎年名古屋から追い出されて
  祖父母のいる和良村(現・和良町)にいっていた
  都会っ子でもやし状態の私には
  かなりきついことも多かったが
  近くにいたお兄さんお姉さんのおかげで
  色んな思い出を持つことができた

 その中の一つに花火の話がある
  花火といっても夜打ち上げる大輪の花火の記憶はなぜかない
  ひょっとしたら上げてなかったのかも
  しかし、昼間は大きな竹筒を使った爆竹で
  周りが山に囲まれたこの地域では
  ボン、ボンと勢いのいい音がしていた
 
  祖父母の住んでいた地域の
  和良川(飛騨川、木曽川の上流)を挟んだ反対側の
  神社の夏祭りなのだ
  (今は寂れてしまってたなぁ)
  
  この爆竹の仕組を
  お兄さんが教えてくれたのだが
   記憶が違うかもしれないけど
    竹筒とカーバイトを使っていたのかな?

  ”ドン”と大声で脅されたのを覚えている
  あのお兄さんどうなったかなぁ。。。
  確か、お寺の息子さんだったと記憶しているけど

8月1日には、別記事にする名古屋の花火大会があった
  この日に和良に来ていたときは
  名古屋の花火が見れないなぁ って思ったものです

和良は当時は、ゲンジボタルがものすごくたくさん飛んでました
 今でも村内のあるところでむることができるそうです
 この6年いってないので、生きたいと思って入るけど。。。。

  

Posted by 生田 at 10:43Comments(0)TrackBack(0)思い出・想い出

2018年07月01日

生きた証 誰が残す?

 昨日友人がFaceBookで”断捨離”で捨てられないものを書いていました。思い出の品というものは、人それぞれいろんな思い入れがある。それを捨てられるかどうかは、その人の思い入れの重さが決めることで、他人が決めることではありません。
 人はそれぞれ価値観が違うので、ある人間にはものすごく重要なものでも、他の人は全くの邪魔なものと思うことも多いものでしょう。

 私も”断捨離”は幾分命令されてやっているところはありますが、最後の最後には「私が生きている間は絶対に捨てない」と宣言するときもあります。特に仕事で使っていたもの、自分の作ったものは、子どもたちが”どうするの?”と困惑しているらしいですが、私が向こうの世界に行ったら、捨ててくれてかまわないからと言ってありますが、それでも「邪魔だからさっさと捨てろ」と言われる面もあります。


 上の画像は、2冊の英語の辞書です。左は、まぁ捨ててもいいものです、私が中学か高校くらいに使っていたものですから。右は、実の父親が中学校時代に使っていたもので、10年くらい前に叔父(母の弟)から手渡されたものです。
 辞書には、父親の名前と叔父の名前が書き込まれています。

 辞書の上の写真がその父親の遺影です。この父親の写真の裏書きに「昭和17年入隊・・・」という物があるので、ひょっとしたら入隊に際して、工業系の中学にいた頃の叔父に贈ったものらしいのです。
 戦争のさなか、英語は敵性外国語でご法度だから、この辞書は叔父が学校で使うことはなかったかと思いますが、父の思い出ということなのか大事に保管していてくれて、なくなる数年前に私が叔父の家を訪れたときに「返すよ」といって手渡してくれました。

 父は、昭和19年23歳で南方の島”ブーゲンビル”で命を落としています。私は、生まれたときに一度抱かれただけと聞いています。なので顔は全く知りませんが、写真は一部残されているので知ってはいましたが。。。
 私には、育ての父親がいました。母親が、気遣って実父のものをほとんど処分したようで、実家に行っても今は何あもありません。再婚する前にはいろんな遺品があったのですが。

 叔父からこの辞書を受け取ったときは、本当に嬉しかったのです。子供の頃接していた実父の書籍がなくなっていただけに、これはお宝になりました。
 生きている間は、絶対に捨てられません。また、息子たちにも実の祖父の生きた証として「捨てるな」と遺言しておこうと思います。しかし、どう思うかなぁ???

 この英語の辞書は、私のものは昭和33年ころのもので、それまでは母親の選択するものを押し付けられていたのですが、初めて自分で選択したものです。

 実父の辞書は、昭和9年の出版です。叔父の保管がよかたので、今でも使えそうで、私のものはもうぼろぼろですが、父のものは装丁もしっかりとしています。
 この先、誰がこれをどう保管してくれるかわかりませんが、若くして命をなくさなければならなかった一人の男の生きた証として、残しておいてほしいと思っています。
  

Posted by 生田 at 11:25Comments(0)TrackBack(0)思い出・想い出
  
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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