2008年10月17日
小説『親鸞と真佛』(20)
親鸞の結婚 4
「上人。流刑先の越後国分には三善様がおいでになられたのではございませんか」
「真佛よ。その通りじゃ。それも弥陀の計らいであろう。死罪を免れただけではなく、都でお世話になった三善様がおいでになるところに流されるのであるから、どれだけ心強く思ったものか。しかしな。私は流人である。流されてよりすぐ多くの方と接することはできなんだのだ」
「上人。流人とは。左様なものでございますか」
「真佛よ。流人には、厳しい掟があるからな。さもなくば、流人の意味がないというものじゃ」
「上人。まこと、さようでございますね。ところで、先のお話では、恵信尼様がお家の都合で越後に帰られていたはず、上人は恵信尼様と再会されたのでございますか」
「いや、最初の年は、それが誰であっても、人と会うこともままならず、ましてや女人と会うということは許されてはおらなんだな。しかしな。翌年からは、お役人の目の厳しさも少なくなり、いろいろな人とお会いでき、お話もできるようにはなった。といっても、恵信とは合うことはなかった。恵信は私に妻がいることを聞き及んでいたから、遠慮していたのであろうな」
「上人。恵信尼様もお辛いことでございましたでしょうなぁ」
「真佛よ。後になって、恵信が申しておったものじゃ。辛かったとな。都で思いを遂げられなかった相手が、流されて近くには来た。しかし、その相手には妻がいてはな、辛いものがあったとな」
「上人。お二人のお気持ちは察するにあまりあることでございましょう」
「真佛よ。辛いことというものは、どこまでも続くものなのか、いくら弥陀の計らいとはいえ、辛いものは辛い。流された翌々年のことだ、また辛い知らせが都から届いたのだ。体を煩っていた玉日が弥陀のもとに旅立ったとな。私は、流人の身、都に参ることは許される身ではない。玉日の無念な気持ちを思うと今でも辛い気持ちになる。南無阿弥陀仏」
「上人。私ならばとても耐えることはできぬかもしれませぬ」
「真佛よ。わしとて一人の人間じゃ。とてもじっと耐えることができるものではない」
こうした二人の話を聞いていると、親鸞の波乱にとんだ人生を垣間見ることができる。それにしても辛いことが続いたものだ。人は、別れをいくつも通り越して強くなるもではあろうが、恩師、妻子と別れ、そしてそれに加えて別れてきた妻とはそれが永遠の別れであったとは、私ならばそこでおそらく大声で叫んだことであろう。叫んだとしてもどうしようもないではあろうけれど、叫ばずにはおれないと思う。
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ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
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