2023年12月16日

23年の前立腺ガン関連の画像診断結果と今年最後の血液検査

今月は病院通いで多忙を極めている
来週も3か所行かねばならない
でも自称余命を全うするためには必要なこと
(でも生きるには金がかかるなぁと思う)

本題です
先日12月12日に頭のMRIを撮影しました
これは前立腺ガンには関係ない部分だけど
それでもMRIでガンの転移の有無を
見てもらうこともできる
(今回はしてもらわなかった)


この画像は
画像の所見に添付されていたもので
CDから読み取ったものではなありません
プリントアウトしたものの
スキャンデータなのでボケてます

一昨年言われたことは
脳が年齢相応に萎縮している
今年は撮影病院が異なるので
その比較はなかったが
あまり変わっていないようだ

脳の萎縮は
めまいの中で感じる
冗談めいて聞こえるらしいけれど
私の頭の中で脳みそが頭蓋骨の中で
自由に動いて遊んでいる
それがめまいの原因だと私は思っている


この画像は
頭の中の血管
これも一昨年指摘されたが
血管の分岐のところに小さい瘤があると
それは今回は大きくなっていないから問題ないだろう
と判断されている

この脳のMRIに関して
実は日赤の病院では
人工内耳装着者は拒否されている
それで名古屋大学にお願いをしたのだが
なんと日赤から過去のデータを取り寄せて
比較までしてくれてたようです
(所見を見る限りそんな感じがした)
ありがたいことだと思っています

1日おいて14日に
日赤で骨シンチの撮影をしました

骨シンチは人工内耳装着でも問題はありません
(CTもX線も問題ありません)
(CTはまあX線の連続撮影ですから)


これが骨シンチの結果の画像
まぁこれだけではなく
かなり膨大は数の画像があるんですが
残念ながら
私の環境ではこの画像を出すのが精一杯だった

この骨シンチの結果では
前立腺がんの転移は全くないということです
そして他の疾患に関しては
不安なところも多少出始めているけれど
年齢相応で現時点は問題になることないとのこと

そして
昨日泌尿器科の3ヶ月ごとの経過観察
先月採決した結果をもとにPSAの値での診断


これが血液検査表

この画像には一般内科としての
検査データも入っている
理由はいくつかの病院にかかっているから
その都度血液検査をすると
その度に保険料を支払うことになるので
日付が近い場合はどこか1か所で
総合的に撮って検査をしてもらうことで
保険料を安くするためです
この血液検査表で
3つの病院で診てもらいます

この結果ですが
P SAに関しては
もうかなり長い年数 0.009 未満
担当医曰く「奇跡的」
今回も同い値で問題なし
ただし
持って行ったCDに入っているCTの画像見て
内臓脂肪がめちゃくちゃついているから
それをなんとかしなさいと
きつい忠告をしてもらいました

私は多分に
前立腺がんが原因で死ぬことはないだろうが
こうした他の原因で命を縮める可能性が大きいと
前から言われてます


今月のCT、MRI、骨シンチの撮影結果での
4人のドクターの診察結果は
ガンに関して
特定健診で指摘された胸の陰
脳の血管の瘤
10月の頭部打撲での店頭でのの上の影響
これらに関して
特に異常なないとの判断をしてもらいました

ただねぇ
年相応に色々退化しているようですね


さて
今年はあと一つ
来週の歯医者と腎臓内科を残すだけになった
それにしても多すぎるなぁ
  

Posted by 生田 at 15:21Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年11月27日

突然のCT撮影・・特定検診の結果の精密検査らしい

今日昼飯食べて
ヒョコヒョコ歩きながら20分
最寄りのバス停から三つ先のバス停まで
井あたり良好で風もなかったので
糸毛のないところをとおて
気持ちいね
その後バスに乗って大病院に

今日もの区的は
先月の特定検診で引っかかった
胸の精密検査
たままた前立腺癌の毎年とっているCT
これに重なるので
撮影依頼先の大病院に
ついでに見てもらって
問題ありなら呼吸器科にふて欲しい旨を
頼みに行ったのだ

本来なら
今日がその予定日で
骨シンチもいっっしょに
撮影することになっていたのだが
相方の入院で
トラブルがあったら
骨シンチをドタキャンすることになるので
最初の予定を延期してもらっていた

そればなんの因果か
今日紹介状持って一緒に見てもらう依頼をしに行った
放射線科のドクターと話をしたら
なんと急遽今日CT撮影を
することになってしまった
割と捨ていたのか割り込ませてもらって
CT撮影を行った


画像はネットのものを拝借

この画像まるで違うなぁ
機械そのものが違うし
立っている女性はもっと若くて美人だったし
寝っ転がっているのは
こんな坊やでなくて
時事だったし

人工内耳のサウンドプロセッサーをつけたまま
ただぶら下げているものが映ってはいけないので
過分ている毛糸の帽子の中に押し込んで
寝っ転がって万歳して

息を止めてを二回して
はい終わり

終わって
ドクターの所見
昨年の画像と比較して
んほとんど変わっていないので
これ以上の精密検査は真圧の必要なないだろう

呼吸器科のドクターとも話をされて

無罪放免で解放された

引っかかっていただけに
安堵です

でもなぁ
年取ってだんだん肺活量減るし
おかげで行きは切れること多いしなぁ
でも 年相応なんだろう

蹴りは途中までバスで
途中にs流スーパーまで
相方に迎えにきてもらった


あぁ
おかげさまで 相方は
退院後問題なく過ごしております


帰宅したのが4時少し前
木彫りはできないよねぇ
  

Posted by 生田 at 16:52Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年11月06日

人工内耳装着後 半年・聴力検査と七回目のマッピング

今日は
午後1時の予約で
名古屋大学病院耳鼻咽喉科の
人工内耳装着後の言語リハビリに
行ってきた

午後一番なので
昼飯を途中のスーパーで買って
それをぶら下げて
病院の南隣の鶴舞公園で昼食


これは文化財でもある
鶴舞公園のシンボルの一つ”奏楽堂”
これを見ながらの昼飯となった
風が強かったけど
外の空気を吸いながらの昼飯は
美味しいねぇ

公園の話は
長うなるのでここまでとして

昼食を終えて病院に向かった
萩の花が咲いていた


右半分の建物が病院・入院病棟

受付をすませ
リハビリの健康検査も済ませて
いつものトレーニング室に
そして時間がきて
今日は場所を移動した
行き先は耳鼻科の防音検査室
ここで
人工内耳装着後半年経ってどれだけ
聞こえが改善しているかの聴力検査を受けた

まずは
いわゆる聴力検査
単純にいろんな周波数の音が出る
どこの耳鼻科でもするやつを
人工内耳だけでのチェック

それが終わって
これも人工内耳だけで
単音の言葉も聞き取り検査
一文字ずつ聞き取りやつだ
一通り終わって
今度は補聴器をつけてのチェックも

結構
言葉の判断に迷っていたけどなぁ

検査が終わって
いつものトレーニング室に移動
そして
言われた聞き取り検査の結果は
人工内耳だけでも80%以上
補聴器をつけると更に上昇していると

人工内耳装着手術の前は
聞き取りの正解率は40%を割っていた
半年でここまでの
改善はかなり良好とのことで
担当の先生も喜んでおられた

私としては
今はもう人工内耳SPがなければ
生活が不自由になっている
本当に今の生活は
人工内耳サマサマなのだ
本当に装着して良かったと思っている

そして今日のマッピング
実は聴力検査で
一番聞き取り正解率が高いのは
大きな音ではなく
小さい音の方がいいということ
ということで
これまでのマッピングの
ボリュームを落とすことにし
更に
iPhone で自分で調節できるボリュームを
最低の1とすることになった
これまでは標準の5以上を使っていたが
これからは”1”で様子を見ることになった

そして次のマッピングは
3ヶ月後

この歳で
これだけの改善が見られるのは
素晴らしいことのようだ

12年前に末期と言われた前立腺癌が
手術も放射線もできないのに
12年経っても
同じホルモン剤だけでで生き延びていることが
ドクターから”奇跡的”と言われたけど
それに似たようなことなのかもしれない

何につけ
自称余命20年近くを全うするには
ありがたいことだと思っている

これからもさらなる精進を



病院を出たら
雨がポツリポツリ
天気お方よりも早く降り始めた
しかしその雨を押して
車を東にどんどん走らせて
名古屋のお墓がいっぱいあるへわ公園に
わつぁ日の実父の80回忌の命日なので
花を添えてきた
なんとか雨はポツポツだった

家に向かって走っているうちに本降りになってきた
それでも
なんとか家に着いた時は
小ぶりで良かったと思う

疲れて
ちょいと昼寝した
  

Posted by 生田 at 18:19Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年10月11日

人工内耳装着後の6回目のマッピング と 昼飯

今日は
11時予約の
名古屋大額のリハビリ科で
人工内耳のサウンドプロセッサー(SP)の
6回目のマッピング

前回はPC不調で
マッピングなしで2ヶ月同じプログラムで過ごした
今回は
SPの調子を調べ
音を何種類か出しての聞こえの調査
その結果を踏まえて
あたらな調整をしてもらった

と言っても
これまでと大差はないようで
この年齢=80歳でこれだけ早く
会話がそれなりにできるようになっているのは
平均以上に順調だとのこと

今回は
今までと同じ
リハビリ室で行われたが
次回は防音室で
聞き取り検査なども含めて
装着後半年目の検査を行うことになった

人工内耳での聞こえは
これまで使ってきた補聴器とは
雲泥の差で聞こえがいい
とはいえ過去の正常な時を思い出すと
もう嫌になるほどの聞こえだけどなぁ
それでも
筆談をすることが非常に少なくなったし
電波の状態によるけど
いざとなれば音声文字変換で
対応はできる
その音声文字変換も
使うことが本当に少なくなった


話は逸れるが
時折難聴の理解のできないお方がいるようで
・大きな声で話せば話せるだろう        
・早口で話しても(おそらく無意識)大丈夫だろう
・マスクしててもき終えているだろう・・・・・・
・イラついて罵る               
こういう人が相手だと
本当に困る
時には私が逃げのために聞こえないと言っている
なんでとんでもないことを言う人もいた
こんな人とはお付き合いはできないなぁ。。

とにかく
人工内耳を入れて
私は良かったと思ってます

さらには
iPhone との相性も非常によく
iPhone のスピーカーをへなくても話せるなんのは
本当にありがたい
(この機能はAndoroidでは上位機種だけだそうな)

何はともあれ今回のマッピングは終わった

終わったのがお昼
お腹空いたよぉ
隣の鶴舞公園に行って
昼食を

いろいろな店があるけれど
相方が未だ行っていない地区に行こうと
名古屋市公会堂の横をすり抜けて
鶴舞公園の入り口近く
いくつか店があるけれど
みんな混んでたなぁ
で行き着いたのが一番奥
店の名 COSTA
そこで食べることになったのだが

並んで食べるまでに
なんと40分くらいかかったのだ
原因はスタッフ不足
オーダーレジと返却口係を一人で
厨房も数人でまかなているようだ

まぁ昼時いっときの混雑ために
余裕を持つことは経営的に難しいんかなぁ?

やっと食べることはできたのだが
私のオーダーは ビビンバ


これがメニューみたいで
左上のビビンバをオーダーした

味は結構いけたなぁ
これまであちこちで食べているけど
味の良い方に入れてもいいよ
あの待ち時間があったから
味が美味しくなったのかねぇ?


店内ですが
南側の壁から上
人が映らないように気を使ったぞ

食べ終えて
お家に帰ったのだ4時近かった

家の帰って
途中で買ってきた
豚の肩ロースを厚切りにして
味付けして煮込んだ

なんだか磯悪しい日だなぁ
あぁ 眠くなってきた

明日も病院にきます
特定検診をしに行きます
今夜9時から絶食
  

Posted by 生田 at 16:20Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年09月19日

23年9月19日 救急搬送顛末記 めまいと徐脈と。。



最近はこんなスタイルで
お出かけしているんですが
今日は
病院の中では車椅子という・・


9月19日
日付の変わった頃
救急車で名古屋大学病院に搬送されました
その顛末記です

記憶に残っていることを書きます
結構長い読み物になると思います
しかし
最後の方に
目眩と脳の疾患の症状の差を書くつもりでいます

******


 18日はドラゴンズ の根尾君の今年は初めての1軍の先発登板。いい試合をしていたのに、7回、チームメイトのエラーがらみで6点のリードを守りきれずに、勝利は逃げていってしまった。
 試合を見ていた、もう腹の立つこと。テレビに向かって、救援投手に「試合潰すなよ」って怒鳴ったくらい。本当に根尾君がかわいそう、みんなで寄ってたかって、潰そうとしている。本当は、根尾君を勝利投手にしたくてガチガチになっていてのエラーかもなぁ・・

 とにかく根尾君の見事なピッチングとバッティングに関しいい気分でいた。そして夕飯後風呂に入って扇風機に当たりながらテレビをいていた。
 10時ごろだったか、眠くなってきたので寝床に行った。まぁ暑くて扇風機に当たりながら、変な汗かくなぁと思いながらの就寝。
 11時半頃だったか、お腹の調子が変とトイレに行った。便が固くて力んだときに異変。頭の中で「ゴー」という音。トイレから出たら少しめまいが。それでも寝床に転がったのだが、30分くらいして目を開けたら天井が動いている。ここのところ治っていたグルグルめまいの再発だ。トイレに行きたくて行ったのだが、まともに歩くことができない。なんとか用を済ませて部屋に戻ろうとしたが気持ちが悪くなってきた吐き気が少しする。もう寝ている相方を起こして「助けてほしい」と。
 洗面器など用意してもらったが、呼吸もおかしくなってきている。その割に脈が遅い。両手の手首か皿記に痺れがあり、唇にも少し痺れがある。いつもと違うめまいなのだ。全身から力が抜けて、立つことも困難になってきている・
 痺れがなければ。昨年8月の緊急入院の時と同じめまいなのだが、この痺れがともなうのは初めての経験。
 名古屋大学病院に行きたいのだが、相方の運転で行くのは心許ない。運転が下手といのではなく、途中で私に気を取られ事故でもあればそれこそ面倒になるし。ということで救急車を呼んでもらうことにした。
 
 救急車に乗せられて病院に行くのだが、実は近いのは日赤が近い。しかし、今回はひょっとすると頭部のMRIを取る可能性もある。しかし、日赤は人工内耳装着車のMRIは撮らないことになっているので、救急にもその話をして、少し遠いけれど名古屋大学病院に向かってもらったのだ。
 家の中に救急隊員が入ってきて、私を抱きかかえるのだが、吐き気がすると言ったらビニール袋を渡されて、ここに数回少し嘔吐した。
 搬送中、なぜか時間が記憶では短く感じた。ひょっとしたら、途中幾分か記憶が飛んでいたかもしれない。

 大学病院に到着して、ストエッチャーから病院のストレッチャーに移されて、なんだか知らないけえど、周り女性ばかりであれこれいじ回されて、点滴用の針を打ち込んで、さらに血液検査のための採血のための針を打ちこむのだが、血管が細いからとあち試されてて、最終的に、足の付け根の血管で採血をした。これまた初めての経験。
 ドクターに症状の説明をして、MRIの必要があるかどうか先にCTで頭部の撮影をすることになり、検査室に運ばれてた。ここでもストレッチャーから撮影台に移動するのにもなんやかんやいじられたが、撮影そのものは、頭につけている人工内耳のサウンドプロセッサーを外して手に持って撮影している。(多分MRIの時は撮影室には持ちか込まれないはず)

 救急の処置室に戻ってから、記憶がかなり飛んでいる。点滴に眠くなるものをでも入れられていたかもしれない。とにかく意識がなくなった、でもないかな?まぁとにかくうつらうつらしていたと思う、時折ドクターや看護師と会話おsているから。
 はっきりと記憶があるのは、病院についてからかなり時間が経ってから。目が覚めた時、相方が近くに座っていた。
 しばらくして、ドクターから「歩けるかどうは見たい」と言われ、ついでにトイレに行くと言って、まずは車椅子に移ってトイレに行った。ようを済ませて処置室に戻って、支えられながら少し歩いた。まともに歩けたという記憶は残っていない。
 この頃、時間は4時くらいだったのかな、入院して処置する必要もなさそうということで、一旦帰宅して改めて来院して担当医の診察を受けるようにとの指示が出た・
 というのも、CT撮影を救急担当のドクターが詳しく精査して「脳出血などの頭部の異常はないと判断した」ということなのだ。

 救急外来を後に、関所で治療費を払って、タクシーを呼んでもらって帰宅。
 帰宅したものの、めまいはある程度寝たからか少しおさまってはいるが、当初からの頭痛が残っている。大した痛みではないということと、とにかく寝なければいけないという思いで、こう言ったときのために処方してもらっている薬を飲んで床についた。想定通りに眠りに落ちた。このときもう5時半くらいになっていた。

 7時半頃に目覚めた。グルグルめまいはかなりおさまっているが、ふわふわめまいはいつもの倍以上で、歩くには何かを支えにする必要がある。
 それでも新聞を入れにいけるほど回復していた。でも、側から見たら危なっかしかっただろうと思う。
 余談ですが、新聞には根尾君のピッチングの素晴らしさが書かれていた。

 朝飯は抜き。まだ少しむかつくものが残っていたのだ。
 座椅子に座って、ボケェとテレビ見ていたけれど、体を横にしたくなり、寝床に。そして1時間半くらい熟睡。
 目覚めたらさすがにお腹が空いていたので、コロッケサンドを食べて朝飯とした。

 12時頃に、相方の運転で名古屋大学病院に向かった。この日2度目の大学病院だ。
 病院の駐車場に車を入れて、車椅子を借りて、外来受付に。この日は予約をしていないので、予約患者のスケジュールの中に割り込ませてもらうのだが、担当医の判断になるので、担当医出勤までいつになるかわからない。
 それでも、申し込みを受け付けてもらった。診療開始は1時半。それまでに相方が昼食をと、敷地内のフードコートに行って、ローソンで買い物して、空いていたテーブル席で食事。ここで昼にアップした記事を書いたのだ。
 食べ終えて、耳鼻科の受付に。
 担当医と連絡が取れたのか、担当の看護師から「しばらく待合で待て」と言われた。
 1時間くらいは覚悟していたのだが、なんとわりと早くに診察室に通されて、主治医のドクターと面談。
 ここで救急で撮影したCTの画像を見ながら。救急の担当医と同様に「頭部のない終結などの問題は見当たらない」と再確認。
 そして、色々の今回の症状を話したところ、それに対しての担当医からの所見と、脳出血など脳障害と内耳からくるめまいの違いについて教えられた。

 1:手や唇の痺れ
 今回私は、めまいと当時に量手首から先の痺れ、そして唇に痺れがあった。こうしたことは脳出血などでも生じるが。。。
 一般的に、脳出血などの場合はその出血箇所の脳機能が圧迫されるので、その部位の身に痺れが生じる。しかしメニエルなどのめまいいよるときの痺れでは両手などと全般出てくる。ということで、今回の場合は、「脳疾患によるものではない」という結論になると

 2:頭痛
 今回の私の頭痛は、頭部前部と後頭部だが、これは「耳に関する脳の脳の担当部署が特に後頭部にあるので、めまいがある場合にはよく後頭部に痛みが残る」とこのと。
 めまいでの頭痛は、今回の場合は呼吸が荒くなっての過呼吸の可能性が大きいと・

 3:グルグルめまいとふわふわめまい
 実はこれらは、原因は同じで、耳石が悪さをしているのだということ。その悪さの程度で変わるとのこと。
 私の場合は、グルグルめまいの時は、目を開けておれないくらいな症状になるが、「ふわふわめまいの時は歩いたり頭の位置が変わったりすると目眩を起こすが、運転する時のように頭が固定された状態や静止状態の時にはめまいは起こらない」と言われた

 大きくこの2点について教えられた。特に手に痺れがあっても、両手の場合には、脳梗塞などの問題の可能性は低いので、さほどの緊急性はないと言われた。

 こうしたことを教えられ、診察料70円(一割負担)を支払って帰宅。
 帰り道で晩飯のネタなどを買うのに二つのスーパーをはしご。なんとかふらつくから亜を少しでも慣れさせるために、杖をつき、カートにしがみ付いて、買い物かy区から身を守り長あの買い物をした。
 そして帰宅したのが4時ごろ。めまいがあるときの外出は、かなり疲れる。帰宅してほぼ即寝床に転がって1時間以上熟視したようだ・




 かなり長いう書き物になりました。
 これだけかけたのは、めまいはあるものの生きしは完全になくなっていない。薬で寝たこと以外は、ほぼ意識はあったと思う。
 いつものとだけど、安堵も救急搬送されているが、意識をなくしたことはない。
 
 今回の私の症状は、あくまでも記憶に残っているものであって、それに担当医の話は私の症状からの所見であるということです。同じ症状があっても。ご自身での判断は意見だということをたまに残していただきたく思います。  

Posted by 生田 at 22:06Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年09月14日

前立腺がん 宣告から12年4ヶ月目のPSA 検査結果

今日は
朝からお出かけで
時出発で
途中車のガスを入れて
(¥168 ひょっとしたら名古屋の最安値の部類も)
(他は180円台つけてるところ多かったから)
その足で最初の医院に

ここれでは前月採決した
その血液検査の結果を聞く



メインの前立腺癌のマーカーPSAは0.00未満
この値になって
もう10年近くになるのではないだろうか?

末期癌を宣告された時
がん病巣が大きくなりすぎて
他臓器に浸潤、癒着
そのために手術も放射線もできない
最後の手段として
ホルモン療法が残った
それがドンピシャリ当たって
腹にシュウシャオを打ち
毎日ホルモン剤を飲むという生活が続いている

いまでは
CT検査の結果
がん病巣な見えないと言われている
おそらくこのままがんは
悪さをしないだろうとも言われている

まぁPSAの値からガンは問題なしと

そして他の血液検査結果でも
内臓脂肪を除いて
ほぼ問題なしという結論

実は
この後別の内科医院でも
この検査結果を見て
問題視との所見をもらった

2人のドクターの意見として
ありがたく聞いて。。。

そうそう
腎臓病もマーカー クレアチニン
これの値が改善していた
明後日専門病院に行くけど
多分問題なしということになると思う

ただ
最近の旺盛な食欲が
奈増脂肪を増やしている可能性もあるので
この先食事には気をつけないとなぁ

二つ目の医院の診察を終えたのが
11時半頃
それから予定する友人宅に向かう
でも昼食を摂らねばと
目的地に向かいながら
たえbられるとk路を探すものの
不安ないなとちで
見つけられず
コーヒー専門店に入って
遅遅のモーニングを食べ
足りないので隣のすーぱーで
パンを買って凌いだ

友人のお宅で
約3時間ほどの寒暖
今日目的は
先日織り上げたで聖観音を
未定もらうこと
なんと もらっていただけることになって
心から感謝してます

お役に立ってもらえればと願うばかりです

帰りは
途中でいつものスーパーに立ち寄って
今回もまた鶏肉を4枚も買い込んできた
明日はそれを蒸し肉にします

あぁ
明日は木彫りの日だから
料理は昼から

記事アップも昼からだなぁ
  

Posted by 生田 at 21:11Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年09月06日

人工内耳装着後の6回目のリハビリ 新マッピングなし

昨日は
午後1時の予約で
名古屋大学病院耳鼻科の言語リハビリに行った

早めに行って
リハビリの後でドクターの診察を受けたいと
受付に頼みに行った
それから昼飯を食べようと
鶴舞公園のレストランに行ったのだが
なんだかあちこち研修日でお休み
諦めて病院に戻ろうとした時
池にハスの花が咲いているのを見つけた



同じ花ではないです
たくさんは咲いていなかった
季節的に遅かったらしい

いつもは仏像の蓮華座を彫る割には
ハスの花を身近に見ることは少ないので
これはショットしなければと
ちょいとふらつくの我慢してのショット
それにしても綺麗でした

病院に戻って
LAWSONでサンドイッチ買って
テーブル席だ食べた
そして
早めに健康診断を受けに行った

リハビリの前に
健康診断をいつも受ける
めまいがあっても問題なしとして通過
そして少し遅れて言語リハビリ室に

4月28日に装着手術をして
その後のリハビリ6回目

なんでも昨日は
調整用のPCの調子が悪いらしく
マッピングができないということ
いつもは聞き取り検査をいくつかやって
それに合わせて調整(マッピンう)してもらうのだが

マッピングできないけれど
いつもより多くの検査をした

特に聞き取りで
どれだけ正確に聞き取れているかを
単語と単音で
そして臨時にわが相方の声での単音検査

正解率60%ぐらいだそうです
母音の聞き取りは確率高いけど
過去からの流れを引いているらしく
子音の間違いが多い
これが聞き取り全体に影響して
会話が不成立ということになる

とはいえ
装着手術から4ヶ月
そして私の80歳と言う年齢から判断して
かなり順調に聞こえてが戻っているとの診断
平均的にはもっと正解率は低いとのこと

まぁ喜んでいいものだけど
患者本人としては
他の人のことは置いといて
もっと聞こえが良くなりたいと思う

確かに
装着後サウンドプロセッサーを初めてつけた
(これを『音入れ』というのだそうな)
直後からもうそれなりに会話できているので
ドクターの検査技師さんも
ちょいと驚きの感じだった

ただ これだけ聞こえて入るものの
まだ宇宙人は結構多いし
マスクを通した声は聞こえにくい
テレビの声も
あしょうわかるようにはなってきたけど
まだまだ字幕の支援が必要

我慢ですね

リハビリ終えて
耳鼻科のドクターの診察を受けることができた
少し待ったけど
思ったよりも早く受けられた
めまいの話が中心だけど
「だんだん治まってくると思います」との診断
その後で
とうぶのMRIの殺意の予約を取ってもらった

これまでは日赤で撮っていたのだが
2っっ咳が病院の方針で人工内耳小着車は
MRI の撮影をしないと
言われたので
致し方ない依頼をしたのだ

撮影はちょいと先です 12月


聞こえの調子は
その日の体調にもろ利蹴りだけど
全体的にはうわむにきなっている

鶴舞公園のハスの花
これはお祝いかなぁ・
  

Posted by 生田 at 11:35Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年06月08日

6月8日 木曜日 雨 血液検査でPSA値の結果

今日は朝9時に家を出た
行き先は2つのクリニックの診察
朝のラッシュは思ったほどではなく
結構スムーズに最初のクリニックに到着
先客が数人いたけど
いつもより診察が早く始まって
10時過ぎにすんなりおわった

先月とった採決の結果票を受け取った



赤い線のところが
前立腺癌マーカーPSA
もうこれ以上計測できないという値
0.009未満
まぁゼロですね
これは男として本来得る値ではないんですが・・
もうこの状態が
十年くらい続いている

それでも治療をやめるわけにはいかないんだって
死ぬまでお付き合いです。。。
でもどこかでや〜〜めたと言おうと思っている
二十年先かなぁ?

この後腹にリューブリンを打って解放された
そして次のクリニックに
ここは混んでるんで
1時間待ち

最近の体調の話
人工内耳装着後の問題などを話して
毎月の薬の処方箋をもらった
今日は相方が相談事があるので
その分診察は長く

おわって
今日は真っ直ぐに家絵に帰る
と言っても途中で昼飯のネタを買い込んんで
調剤薬局で薬受け取って

帰宅したのが1時少し前
昼飯食べて

それから昨日買ってきた
鶏肉の調理
相変わらず鶏ムネ肉のムシ肉を作っている
疲れたねぇ。。。

中国ドラマ2本の録画を見たところで
ええ加減にせえと睡魔が襲ってきた
1時間熟睡

起きたところで
相方とこ難しい話を大激論
結論は私が出せる問題ではないんで

今日は
雨予想で
クリニックへの往復も
雨にやられるかと覚悟していた

雨は夕方になって降り出した
梅雨の最中だから空いた仕方ないね


雨の中枚に行った沙羅双樹
今日の開花はなし
明日も咲かないかもしれないな
蕾は結構大きくなってはいるけど
  

Posted by 生田 at 21:17Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月25日

聞こえにだんだん慣れていく まだ宇宙人いっぱいだけど

先月27日に人工内耳装着手術をして
明後日で一月になる
そしておトイレをしてから
10日経とうとしている


今日は
新しい木彫りの準備をちょっとだけした
昼から本格的にやろうと思ったら
相方が買い物に行くと言うので
騒音にも慣れないといけないから
ついて行った
と言っても運転は私がしたよ

スーパー2つ梯子した
最初は客数がそんなに多くない
オーガニックなどを扱う店
音も少なく
どうってことなし

2軒目は客が3倍以上のところ
やはり騒音は大きくなる
それに人の声もたくさん入ってくる
やっぱり宇宙人がいっぱいいる
それでも
時折わかる言葉も
そしてこの騒音の中で
相方と話ができるようになってきた
ああ相方の声
宇宙人から地球人になりつつある
でも
まだ記憶の相方の声ではないな
いつかきっと記憶の声を取り戻すのだ!!!


この画像は
私の今の頭を後ろからショット
耳の真上の少し膨らんでいるところに
サウンドプロセッサーが入っている

本当は磁石でくっつけただけでいいのだけど
落ちやすいので
付属でついていたヘアバンドを使っている

いずれこれを隠す
できたら洒落たヘアバンドを探しに行こうと思う
じじいでも洒落たのがあればなぁ

聞こえは
毎日少しずつ慣れてきて
テレビの声も少し聞こえる
でもまだ!0%もわからないけど

とにかく今は慣れること
それに
これまで大きな音を
聞くことがなかっただけに
人工内耳から入ってくる
大きな音に慣れないといけないのだ
脳みそがガンガン言っているけど
これに耐えて
音に慣れ
そしていずれは
声になっれなければいけない

でもね
嬉しいですね
音が入ってくるって言うのは

夜になってサウンドプロセッサーを
外した時のあの静寂
懐かしくなってきた
でも
静かだなぁ
脳みそが休まる
  

Posted by 生田 at 17:09Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月23日

人工内耳+サウンドプロセッサーで 電話で話した


今日火曜日は
人工内耳手術後最初の経過間s夏の新s夏を受け
その前に
サウンドプロセッサー(SP)の
調整をしてもらった

音をかなり大きくしてくれた
(ちょいと大きすぎたかも)

これまで麺と向かった会話だけを
考えていたけど
相方が電話してみろという

ならばと
ここ数年電話で話すことのなかった
(LINEの文字交換はしていた)
横浜に住む妹に電話した

こっちの事情を説明した上でのこと
拡声器を付けて話せばまともに会話できる
音声文字変換なくてもできる
では
受話器ではと

受話器をSPに当ててみた
おぉ
話せる
妹の声が聞こえる

でも
その声は
記憶にある声ではなく
やっぱり宇宙人の声に近い
それでも
話ができるということは
本当に嬉しいこと

また世界が明るくなった
  

Posted by 生田 at 21:41Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月23日

人工内耳手術後 言語リハと経過観察の後 宇宙人の声が

先月・4月27日に
人工内耳装着手術をした
それから26日
初めての主治医による経過観察
その前に
人工内耳のサウンドプロセッサー(SP)による
言語リハビリを受けてきた

言語リハビリの前に
健康チェックの関所
いつものように体調の問診があって
無事通過して
言語リハビリの待合室に
ちょっと早かったので
ここでしばし待つ

2時少し前に始まって
前週初めてつける時の調整を
今回さらに進んだものにするという
いろいろやってもらって

リハビリの先生の声は
はっきりと聞こえるようになった
かなりはっきりと
それにボリュームを上げてもらって
いろんなものを聞き取る力が増したと思う

それとSPの頭につける時の磁石
先週は弱くて頭につかなかった
そのために
バンダナもどきの帯にSPを入れて
頭に巻いていた
これが痛かったんだよね
(頭締め付けるから)
今回はその自社の強いのに交換してもらって
帯なしで頭に直接
痛くなくて楽だわぁ

でもなぁ
頭振ると落ちそうなんだよな

リハビリは2週間先にまたやります

リハビリ終えて
今度が主事の経過観察
ほぼ予約時間に始まって
これまでの経過を話したり
手術痕を見てもらったり
(経過に関してはブログにアップした)
(記事を編集してプリントアウトして持っていった)

主治医曰く
人月足らずでここまで会話ができれば
十分成果がている

確かに
確かに
筆談しなくても
話すことできる機会
多くなったもアンネ

感謝bの意を表して
次に観察日は2ヶ月先

病院の関所を通過して
車に乗った
相方と話
ん??
相方の声が記憶と違うぞ
宇宙人の声だ

カーラジオから剥がれる声
ナビの姉さんの声
みんな宇宙人の声

なんだか狐に包ままれた感じ
この状態を2週間続ける
そしてこれを記憶するのだ

慣れなければ
主治医にもリハ日血¥裏の先生にも言われた
慣れることです


慣れましょう
慣れましょう
一生懸命声を聞いって
慣れましょう
啜れば
わかるようにある


実際の話として
私は過去10年間両耳に補聴器をつけていた
その時の音よりもいいかもしれない
多分よくなるだろうと思っている

私のような
両側感音性難聴には
補聴器よりもうんと効果かがあると
今は思っている
  

Posted by 生田 at 19:22Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月07日

人工内耳装着手術体験記 最終回 入院4日目・退院 その後

 ・入院4日目 退院から帰宅
 もう退院が決まったものと思って、朝の検温、朝食後から退院準備を始めた。そんなにたくさんのものがあるわけでもないし、簡単に済んでしまった。9時30分くらいに相方がやってきた。そして、相方は退院手続きを済ませに一旦出て行ったが、戻ってきたところで、看護師を呼んで最後の診察を受けに行くことになった。
 病棟の中にある、耳鼻科診察室で男性のドクターの診察を受ける。そして、手術痕に貼られていたガーゼを完全に除去し、外からの所見で問題なしということで、これで晴れて退院することになった。


 ドクターにお礼を言い病室に戻って、荷物の整理と再点検をして、看護師にお礼をいって病室を後にした。

 手術痕のガーゼについては、どうも完全に剥がされてはいない様で、退院して4日くらい過ぎて、手術今週お遠に触ると違和感があるので、相方に見てもらっているが、どうもガーゼが張り付いてのではないかと思われると。
 左の画像は、診察してもらったドクターにショットしてもらたもの。

 病室から病院出口までの歩きでは、体が多少ふらついている。筋肉の弛緩と手術の後遺症の目眩の軽いのがふらつきの原因だと思う。この後出口で退院処理をして、車に乗って帰宅することに。車に乗ったのが10時40分だった。

 帰宅途中で何か食べる予定していたけど、時間が11時前ということで昼食には早すぎるしそもそも店がまだ開店前で諦めて、途中スーパーに立ち寄り昼飯の弁当を買い込んで自宅に帰った。
 この時、眼鏡もマスクも外している。眼鏡もマスクもつけていると、手術した耳を引っ張って、手術痕に対象の痛みが出るので、外していた。退院前のドクターの診察で、マスクの紐がかからないように気をつけてくださいと念を抑えている。家にいるときは外しているけれど、外に出るときは、マスクがキツくならないように一工夫しなければならないと思っている。(結局外に出ることがないので考える必要もなかったが)
 
 家に帰って、一息ついてから昼食。買ってきたのは、病院食と違って、脂がキツかった(後で思った)鶏の唐揚げ弁当。食べたときはいつものことなのでなんとも思っていなかったが、食べてから2時間くらいして少し気持ちが悪くなった。そして病院では出ていなかったかなりひどい目眩に襲われて、立っておれなくなった。こういうときは、もう慣れっこだけど、血の気がひいているので、目を閉じて座り込むことだ。相方に吐き気のあることを伝えて準備をしてもらい、しばらく座り込んでいたが、吐きそうになったものの出すものがなかったようで戻しはしなかった。
 気分が少し落ち着いたところで、布団を敷いてもらって寝ることにした。眠りについて、目覚めたときは目眩はかはなり治っていた。

 ・退院翌日及び翌々日
 目眩に関しては、人によりけりだけど、症状が出ることがあるとは聞いていたし、多分自分でも出るだろうとは思ってはいたものの、想定していたよりも程度の悪い目眩になった。
 これを書いているのは、退院から2日してからだが、目眩は少ないとはいえ、歩けば少しふらつく、そして夜中にとんでもない耳鳴りに襲われて目が覚めたほどだ。
 
 当分こうした副作用、後遺症が出るものと覚悟はしているが、こうしたことに慣れていく必要があり、我慢が強いられそうだと思っている。
 GWの連休で、何年ぶりかで息子が帰省した、どこかにドライブしようと言ってくれたけれど長時間車に揺られれば多分に目眩を起こすだろうし、吐き気を催したらとんでもないことになるし、目的地では杖が必須になるし、下手すれば車椅子に乗らねばならないからと、ドライブは遠慮した。


 ・退院から4・5日目
 夜寝るときは、手術痕が下にならないように、できるだけ反対側を下にして寝るようにしている。夜中寝相の悪い私は、手術痕に影響を与えていなければいいがと思ってはいるが。。
 夜中トイレに行くために起きようとすると、グルグル目眩の襲われる。なんとか我慢して立ち上がって、ふらつきながらもなんとか済ませて来る。グルグル目眩は、昼間起きて椅子に座っているときはほとんど治っているのだが、立ち上がって歩こうとすると今度はふわふわ目眩に見舞われる。なんとか歩けるので、やりたいことを済ませてまた椅子に戻る。
 目眩は日に日に軽減されつつあるが、これは自然に収まっているのか、退院4日目くらいからの手持ちのビタヘスチンの服用が効いてきているのか判別できない。

 耳鳴りは、寝起きが一番キツく、起き続けているとある経度軽減される。ひどいときはもう我慢の限界と言ってもいい。それで夜中目が覚めたこともある。耳鳴りは、いろんなものがあり、ジェット機の音やら、電子音やら、唸り声のようなものも、とにかく音は定まっていない。耳鳴りは完全に消えることはないのだが、時折瞬間的に消えたかと思うが、それは消えたのではなく、何種類かの音の集合から大きい音耳鳴りが消えたに過ぎない。しばらくするとまた違う耳鳴りが重なって始まる。

 耳鳴り、目眩は、手術後1〜2風間くらいで収まると言われているが、まだ退院5日目では、最高に出ているのかもしれない。なんとか早く治ってほしい。

 心配しているのは、プロセッサーをつけて言葉の聞き取りを始めても、この耳鳴りがあると、うまく聞き取りできないのではということ。耳鳴りは、手術後は全くなかったと言っていいくらいなのが、翌日突然に大きくなった。体、頭の中で何かが起きているのだろうとは思うのだが。。


 ・退院から9日 この連載の締めに
 退院7日目に初めて車に同乗して、買い物に出掛けた。目眩もほとんどなくなっているので、歩くときのふらつきもほとんどない。しかし、スーパーの中では他の買い物客の動きにかなり警戒をしていて、人の動きに神経を尖らせていることからか、かなり疲れた印象だった。
 ドクターからは、目眩は1−2週間で治ると言われていたが、確かにほぼ1週間でぐるぐる目眩はほぼ収まった。しかし、天気に左右されるのか、天気が下り坂に差し掛かると耳鳴りの鳴り方が変わって軽い目眩も生じることがある。
 この記事の仕上げをしようとしている時、天気は雨で朝からショットしたふわふわめまいに見舞われている。生活に支障はないけれど、立ち上がった時にふらつきが出ている。画像の様な杖の必要はないけれど。
 目眩や耳鳴りは、元々手術する前から抱えている問題なので、手術の影響かどうかの判断はできないが、この先どういったことになるのか、サウンドプロセッサーを取り付けて、音が左側から入る様になると、この症状にまたは変化が生まれるのだろうか?変化があっても、いい方向にかわあってくれることを願って、とりあえず連載を止める。
 10日くらい先にサウンドプロセッサーの取り付けをし、言語リハビリがスタートする。そのことがどういった変化を持たすかは、またその後に報告をすることにする。

  

Posted by 生田 at 15:26Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月06日

人工内耳装着手術体験記 その4 入院3日目 手術翌日

 手術翌日の朝になって、術後最初の食事がきた。
 手術日は、その前日夜9時から食べ物禁止、午前0時からは飲食禁止となっていたのでが、手術日の夕方の術後5時間くらいして、ゼリーやプリンが解禁となり、手持ちのパンを食べてもいいという許可が出ていた。いくつかかじって空腹を凌いだが、正式な朝食はありがたかった。食事が解禁されたと同時に、日頃服用している薬の服用も解禁された。なんだか日常が少し近くなった気もしたけど、まだまだ遠いな。
 
 この日は、朝6時過ぎの検温に始まって、8時半頃の朝食を食べて、その後手術痕のガーゼの交換やら何たらいろいろあって、それに時折睡魔に襲われるし、手術体験記なんて書いておれないのだ。せいぜいブログ記事の短い文章を書くの時間しかなかったと記憶している。
 書きつつ思い出したのだが、この日のどこかで病院用のでかいおしぼりを使って前身を清拭(せいしき)してもらった。気持ちよかったなぁ。。。
 
 昼食時に、午後にX線検査をすると「その検査結果によっては翌日退院となるよ」と看護師から言われた。そして時間が来た、確か2時半だったかと思う、歩いていいけると思っていたけど、何と車椅子に乗っていくのだと。やはり目眩の心配があるので、検査室までの往復を歩くのはダメらしい。(本人は大丈夫と思っているのに)
 一枚羽織って行こうかと思ったが、病棟が暖かいからと病室着のままで車椅子に乗った。エレベータの前で、ちょいと寒いかなと思ったものの大丈夫だろうとそのままX線撮影の待合まで来てしまった。が、やっぱり着てくれば良かった。ちょいと寒いのだなぁ、X線撮影室は外来に通じているので外気温に近い。病室よりも結構冷えていたようだ。
 
 X線撮影室に呼ばれて車椅子のまま入室。何でこの病院の技師さんたち女性が多いの?この検査室も全部女性で、まぁありがたいが。。。
 ベッドに寝かされて、動くなと言われて撮影し、次に方向を変えるために体の頭と足を180度回転させて撮影し、終了。大人しかったのかもなぁ。。。
 これで、検査ベッドに体を起こした瞬間に、人工内耳を埋め込んだ左耳にとんでもない、これまで経験したことのない大きさと音の耳鳴りが始まった。大きいだけではなく、音の種類がまるで違うのだ。
 まるでX線が人工内耳を触発して起こして音を出しているって感じだ。だんだんその音は大きくなり、我慢の限界となりつつあった。
 また車椅子に乗せられて、病室に移動してそのままベッドに。ドクターに連絡してもらって、現況を見てもらうことに。
 ドクターが病室に来てくれて面談。耳鳴りの現状を訴えるが、正直どう伝えたりいのか難しい。耳鳴りは他の人には聞こえないし、ドクターがどういった経験をしているかにもよるし。とにかく患者それぞれの病状を正確に伝えるのは難しいのだ。
 まぁ、そんなに手術痕は痛みは出ていた中田は、痛み止めをとりあえず飲もうということになって、看護師からもらっていた痛み止めを2錠服用。そのまま話を続けるうちに、耳鳴りはかなりゆるくではあったけど収まっていった。
 途中で、ドクターが耳に張り付けているガーゼを外して、交換をしてくれて、その手術痕の所見から、これならば翌日退院でいいだろうと、翌日10時に再診察をした上で、退院となると言われた。主治医、執刀医のドクターから言われていた入院から退院まで4日ほどという通りの運びとなる。
 
 このドクターとの診察の後に、主治医で執刀医でもあるおクターが来てくれて、現状を確認してくれた。そして翌日退院の作人をして、目眩や耳鳴りは1−2週間くらいで治ることが多いと言われた。
 
 あぁ もうこの日の記憶が飛びつつある。ドクターの診察の後、何をしたのだろう??ブログ記事を書いたような記憶はある。それ以外は、体験記を少し書いたのかな。。。
 あぁ、多分夕方になって睡魔に襲われているかもしれない。やはり全身麻酔手術の翌日ということで、病室から出て、動きのあるものを見ることで疲れたのではないかと思う。
 
 トイレに行くのは、手術直後こそ尿瓶を使ったが、その後は自力で歩いていき、しかも3回目くらいからは看護師の付き添いもなく一人で行っている。ただ、術後、トイレの感覚が少し遠くなったのは助かっていた。
 
 退院することが決まったことは、LINEを使って相方に報告した。まさかこんなに早いとは思ってもいなかったようだ。
 
 このまま最後の夜を過ごしたが、動きが少ない割にはとにかくお腹が空いてしょうがなかった。これはいつも服用している消化器系の薬の効果かもしれないのだが。ということで、買って来てあるクッキーをかじったりして空腹を凌いだ。
 実を言うと、私はストレス喰いをする傾向にある。何か精神的にストレスがかかっている状態の時には、何かを食べていないと落ち着かないのだ。自分絵もなんとかしたいとは思えども、長年生きてきてもその解決方法はいまだに見つかっていない。
 
 夜の寝つき悪く、寝ても眠りは浅かった。そして最後の朝は6時前に目覚めてしまっている。

  

Posted by 生田 at 17:16Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月05日

人工内耳装着手術体験記 その3 入院2日目 手術日 2 病室で

 手術室での作業が終わったところで手術用から病室用のベッドに移された。薄らとした記憶では、ベッドを移る前に下半身の着替えをされていたのかもしれないと思う。
 そしてベッドに寝かされた状態で手術前に歩いてきた廊下をぐるぐる回って病室に帰りついた。この時点で家族の顔の確認はできていなかった。
 病室に戻って、3時間は安静にしているようにと言われていた。動けったって、まだ身体緩んででしまっているから動けないないけど、それでも指と頭はうごかせた。
 家族の顔もわかった。ありがとうと声をかけ、息子は仕事を休みにして来てくれていたので、無事生還したことを確認して仕事に帰っていった。
 
 実はこのあたり、完全に脳が目覚めていたとはいいづらく、細かいことは記憶に残っていないのだ、というよりも、いろんなことがオーバーラップしていて、時間系列で並べることができないのだ。
 病室に帰ってきても、結構寝ていたようだ。相方も一旦息子と病室を出て行っていったようだ。どのくらい出ていたのかわからなかったが、私が眠ってしまっていたのだろう、目が覚めたら看護師が「ご家族はゼリーとプリン買いにいってるよ」っておしえてくれた。
 それからまた寝たのだろう、気がついたら相方が補助椅子に座っていた。
 
 相方はゼリーとプリンを買ってきてくれていたのだ。冷蔵庫に入れて、食べ終わったっ冷蔵庫いらないけど。。なんてことを看護師と話をしたりしていた。
 このゼリーとプリンは、全身麻酔後に初めて摂取できる食べ物らしい。麻酔が開けても食べると誤嚥する可能性が高く、それを防ぐという小tもある様だ。
 
 その相方も、私がほとんど寝ているので手持ち無沙汰たで、「大人しくするのよ」と言って帰っていった。
 

3時間の安静が過ぎた頃かな、手術跡の傷の出血を見にきた。安静とはいえ頭は自由に動いていたから、夢見つつ自然に動いていたのか、かなり出血して、シーツを汚していた。

 この出血は、誰にでもあることのようで、傷口からじわじわと流れ出ているらしい。この後も3回ほど手術痕の処理をしてもらっている。

 
    
 画像左から 手術後3時間後 術後直後と同じ状態
 中央は 初めての取り替えで 看護師にとってもらった
 右は 取り替え後にガーゼが新しくなった状態
 
 手術後は何もすることができない。何しろ左手には点滴の針が刺さったままなので自由に歩くことができない。手術が終わって病室に戻ってしばらくしたら尿意を覚えたので訴えたら、尿瓶を持ってきて処理をしてもらった。
 絶飲食のせいか尿意の感覚がいつもの倍位遠いと感じた。がそれでも出したくなり、次に訴えたら、歩いて行けと言われ、看護師随行でトイレに向かった。
 この時術後初めて立ったのだが、ちょっと軽い目眩と、筋肉の弛緩がとれていないからかなり不安定だった。トイレは洋式を使うかと聞かれたが、大丈夫と男性用の立ち小便器を使った。
 
 どのくらいの時間だったか、水を飲んでもいいと許可が出たので冷たい水を飲んだ、なんと美味かったことか。
 
 しかし水を飲むときに違和感。味の問題ではなく、飲むために口を開けなければならないが、口を開けると手術痕に痛みがはしるのだ。想定外のこと、食べるときはもっとひどく、口を開くときも痛むが、それに噛むときにも痛みがあるのだ。でも我慢できる痛みではある。
 それでも最初の頃合は、口が開けなくて、水もまともに飲めないから、看護師に頼んでストローを用意してもらったくらいだ。
 
 手術後は、食事もできないので、時折パンを齧ったりしながら、寝てることが多かった。しかし、ブログで多くの人に心配かけているので、書けるようになったところで自撮りの私をめずらしくそのまま、と言っても酸素マスクして、寝巻き姿というとんでもないものをアップした。
 
この手術後は、麻酔が切れても結構眠気があって、なんだかずいぶんうとうとしたような気がする。テレビを見るわけでもなく、ただベッドに寝転がって、時折 iPad でゲームしていた。
 何時ごろだろう、多分夜11時か12時頃だと思うけど、熟睡したようだ。が、3時頃に目が覚めてしまった。それからが寝られない、ゲームしたりもしたけどこの際とばかりに、記憶に残っているいる間にと、この体験記を書き始めた。
 手術したその日に書いているのにもう記憶が飛んでいる。悲しい現実です。それに時間経過の混濁。何をいつしたのかまるで頭には、やったこと、見たこと、聞いたことが、時間系列に並ばないのだ。本当に情けない。
 


************ 人工内耳装着手術体験記 *************

その1 入院と手術前検査 
その2 入院2日目 手術日 その1手術
その3 入院2日目 手術日 その2 病室で
その3 その4 入院3日目 手術翌日

 ***
 これを書い当ている最中
 14時22分に能登半島で震度6強の地震があった
 我が家の柱時計止まってた
 名古屋でも珍しく揺れたのです

    

Posted by 生田 at 15:24Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月04日

人工内耳装着手術体験記 その2 手術日 その1手術

 麻酔科医から詳しい説明を受けていざ入院翌日の朝9時から手術開始ということで、8時半ごろに弾性ストッキングを履かせてもらった。これは初めての経験、理由は手術が長時間に及ぶ可能性もあって、同じ姿勢をとり続けることで血栓ができやすく、それが影響して、脳血栓、肺血栓を起こす可能性があるので、それを防止するためのものと説明を受けている。(白いのを着用)
 まぁ、いうなれば飛行機旅行でのエコノミー症候群と同じことですねとドクターに確認したら、その通りですとのことです。

 この直後に家族(相方と息子)が到着した、そして定刻の8時50分に看護師の引率で家族も含めて歩いて手術室に向かう。
 広い病院の中をエレベータで降りて、それから病棟の長い道をくねくね歩いて手術室の入り口に来た。ここで家族とはお別れ、お互い扉が閉まるまで手をを振った。
 入り口のホールに入ると数人の手術看護師が待っていた。ここで病室用から手術室用のものに着替えをした。寝巻きみたいに前が開く全身用のものです。
 看護師数人に取り囲まれて、「ハーレム状態ダァ」って冗談いったり、全く緊張感はなかった。
 そして手術台のある手術室に向かう。病室からも長かったっけど、ここも入り口から手術ベッドまでの長かったことこと。もう手術の始まっている部屋もいくつかあり、その横を通っていく。先導と後に看護師に挟まれての行進、前日の死刑囚の思いの続きで、まるで死刑台に向かうみたいと頭にチラつく。が、決して心配したり、緊張していたのではない。ドクターの人柄から完全に身を任せるという安心感が先に立っている。


 手術台に上がった。と言ってもこの手術台は記憶が薄れてしまっているので、表現が難しいが、ごくありきたりのベッドみたいな感じの上になんだか分厚いマットを敷いていたかと思う、今考えればこれで体を固定したのだろうと。
 ベッドに寝かされて、いろんなものが体に取り付けられる。その都度「〇〇をつけるよ」と説明があるけど聞こえない。それでほとんどを筆記して読ませてもらった。ただドクターは私の病状を知っているだけに、耳元で大きな声で語りかけてくれていた。

 そして点滴で麻酔薬を注入するために、前日夕方に病室まで事前調査に来た麻酔医が手の甲の静脈を探していた。私は極度に血管が細いと言われているが、どうもその通りで打ち込に必要な静脈が見つからず、かなり手の甲を叩いて血管を浮き出させていたが、やっと見つかったようで「今から少しちくっとしますよ」と声がかかって、少々でなかったがちくっとして針が差し込まれた。かなり弄った感じだなぁ。。。さらに説明が「量が多いので手が痺れるかもしれない」と、寝てしまったら痺れもわからないけどなぁ。
 私は覚悟して目を瞑っていたら、トントンされて目に前で指で丸を作って「目を開けていろ」と、これは目が空いていれば、寝たのがわかるからだろうと思う。

 この後しばらくしたら、完全に寝たのだろう、記憶が全く無い。ただ、記憶には内容は残っていないけれど、何かの夢を見続けていたように思う。

 その見ていた夢を破るように、左肩をトントンされた。「終わりましたよ」と。本当に夢破られての目覚めで、一瞬目の前がなんだかわからなかったが、たくさんの顔が私を覗き込んでいたが、執刀医の私の主治医のドクターの顔が見えた。「あっ先生だ」と声を上げた。ドクターが耳の横にきて「無事終わりましたよ、人工内耳も完璧に埋め込まれましたよ」と話してくれた。私は感謝に気持ちをいうとともに「家族が心配ししているから連絡してください」とお願いをした。

 目が覚めた。「生きていた」といいのが正直な気持ちだ。
 体から取り付けられていたものが取り外されれていく。残ったものは酸素マスクと足のマッサージ器具、そのほかの観察用機器のケーブルは皆外されたようだ。ただ、酸素マスクがいつ取り外されたのかは、全く記憶に残っていない。麻酔から覚めたと言っても、脳は完全に目覚めていなかったのかもしれない。
 マッサージ機は、酢術中からつけっぱなしで、病室に来ても3時間以上はつけてたのかな?気持ちよかった。ストッキングは退院して家に帰るまで履き続けてました。






************ 人工内耳装着手術体験記 *************

その1 入院と手術前検査 
その2 入院2日目 手術日 その1手術
その3 入院2日目 手術日 その2 病室で
その3 その4 入院3日目 手術翌日

お断り
イラストはネット検索で
無料のものを拝借しています
  

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2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
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10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
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室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
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08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
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京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
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07年信州の旅
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生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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