2024年09月10日

9月10日 火曜日 晴 弱風 たまには病気の話を

 昨日は、前立腺がんの定期診察日の話を書いたので、タイトルが違うのではないかといわれそうだけど、3ヶ月ごとの経過観察だからそ音結果を書いた。
 しかし、私が末期の前立腺がんを洗脳されて13にもなる話は、4月8日の宣告記念日以外はあまり描かないので、新しく読者になっていただいた方にはご存じない方もおいでかもしれない。

 私は、子供の頃から病弱で、何度も死にかけたことがあるのではないかと思うけど、本人の記憶にはあまり残っていない。
 それでもはっきりと記憶していることがいくつかある。

 幼稚園から小学校の低学年にかけては、呼吸器系の病気にしょっちゅうみまわえていた。耳鼻科系の問題もあって、毎年必ずと言っていいくらいに扁桃腺を腫らして高熱を出し、それが肺炎を併発して10日ほど学校を休んだこともある。中学1年の時にその高熱対策として、扁桃腺肥大症という病名のもとに、扁桃腺を切り取る手術を受けている。それ以来扁桃腺での高熱になることは無くなった。
 高熱は最高42度くらいまで出たと母親から聞いていたけど、小学校の低学年の頃までは、発熱のたびに(年に1度は必ず)ペニシリンを撃たれた記憶が残っている。尻への注射がかなり痛かったなオアはしっかりと覚えている。

 扁桃腺の手術以来、発熱をすることは少なくなったが、今思うと高校あたりから花粉症に見舞われてたいのではないかと思う。それが定期試験にかかることがお多く、鼻詰まりが思考能力を抑えるのか、とにかく成績が落ちていった、

 そんな病気に弱い体質だったのが、就職をした頃から割と病気になることもなか卯なったのだが、就職して数年目に、仕事で担当エリアに北海道と東北3県を持たされて、面積でいけば日本の4分の1くらいのエリアを、当時まだ東北には新幹線も行っておらないし、私の担当部署では北海道へは東京kら飛行機に乗ることは許されたけど、大阪から東京まで新幹線に乗れと言われたり、それは置いといても、広いエリアの営業活動は、毎日かなり長時間列車に揺られてことが多かった。最長は、青森から大阪までを12時間かけて移動したこともある。まぁ夜行も結構使ったりして。それが災いしたのだろう、1年で背中を痛め背筋痛という病名がつけられたりし、担当エリアの交代を命じられた。その配置転換で、無くなったものの、それから半年で、会社を辞めて、実家の名古屋にもどっることになった。

 名古屋に戻ってから、零細企業での仕事が大変で、持病の背筋痛がぶり返して、体を守るために仕事を転々とした。数えてみたら、大阪時代も含め、車内転勤を含めて12回くらい転職している。
 いろいろ仕事を経験して、最後はコンピュータを扱う仕事に就いたが、個人事業なので、かなり体を行使することにもあった。販売とソフトウェア作成と両方を同時にこなしていたので、徹夜することも多かった。それ以外に、仕事の影響から、全問学校や大学で教鞭を10年くらい取ることも経験した。

 65歳になった時、養父が死んだ。その煽りを受けて仕事を引き継がなけだならなかったが、この時に体を壊していたようだが、忙しすぎて気づかなかった。
 そして、68の時の特定健診(通称メタボ見真)でなんとなく”前立腺がん”の検診尾オプションで受けたのだが、この時に、担当したドクターが「なんだこれ!」と驚いたくらいにPSAが365くらいあったと記憶するが、単体が間違っているおではないかと思ったくらい高かった。即大病院で検査を受けて、メタボ検診から3ヶ月後に、末期の前立腺がんを宣告された。大病院に行ったときのPSAは600弱だったと記憶している。
 がん宣告の時には言われなかったが、後から担当医に聞いたら”余命半年”だったそうだ。ホルモン療法を開始して、1年くらいでPSAはゼロに近いところまで下がった。そして宣告ら13年をすぎても、PSAは限りなくゼロに近い状態で生き続けている。

 養父を亡くした翌年、前から予定していた、両眼の白内障の手術を受けた。これは受けるべきでなかったと今は思っているが。
 がん宣告の翌年に、事故で腰椎を骨折して死ぬかという思いをしたが、3センチ身長が低くなるというのを経験している。幸い、神経を圧迫することがなかったので、半身不随にはならなかった。
 そしてその2年後に、どうも聞こえが悪いと、補聴器外来のある耳鼻科を紹介されて、補償機を作ったのだが、6年で聞き取りが悪くなって大学病院に転院したが、ここでの4年で聞き取りの能力を無くしてしまった。そしてこの間にめまいを発症することが多くなった。そのために名古屋大学病院の耳鼻科に転院して、人工内耳を装着することになり23年4月に、人生初めての全身麻酔で頭部に人工内耳を埋め込んだ。
 耳の聞こえに関しては、内リンパ水腫という難病だそうで、原因不明で治療法はないとことだけど、とにかく聞こえが補聴器では無理な段階になったので、人工内耳である程度回復したと思っている。めまいもこの内リンパ水腫の影響で、三半規管に異常が影響私立と言われている。

 ここまで書いたこと以外にも、目下のところ病気を持っている。10年くらい前だったかに”一過性脳虚血発作”と診断されて入院し、その後から脳梗塞対策のバイアスピリンを服用せああるを得なくなっている。

 そのほかにも色々ありすぎて、全部書くのはしんどい。

 いろんな病気を克服してきているけど、経過を書いているもは前立腺がんだけで、その経過に関しては、連載「末期・前立腺がん 奇跡の軌跡」としてでまとめて残してます。



 病状の推移もあるけど、それ以上に、最初の頃のドクターには反対されたのを無視しての食事療法なども書いているので、興味を持たれたらお読みいただければ幸いです。
 ただ、誤解されるといけないのであえて書きます。
 がん、いやそれだけではなく、いろんな病気は、患者それぞれ症状などが異なり、治療法も異なります。ある患者が成功したからといって、他の患者がそれを実行しても成功するとがかぎません。
 病院での治療は、担当するドクターの目を通しての、その患者に最善と思う処置をします。しかし、多くが統計的な判断での処方です。それが正しいかどうかは、ドクター自身100%思っていないケースが多いとお思います

 私の前立腺がんの治療方針は、最初に採用されたホルモン療法で、カソデックスの服用と腹に打つ注射のドラデックスが、たまたま私にどんぴしゃりハマったようで、担当医も数回の経過をみて「これで行きましょう」といっていました。それから、薬はビカルタミドとリューブリンに変わったものの、効能は同じなので、13年以上同じ治療法で推移しているだけののことです。
 私の場合は、末期ではあったものの、転移が全くなかったということが幸いだったのだろうと思っています。
 私の前立腺がんの治療法ついて、以下のように聞いています。
 ”ホルモン療法”は、全身に飛んでいるがん細胞に対して効果のある、全身療法だと聞いています。そのために、現状消えていると判断されているがん病巣にも関わらず、私の治療が終了しないのは、細胞レベルで全身のどこかに転移している可能性が否定できないので、それらを抑えるためにホルモン療法は続けるのだと言われています。

 本当は、もっと色々書き残しておきたいのですが、前にも書いたように人そそれ病状も異なり治療法も異なるし、13年という時間経過で、私の記憶からかなり遠くなている部分も多くなり、こうして書くのが誠意杯かなぁと残念に思っています。

 この記事の最後に、斬立洗顔を患っておらる方に
  前立腺がんは、進行の遅いがんです、急激に悪くなるものとは聞いていません。問題になるのは骨転移のある場合ですが、悲しいかな私は未体験のことでコメントを書くことができません。この点については、しっかりと担当医に納得のいくまでお聞きになることをお勧めしておきます。
 「がんが消える食事療法」という書物も出回っていましたが、私が読んだ数冊は、統計的な考察がほとんどなく、何人かの事例からいい結果だけを抜き取って纏めたものだったと判断しています。
 最近は、ネット上にも色々情報がありますが、それらの中から何か思い立つものができたら、医師と相談するのも粋かと思います。
 私自身の場合も、色々思いついたことをその診察の際にドクターに話をして取り入れたものもあります。
 服用している薬がその例で、当初のカソデックスがそれで、当初薬剤費が高かったので、同じ効果のある薬を検索して、調剤薬局で相談したところ、ジェネリック薬あることがわかり、大病院院内処方から院外処方に切り替えてもらった経緯があります。

 何にしても、病で一番大切なのは、がんと宣告されても希望を失わないこと、ドクターの所見はあくまでもそのドクターの見解だということ、学説が違うと違った見解もありうるということで、セカンドオピニオンが有効になることもあると思ってください。最近のドクターは「セカンドオピニオンをとる」といっても嫌がる人はほとんどいません。たまに嫌がるドクターもいますが、逆に信用はいかがなものかと思っています。

 書いているととめどもなく書きそうなので、ここで止めることにします・
 多くのがん患者の方々に、希望を持って、ストレスを溜めないで、療養生活を送っていただきたいと願っています。
 できれば、がんと仲良く暮らしてください。
  


Posted by 生田 at 14:23Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2024年08月08日

8月8日 木曜日 晴 弱風 あわや痛風かと思ったが。。。

一昨日
名古屋大学病院での人工内耳装着後の
定期観察に出かけた
そしてドクターとの問診をし
聴力検査を受けて
帰宅したのが夕方

病院にいる時は何も感じていなかったが
帰宅して靴下を脱いだら
左ありの親指に違和感


私の汚いあんよです

親指の裏が針で刺すような痛み
触らなければ痛まない
触るのではなく押しても痛まない

夜寝る時は
布団があたるだけで痛む

痛風になると
足の親指が痛むと聞いている
以前から
尿酸値が高めだったので
すーっと薬を服用している

今日ないかの定期新脱日なので
この話をしたら
あをを直接見て
私の痛む部分は 痛風ではないと
痛風は親ゆび関節に出ると
診断はそういうことで
とりあえず湿布å薬を貼って凌
とのことで ほっとしている

痛風だとこの先かなり痛むらしいから


診察終わって
帰り道に
いつものスーパーで買い物
色々買い込んんで
ついでに昼飯も買い込んで帰宅

私は途中調剤薬局に立ち寄った
先日いらしたLINEでの処方箋送付
童夢幕言っていないので
その話を


画像左半分がLINEで
お友達登録したという画面

右は登録した調剤薬局の情報



画像左は登録後にできる
電子版のお薬手帳の一覧

なんで個人一人なのに
リストで出す必要あるのか不明ですが。。

左は
処方箋を送って
薬を受け取るとLINEで
受け取った薬の情報を見ることができる

初めてのことだけど
どれだけの人が使っているのかな?
まだそんなに普及してないように感じだ

処方箋の送付にも
なんだか面倒なことが裏で暑ようだし
当分は
これまで通りの方法でと

いろんなものがIT化されるのだが
年寄りにはきつい話で
特にスマホを持たないと処理できないので
まぁ私らの年代だと
必要ないものかもしれんなぁ


今日は
朝4時半起床
朝飯食べて
また寝て8時起床で
9時前に片道45分かけて車で
遠いクリニックに

帰ってきたのが12時
途中買い物したからな
してなければ
1時間早く帰れたかも

ということで
今日も朝のショットしてません
もう何かも暑いのでやる気ないなぁ

今からお昼寝します
  

Posted by 生田 at 15:25Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2024年08月07日

]8月7日 水曜日 晴 無風 夏休みの大学病院耳鼻科で

昨日は名古屋大学病院で
人工内耳装着後の経過観察と聴力検査に出かけた
そのお話です

今日は
朝のいつもの日課をしていません
ということで
庭の画像はありません




 左の画像が昨日の私の聴力検査表です。検査表の見方をご存知の方なら、聞こえがかなり悪いことはお分かりかとお思います。それに左耳は、ほとんど聞き取れないこともわかるかと思います。
 右耳もかなり聴力が落ちていますが、前回の検査の時とあまり変わっていないとのことです。
 この検査は、人工内耳のマイクになるサウンドプロセッサーは装着していません、そのために左耳の結果は、ほぼ聞こえないもになっています。
 この検査結果を持っての経過観察をこのあとしました。ドクターとの現状の聞こえやら私が今思っている疑問などの話をしています。

 現状の私の聞こえは、音が入っていることと、それがなんの音かを判断することとが別問題ということなのです。つまり音の認識はできていても、それがなんの音なのかの判断ができないことが結構あるということです。
 一番困っているのは、過去80年という人生で頭の中に叩き込まれた音の記憶と、現在感じている音になかり差があって、つまり昔に記憶が邪魔をして今入ってくる音の判別ができないという辛い問題が残っています。
 例えば、笛吹ケトルの湧き上がった時の”ピー”という音が、今の私の頭ではかなり低音で”シャー”という音になっています、このためにお湯が沸いたという警告がが感じられないこともあるのです。
 この問題は、すでに埋め込まれた人工内耳(インプラント部分)ではもう調整はできない、できるのは外のマイクになっているサウンドプロセッサー(SP)での調整にかかってきていると、昨日もドクターかあ言われています。
 
 装着後2年して、私自身が少しだけスマホを使って調整ができるようにしてもらったのですが、どうもその範囲での調整では、私の聞こえは良くならないのかと思っています。これは根本のSPの調整にかかってくることになるのですが、残念ながら今の医療の法的な問題で患者自身が細かい調整することは認められていません。
 ということで、現状の聞こえをもう一度見直してもらって、再調整するのがいいのではないかとのドクターの見解でもるるのです。
 明後日金曜日に、そのSPの調整=マッピングをすることになっているので、そこで基本に立ち返った調整をしてもらおうと思っています。

 人工内耳を装着したのが昨年23年4月27日、SP装着が5月16日。それから1年3ヶ月絶ってところで、現状をさらによくしたいという私の願いを聞いていただこうと思っています。

 昨日のドクターな後の面談では、右耳も人工内耳装着してもいいくらいに聞き取りが悪化していると言われました。ただ高齢であることから、右の装着手術をしても、どこまで改善できるか、多分に現状より少し良くなる程度かもしれないとのことです。

 私自身の感覚ですが、補聴器をつけても、補聴器とSPから入ってくる音にほんの少しのタイムラグがあって、余計に聞き取りにくくなるという問題もあるので、右耳に補聴器をつけても聞こえの回線にはならないもしれないと思うのですが、これはドクターもそう言っておられた。
 装着後1年を経過して、補聴器の時よりもうんと聞き取りもできるようになって、喜んではいるものの、患者本人としては、もっともっと聞き取れないかという欲が出ているのです。しかし、これの実現はあかなり難しいようです。

******

 話はガラッと変わります。
 昨日8月6日は、小学生から大学生まで、ほとんどが夏休み。昨日の耳鼻科の待合室は、その小学生の患者がかなり多かった。私のような年寄りは数人だったかなぁ。
 頭にSPをつけた小学生たちが周りにたくさんいました。多くが両耳に人工内耳を装着しているようです。
 相方が、近くで話している親子やや家族同士の話が漏れ聞こえてきて、その話の中で、「人工内耳を装着していなかったら特殊学級に行かねばならなかったが、人工内耳のおかげで会話もでき、授業も聞き取れるので普通の学級で学べる」というようなことは話されていたようです。
 確かに、聞き取りができないと、話すこともできないのです。耳からか入ってくる言葉を認識できないと、その言葉を口にすることができないのです。補聴器をつけて聞き取りができれば解決でるのですが、補聴器をつけてもダメな時は手話に頼らざるを得なかったのは過去の話です。現在は、そう言った人のために実行内耳という最終の治療法ができたのです。
 昨日の待合室での状況を見ていて、SPをつけている子供達が生き生きとして話をしているのをいて、いい時代になったなぁと心から思っています。
 女の子などは、ちょっと飾ったSP落下防止の紐などもあって、おしゃれもできているんだと感心したりしました。

 人工内耳を装着したからと言って、100%普通の人と同じなるとは言い切れませんが、それでも装着されていないことに比べれば雲泥の差で生活かが改善されていると思います。

 もし、この私のブログをお読みなって、そんな聞こえの不自由な方がおいででしたら、ぜひ一度人工内耳の勉強されてはいかがでしょう。
 最近は、週に多くのの新しい装着者が生まれているそうです。年齢に関係なく、聞こえることと競えないことの差は、生活に大きな変化もたらす炉、装着した本人の私が思っていることです。

 多くの人がもっと聞こえが良くなることを祈っております。  

Posted by 生田 at 10:47Comments(2)TrackBack(0)自分の健康

2024年06月26日

大学病院で 認知試験を。。。 熱が出た

今日は
午後2時から
名古屋大学病院のリハビリ科の
言語聴覚士の先生に
認知試験をしてもらってきた

印象としては
小学校の頃にやった
知能指数の試験

高齢者運転免許更新の認知試験
と言った感じかなぁ

めちゃ疲れた
途中で熱が出るほどに頭を使った
(誇張ではないです)
(本当に頭熱くなってました)
久々に頭をフル回転させた


こんな感じに
頭の中熱くなって
汗をかいて
熱くてマスクをとったくらい

本当はどんなテストをしたいのか
画像を載せたいのだけれど
聴覚士の先生から
これから先にテストする人に
予備知識を与えることになるので
公表は控えてほしいと言われているので
表示しませんん

とにかく一番頭を使ったのが
表示されるパターンを
ブロックで作り上げるというやつ
まぁ仕事上の得意分野ではあるけれど
やっぱり歳だなぁ
途中で詰まってあせったり
一問間違えたし

他のテストでは記憶力
5つの単語を表示され
それを3度
他のテストの合間に思い出さされる
最初の2回はなんとか通過した負が
3回目に1個出てこなかった
いまだに出てこないので
完全に記憶から消えたのかも

運転免許の時も1個だけ思い出せなくなる
どうも私には苦手な言葉があるようだ

あとは
いわゆる認知症のテストの一般的な
名前、生まれた年や
今日の日付やらどこにいるのやら
そんなことをやった

約50分

結果を聞いた
現状認知症の心配は全くない
脳年齢は60代に相当すると

嬉しい評価なんですが
本人としては
パターンを作るテストで
完璧に作れなかったこと
途中で躓いてタイムラグができたこと
これにはガックリきている

先生の言葉
80歳でブロックのテストを
最後までできた人は初めてです

実はこのテスト
2問連続で不正解だと
テストは途中で打ち切られるから
際まで到達するのは結構難しいらしい

私の場合は
パターンを見せられて即
ブロックをどう置いていくかを
考えながら進めていくが
テストの最後の方で
示された問題のパターン認識が
まともに認識できなき時があった
焦ったからだけど
結果は脳年齢的に20年前なのかなぁ?

最後に先生から
来年もこれを維持してください


一所懸命ゲームをしなければ


*******
途中の画像は
ネットから無料のイラストを拝借して
色をつけてます
  

Posted by 生田 at 21:10Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2024年05月16日

人工内耳 サウンドプロセッサーの機能追加してもらった

 先日13日は人工内耳装着後の差初めてのサウンドプロセッサー調節(最初のことを「音入れ」と言うのだそうです)から丸1年チカ歌ったので現状の聴力の検査を行った。
 通常の検査ではなく、特に言葉の聞き取りに限定した検査をしたのだ。聞き取りの正解率は80%を超えていると言うことで医療、リハビリ担当には朗報だと思うのだが、私はとなるとイマイチ完璧に喜んではいまい。


画像は
昨年5月のおトイレの時の私です
手と頭の間にサウンドプロセッサーがあります


 聴力・特に左耳の人の声の聞き取りの力をなくしもう5年近くになるが、昨年4月に人工内耳を埋め込んで、そして5月にサウンドプロセッサーを耳がわりにしてからかなり聞き取りができるようになった。

 音入れした最初の頃は、周りに宇宙人がいっぱいいるんだなんて思った。それから1年経って宇宙人はUFOに乗って多くがどこかに行ってしまったようだ。
 でもなぁ いまだに相方の声が時折宇宙人になるんだよなぁ。本当に地球人なんだろうか?一番会話する回数の多い相方の声が、いまだに一番聞き取りにくという困った状態にある。
 しかし、これは医療関係者の責任ではなくって、人工内耳と私の相性の問題だろうと思っている。

 13日、検査を終わってから、リハビリの部屋で、サウンドプロセッサー(SP)の調整に、これまでできなかった機能をできるように変更してもらった。

 左は、iPhoneSPとSPを連携するアプリケーションの”待受け”画かなぁ?
 ここにあるのは、音量の調整と言語聴覚士がセットした聞こえのプログラアムの選択、あとは周辺機器をペアリングすることができる機能だけど、私は、他にペアリングできるものは使っていない、まぁiPhoneを遠くに置いてマイクとしてSPに送ることができるけど、上手く使えてないので、もっかなんもしていない



 これまでは、この画面にある「音量」から音の大きさと感度の程度を変えるだけしか機能として与えられていなかった。
 3月にメーカーに行った時に、慣れてきたから新たらしい機能をつかしてもらったらどうかと言う提案を受けたので、その機能をお願いして付加してもらった。
 左の画面に進んで、これまでと同じように、音量の調整をした上で、「詳細」のボタンをタップすると、新しい機能を使うことができるようになった。
  機能が付く前は「詳細「ではなく「感度」だと記憶している。


 これで左画像にある「低音」と「高音」の調整を使うことができるようになっていた。
 低音、高音それぞれの+とーボタンをタップして、聞こえる音の音質を変えることができようになった。

 






 私の耳、いや聴覚はとにかく変なやつで(これを感音性難聴というらしい)、母音(あ〜お)は割と聞こ取れているのだけれども、子音部分が曖昧で、時には子音部分が聞き取れずに母音部分だけを聞いたりして、聞き間違いをよくする。数字はほとんど間違いなく聞き取れている。
 これが学校時代に成績が悪かった原因かもなぁって思う。この話を、ある耳鼻科ドクターに話したら「そんな昔のこと言われても・・・」と全くどうしようもない返事をした人もいたけど、そこにはもう行かないことにしているので。
 
 この新しい機能をもらって、帰宅後早速調整を試みている。もっか、高音を最高レベルに上げている。理由は、この半年くらいで、笛吹ケトルの沸騰した時の音が、「ぴーーー」ではなく「じゃーーー」と非常に聞き取りにくいので、なんとかならないものかを、実験中だけど、あまり変化なく、逆に新聞のめくる音がアルミホイルをいじているような音に聞こえる。
 なんとか色々調整を繰り返して、私にとって一番聞こえのいい状態を探そうと思っている。

 これまでは、この調整のもっと細かいことを、言語聴覚士の先生が毎度セットしてくれていたのだけど、私の聞こえの状態をいかに正確に伝えることできるかと言う難題と、プログラムの調整の限界もあるようで、私に完全にマッチングしているかは不明なのです。
 何も聴覚士の先生の問題ではないんです、医療の法律では患者がこうした細かいことを調整する権限は与え得られてないくて、医療感謝に身が許されて言う機能なのです。
 最近の補聴器も、こうしたある程度患者が調整できる機能をもっています。(私のは12年も前なのでついていない、残念)患者自身が、自分に少しでも合うように調整できるようになったと言うことです。
 
 今回の新しい機能は、多くの人は使っていないのかもしれません、今回私は「やりたいみたいだもんね」と言われて、出してもらってます。
 本音を言えば、医療関係者が使っている調整プログラムを入手したいくらいです。
 自分で作ってみたいけど、SPの基本機能のスペックなんて門外不出だろうから無理だよなぁ。。 まさか、それも解析しろって??
 もう、そんな若い年齢ではない、頭はそこまではもう無理だと、泣いてます。

 まだ自分でセットして3日目です。この先少しずつ変えて、データを拾います。



 あぁ 来月 認知症の検査をします。
 今のところ問題はないけれど、難聴と認知症の関連データを拾うためにやらせて欲しいとの依頼なので、快く受け入れてやってもらいます。運転k^免許の高齢者試験よりも正確なデータが出ると思います。
   

Posted by 生田 at 13:51Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2024年04月08日

”祝末期・前立腺ガン宣告13周年”

 今日は4月8日花祭り(仏教でいう誕生会)でお釈迦さんが生まれたと言われている日。こんな記念日が私の記念日にもなってしまっている。
 13年前のこの日に、大病院の診察室で、”末期の前立腺癌”を宣告された。まぁ疑いが出てから、それまでにいろいろ検査をしていたので、がん宣告は覚悟はしていたもののまさか、末期癌を宣告されるとは思ってもいなかった。その時の記憶はあまりはっきりしていないので、多分にそれなりのショックを受けていたのだと思う。


 それから大病院で5年治療を受け、1年目の終わりくらいにはもうマーカーPSAの値は限りなくゼロに近づいていた。5年後に経過が安定しているとして大病院から追放、それから8年は大病院オススメのクリニックで治療を続けてきた。
 その転院先のフォクターに”PSAの値を見て同じ治療方法でこれだけ安定しているのは「奇跡的」”と言われた。その言葉を何度も聞いてきた。
 その8年通ったクリニックから先日大病院に再転院した。と言っても病状が悪化したのではなく、年齢的に80歳を超えて、片道1時間以上かかるクリニックに通院するのがしんどくなってきたので、近くのクリニックに転院するために、大病院で転院先を指示してもらおうという腹なのだ。が、まだ転院先は決定していない。

 この13年の経過については、過去に「奇跡の軌跡」と題して連載をしているので、それをお読みいただきたい。


 この画像をクリックすると、初回のページに移動します。

 毎年この記念日にはそれなりのことを書いています。
 各年の4月8日を検索してもらえれば、その日のことを知ってもらえると思います。
 

 これは、昨年の記事のリブログです。


 13年たった今日は、もう”末期癌”という認識がかなり薄rてます。病院に行って腹にリューブリンを打つときと、毎日朝に”ビカルタミド”を飲むとき以外は、ほとんど忘れてます。
 13年前宣告された直後は、ドクターの反対を押し切っての食事療法を始めて、食材探しに奔走したものです。塩分カット、四つ足動物の肉カット、乳製品カットなどなど、1年間かなり精神的にしんどい思いをしたもの今では笑える一コマになりつつあり、食事は塩分カットこそ続けてはいるものの、ほぼ普通の食煮をしている。

 年齢的にどのくらい余命があるのかわkrないけれど、体調から行けばまだ20年近く(100歳)は行けそうな気がしている。
 

 がん宣告されたとき、ドクターに向かって言った「死ぬまで仲良くお付き合いします」の言葉通りに生き延びてるし、これから先も生き延びるつもりだ。

 同じ病のかたには、いろいろな症状があり、いろいろな治療法を受けておられると思います。私の場合は13年間同じ治療法のままで推移しています。最近はかなり治療法も変わったらしく、医学は進歩しているので、がんだからと諦めることは絶対にしないでください。
 がんに一番悪いものは、諦めること、失望することです。私は、諦めることはしなかったし、失望もしていなかった。その結果がお魔の私だと思ってます。
  


Posted by 生田 at 12:53Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年12月16日

23年の前立腺ガン関連の画像診断結果と今年最後の血液検査

今月は病院通いで多忙を極めている
来週も3か所行かねばならない
でも自称余命を全うするためには必要なこと
(でも生きるには金がかかるなぁと思う)

本題です
先日12月12日に頭のMRIを撮影しました
これは前立腺ガンには関係ない部分だけど
それでもMRIでガンの転移の有無を
見てもらうこともできる
(今回はしてもらわなかった)


この画像は
画像の所見に添付されていたもので
CDから読み取ったものではなありません
プリントアウトしたものの
スキャンデータなのでボケてます

一昨年言われたことは
脳が年齢相応に萎縮している
今年は撮影病院が異なるので
その比較はなかったが
あまり変わっていないようだ

脳の萎縮は
めまいの中で感じる
冗談めいて聞こえるらしいけれど
私の頭の中で脳みそが頭蓋骨の中で
自由に動いて遊んでいる
それがめまいの原因だと私は思っている


この画像は
頭の中の血管
これも一昨年指摘されたが
血管の分岐のところに小さい瘤があると
それは今回は大きくなっていないから問題ないだろう
と判断されている

この脳のMRIに関して
実は日赤の病院では
人工内耳装着者は拒否されている
それで名古屋大学にお願いをしたのだが
なんと日赤から過去のデータを取り寄せて
比較までしてくれてたようです
(所見を見る限りそんな感じがした)
ありがたいことだと思っています

1日おいて14日に
日赤で骨シンチの撮影をしました

骨シンチは人工内耳装着でも問題はありません
(CTもX線も問題ありません)
(CTはまあX線の連続撮影ですから)


これが骨シンチの結果の画像
まぁこれだけではなく
かなり膨大は数の画像があるんですが
残念ながら
私の環境ではこの画像を出すのが精一杯だった

この骨シンチの結果では
前立腺がんの転移は全くないということです
そして他の疾患に関しては
不安なところも多少出始めているけれど
年齢相応で現時点は問題になることないとのこと

そして
昨日泌尿器科の3ヶ月ごとの経過観察
先月採決した結果をもとにPSAの値での診断


これが血液検査表

この画像には一般内科としての
検査データも入っている
理由はいくつかの病院にかかっているから
その都度血液検査をすると
その度に保険料を支払うことになるので
日付が近い場合はどこか1か所で
総合的に撮って検査をしてもらうことで
保険料を安くするためです
この血液検査表で
3つの病院で診てもらいます

この結果ですが
P SAに関しては
もうかなり長い年数 0.009 未満
担当医曰く「奇跡的」
今回も同い値で問題なし
ただし
持って行ったCDに入っているCTの画像見て
内臓脂肪がめちゃくちゃついているから
それをなんとかしなさいと
きつい忠告をしてもらいました

私は多分に
前立腺がんが原因で死ぬことはないだろうが
こうした他の原因で命を縮める可能性が大きいと
前から言われてます


今月のCT、MRI、骨シンチの撮影結果での
4人のドクターの診察結果は
ガンに関して
特定健診で指摘された胸の陰
脳の血管の瘤
10月の頭部打撲での店頭でのの上の影響
これらに関して
特に異常なないとの判断をしてもらいました

ただねぇ
年相応に色々退化しているようですね


さて
今年はあと一つ
来週の歯医者と腎臓内科を残すだけになった
それにしても多すぎるなぁ
  

Posted by 生田 at 15:21Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年11月27日

突然のCT撮影・・特定検診の結果の精密検査らしい

今日昼飯食べて
ヒョコヒョコ歩きながら20分
最寄りのバス停から三つ先のバス停まで
井あたり良好で風もなかったので
糸毛のないところをとおて
気持ちいね
その後バスに乗って大病院に

今日もの区的は
先月の特定検診で引っかかった
胸の精密検査
たままた前立腺癌の毎年とっているCT
これに重なるので
撮影依頼先の大病院に
ついでに見てもらって
問題ありなら呼吸器科にふて欲しい旨を
頼みに行ったのだ

本来なら
今日がその予定日で
骨シンチもいっっしょに
撮影することになっていたのだが
相方の入院で
トラブルがあったら
骨シンチをドタキャンすることになるので
最初の予定を延期してもらっていた

そればなんの因果か
今日紹介状持って一緒に見てもらう依頼をしに行った
放射線科のドクターと話をしたら
なんと急遽今日CT撮影を
することになってしまった
割と捨ていたのか割り込ませてもらって
CT撮影を行った


画像はネットのものを拝借

この画像まるで違うなぁ
機械そのものが違うし
立っている女性はもっと若くて美人だったし
寝っ転がっているのは
こんな坊やでなくて
時事だったし

人工内耳のサウンドプロセッサーをつけたまま
ただぶら下げているものが映ってはいけないので
過分ている毛糸の帽子の中に押し込んで
寝っ転がって万歳して

息を止めてを二回して
はい終わり

終わって
ドクターの所見
昨年の画像と比較して
んほとんど変わっていないので
これ以上の精密検査は真圧の必要なないだろう

呼吸器科のドクターとも話をされて

無罪放免で解放された

引っかかっていただけに
安堵です

でもなぁ
年取ってだんだん肺活量減るし
おかげで行きは切れること多いしなぁ
でも 年相応なんだろう

蹴りは途中までバスで
途中にs流スーパーまで
相方に迎えにきてもらった


あぁ
おかげさまで 相方は
退院後問題なく過ごしております


帰宅したのが4時少し前
木彫りはできないよねぇ
  

Posted by 生田 at 16:52Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年11月06日

人工内耳装着後 半年・聴力検査と七回目のマッピング

今日は
午後1時の予約で
名古屋大学病院耳鼻咽喉科の
人工内耳装着後の言語リハビリに
行ってきた

午後一番なので
昼飯を途中のスーパーで買って
それをぶら下げて
病院の南隣の鶴舞公園で昼食


これは文化財でもある
鶴舞公園のシンボルの一つ”奏楽堂”
これを見ながらの昼飯となった
風が強かったけど
外の空気を吸いながらの昼飯は
美味しいねぇ

公園の話は
長うなるのでここまでとして

昼食を終えて病院に向かった
萩の花が咲いていた


右半分の建物が病院・入院病棟

受付をすませ
リハビリの健康検査も済ませて
いつものトレーニング室に
そして時間がきて
今日は場所を移動した
行き先は耳鼻科の防音検査室
ここで
人工内耳装着後半年経ってどれだけ
聞こえが改善しているかの聴力検査を受けた

まずは
いわゆる聴力検査
単純にいろんな周波数の音が出る
どこの耳鼻科でもするやつを
人工内耳だけでのチェック

それが終わって
これも人工内耳だけで
単音の言葉も聞き取り検査
一文字ずつ聞き取りやつだ
一通り終わって
今度は補聴器をつけてのチェックも

結構
言葉の判断に迷っていたけどなぁ

検査が終わって
いつものトレーニング室に移動
そして
言われた聞き取り検査の結果は
人工内耳だけでも80%以上
補聴器をつけると更に上昇していると

人工内耳装着手術の前は
聞き取りの正解率は40%を割っていた
半年でここまでの
改善はかなり良好とのことで
担当の先生も喜んでおられた

私としては
今はもう人工内耳SPがなければ
生活が不自由になっている
本当に今の生活は
人工内耳サマサマなのだ
本当に装着して良かったと思っている

そして今日のマッピング
実は聴力検査で
一番聞き取り正解率が高いのは
大きな音ではなく
小さい音の方がいいということ
ということで
これまでのマッピングの
ボリュームを落とすことにし
更に
iPhone で自分で調節できるボリュームを
最低の1とすることになった
これまでは標準の5以上を使っていたが
これからは”1”で様子を見ることになった

そして次のマッピングは
3ヶ月後

この歳で
これだけの改善が見られるのは
素晴らしいことのようだ

12年前に末期と言われた前立腺癌が
手術も放射線もできないのに
12年経っても
同じホルモン剤だけでで生き延びていることが
ドクターから”奇跡的”と言われたけど
それに似たようなことなのかもしれない

何につけ
自称余命20年近くを全うするには
ありがたいことだと思っている

これからもさらなる精進を



病院を出たら
雨がポツリポツリ
天気お方よりも早く降り始めた
しかしその雨を押して
車を東にどんどん走らせて
名古屋のお墓がいっぱいあるへわ公園に
わつぁ日の実父の80回忌の命日なので
花を添えてきた
なんとか雨はポツポツだった

家に向かって走っているうちに本降りになってきた
それでも
なんとか家に着いた時は
小ぶりで良かったと思う

疲れて
ちょいと昼寝した
  

Posted by 生田 at 18:19Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年10月11日

人工内耳装着後の6回目のマッピング と 昼飯

今日は
11時予約の
名古屋大額のリハビリ科で
人工内耳のサウンドプロセッサー(SP)の
6回目のマッピング

前回はPC不調で
マッピングなしで2ヶ月同じプログラムで過ごした
今回は
SPの調子を調べ
音を何種類か出しての聞こえの調査
その結果を踏まえて
あたらな調整をしてもらった

と言っても
これまでと大差はないようで
この年齢=80歳でこれだけ早く
会話がそれなりにできるようになっているのは
平均以上に順調だとのこと

今回は
今までと同じ
リハビリ室で行われたが
次回は防音室で
聞き取り検査なども含めて
装着後半年目の検査を行うことになった

人工内耳での聞こえは
これまで使ってきた補聴器とは
雲泥の差で聞こえがいい
とはいえ過去の正常な時を思い出すと
もう嫌になるほどの聞こえだけどなぁ
それでも
筆談をすることが非常に少なくなったし
電波の状態によるけど
いざとなれば音声文字変換で
対応はできる
その音声文字変換も
使うことが本当に少なくなった


話は逸れるが
時折難聴の理解のできないお方がいるようで
・大きな声で話せば話せるだろう        
・早口で話しても(おそらく無意識)大丈夫だろう
・マスクしててもき終えているだろう・・・・・・
・イラついて罵る               
こういう人が相手だと
本当に困る
時には私が逃げのために聞こえないと言っている
なんでとんでもないことを言う人もいた
こんな人とはお付き合いはできないなぁ。。

とにかく
人工内耳を入れて
私は良かったと思ってます

さらには
iPhone との相性も非常によく
iPhone のスピーカーをへなくても話せるなんのは
本当にありがたい
(この機能はAndoroidでは上位機種だけだそうな)

何はともあれ今回のマッピングは終わった

終わったのがお昼
お腹空いたよぉ
隣の鶴舞公園に行って
昼食を

いろいろな店があるけれど
相方が未だ行っていない地区に行こうと
名古屋市公会堂の横をすり抜けて
鶴舞公園の入り口近く
いくつか店があるけれど
みんな混んでたなぁ
で行き着いたのが一番奥
店の名 COSTA
そこで食べることになったのだが

並んで食べるまでに
なんと40分くらいかかったのだ
原因はスタッフ不足
オーダーレジと返却口係を一人で
厨房も数人でまかなているようだ

まぁ昼時いっときの混雑ために
余裕を持つことは経営的に難しいんかなぁ?

やっと食べることはできたのだが
私のオーダーは ビビンバ


これがメニューみたいで
左上のビビンバをオーダーした

味は結構いけたなぁ
これまであちこちで食べているけど
味の良い方に入れてもいいよ
あの待ち時間があったから
味が美味しくなったのかねぇ?


店内ですが
南側の壁から上
人が映らないように気を使ったぞ

食べ終えて
お家に帰ったのだ4時近かった

家の帰って
途中で買ってきた
豚の肩ロースを厚切りにして
味付けして煮込んだ

なんだか磯悪しい日だなぁ
あぁ 眠くなってきた

明日も病院にきます
特定検診をしに行きます
今夜9時から絶食
  

Posted by 生田 at 16:20Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年09月19日

23年9月19日 救急搬送顛末記 めまいと徐脈と。。



最近はこんなスタイルで
お出かけしているんですが
今日は
病院の中では車椅子という・・


9月19日
日付の変わった頃
救急車で名古屋大学病院に搬送されました
その顛末記です

記憶に残っていることを書きます
結構長い読み物になると思います
しかし
最後の方に
目眩と脳の疾患の症状の差を書くつもりでいます

******


 18日はドラゴンズ の根尾君の今年は初めての1軍の先発登板。いい試合をしていたのに、7回、チームメイトのエラーがらみで6点のリードを守りきれずに、勝利は逃げていってしまった。
 試合を見ていた、もう腹の立つこと。テレビに向かって、救援投手に「試合潰すなよ」って怒鳴ったくらい。本当に根尾君がかわいそう、みんなで寄ってたかって、潰そうとしている。本当は、根尾君を勝利投手にしたくてガチガチになっていてのエラーかもなぁ・・

 とにかく根尾君の見事なピッチングとバッティングに関しいい気分でいた。そして夕飯後風呂に入って扇風機に当たりながらテレビをいていた。
 10時ごろだったか、眠くなってきたので寝床に行った。まぁ暑くて扇風機に当たりながら、変な汗かくなぁと思いながらの就寝。
 11時半頃だったか、お腹の調子が変とトイレに行った。便が固くて力んだときに異変。頭の中で「ゴー」という音。トイレから出たら少しめまいが。それでも寝床に転がったのだが、30分くらいして目を開けたら天井が動いている。ここのところ治っていたグルグルめまいの再発だ。トイレに行きたくて行ったのだが、まともに歩くことができない。なんとか用を済ませて部屋に戻ろうとしたが気持ちが悪くなってきた吐き気が少しする。もう寝ている相方を起こして「助けてほしい」と。
 洗面器など用意してもらったが、呼吸もおかしくなってきている。その割に脈が遅い。両手の手首か皿記に痺れがあり、唇にも少し痺れがある。いつもと違うめまいなのだ。全身から力が抜けて、立つことも困難になってきている・
 痺れがなければ。昨年8月の緊急入院の時と同じめまいなのだが、この痺れがともなうのは初めての経験。
 名古屋大学病院に行きたいのだが、相方の運転で行くのは心許ない。運転が下手といのではなく、途中で私に気を取られ事故でもあればそれこそ面倒になるし。ということで救急車を呼んでもらうことにした。
 
 救急車に乗せられて病院に行くのだが、実は近いのは日赤が近い。しかし、今回はひょっとすると頭部のMRIを取る可能性もある。しかし、日赤は人工内耳装着車のMRIは撮らないことになっているので、救急にもその話をして、少し遠いけれど名古屋大学病院に向かってもらったのだ。
 家の中に救急隊員が入ってきて、私を抱きかかえるのだが、吐き気がすると言ったらビニール袋を渡されて、ここに数回少し嘔吐した。
 搬送中、なぜか時間が記憶では短く感じた。ひょっとしたら、途中幾分か記憶が飛んでいたかもしれない。

 大学病院に到着して、ストエッチャーから病院のストレッチャーに移されて、なんだか知らないけえど、周り女性ばかりであれこれいじ回されて、点滴用の針を打ち込んで、さらに血液検査のための採血のための針を打ちこむのだが、血管が細いからとあち試されてて、最終的に、足の付け根の血管で採血をした。これまた初めての経験。
 ドクターに症状の説明をして、MRIの必要があるかどうか先にCTで頭部の撮影をすることになり、検査室に運ばれてた。ここでもストレッチャーから撮影台に移動するのにもなんやかんやいじられたが、撮影そのものは、頭につけている人工内耳のサウンドプロセッサーを外して手に持って撮影している。(多分MRIの時は撮影室には持ちか込まれないはず)

 救急の処置室に戻ってから、記憶がかなり飛んでいる。点滴に眠くなるものをでも入れられていたかもしれない。とにかく意識がなくなった、でもないかな?まぁとにかくうつらうつらしていたと思う、時折ドクターや看護師と会話おsているから。
 はっきりと記憶があるのは、病院についてからかなり時間が経ってから。目が覚めた時、相方が近くに座っていた。
 しばらくして、ドクターから「歩けるかどうは見たい」と言われ、ついでにトイレに行くと言って、まずは車椅子に移ってトイレに行った。ようを済ませて処置室に戻って、支えられながら少し歩いた。まともに歩けたという記憶は残っていない。
 この頃、時間は4時くらいだったのかな、入院して処置する必要もなさそうということで、一旦帰宅して改めて来院して担当医の診察を受けるようにとの指示が出た・
 というのも、CT撮影を救急担当のドクターが詳しく精査して「脳出血などの頭部の異常はないと判断した」ということなのだ。

 救急外来を後に、関所で治療費を払って、タクシーを呼んでもらって帰宅。
 帰宅したものの、めまいはある程度寝たからか少しおさまってはいるが、当初からの頭痛が残っている。大した痛みではないということと、とにかく寝なければいけないという思いで、こう言ったときのために処方してもらっている薬を飲んで床についた。想定通りに眠りに落ちた。このときもう5時半くらいになっていた。

 7時半頃に目覚めた。グルグルめまいはかなりおさまっているが、ふわふわめまいはいつもの倍以上で、歩くには何かを支えにする必要がある。
 それでも新聞を入れにいけるほど回復していた。でも、側から見たら危なっかしかっただろうと思う。
 余談ですが、新聞には根尾君のピッチングの素晴らしさが書かれていた。

 朝飯は抜き。まだ少しむかつくものが残っていたのだ。
 座椅子に座って、ボケェとテレビ見ていたけれど、体を横にしたくなり、寝床に。そして1時間半くらい熟睡。
 目覚めたらさすがにお腹が空いていたので、コロッケサンドを食べて朝飯とした。

 12時頃に、相方の運転で名古屋大学病院に向かった。この日2度目の大学病院だ。
 病院の駐車場に車を入れて、車椅子を借りて、外来受付に。この日は予約をしていないので、予約患者のスケジュールの中に割り込ませてもらうのだが、担当医の判断になるので、担当医出勤までいつになるかわからない。
 それでも、申し込みを受け付けてもらった。診療開始は1時半。それまでに相方が昼食をと、敷地内のフードコートに行って、ローソンで買い物して、空いていたテーブル席で食事。ここで昼にアップした記事を書いたのだ。
 食べ終えて、耳鼻科の受付に。
 担当医と連絡が取れたのか、担当の看護師から「しばらく待合で待て」と言われた。
 1時間くらいは覚悟していたのだが、なんとわりと早くに診察室に通されて、主治医のドクターと面談。
 ここで救急で撮影したCTの画像を見ながら。救急の担当医と同様に「頭部のない終結などの問題は見当たらない」と再確認。
 そして、色々の今回の症状を話したところ、それに対しての担当医からの所見と、脳出血など脳障害と内耳からくるめまいの違いについて教えられた。

 1:手や唇の痺れ
 今回私は、めまいと当時に量手首から先の痺れ、そして唇に痺れがあった。こうしたことは脳出血などでも生じるが。。。
 一般的に、脳出血などの場合はその出血箇所の脳機能が圧迫されるので、その部位の身に痺れが生じる。しかしメニエルなどのめまいいよるときの痺れでは両手などと全般出てくる。ということで、今回の場合は、「脳疾患によるものではない」という結論になると

 2:頭痛
 今回の私の頭痛は、頭部前部と後頭部だが、これは「耳に関する脳の脳の担当部署が特に後頭部にあるので、めまいがある場合にはよく後頭部に痛みが残る」とこのと。
 めまいでの頭痛は、今回の場合は呼吸が荒くなっての過呼吸の可能性が大きいと・

 3:グルグルめまいとふわふわめまい
 実はこれらは、原因は同じで、耳石が悪さをしているのだということ。その悪さの程度で変わるとのこと。
 私の場合は、グルグルめまいの時は、目を開けておれないくらいな症状になるが、「ふわふわめまいの時は歩いたり頭の位置が変わったりすると目眩を起こすが、運転する時のように頭が固定された状態や静止状態の時にはめまいは起こらない」と言われた

 大きくこの2点について教えられた。特に手に痺れがあっても、両手の場合には、脳梗塞などの問題の可能性は低いので、さほどの緊急性はないと言われた。

 こうしたことを教えられ、診察料70円(一割負担)を支払って帰宅。
 帰り道で晩飯のネタなどを買うのに二つのスーパーをはしご。なんとかふらつくから亜を少しでも慣れさせるために、杖をつき、カートにしがみ付いて、買い物かy区から身を守り長あの買い物をした。
 そして帰宅したのが4時ごろ。めまいがあるときの外出は、かなり疲れる。帰宅してほぼ即寝床に転がって1時間以上熟視したようだ・




 かなり長いう書き物になりました。
 これだけかけたのは、めまいはあるものの生きしは完全になくなっていない。薬で寝たこと以外は、ほぼ意識はあったと思う。
 いつものとだけど、安堵も救急搬送されているが、意識をなくしたことはない。
 
 今回の私の症状は、あくまでも記憶に残っているものであって、それに担当医の話は私の症状からの所見であるということです。同じ症状があっても。ご自身での判断は意見だということをたまに残していただきたく思います。  

Posted by 生田 at 22:06Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年09月14日

前立腺がん 宣告から12年4ヶ月目のPSA 検査結果

今日は
朝からお出かけで
時出発で
途中車のガスを入れて
(¥168 ひょっとしたら名古屋の最安値の部類も)
(他は180円台つけてるところ多かったから)
その足で最初の医院に

ここれでは前月採決した
その血液検査の結果を聞く



メインの前立腺癌のマーカーPSAは0.00未満
この値になって
もう10年近くになるのではないだろうか?

末期癌を宣告された時
がん病巣が大きくなりすぎて
他臓器に浸潤、癒着
そのために手術も放射線もできない
最後の手段として
ホルモン療法が残った
それがドンピシャリ当たって
腹にシュウシャオを打ち
毎日ホルモン剤を飲むという生活が続いている

いまでは
CT検査の結果
がん病巣な見えないと言われている
おそらくこのままがんは
悪さをしないだろうとも言われている

まぁPSAの値からガンは問題なしと

そして他の血液検査結果でも
内臓脂肪を除いて
ほぼ問題なしという結論

実は
この後別の内科医院でも
この検査結果を見て
問題視との所見をもらった

2人のドクターの意見として
ありがたく聞いて。。。

そうそう
腎臓病もマーカー クレアチニン
これの値が改善していた
明後日専門病院に行くけど
多分問題なしということになると思う

ただ
最近の旺盛な食欲が
奈増脂肪を増やしている可能性もあるので
この先食事には気をつけないとなぁ

二つ目の医院の診察を終えたのが
11時半頃
それから予定する友人宅に向かう
でも昼食を摂らねばと
目的地に向かいながら
たえbられるとk路を探すものの
不安ないなとちで
見つけられず
コーヒー専門店に入って
遅遅のモーニングを食べ
足りないので隣のすーぱーで
パンを買って凌いだ

友人のお宅で
約3時間ほどの寒暖
今日目的は
先日織り上げたで聖観音を
未定もらうこと
なんと もらっていただけることになって
心から感謝してます

お役に立ってもらえればと願うばかりです

帰りは
途中でいつものスーパーに立ち寄って
今回もまた鶏肉を4枚も買い込んできた
明日はそれを蒸し肉にします

あぁ
明日は木彫りの日だから
料理は昼から

記事アップも昼からだなぁ
  

Posted by 生田 at 21:11Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年09月06日

人工内耳装着後の6回目のリハビリ 新マッピングなし

昨日は
午後1時の予約で
名古屋大学病院耳鼻科の言語リハビリに行った

早めに行って
リハビリの後でドクターの診察を受けたいと
受付に頼みに行った
それから昼飯を食べようと
鶴舞公園のレストランに行ったのだが
なんだかあちこち研修日でお休み
諦めて病院に戻ろうとした時
池にハスの花が咲いているのを見つけた



同じ花ではないです
たくさんは咲いていなかった
季節的に遅かったらしい

いつもは仏像の蓮華座を彫る割には
ハスの花を身近に見ることは少ないので
これはショットしなければと
ちょいとふらつくの我慢してのショット
それにしても綺麗でした

病院に戻って
LAWSONでサンドイッチ買って
テーブル席だ食べた
そして
早めに健康診断を受けに行った

リハビリの前に
健康診断をいつも受ける
めまいがあっても問題なしとして通過
そして少し遅れて言語リハビリ室に

4月28日に装着手術をして
その後のリハビリ6回目

なんでも昨日は
調整用のPCの調子が悪いらしく
マッピングができないということ
いつもは聞き取り検査をいくつかやって
それに合わせて調整(マッピンう)してもらうのだが

マッピングできないけれど
いつもより多くの検査をした

特に聞き取りで
どれだけ正確に聞き取れているかを
単語と単音で
そして臨時にわが相方の声での単音検査

正解率60%ぐらいだそうです
母音の聞き取りは確率高いけど
過去からの流れを引いているらしく
子音の間違いが多い
これが聞き取り全体に影響して
会話が不成立ということになる

とはいえ
装着手術から4ヶ月
そして私の80歳と言う年齢から判断して
かなり順調に聞こえてが戻っているとの診断
平均的にはもっと正解率は低いとのこと

まぁ喜んでいいものだけど
患者本人としては
他の人のことは置いといて
もっと聞こえが良くなりたいと思う

確かに
装着後サウンドプロセッサーを初めてつけた
(これを『音入れ』というのだそうな)
直後からもうそれなりに会話できているので
ドクターの検査技師さんも
ちょいと驚きの感じだった

ただ これだけ聞こえて入るものの
まだ宇宙人は結構多いし
マスクを通した声は聞こえにくい
テレビの声も
あしょうわかるようにはなってきたけど
まだまだ字幕の支援が必要

我慢ですね

リハビリ終えて
耳鼻科のドクターの診察を受けることができた
少し待ったけど
思ったよりも早く受けられた
めまいの話が中心だけど
「だんだん治まってくると思います」との診断
その後で
とうぶのMRIの殺意の予約を取ってもらった

これまでは日赤で撮っていたのだが
2っっ咳が病院の方針で人工内耳小着車は
MRI の撮影をしないと
言われたので
致し方ない依頼をしたのだ

撮影はちょいと先です 12月


聞こえの調子は
その日の体調にもろ利蹴りだけど
全体的にはうわむにきなっている

鶴舞公園のハスの花
これはお祝いかなぁ・
  

Posted by 生田 at 11:35Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年06月08日

6月8日 木曜日 雨 血液検査でPSA値の結果

今日は朝9時に家を出た
行き先は2つのクリニックの診察
朝のラッシュは思ったほどではなく
結構スムーズに最初のクリニックに到着
先客が数人いたけど
いつもより診察が早く始まって
10時過ぎにすんなりおわった

先月とった採決の結果票を受け取った



赤い線のところが
前立腺癌マーカーPSA
もうこれ以上計測できないという値
0.009未満
まぁゼロですね
これは男として本来得る値ではないんですが・・
もうこの状態が
十年くらい続いている

それでも治療をやめるわけにはいかないんだって
死ぬまでお付き合いです。。。
でもどこかでや〜〜めたと言おうと思っている
二十年先かなぁ?

この後腹にリューブリンを打って解放された
そして次のクリニックに
ここは混んでるんで
1時間待ち

最近の体調の話
人工内耳装着後の問題などを話して
毎月の薬の処方箋をもらった
今日は相方が相談事があるので
その分診察は長く

おわって
今日は真っ直ぐに家絵に帰る
と言っても途中で昼飯のネタを買い込んんで
調剤薬局で薬受け取って

帰宅したのが1時少し前
昼飯食べて

それから昨日買ってきた
鶏肉の調理
相変わらず鶏ムネ肉のムシ肉を作っている
疲れたねぇ。。。

中国ドラマ2本の録画を見たところで
ええ加減にせえと睡魔が襲ってきた
1時間熟睡

起きたところで
相方とこ難しい話を大激論
結論は私が出せる問題ではないんで

今日は
雨予想で
クリニックへの往復も
雨にやられるかと覚悟していた

雨は夕方になって降り出した
梅雨の最中だから空いた仕方ないね


雨の中枚に行った沙羅双樹
今日の開花はなし
明日も咲かないかもしれないな
蕾は結構大きくなってはいるけど
  

Posted by 生田 at 21:17Comments(0)TrackBack(0)自分の健康

2023年05月25日

聞こえにだんだん慣れていく まだ宇宙人いっぱいだけど

先月27日に人工内耳装着手術をして
明後日で一月になる
そしておトイレをしてから
10日経とうとしている


今日は
新しい木彫りの準備をちょっとだけした
昼から本格的にやろうと思ったら
相方が買い物に行くと言うので
騒音にも慣れないといけないから
ついて行った
と言っても運転は私がしたよ

スーパー2つ梯子した
最初は客数がそんなに多くない
オーガニックなどを扱う店
音も少なく
どうってことなし

2軒目は客が3倍以上のところ
やはり騒音は大きくなる
それに人の声もたくさん入ってくる
やっぱり宇宙人がいっぱいいる
それでも
時折わかる言葉も
そしてこの騒音の中で
相方と話ができるようになってきた
ああ相方の声
宇宙人から地球人になりつつある
でも
まだ記憶の相方の声ではないな
いつかきっと記憶の声を取り戻すのだ!!!


この画像は
私の今の頭を後ろからショット
耳の真上の少し膨らんでいるところに
サウンドプロセッサーが入っている

本当は磁石でくっつけただけでいいのだけど
落ちやすいので
付属でついていたヘアバンドを使っている

いずれこれを隠す
できたら洒落たヘアバンドを探しに行こうと思う
じじいでも洒落たのがあればなぁ

聞こえは
毎日少しずつ慣れてきて
テレビの声も少し聞こえる
でもまだ!0%もわからないけど

とにかく今は慣れること
それに
これまで大きな音を
聞くことがなかっただけに
人工内耳から入ってくる
大きな音に慣れないといけないのだ
脳みそがガンガン言っているけど
これに耐えて
音に慣れ
そしていずれは
声になっれなければいけない

でもね
嬉しいですね
音が入ってくるって言うのは

夜になってサウンドプロセッサーを
外した時のあの静寂
懐かしくなってきた
でも
静かだなぁ
脳みそが休まる
  

Posted by 生田 at 17:09Comments(0)TrackBack(0)自分の健康
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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