2008年10月01日

小説『親鸞と真佛』(4)

庵の二人

 私は、透明人間状態であることをいいことに庵に上がりこみ、彼らの横に座ることにした。彼らの話し言葉は、どうも鎌倉時代の言葉のようだ。もともと古文の苦手な私は聞き取るのは難しいかもしれない。ましてや鎌倉時代の話し言葉など聞いたこともないが、ここはひとつ彼らの話を聞いてみようと思う。

 私が座るのを見計らったかのように、若い方の僧が話し始めた。その話が耳に入ってくると、どうしたことか、彼らの話はこれまでの言葉ではなく、現代の私に理解できる言葉ではないか。まるで外国のテレビドラマを日本語で聞いているように、はっきりと理解ができる言葉だ。これでは、彼らの話を聞き取ったとしても、その信憑性が問われかねないとは思うものの、理解できない話よりは私にとってはありがたいことだ。

 「ところで上人、いろいろとありがたいお話を伺い、心から感謝しています。しかし、かねてよりお伺いしたいとは思っていたものの、なかなか聞き出すことができなかったことがあります」
 「真佛よ、それはなにかな。何も遠慮することはない、何なりと尋ねるがよい」

 ええっ? ん? 真佛?。あの高田専修寺の実質的な開祖と言われている、親鸞の信頼厚く、関東真宗集団のまとめ役でもあった真佛その人なのだろうか。もし、これが本当なら、私はとんでもない重要な場面に立ち会っていることになるのだ。

 「それでは上人。遠慮なくお尋ねいたします。上人と、奥様の恵信尼様との馴れ初めなどをお聞かせいただけないでしょうか」
 「真佛よ、ずいぶん昔の話を、それもあまり人に広く話すべきことではない、私と恵信の二人の問題なのだが。なぜに聞きたいのかと思うのかな」
 「上人。それは、上人はこの国だけではなく、広く唐・天竺にいたる世界で、僧として公に妻を娶られた最初の方でおいでになります。僧でありながら妻を娶られるということは、仏の教えの道にいるものにはご法度、いわゆる女犯という罪になるということであり、宗門から破門されかねない非常に大きな、危険な問題であったはずです。それに、上人のとられた僧の妻帯ということから長い時間が流れた今になっても、いろいろな抵抗があるほどですから、初めてとなると奥様。恵信尼様も上人のお申し出でに抵抗されたのではないかと思います」

 二人の話のやり取りは、まるで「仏説無量寿経」の尊師・釈尊とその弟子阿難のやり取りを目の当たりにしているように思えてくる。
 親鸞は、真佛の問いに、表情を和らげて答えた。



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 ここに記載している名前『村沢』は、私の小説の中に登場する人物で架空のものです。
 また筋は、これまでに読んだ文献から作者自身の思いとして独自に組み立てたものです。
 そのため、史実とは異なっているものと違っている可能性がかなり大きいとお考えください。
 
 WEB公開していますが、著作権は放棄していません。

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