2024年04月08日
”祝末期・前立腺ガン宣告13周年”
13年前のこの日に、大病院の診察室で、”末期の前立腺癌”を宣告された。まぁ疑いが出てから、それまでにいろいろ検査をしていたので、がん宣告は覚悟はしていたもののまさか、末期癌を宣告されるとは思ってもいなかった。その時の記憶はあまりはっきりしていないので、多分にそれなりのショックを受けていたのだと思う。
それから大病院で5年治療を受け、1年目の終わりくらいにはもうマーカーPSAの値は限りなくゼロに近づいていた。5年後に経過が安定しているとして大病院から追放、それから8年は大病院オススメのクリニックで治療を続けてきた。
その転院先のフォクターに”PSAの値を見て同じ治療方法でこれだけ安定しているのは「奇跡的」”と言われた。その言葉を何度も聞いてきた。
その8年通ったクリニックから先日大病院に再転院した。と言っても病状が悪化したのではなく、年齢的に80歳を超えて、片道1時間以上かかるクリニックに通院するのがしんどくなってきたので、近くのクリニックに転院するために、大病院で転院先を指示してもらおうという腹なのだ。が、まだ転院先は決定していない。
この13年の経過については、過去に「奇跡の軌跡」と題して連載をしているので、それをお読みいただきたい。
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毎年この記念日にはそれなりのことを書いています。
各年の4月8日を検索してもらえれば、その日のことを知ってもらえると思います。
これは、昨年の記事のリブログです。
13年たった今日は、もう”末期癌”という認識がかなり薄rてます。病院に行って腹にリューブリンを打つときと、毎日朝に”ビカルタミド”を飲むとき以外は、ほとんど忘れてます。
13年前宣告された直後は、ドクターの反対を押し切っての食事療法を始めて、食材探しに奔走したものです。塩分カット、四つ足動物の肉カット、乳製品カットなどなど、1年間かなり精神的にしんどい思いをしたもの今では笑える一コマになりつつあり、食事は塩分カットこそ続けてはいるものの、ほぼ普通の食煮をしている。
年齢的にどのくらい余命があるのかわkrないけれど、体調から行けばまだ20年近く(100歳)は行けそうな気がしている。
がん宣告されたとき、ドクターに向かって言った「死ぬまで仲良くお付き合いします」の言葉通りに生き延びてるし、これから先も生き延びるつもりだ。
同じ病のかたには、いろいろな症状があり、いろいろな治療法を受けておられると思います。私の場合は13年間同じ治療法のままで推移しています。最近はかなり治療法も変わったらしく、医学は進歩しているので、がんだからと諦めることは絶対にしないでください。
がんに一番悪いものは、諦めること、失望することです。私は、諦めることはしなかったし、失望もしていなかった。その結果がお魔の私だと思ってます。