2024年05月31日

5月31日 金曜日 パラパラ雨 無風 あぁ5月も終わるんだぁ

昨日は
午前から5時間お出かけしてました
歩いた歩数5200歩
それに往復の運転40分
ものすごく疲れたぁ
帰ってきて
即睡魔にノックアウトくらって
寝るわ寝るわ
晩飯にお茶漬けしてまた寝るわ
起き出して
BILEAVEとRe;REVENGEみて
(実は朝ドラの話の記事、並行して書いてた)
また寝床に
朝は7時少し前まで

食っちゃぁ寝の連続
また太ったかも

起き出して新聞入れに行ったら
ん??雨がパラパラ
台風どこに?
予報よりも早く雨は上がるかも

庭は紫陽花かなぁ


不揃いのダンスパーティー
でも一つ一つ立派だね


ガクアジサイはまだ過程です
たくさん咲きそうだけど


ヒマワリは70センチになりました
もうじき上から撮ることできなくなりそうです


赤い新芽のモミジの木
雨の雫でキラキラしてたけど
画像には出ない
なんでだよぉ〜〜(いつものこと)


沙羅双樹
と言っても ナツツバキですが
友人のFBに満開の画像があった
しかし我が家のは奥手あよなぁ
まだ開花にすら至ってない
まぁそのうち開くでしょう
蕾がかなり大きくなったので

咲けば今年も100以上咲くだろう
(後の掃除大変だけどね)


朝7時頃の名古屋の西上空です
まだ雲は厚かった
今9時20分くらいに
明るくなってきてます
雨も上がるのではないかと思います

ここのところの連日の疲れ
なかなか取れないです
このまま月を越えそう
6月は忙しくなるのに
病院通いがいくつか
もっと快適に過ごしたいのになぁ

今日も疲れるかなぁ?
自重気味に動こう
  

Posted by 生田 at 09:31Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2024年05月30日

朝ドラ「虎に翼」をみて 母を思い出し。。。。


朝ドラ「虎に翼」
5月30日の最後のシーンからお借りしました
どうしてもこの表情が欲しかったのです


この日のシーンの設定は
昭和21年10月
戦争が終わって1年以上経っているけど
父親の”直言”が最後の最後に
寅子の夫・優三の戦死を知らせた
そして戦友が優三からもらった
寅子の作ったお守りを返しにきた

まぁ詳しくは番組見てください
ネタバレをするつもりはないのですから


実は
寅子の娘さん
私と同い年です
つまりは昭和18年の生まれ
月は私が7月娘さんは12月
母親としての寅子の歳は28歳です

私の母親はこの18年の時は23歳でした
まぁ結婚したのが早かったらしいのです
この21年の時は26歳になっていたと思う

寅子は父親が隠していたものの
戦後に夫の死を知ります
そして 夫の戦友から
死の様を聞き泣きました

私の母親とほぼ同じです

私の母親も戦争が終わってから
父親の戦友から
死に様を知ったようです
(私の父親の命日はs19年11月6日)

戦争が終わって
帰ってくると信じて待っていて
戦死を知った

どんな気持ちだったのだろうって
今回の朝ドラを見ながら
寅子の表情を見ながら
母親の受けた衝撃を
私は思い起こそうと・・・
でも
母親からは聞いていないので
どんな気持ちだったのだろうかと
とにかく居た堪れなかっただろうということは
思わないわけにはいきません

今日の最後のシーンの
寅子の泣き顔
多分
母親が生きていてこれを見たら
ボロボロ涙を流すのではないかと
隣にいた相方と話したものです

寅子は実の母親と同居してた
それなりに母親が気遣ってくれている

私の母親は
終戦の時は私の父親の祖母と同居しかし
曽祖母は父親の戦死を知らずに亡くなっている
つまり
父が戦死したと知った時は
私の二人暮らしだった
誰も支える人はいなかったらしい
2人で一所懸命生きていた
いくつかの瞬間的な記憶があります

辛かっただろうなぁ。。。

その母親は
復員してきた父の戦友から
死に様を聞いたらしい
南方のブーゲンビル島では
日本軍は孤立していたのだろう
食料がなくなって
島民の作物を盗んで飢えを凌いだ

父親は僧侶になるべく教育を受けていて
多分五戒の「不偸盗戒*1」に原れて
盗み食いをすることができなくて
それで餓死したんだと

妻子よりも
仏さんを選んでしまったようだ

私に言わせれば
「仏さん選ぶなよ」
「生きて妻子のところに帰って置いよ」
ってことです

それが原因かどうかは知らないが
母親は私が宗教に近づくことを
かなり警戒していた

でも
進学した学校は
めちゃくちゃ宗教の学校だったよ

話がそれたので戻します

夫の戦死を知った母親は
それから私と二人暮らしで
かなり生活に困窮したようで
父親が生前に買い込んだ
今ならお宝になりそうなものを
売って凌いでいたと聞いてます

それは私を育てるため
戦友が語り残した言葉
「息子を頼む」
だったのだろうなぁ

母から聞いた記憶に何
父親は私を大学に行かせろ
というのがあった
そのために
母親はものすごい教育ママになって
私は苦労した


思い出すとめちゃくちゃ出てくるけど
辛いことが多いのでやめておこう

いずれにしても
戦争が終わって
必ず生きて帰ってくると
待っているところに
戦死の知らせ
受けた本人は
どう受け止めていいのやらわからないのでは
なかっただろうか

こんな辛い思いは
もう二度と起こして欲しくない


私は
母の苦闘もあるけれど
片親だった私自身の苦労から

私は死なない
死んでいけない

これを心の中に持ち続けて
もうじき81歳になる


*1  不偸盗戒
仏教の教えの中の五戒
不殺生戒
不偸盗戒
不邪淫戒
不妄語戒
不飲酒戒
その中の一つで
「盗んではいけない」
私はこれはあくまでも最低基準だと思っている
法律にいう「緊急避難」
生きるために止むに止まれず盗む
お釈迦さまも許してくれるのではないかと思う
ただし 何も無闇にぬすいんでいい
ということでは絶対にない
これだけは強調しておきます
  

Posted by 生田 at 20:19Comments(0)TrackBack(0)思い出・想い出

2024年05月30日

5月30日 木曜日 晴 弱風 柿の実と朝の訪問者と

昨日は
疲れを押して木彫りをした
そのせいか風呂上がりに背中が痛くて
どうも持病の背筋痛が出たような
でも
一晩寝たら痛みは引いている
今日は
そんなこともあるので木彫りはお休みします

朝5時ごろの一度目覚め
早すぎるのでと
また寝床に戻って
転がってゲームして遊んでた
そのうちに寝てしまって
目覚めと起き出したのは8時少し前

朝ドラは後で録画で見ることにして
庭に出た

なんだかなぁ目立つ花がないのは寂しいもので


柿の花が結実して
膨らみ始めてます
柿の木は
実がある時と紅葉の時は
それなりに見栄えもするけど
花も緑色だし
実がなっても緑色だし
過程はつまらん木だけどね
実がなってくれればと
秋を楽しみに


ダンスパーティー
小さい輪ですが花はでかいんですよ


だんだん輪がまとまってきましたね


似てはいるけど
かなり雰囲気が違うガクアジサイ
まだ開き切るには時間が


コムラサキの花
膨らんできたけどまだ開いてないと思う
そのコムラサキに朝の訪問者
カナブンの仲間だろうなぁ
ひょっとして食べてるか?


花がもう終わりというコクタンに
こちらも訪問者
だけど蜂の仲間みたいで
カメラを近づけられなかった

虫も多くが
飛び立ったようです
庭でチョウが色々飛んだりしてます


南西の空に残月
月齢22だそうです


いつもの名古屋の西上空

今朝も青く写ってますが
ショットできなかったけど
飛行機雲の残骸があったので
上空はちょいと湿ってるんでしょう

今日も暑くなりそうですが
真夏日にはならないと思います
今の室温22度と
結構ひんやりしてます


今日は木彫りをお休むので
その代わりを目下思案中です
  

Posted by 生田 at 09:52Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2024年05月29日

秋の美術展に向けて その10 爽やかでも汗いっぱい描いて彫った

今日は
予定通りに買い物に行った
ついでにホームセンターで
電動ドリルにくっつける
切削用のドリルを買ってきた
ちょいと高かったけど

帰ってきて昼飯作って
昨日のカレーの残り使った
カレーうどん
結構美味しかった

食べ終えて
40分くらい昼寝

起き出して木彫りをしに行った

早速買ってきたドリルを使ってみた
思ったようにはいかないなぁ。。
高速回転させると
ある程度削れるが
低速だと削れない なんで?
まぁ仕上げに近くなたら
使い物になるかもなぁ


気を取り直してノミでカンカン
雨上がりで母っとして
気持ちよかったけど
結構汗掻いたなぁ。。。




目下作っているのは
両手を組み合わせる

わざわざ左右分離しtなおは
気分で組み方を変えられるように
という
彫刻作品では
ひょっとしたら
御法度の考えかも

でも
昨年の美術展の批評会で選者に向かって
「来年は遊びます」と宣言した
もうその時から
考えていたこと



金 金
と言っているのも
組み方の一つだけどね

完成したらどうなる?
金もらえるかなぁ?



昨日と
そんなに大きくは変わってないように見える
でも
2時間みっちり
結構彫ったんですけど


明日は
お休みします
体休めないと

今日も終わって
30分疲れから熟睡
  

Posted by 生田 at 18:57Comments(0)TrackBack(0)趣味の木彫り

2024年05月29日

5月29日 水曜日 快晴 強い風 頭が働かん。。。

昨夜は
雨と風で早々と雨戸を閉めえてしまったので
どのくらいの雨や風だったか分からずじまいで
そんな天気でも
名古屋ドームはゲームやって
目下弱い弱いライオンを押さえ込んで
ドラファンは気持ちよく寝たかもなぁ
私もその一人

夜中ここのところの
脱水症状がひどく
そこに室温が下がったせいで足の痙攣
ちょいと危険な状態かも
(補水して凌いでる)

何度か起きたせいで
眠り浅かったけど
しっかりとして起き出したのは
7時半回っていた
北の私の部屋の窓から
朝日が強く入っていたせい
あと3ヶ月近くは
北から朝日が入る

起き出して
雨戸開けて
昨日は光量不足になったソーラーランタン出した
庭のショット

ん???

昨日の雨と風のせいで
ちょいと変化がったかなぁ


コクタンの花
旬を過ぎてもうじき終わる
茶色くなった花たちは
雨で叩かれ
風で飛ばされて無くなっていて
若いのだけが残った
これも数日の運命かな


ガクアジサイが
開き初めてる
まだ花は小さい


ダンスパーティーは
風で形を修正されたのか
少し丸い輪になってた


こんなのもあって
なんだか中途半端だ


何日振りかな?
いつもの名古屋西上空
画像では真っ青です
風が強く雲を飛ばしてしてしまっているから
でも
全体に白いんです
秋の青空とは違ってます

今日の予定は
食料の買い出しです
昼に食べるものがなくなった
ないと私の仕事がないのだぁ


通称・沙羅双樹
本名・ナツツバキですが
かなり蕾大きくなった

この木は
孫が育つのを祈念して植えた
花が咲くようになって
最近は毎年100輪以上の花を咲かせる
本物の沙羅双樹は
暑い地域の植物で
我が家はとても開花させる環境にないんで
若い頃の記憶で
京都大徳寺大仙院の
方丈と玄関に咲く沙羅双樹を思い
植木市で買ってきて手植えした

大きくなったけど
今は2Mを軽くこえ
大きくなり過ぎないように
頭を切って
2Mくらいしている

白い花
私は白い貴婦人と呼ぶ
まだ開花まで時間がいる




タイトルは
頭働かなくて 思い浮かばなかったのです
記事書いた後でも
思い浮かばない
  

Posted by 生田 at 09:28Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2024年05月28日

秋の美術展に向けて その9 雨で照明つけてカンカン

昨日からの雨の続き
おかげで暗くて
縁側で照明つけて彫った

午前中2時間弱
午後昼寝のあと2時間ちょっと

掃除を入れると合計4時間半
久々のちょい長時間

雨のせいで
窓を締め切っているし
湿度高くて
汗をいっぱい掻いて
おかげで体重減った

今日は主に右手を
硬いなぁと
ノコギリいれたり
ノミでカンカン
どうしてもうまくいかない
よくよく見たら
節なんだなぁ
けっこう太いまるだだったけど
木が育つ若い頃の枝の部分に
かかってたらしい

しょうがないので
また電動ドリル持ち出して
細いドリルで連続で穴を開けて
それからノミを入れるという
何をしてるのやら


今日の結果です

これをショットしていて

🎵凍えた両手に
息を吹きかけ
凍れた。。。。🎵

なんてのが頭の中に出てきた
そんな感じになりそうだなぁ


両手でメガネ作って
もしくは
両手で「金くれ」と


背面です
手の甲です
これで嫌なやつをどつきたい
ってことは考えてない

明日はどうするかなぁ?
天気は回復するみたいだけど
買い物に付き合わねばならないはずだけど

帰ってきて
時間あったらするかなぁ
  

Posted by 生田 at 20:38Comments(0)TrackBack(0)趣味の木彫り

2024年05月28日

5月28日 火曜日 雨 ちょい強風 気圧が変わる?頭でゴ〜〜

昨日は
夜10時のドラマ「アンメット」を見ていたら
突然の画面切り替わってアラート
お隣のおぼっちゃまが
またとんでもない花火お家あげられて
それが空中爆発したらしい
当初は上空通過みたいだったけど
だんだん失敗に話が変わっていった
そんなニュースが出たので
ドラマは最後まで見られず
(ほぼ全局アラート番組だった)

しょうがないので寝床に
一日ほぼ何もしていない状態だったのに
すんなりと寝ついた
相変わらず夜中の喉の渇きで目覚め

7時過ぎに起き出した
新聞入れにいったら
外は雨だ
昨日よりも強いかもなぁ

これを書き始める少し前
9時ごろかなぁ
頭の中で”ゴ〜〜〜”と言う音
これがあると
気圧がわかる
どうも低気圧が近づいているようだ
予報では夕方から強い風雨になるとか

雨と風
ソーラーランタンはまともに外に出せないので
大きなビニール袋を被せてきた
これで雨は大丈夫
(ソーラーランタンは常夜灯なので濡れては困る)

庭のショットもまともにできないから
昨日と同じ
屋根の下から

いつもの庭は花の色がほぼないと同じなので
色のある勝手口の
紫陽花を


たくさん咲いているけど
まだまだこれからのようです


柿の木越しの南上空
まだらな色の雲の様子をと
少しコントラストをいじってあります
私の目にはもっとまだらになっていた


今日は
終日雨模様だけど
木彫りをしようと思ってます
窓が開けられないかなぁ?
開けないとちょいとうるさいけど
  

Posted by 生田 at 09:41Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2024年05月27日

小学校時代の思い出 記憶のあるうちに その1 1年〜2年

 私は昭和18年生まれ、戦争の最中に生まれた。そんな記憶はほんの少しだけしかないけど、今や80歳を超えて記憶が遠くなりつつあるので、まだ頭の中にあるもがせるなら出しておこうと、思い出話を書く気になった。
 というのも、先日80歳になったジジババの小学校クラス会をやったばかりだし、テレビの朝ドラで終戦前後の話をしているので、色々と思う出すこともあって。それを書いて残しておこうということです。

 記憶にあったと言っても、完全い確正確なものかどうかはわかりません、記憶違いもあるだろうし、証拠となづ映像も持ち合わせていないので、画像はネットで探してなんとか近いかなぁと思うものを拝借して、それを使わせてもらって助けにします。

 もし著作開けん云々の話が出るようしたら、削除しますので、お気づきの方ご連絡ください




 まずは、入学前後かなぁ。。。

 入学は、昭和25年4月です。日にちは覚えてません。が、記憶では、傘をさしていたんではないかなぁって思って、過去の天気を検索したら、4月1日と5〜6日が雨が降ったようです。

 母親とともに学校に行ったと記憶してます。母親と一緒に学校に行ったのは、これだけかもしれない。色々悪さをしたらしい(本人自覚ない)その度に呼び出されてはいたようだけど、一緒には行ってないあなぁ。父親とはいくはずがない。戦争に行ったままいまだに帰ってこないから。

 片親の同学年はいっぱいいた。先日のクラス会に来た同級の中で、私の記憶にあるのは15人中4人。卒業時のクラスは50人以上いたはずだから、もっといたという可能性が大きいと思う。



 入学式の記憶は全く残っていない。ただ、最初にクラス分けして席に着いた時の隣の子は、先日のクラス会に来ていた。お互いそれがいつも話題になる。



 入学当時の小学校は、20年3月12日の名古屋大空襲で校舎は焼けてしまって、応急で作られた校舎には焼け残ったコンクリートの隔壁も使って建てられていた。その時の写真がどこかにあったはずだけど、探せないのが残念。



 授業は始まったものの、校舎の再建が進行中で、教室数が少ない上に、戦中の”産めよ増やせよ”の結果の膨大な数の児童数。教室不足はひどくて、2部授業になった。

 記憶では、午前午後分かれた時も、また天気のいい日には、半分外で半分教室でと言ったとんでもない状況だった。これは新校舎ができる翌年度まで続いた。

 2部授業をするためにクラスの児童数はひょっとしたら40人くらいだったかもしれないが、その代わりクラスは4クラスあったのではないかと思う。



 左は、現在(令和6年)の正門ですが、私の入学当時はこの位置からかなり右にあって、植木(多分カイヅカ)がならんていて、これは卒業の時もその門から出たと記憶してます。

 当時の正門の位置には、今は給食を作る厨房になっていたかと思うけど、今はここでで作ってないんではないかなぁ?



 当時の記憶の中には、進駐軍(アメリカ軍)がらみのものがたくさんあるんですが、しっかり記憶に残っているのは、給食の”脱脂粉乳”と衛生上の”DDT"の体への噴霧です。

 給食は、脱脂粉乳がおいしくなく、多くの子が飲めなかったり、吐き出したりしていたように思います。確かの、あの味は今でも吐き出したいと思います。

 DDTは、戦後の衛生状態の悪さかあら、疫病なども多かったのでしょう、その感染媒体に”シラミ”がいたのでしょうね。シラミ退治のために、全身,頭からDDTをかけら手たもので、服の中には、建築関系の方だとご存知かと思う”コーキング”用のガンのようなもので服の中に吹き込まれました。(現在は”DDT"は使用禁止剤です)



 担任の先生は、「細川静子」先生だったと記憶してます。2年まで受け持ってもらってますが、いい先生だったかなあ、ちょっと怖かった記憶ですが、それも私が悪ガキだったかかも。この先生の最後にお会いしたのは、大学生の時に一度ご自宅を報恩してます。

 確か、細川先生は結婚直後で、受け持っていただいている間に出産されて、休暇を虎太かと思います。



 こうして書いていると、当時のいろんなことが頭に出てきますが、みんな定かではないなぁ。。。。そうだ、その時の校長は、ちょび髭はやしてたんではないかな?





 今はとにかく、頭に出てくるものを書き付けています。まとまりがなくて申し訳ないですが。。。



 先日、みんなで校歌を歌いまっした。

 歌詞を見てびっくり、三番まであった。覚えてない三番は。当時は何も考えないで歌ってたけど、いつ頃からか、変な歌詞だなぁとお思いはsじめて、先日歌詞を見て「あぁ戦時中に作られたんではないか」って思った。







 今時「国のため」なんて歌詞はないだろうなぁ。。。それにしても終戦直後に近い時代でもこの歌詞はなx。。。と今は思う。



 2年生になっても、クラスのメンバー同じだったかと思う。そして2部授業も続いいていて、同時の校舎の新築も行われていた。

 

 本当なら 、遠足や運動会の記憶もありそうだけど、遠足は多くが雨に祟られたし、運動会も雨で順延なんてことが多かった記憶です。

 私が、雨男の本領発揮かなぁ。 でも、同学年みんな同じだよなぁ。と慰めてます。



 次回は、3年4年の覚えていることっを。  


Posted by 生田 at 16:37Comments(0)TrackBack(0)思い出の土地

2024年05月27日

5月27日 月曜日 雨 無風 また夢で疲れて。。。

昨日は
午前にはチャーシュー作りで精を出し
(あんまりつけれることないけど)
昼飯は冷麺にしようと思って始めたら
ん?? 冷麺のパックがないぞ
しょうがないから
ラーメンの麺だけを買ってあるので
そrを使って
具は冷麺用に作ってあるから
さらない持って
黒酢などをぶっかけて
まぁなんとか

昼食後1時間昼寝
そきてから2時間みっちり
汗いっぱいかきながら木彫りして

晩飯の後睡魔にノックアウト食らって
また1時間熟睡
起きてドラマ見て
「アンチヒーロ」と「老害の人」を見て
就寝

二度の昼寝のせいで
寝つきものすごく悪かったけど
とにかく疲れてて
寝入ったら熟睡のようだ


明け方のはずに
またもカラーの夢を見た


画像は無料イラストを拝借
ちょいとイメージに合うものを
見つけられなかったが
とにかく色のついた祭りの中

どうも相方と遠くへ出掛けていたようだ
記憶では西の方
広島という言葉が出てきたような
でももっと西に行っているようで

あるところで雨かな
逃げ込んだところで
あるものを見つけて
それをいただけることになったが
そのものは
その地方の土産物らしい
お暇することになったら
そこの家族が帰ってきて
一緒に出かけることに

行き着いたところがお祭り
なんだかいっぱい店が出ていた
記憶では
玩具のようなものがいっぱい売られていた
それを見にくと
知り合い違う方に引き連れようとするので
顔を隠して目的の方に
そこでシーンが変わって車の多い通りに出て
高速道路の渋滞情報聞いたり
そこで広島の名ができた
この時はモノクロになってたなぁ

というところで
目が覚めた
時刻が8時を回っていた

今朝は雨
結構なフリになりつつあって
外に出のショットは無理

目の前にはモミジの木が
なんだ? 紅葉?


画像ではわかりにくいけど
私の目には紅い所が目立っている
紅葉が始めるみたいに


いつもの位置でショットできないから
屋根の下から南西の方の空を
終日雨になるのかなぁ?

今朝はひんやりしているけど
夜中室温二十六度もあったぞ
熱帯夜だわ
その暑さが夢になっtなおかなぁ?


今日は木彫りはお休みします
体の疲れを取らないと

代わりに
ここのところ思っていることを
ブログにしてみるかなぁって
  

Posted by 生田 at 10:25Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2024年05月26日

>秋の美術展に向けて その8 筋肉痛押でもペアでいじる

8000歩の歩きで筋肉痛
いまだ治らず
と言っていつ治るかわからん
ということで
筋肉痛を押して2時間みっちり

今日も真夏日になったではないあか?
とにかく暑くで
汗いっぱいかいて
カンカンやったり
電動ドリルでグルグリやったり

疲れたんで
掃除しないで終わってきた



寝かせてます


前回から数日空いた
イベントがあって
ベント前に疲れたんではと

その間に
ボンドと竹串で補強した箇所も
みんな固まっただろうから
ということで
今日から2つを相互にノミを入れた

ペアになるんで
左右方達を同じ王にしないと

まだ大雑把過ぎてる
完成イメージには程遠い
でも
少しずつでも進めば



立てたところです
本当に
ボクシングのグローブだなぁ


背中側です



どんな完成になるのやら
数ヶ月先


お披露目は
10月の区民美術展の予定です
  

Posted by 生田 at 16:39Comments(0)TrackBack(0)趣味の木彫り

2024年05月26日

5月26日 日曜日 晴 弱風 行き詰まり・・・

一昨日のクラス会
楽しかったのはいいけれど
そのあとの熱田神宮参拝やらで
めちゃくちゃ疲れて
その疲れが取れない
昨日も1日か芋煮意外な何もゼスに
(相方の命令はやりましsたが)
気分的にはほぼ寝てた

言うなれば
気分的に行き詰まっていた

夜中も寝てはいるものの
疲れが取れる雰囲気もなく
朝6時過ぎに目覚めて起き出した

体の節々が痛い
頼助体操第1 体痛かったぞ

新聞入れて
ソーラーランタンdなして
庭のショット
へぇ??
花がない。。。


思い出して
勝手口にある紫陽花が咲いていたんだ


ここの紫陽花はピンク系
道に面しているので
通る人に楽しんでもらえれば

結構たくさん咲いてました


これはまだ色が浅いけどね

あとは撮るのを躊躇


いつもの名古屋西上空です

iPadに「雨雲接近」て出てきたけど
そんな雰囲気ないぞ

たhそう雲は多いけど
雨雲ではないなぁ


これは楡の木越の上空
全体にうっすら白くなってるかぁ?

今8時15分
太陽がきつい光を浴びせてます



今日は
今から チャーシュー 作りをします

そのあとで
体痛いけど
木彫りをします
掘らないと作品できないもんね
  

Posted by 生田 at 08:33Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2024年05月25日

80歳の小学校クラス会と熱田神宮 240524

昨日の話
昭和18年から19年に生まれた
みんな80歳のジジババが集まって
小学校時代のクラス会をした
小学校の思い出話はまたいずれとして

クラス会は
女7人 男8人 計15人
寂しくなったなぁ
全体の3分の1が違う世界に
行方不明も結構いる
都合がつかない人も多くて

女性の方が多いかと思ったけど
結婚などで結構遠くに行かれている
だから地元に住む男の方が多かったようだ
でも
女性2人男性一人がが遠くから


会場は名古屋金山の”かに本家”

集合写真はかぼかしてます
拡大してもわからんと思う
一番でかい顔しているのが私です
適用の想像してください

まぁカニ料理のコースなんでしょうが
こんなんで私の腹は埋まらんのだなぁ
料理をもっと撮るべきなんだろうけど
食べるよりも
あちこちでみんなと話すのが多くて

最後の方でそれぞれ各自の近居報告
その時はショットしたけど
それはアップできないんで
まぁとにかく楽しかったです

耳のきこえない
その対策で人工内耳を装着していることは
最初に挨拶させてもらって
皆さんに了解をもらった

なんとか会話できることもあったけど
できないところは
時折音声文字変換使ったりして

それでも楽しめた

14時少し前に終わって解散
JR金山駅まで
遠くに帰る2人を送って
私は地下鉄に乗って
熱田神宮にもうでた

コロナのこともあったりして
したの孫の七五三以来きてないよなぁ

地下鉄”熱田神宮西”で降りて
西門から入った
もっと近い入り口あるけど
そこから入れてもらえないんだよな
年寄りにはきつい遠回り


一応清めの御手洗
平日の午後ということで
参拝者は少ないね
正月に来ようものなら動けないくらいの人だけど


いくつか鳥居を通って
(「俺は神様だ」と真ん中通って)


これが本宮です
石段あがると撮影禁止なんで
(スマホかざすと警備のおじさんが飛んでくる)
私はわかっているから遠くからショットしたの

珍しく
お賽銭投げ込んで
何を願ったかは秘密です


これは本宮左にある結婚式場
もうかなり前だけど
従姉妹が指揮をあげている
披露宴会場とここの間を花嫁道中します


右手にある札所です
大きいですよぉ


札所の先に神楽殿
ここでお宮参りや七五三のお祓いを受けます
何度来たかなぁ
私の子供3人はやってないのに
孫となるとねぇ

そんなことない
3人ともお宮参りだけはしているわ


実は神社に入る寸前に左足を挫いて
足が痛いから近道をと思ったけど
なんだか森の中歩きたくて
ちょっと遠回り


途中に
熱田神宮の歴史が大雑把に
実は熱田神宮は源氏さんと繋がりが多い
宮司の娘さんが頼朝の母親です
名古屋ってゲンジゆかりの地とは
結構知られてないんですよ
私のご先祖さんの発祥の地も近くにあって
その神社には源氏の塚があったりします

この後
正月などには
露天がいっぱい並ぶところを通って
出口に


出口の手前で
神宮内の配置図をショット

信号渡って
名鉄の神宮前駅に
もっか改修中でエレベータがわからず
きつい階段を息切らして上った

そして反対側駅東側の商業施設に
聞いてたのと儚いイメージ違って
なんだかチンケな建物だなぁ

まぁ言い出すとキリがないので

この後バスターミナルまで歩いて
真夏日の暑の暑さの中15分待ってバスに乗車
エアコン効いてて寒くなったりして

家に帰ったのが3時半
もう疲れてきって
4時半頃から寝床に転がった
それから延々と寝るわねるわ
途中晩飯食べて
夜中目が覚めて補水をして
朝まともに起き出したのは
7時半だった

昨日歩いたのは約8000歩
まだ歩けるけど
あとがキツくなったなぁ
(めまいがなかったので杖なしです)
  

Posted by 生田 at 10:13Comments(0)TrackBack(0)今日の日
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
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 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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