2007年12月16日
姨捨から善光寺平・川中島 07年旅の記録29
もう12月も半分過ぎたのに、まだ旅に記録の連載。
紅葉が続くのは、もう季節はずれ。とはいえ、始めた連載はなかなか止められない。名古屋に帰り着くまで続けよう。多分、正月ものっかると思う。(読んでもらえるだろうか)
**** 以上は、余分な話でした。以下 本文です。
ソバを食べ終えて、教えられた道を行く。まず最初に左折する交差点、ここを左折して直進、JR篠ノ井線の高架橋を超える。そしてまだ直進、何とか旧18号線と思う交差点に来て、ここを右折した。
もう10年以上も前になるんだよな。ここを通ったの。あの時は、会津若松までのドライブだった。高速で更埴ICまで来て、18号線を北上して善光寺に。そして、その後はまだオリンピックの前だから、道路の整備もされていない、18号線をえっちらおっちら黒姫のほうに登り、一茶旧宅(当時近辺空き地ばかりだった)を見て、野尻湖のペンションで宿泊。
翌日は、18号線で北陸自動車道の上越ICへ行き、高速で新潟、そしてまだ磐越自動車の形もなく、国道をひた走って喜多方へ、ラーメンを食べて、会津で宿泊した。そんなことが頭をよぎる。
旧18号線を今回は南下する。昔ながらの道だなぁと、思いゆっくりと走っていくと、ん??どうやって更埴ICへ?旧18号は、現国道の下になっている。下をくぐって現国道(バイパス)の左に出る。信号待ち、長かったなぁ。
バイパスの広い道路に戻り、ここで右往左往。ICが右なのか左なのか。標識を読み違え右と思って右折車線に入り込んでしまった。信号待ちで気付いて、やってはいけないこと、すべての車が通過して左折車線に移動。たまたま交通量が少なくて助かった。
更埴ICから上信越自動車道に乗る。つまりは長野道に入たのだ。ここはもう何回も走って勝手がわかっているつもり、あと少し走れば姥捨てのサービスエリアに到着する。そしてやっと念願の善光寺平を見下ろす写真を撮るのだ。
**じつは、時間に余裕があれば「川中島」を見るつもりでもいたのだが、松本に3時半までに行かねばならない。しかも予定を変更して聖高原を走ることにしたので、川中島はお預けになってしまったのだ。
しかし、これは紅葉という今回のサブテーマから行けば当然のコース変更ということだろう。
何度も走りなれているつもりでも更埴から姥捨てのカーブと登りはあまり好きではない。今回は登りだからまだいいが、反対は下りなので速度に注意していないと事故の危険が大きいところでもある。
1時過ぎに姥捨SAに到着。最近は、19号線を使用している関係で、このSAに立ち寄るのは久々である。しかも、この時間帯は初めてだ。というのはいつもは反対方向で、名古屋を早い時間に出発しているので、ここに立ち寄っても結構朝早い時間なのだ。だから、このように真昼間に善光寺平を見るのは初めてだ。
木曜日の昼過ぎ、昼食時間を過ぎているからか、駐車場はがらがらだ。車を下り、外に出て後ろの山を見る。高速道路の上にきれいに色づいた山がある。多少もやってはいるものの、近くで見れば結構な眺めである。
そのままレストランなどの建物の北側に行き、そこから善光寺平を望むことにした。
広いなぁ・・・ この広い平坦なところで、昔々何万という人間が死闘を繰り広げた。私にしてみれば、人間が殺しあうなどもってほかのことだが、昔の人々にはそれなりのわけがあったということなのだろう。覇権を競うということが、人の命を奪うなんていうのは、どう考えても許しがたいものだ。
眼下の善光寺平は、広いのだが、残念ながら靄っているので、遠くまで見渡すことができない。飯山の辺りもかすんでいる。左に目を移し鬼無里の山を見るも、ここもかすんでいる、きれいに晴れていれば、おそらく紅葉の織り成す錦に感激したのではないだろうかと、ちょっと残念な気持ちだ。
以下は、姨捨SAで撮影したもの。
姨捨SA レストラン棟の長野よりから北西を見る
千曲市方面を見る。
善光寺平全体
鬼無里方面を見る
かすんでいたので、画像ソフトでいじって映っているものを表示
後ろに見えるのは、多分黒姫山だと思います。
紅葉が続くのは、もう季節はずれ。とはいえ、始めた連載はなかなか止められない。名古屋に帰り着くまで続けよう。多分、正月ものっかると思う。(読んでもらえるだろうか)
**** 以上は、余分な話でした。以下 本文です。
ソバを食べ終えて、教えられた道を行く。まず最初に左折する交差点、ここを左折して直進、JR篠ノ井線の高架橋を超える。そしてまだ直進、何とか旧18号線と思う交差点に来て、ここを右折した。
もう10年以上も前になるんだよな。ここを通ったの。あの時は、会津若松までのドライブだった。高速で更埴ICまで来て、18号線を北上して善光寺に。そして、その後はまだオリンピックの前だから、道路の整備もされていない、18号線をえっちらおっちら黒姫のほうに登り、一茶旧宅(当時近辺空き地ばかりだった)を見て、野尻湖のペンションで宿泊。
翌日は、18号線で北陸自動車道の上越ICへ行き、高速で新潟、そしてまだ磐越自動車の形もなく、国道をひた走って喜多方へ、ラーメンを食べて、会津で宿泊した。そんなことが頭をよぎる。
旧18号線を今回は南下する。昔ながらの道だなぁと、思いゆっくりと走っていくと、ん??どうやって更埴ICへ?旧18号は、現国道の下になっている。下をくぐって現国道(バイパス)の左に出る。信号待ち、長かったなぁ。
バイパスの広い道路に戻り、ここで右往左往。ICが右なのか左なのか。標識を読み違え右と思って右折車線に入り込んでしまった。信号待ちで気付いて、やってはいけないこと、すべての車が通過して左折車線に移動。たまたま交通量が少なくて助かった。
更埴ICから上信越自動車道に乗る。つまりは長野道に入たのだ。ここはもう何回も走って勝手がわかっているつもり、あと少し走れば姥捨てのサービスエリアに到着する。そしてやっと念願の善光寺平を見下ろす写真を撮るのだ。
**じつは、時間に余裕があれば「川中島」を見るつもりでもいたのだが、松本に3時半までに行かねばならない。しかも予定を変更して聖高原を走ることにしたので、川中島はお預けになってしまったのだ。
しかし、これは紅葉という今回のサブテーマから行けば当然のコース変更ということだろう。
何度も走りなれているつもりでも更埴から姥捨てのカーブと登りはあまり好きではない。今回は登りだからまだいいが、反対は下りなので速度に注意していないと事故の危険が大きいところでもある。
1時過ぎに姥捨SAに到着。最近は、19号線を使用している関係で、このSAに立ち寄るのは久々である。しかも、この時間帯は初めてだ。というのはいつもは反対方向で、名古屋を早い時間に出発しているので、ここに立ち寄っても結構朝早い時間なのだ。だから、このように真昼間に善光寺平を見るのは初めてだ。
木曜日の昼過ぎ、昼食時間を過ぎているからか、駐車場はがらがらだ。車を下り、外に出て後ろの山を見る。高速道路の上にきれいに色づいた山がある。多少もやってはいるものの、近くで見れば結構な眺めである。
そのままレストランなどの建物の北側に行き、そこから善光寺平を望むことにした。
広いなぁ・・・ この広い平坦なところで、昔々何万という人間が死闘を繰り広げた。私にしてみれば、人間が殺しあうなどもってほかのことだが、昔の人々にはそれなりのわけがあったということなのだろう。覇権を競うということが、人の命を奪うなんていうのは、どう考えても許しがたいものだ。
眼下の善光寺平は、広いのだが、残念ながら靄っているので、遠くまで見渡すことができない。飯山の辺りもかすんでいる。左に目を移し鬼無里の山を見るも、ここもかすんでいる、きれいに晴れていれば、おそらく紅葉の織り成す錦に感激したのではないだろうかと、ちょっと残念な気持ちだ。
以下は、姨捨SAで撮影したもの。
姨捨SA レストラン棟の長野よりから北西を見る
千曲市方面を見る。
善光寺平全体
鬼無里方面を見る
かすんでいたので、画像ソフトでいじって映っているものを表示
後ろに見えるのは、多分黒姫山だと思います。
***
たまたまのことですが、本当に偶然ですが、
大河ドラマ、12月16日放映は、『川中島の合戦』でした。
この記事にある善光寺平がその合戦の場所でした。
私がこの善光寺平を見たのは、
山本勘助の命日の一月ほど後だったようです。
次回長野に行ったときは、
川中島を見ることにしています。
たまたまのことですが、本当に偶然ですが、
大河ドラマ、12月16日放映は、『川中島の合戦』でした。
この記事にある善光寺平がその合戦の場所でした。
私がこの善光寺平を見たのは、
山本勘助の命日の一月ほど後だったようです。
次回長野に行ったときは、
川中島を見ることにしています。