2009年06月18日

五木寛之 親鸞 捕まる

 五木寛之氏の小説『親鸞』
 承元の法難を前にして、恵信の妹を助けるべく恵信がみをなげ出して、そこへ綽空(親鸞)がやってきて3人が縛られてしまった。それをしたのが綽空の先輩になる遵西等々、黒面法師と言われる後白河法皇ゆかりとかいう(小説のストーリーの中)輩が絡んでのことだ。
 でもなぁ、承元の法難の原因とされているのが、この遵西の所行。といっても小説に書かれているものではなく、多分後に出てくるのかもしれないけど、後鳥羽上皇の女官、鈴虫、松虫のお泊まり外出が遵西と・・・という事というのが一般的に書かれていることの一つ。なので、この小説のストーリーのようなことをやっていては、変な噂も広がるだろうし、それに多くの人間を相手にしているから、こんな細かいことしている暇ないだろうに・・・ それに、このストーリーのような人物なら、法然門下にいられたのかという疑問もある。門下の高僧としての不埒な所行は、門下にいられたとしたら、法然の監督不行届と言うことになるのだが。
 小説のストーリーでは、綽空が持っている法然上人の「選択集」を差し出せといっている。ん???遵西って、『選択集』の執筆に関わった一人ではないのか?わざわざ綽空から取り上げる必要もないだろうに。

 いくら小説とはいえ、このあたりは矛盾というか何かいやなものを感じる。確かに、昔々のことであり、何が本当のことかも分からない、しかも公文書に顔を出さない親鸞の人仏像だから、何を書いてもいいようなものだが、史実に名の残る人間を描くときは、少しはそれに沿ってほしいと思う。


 前にも書いたが、恵信は京都の三善家の奉公人になっているが、多く言われていることは『越後の三善ため乗りの娘』である。これは正式に証明刷るものはないが、後々の恵信の晩年の姿を見ると単なる奉公人とは思えないのだ。
 それにしても、妹の鹿野はいったいどんな立場で京に来たのだろう。まだ二十歳前後と思われるが、彼女は自由奔放に生きていけた境遇にあったのだろうか?

この記事へのトラックバックURL

 

  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
アクセスカウンタ
プロフィール
生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
オーナーへメッセージ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。 解除は→こちら
現在の読者数 24人
QRコード
QRCODE