2010年10月05日
安城市歴史博物館
今日は、午前中は木彫りをして過ごして、昼飯は昨日のカレーの残りを使ってカレーうどんを作って。
昼からは、車で安城まで行ってきた。ネットのGoogleMapのる^と検索を使って経路をプリントアウトしてできるだけその通りに行ってみた。所要時間は57分とあったが…
安城の行き先は、安城市歴史博物館。目下、親鸞(『聖人』をつけるところだけど、信者でない人には無関係だからつけないで)の『安城の御影』という親鸞の肖像画を公開しているので、一応親鸞の研究(というほどたそうなものではないけど)しているものとして、京都まで行かなくても見えるということでいってきた。本当はもっと早くいってもよかったのだが、おとといまではレプリカだった打らしいので、今日にしたのだ。
親鸞の肖像画は、かなりたくさん出回っている。これはのちの世に元の絵を複写(コピー機がない時代なので手描きです)してあちこちの寺に送ったことによるものだが、本江といわれるものに接するには京都の西本願寺か東本願寺に行かねばならない。西本願寺のものは後方に指定されているが、今回の展示は東本願寺のものでなぜか重要文化財どまりだ。
この護衛は前から写真などで見てい知ってはいたが、一応本物といわれるものを見るのは初めて。ただなぁ。。。。今回は東本願寺のものだったのだが、保存状態がいいとは言えないなぁ。これまで写真で見て北ののはもっと保存状態がいいと思わるものなのだから、ちょっと幻滅した。
そのほかにも同じ元絵から複製した写本がたくさん展示されていたのだが、いまいち美化され過ぎていたり、書かれた物字が親鸞の筆ではなくなんとなく勢いもなく感じてね。
しかし、写本の多くが愛知県内のもの。特に安城や岡崎、西尾近辺の寺のもの。大体が『安城の御影』というのは安城の寺にあったkら名付けられたという。
ここから先、親鸞にかかわることをかくと興味のない人には全くつまらないからやめておくことにして。とにかくこの御影の公開を見に行ったわけである。
域は、前にも書いたようにGoogleMapの出した通りに走ったのだが、1号線をまともに走るのは何年振りか。いや、岡崎から東は今年2回も走っているが大高から安城までなんていうのはここ10年以上走ってないはず。ということで、大高で1号線に入った時は懐かしいなぁ程度でと夜明けの前後を過ぎて23号からの合流に入ってからがちょっと怖かった。ちょっとでも車間を開けるとどでかいトラックがすぐに割り込んでくる。といってトラックとトラックの間にFitでいるとは浅間れ手恐ろしいものだなぁ。
それでも知友の追分からはだんだん交通量も少なくなって(多分流れがいいからだろうな)何とかそれなりの気分で走ったが、今度は右に折れる交差点を見逃さないように気を使わねばならないからこれまた大変になった。(ナビがほしい)
何とか右折して、名鉄の踏切越えて、後は支持通りに行ったらなんとよそう時間ぴったりに博物館に着いた。あの地図の時間は、渋滞を予想しての時間なのかぁ???(ご立派)
博物館は、結構きれいでしたね。一宮の博物館よりもうんときれいだった。金のかけ方も違うみたい。ただ、場所がねぇ。。。。交通の便の悪いこと。車で行かないとまずは難しい。一宮の博物館はめいているの役に近かったけど、ここは駅からあなり遠い。
もっともなぁ、安城を走っていてい持ったことは、ここは車がないの生活できないよって。名古屋がそういった感じがするけど、それよりもうんとひどいな。。。
博物館は、一度行ってみてください。それなりの常設展示物もあって、それなりに楽しめると思うから。
博物館を見終わって、丈山の名のあるところに行こうかと思ったけど、入館可能な時間までには残りがないのであきらめて、デンパークの道の駅に行くかといっていたら火曜休みだって。バカみたい。
(そうそう、ここへ行く途中で、田んぼの中に、大きな病院と斎場があった。畑、田んぼを挟んで隣だよぉ。いくらなんでも準備が良すぎないかぁ?
帰らねばならいけど、どうやって帰る?どうせなら刈谷を通るから、湾岸線のお刈谷オアシスに立ち寄ってみるかと。とはいうもののナビのない車、何とか安城の市街を走って1号線に抜けて、知立に入ったところで右折して湾岸線を目指す。
湾岸線が見えたところで、首を左右に振って観覧車を探す。あれがオアシスの目印。何とか見つけて、湾岸線の下をひたすらオアシスに向けて走って。
ここの1階のスーパーで、腹が減ったのですしを買って。。。。上に上がってエビせんべいかって。
もうこのころには外は真っ暗。もうおうちに帰らなくては。。。 オアシスの北の通りが『みよし。153』へ行くと書いてあったので、その道にそって。そのまままっすぐいけると思ったら、落とし穴ぁ。、突き当たりだ。これを案内に従って「みよし」に。何のことはない教育大の前を通る道なんだ。突き当たりをまっすぐいけるようになるとひょっとしたら緑区の徳重あたりに出るのかと思うけど。
この道を北に上がって福田で左折。これで城槌から徳重に行けると思って走っていたら、、どこでどう道が変わってしまったのか、153に出てしまったぞ。県道の道案内標識の不備だな。怒怒怒怒
まぁ、それでも無事に帰ってきたからいいとしよう。往復ジャスト70キロのドライブでした。
昼からは、車で安城まで行ってきた。ネットのGoogleMapのる^と検索を使って経路をプリントアウトしてできるだけその通りに行ってみた。所要時間は57分とあったが…
安城の行き先は、安城市歴史博物館。目下、親鸞(『聖人』をつけるところだけど、信者でない人には無関係だからつけないで)の『安城の御影』という親鸞の肖像画を公開しているので、一応親鸞の研究(というほどたそうなものではないけど)しているものとして、京都まで行かなくても見えるということでいってきた。本当はもっと早くいってもよかったのだが、おとといまではレプリカだった打らしいので、今日にしたのだ。
親鸞の肖像画は、かなりたくさん出回っている。これはのちの世に元の絵を複写(コピー機がない時代なので手描きです)してあちこちの寺に送ったことによるものだが、本江といわれるものに接するには京都の西本願寺か東本願寺に行かねばならない。西本願寺のものは後方に指定されているが、今回の展示は東本願寺のものでなぜか重要文化財どまりだ。
この護衛は前から写真などで見てい知ってはいたが、一応本物といわれるものを見るのは初めて。ただなぁ。。。。今回は東本願寺のものだったのだが、保存状態がいいとは言えないなぁ。これまで写真で見て北ののはもっと保存状態がいいと思わるものなのだから、ちょっと幻滅した。
そのほかにも同じ元絵から複製した写本がたくさん展示されていたのだが、いまいち美化され過ぎていたり、書かれた物字が親鸞の筆ではなくなんとなく勢いもなく感じてね。
しかし、写本の多くが愛知県内のもの。特に安城や岡崎、西尾近辺の寺のもの。大体が『安城の御影』というのは安城の寺にあったkら名付けられたという。
ここから先、親鸞にかかわることをかくと興味のない人には全くつまらないからやめておくことにして。とにかくこの御影の公開を見に行ったわけである。
域は、前にも書いたようにGoogleMapの出した通りに走ったのだが、1号線をまともに走るのは何年振りか。いや、岡崎から東は今年2回も走っているが大高から安城までなんていうのはここ10年以上走ってないはず。ということで、大高で1号線に入った時は懐かしいなぁ程度でと夜明けの前後を過ぎて23号からの合流に入ってからがちょっと怖かった。ちょっとでも車間を開けるとどでかいトラックがすぐに割り込んでくる。といってトラックとトラックの間にFitでいるとは浅間れ手恐ろしいものだなぁ。
それでも知友の追分からはだんだん交通量も少なくなって(多分流れがいいからだろうな)何とかそれなりの気分で走ったが、今度は右に折れる交差点を見逃さないように気を使わねばならないからこれまた大変になった。(ナビがほしい)
何とか右折して、名鉄の踏切越えて、後は支持通りに行ったらなんとよそう時間ぴったりに博物館に着いた。あの地図の時間は、渋滞を予想しての時間なのかぁ???(ご立派)
博物館は、結構きれいでしたね。一宮の博物館よりもうんときれいだった。金のかけ方も違うみたい。ただ、場所がねぇ。。。。交通の便の悪いこと。車で行かないとまずは難しい。一宮の博物館はめいているの役に近かったけど、ここは駅からあなり遠い。
もっともなぁ、安城を走っていてい持ったことは、ここは車がないの生活できないよって。名古屋がそういった感じがするけど、それよりもうんとひどいな。。。
博物館は、一度行ってみてください。それなりの常設展示物もあって、それなりに楽しめると思うから。
博物館を見終わって、丈山の名のあるところに行こうかと思ったけど、入館可能な時間までには残りがないのであきらめて、デンパークの道の駅に行くかといっていたら火曜休みだって。バカみたい。
(そうそう、ここへ行く途中で、田んぼの中に、大きな病院と斎場があった。畑、田んぼを挟んで隣だよぉ。いくらなんでも準備が良すぎないかぁ?
帰らねばならいけど、どうやって帰る?どうせなら刈谷を通るから、湾岸線のお刈谷オアシスに立ち寄ってみるかと。とはいうもののナビのない車、何とか安城の市街を走って1号線に抜けて、知立に入ったところで右折して湾岸線を目指す。
湾岸線が見えたところで、首を左右に振って観覧車を探す。あれがオアシスの目印。何とか見つけて、湾岸線の下をひたすらオアシスに向けて走って。
ここの1階のスーパーで、腹が減ったのですしを買って。。。。上に上がってエビせんべいかって。
もうこのころには外は真っ暗。もうおうちに帰らなくては。。。 オアシスの北の通りが『みよし。153』へ行くと書いてあったので、その道にそって。そのまままっすぐいけると思ったら、落とし穴ぁ。、突き当たりだ。これを案内に従って「みよし」に。何のことはない教育大の前を通る道なんだ。突き当たりをまっすぐいけるようになるとひょっとしたら緑区の徳重あたりに出るのかと思うけど。
この道を北に上がって福田で左折。これで城槌から徳重に行けると思って走っていたら、、どこでどう道が変わってしまったのか、153に出てしまったぞ。県道の道案内標識の不備だな。怒怒怒怒
まぁ、それでも無事に帰ってきたからいいとしよう。往復ジャスト70キロのドライブでした。
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この記事へのコメント
川越歴史博物館は昭和63頃か20年以上運営している3F立て博物館です。
武具甲冑関しては古い物で現存数が極めつくない鎌倉時代のウブ星兜鉢・鎌倉末期の筋兜など中世~江戸初期まで戦国時代の資料が中心に所蔵されています 年間定期ごとに展示変えしていますがいまだ20年以上展示していない鎧兜や刀剣類が展示しけれない物が沢山あるそうです。国立博物館・外国・私立美術館博物館などに貸し出しはしていないそうです
武具甲冑関しては古い物で現存数が極めつくない鎌倉時代のウブ星兜鉢・鎌倉末期の筋兜など中世~江戸初期まで戦国時代の資料が中心に所蔵されています 年間定期ごとに展示変えしていますがいまだ20年以上展示していない鎧兜や刀剣類が展示しけれない物が沢山あるそうです。国立博物館・外国・私立美術館博物館などに貸し出しはしていないそうです
Posted by 超絶賛 at 2010年10月06日 00:00
はぁ???なぜ川越の話しが?
川越は昨年春に行ってきてはいますが。。。。
川越は昨年春に行ってきてはいますが。。。。
Posted by 生田 at 2010年10月06日 07:28