2025年03月04日
3月4日 火曜日 小雨 無風 今日も雨・またルーツを
昨日午後からの気温低下
まぁ予想はしていたけどかなりきつかった
夜になって
足が冷たくなってしまった

でもなぁ
昼飯後に木彫りの部屋を片付けていた時は
そんなに動いたわけではないけど
なんだか汗をかいていたよ
まだそれなりの温度があったんだろう


今朝も雨が降っている
庭の木々たちは喜んでいるだろう
水をなかなかもらえなくて
枯れざるを得ないと覚悟していたかもしれない
生き返ってくれ
ということで
今朝も庭のショットはなし
となると書くネタがないんだよなぁ
昨日は
我が家の”姓”のルーツを書いた
少し補足しておかないと
またまた孫会を招きそうかも
法螺を吹いているとも取られかねないし
**
まぁ予想はしていたけどかなりきつかった
夜になって
足が冷たくなってしまった

でもなぁ
昼飯後に木彫りの部屋を片付けていた時は
そんなに動いたわけではないけど
なんだか汗をかいていたよ
まだそれなりの温度があったんだろう


今朝も雨が降っている
庭の木々たちは喜んでいるだろう
水をなかなかもらえなくて
枯れざるを得ないと覚悟していたかもしれない
生き返ってくれ
ということで
今朝も庭のショットはなし
となると書くネタがないんだよなぁ
昨日は
我が家の”姓”のルーツを書いた
少し補足しておかないと
またまた孫会を招きそうかも
法螺を吹いているとも取られかねないし
**
昨日の記事は、あくまでも”姓”のルーツであって、血筋が受け継がれているということはない。
実のところ、私の数代前からの家計絵おみると養子縁組がかなりある。大学の頃にちょいと訳ありで家計を戸籍謄本から見たことがあるが、なぜかはわからないけど、親戚関係からの養子縁組がいくつかあった。まぁ昔は家を相続する男子がいない時は養子を迎えることも結構あったらしい。(婿養子ではなく)
我が家の"姓”は、大昔に帝から賜った姓で、発祥の地の近辺に存在している。ということで、姓自体は引き継がれたものかもしれないと思うけれど、名古屋近辺ではかなり多いせいでもある。
養子縁組やら法事の時の親戚の姓を見ていると、3つの流れがあって、我が姓の他の一つはお寺さんの流れがあり、もう一つは・・(あぁ記憶が途切れている)・・これは主流の家系ではなく、私の祖母の実家の家系だから、我が家の姓とは関係ないと思う。
お寺さんの流れは、いくつかあって、寺は実家に近いところもあり、知多半島の方にもあるらしい。
その流れの一つが、私の実父が引き継ぐはずだった某寺院(結構大きい)があるが。引き継ぐことはなかったので、私は僧侶にはなっていない。
元になった姓は名古屋の西部に多く見られるものだが、今では全国にかなりに散らばってはいる。その散らばっている家系もルーツを辿れば同じところに行き着く可能性は大きいかもしれないが、血筋はどうだろう?
元々姓を賜った時は、悪者(地方豪族)退治をしたという武家なのだが、我が家の数代上の家系は商家であって、武家には程遠い。
姓を賜ってから、1000年以上になるかと思うけど、その間に世の中は大きく変わって、江戸時代には平安・鎌倉の時の武家の姿は消えていると思う。
太平洋戦争が終わって80年。我が家は大黒柱を失って、経済的に没落の運命にあったがなんとか母親がば頑張って消えることだけは免れ、その後再婚したけど、性だけは残すという母親の思いで、私はその姓を受け継いでいる。
あぁ 書きそびれている。姓の元になった源為朝もその息子=尾頭次郎義次もかなり暴れものだったという伝説で、まぁあ色々武勇があったと言われている。私は腕力こそないけど、結構いろんな意味で暴れん坊らしく、ひょっとして血統の血が流れていたりするかもなぁ、なんて冗談も出たりする。(画像はネットから拝借してます)
まぁ なんにしても、自分のルーツを辿ってみると、色々面白いと思う。私は、随分前に、昨日書いた姓のもとの源氏の流れと親鸞の母親の流れをくっつけて、頭の中で物語を描いたこともある。
源義経と親鸞は親交があった。。。 なんて
義経 1159−1189
親鸞 1173-1203 微妙に重なっている
こんな話は
まぁ妄想の部類に入るもので
きっかけがないと書くこともない
と思うけど
ブログを始めた目的が
私の生きた証を残すということからいけば
趣旨からは外れていないかな
私は生まれて81年と7ヶ月と少し
この生きてきた時間の中で
姓に関するものはあまりなかったな
東京や大阪では珍しい姓なので
すぐに覚えられてしまって
悪いことは出来はしなかった
まぁできなくて良かったが
この歳になって
だんだん動けなくなりつつあるけど
頭の中にはいろんなものが残っている
それを何かの形で書き残して置けたらいいかな?
まぁ書く気力だけの問題だけど