2009年06月23日
五木寛之 親鸞 つぶての弥七
黒面法師や遵西に捕まった親鸞と恵信姉妹の三人。目を潰されそうになっていたところに救いの神現れる。小さい頃から親鸞の守り神みたいな集団。「つぶての弥七」、まるでテレビの「水戸黄門」の「風車の弥七」である。どこからとなく黄門様を守護している。多分にTVドラマを意識しているとしか思えないぞ、五木さん。
今日6月23日では、3人は弥七のおかげで助けられ、呪縛から解き放たれたのだが。。。いかがなものでしょうねぇ。。。
黒面法師側の打ち出す矢で弥七の手下が数人倒されたようだが、彼らはどうなった?そんなことお構いなしに、「悪人でも往生する」と・・・・
チョット意味が違うんだけどねぇ。悪人往生は。
そういえば、昔この近辺(名古屋の近くかな)では、困ると「オウジョウこくわ」という言葉が発せられた。ここで言う「オウジョウ」とは何だったのだろう。
「往生」とは、「行って生まれる」、もしくは「行って生きる」なのだろうが、いわゆる向こうの世界に行くこと=死を意味する。「オウジョウ」が「往生」なら、「死ぬほど困る」と言うことなのだろうか?
今は死語化しているらしく、もう聞いたことはないし、知っている人がどれだけいるのかとすら思う。
死んでいく言葉、言葉は生きているから死もあると言うことか?