2015年06月20日
今日の昼飯 諏訪屋で蕎麦と丼のセット
今日は墓参り
昼時になったので
というよりも昼時になるように出かけた
ヒルズウォークで買い物
旅行用にデジカメのメモリのでかいのを買った
そんなことをしていたので
諏訪屋に着いたのは12時少し前
案の定混んでたなぁ。。。
でもそんなに待たずに席に
ランチセット
親子丼とぞばのセット
先日新横浜で食べた蕎麦よりも
安くて美味しかったよ
何しろ蕎麦はそれなりに冷たかったし
ただね
親子丼がちょいと甘すぎたなぁ
タレがもう少し辛めでもいいように思うけど
諏訪屋には一時行かなかった
というのは
あるとき食べたらものすごく味が落ちていた
数年行かなかった
それがあるとき他に行くところがなくて
しょうがないからと久々に入った
そしたら味が完全に変わっていた
それから時折行くようになった
客の数も
味が落ちたときはかなり減っていたけど
今日あたりは行列とまではいかないが
駐車場が満杯ないなるほどの入りだった
それだけ客足も近くなったということなんだろう
これが続くように願っている
昼時になったので
というよりも昼時になるように出かけた
ヒルズウォークで買い物
旅行用にデジカメのメモリのでかいのを買った
そんなことをしていたので
諏訪屋に着いたのは12時少し前
案の定混んでたなぁ。。。
でもそんなに待たずに席に
ランチセット
親子丼とぞばのセット
先日新横浜で食べた蕎麦よりも
安くて美味しかったよ
何しろ蕎麦はそれなりに冷たかったし
ただね
親子丼がちょいと甘すぎたなぁ
タレがもう少し辛めでもいいように思うけど
諏訪屋には一時行かなかった
というのは
あるとき食べたらものすごく味が落ちていた
数年行かなかった
それがあるとき他に行くところがなくて
しょうがないからと久々に入った
そしたら味が完全に変わっていた
それから時折行くようになった
客の数も
味が落ちたときはかなり減っていたけど
今日あたりは行列とまではいかないが
駐車場が満杯ないなるほどの入りだった
それだけ客足も近くなったということなんだろう
これが続くように願っている
タグ :昼飯
2015年06月20日
法律などの「改正」ってなんだ?
昨日6月19日に「労働者派遣法改正案」が衆議院で可決になった。なんでも派遣労働者の権利を守るものとか言っているが・・・・
私は、かなり以前から「改正」という言葉に疑問を持っているのだ。「改正」とは、文字通りに行けば”改めて正しく”ということなのだが、本当に”正しい”のだろうかと。
今回の労働者派遣法改正案にしても働く側からはかなり反対論が出ている。つまりは働く側からは「正しい」のではなく「悪く」なると思われているのだ。ということは本当にtだし氏と言えるかどうか疑問ということと私は思う。
昔は「改正」という言葉ではなく「改定」ではなかったと思うのだが。
もともと「改正」改定」という2つの言葉が存在している。これは十分に承知している。「改正」は、元ものに不備があるときにそれを修正したもの、「改定」は元のものの性悪は別としてとにかく内容を改めるもの。ここには似てはいるものの結構違いがあるように思う。
マスコミなどでは法律が改まる場合、できることならば中立性を考えて「改定」というべきなのではないのか?ただ、政府や与党としては主張の正当性を言うために「改正」と言いたいのだろうが、受け取る立場から行けば「改正」とは言い切れないものも多いと思う。
目下、「安保法制」の「改正」と言われるものが論議されているが、人が戦うことに向けての法改正は本当に「改正」なのだろうか?憲法の解釈も、私から見れば”捻じ曲げて”の改めるのは「改正」ではなく「改悪」と思う。これをマスコミも「改正」「改正」と書けば、受け取る側は「正しくなる」と思わななくてはならないのではとさえ思う。
労働者派遣法は、戦争に比べて命に関わる度合いは少ないと思うのだが、”集団的自衛権」は戦争をこうているものであり、命に関わる度合いがものすごく大きくなる。人の命の、特に死ぬ確率が大きくなるものを「改正」と表現するのはいかがものかと私は思う。
とにかく、自営であろうとなんであろうと、人が人と戦い殺し合うなんてことは絶亭に「正しい」とは言えないと私は思っているのだ。太平洋戦争で肉親を亡くし、70数年をその肉親を亡くしたことの副作用的な人生を送らねばならなかった一人の人間として、同じ思いを子供や孫に背負わせたくはない。何につけ戦うことに向かうことには、反対の気持ちを表現しておきたいのだ。
昨日、ある党の国会議員から手紙がきた。「安保法制をよろしく」というパンフレットが入っていた。私は、即刻破り捨てた。次回の選挙で、この議員が落ちることを祈るばかりだ。
数の力は恐ろしい。
私は、かなり以前から「改正」という言葉に疑問を持っているのだ。「改正」とは、文字通りに行けば”改めて正しく”ということなのだが、本当に”正しい”のだろうかと。
今回の労働者派遣法改正案にしても働く側からはかなり反対論が出ている。つまりは働く側からは「正しい」のではなく「悪く」なると思われているのだ。ということは本当にtだし氏と言えるかどうか疑問ということと私は思う。
昔は「改正」という言葉ではなく「改定」ではなかったと思うのだが。
もともと「改正」改定」という2つの言葉が存在している。これは十分に承知している。「改正」は、元ものに不備があるときにそれを修正したもの、「改定」は元のものの性悪は別としてとにかく内容を改めるもの。ここには似てはいるものの結構違いがあるように思う。
マスコミなどでは法律が改まる場合、できることならば中立性を考えて「改定」というべきなのではないのか?ただ、政府や与党としては主張の正当性を言うために「改正」と言いたいのだろうが、受け取る立場から行けば「改正」とは言い切れないものも多いと思う。
目下、「安保法制」の「改正」と言われるものが論議されているが、人が戦うことに向けての法改正は本当に「改正」なのだろうか?憲法の解釈も、私から見れば”捻じ曲げて”の改めるのは「改正」ではなく「改悪」と思う。これをマスコミも「改正」「改正」と書けば、受け取る側は「正しくなる」と思わななくてはならないのではとさえ思う。
労働者派遣法は、戦争に比べて命に関わる度合いは少ないと思うのだが、”集団的自衛権」は戦争をこうているものであり、命に関わる度合いがものすごく大きくなる。人の命の、特に死ぬ確率が大きくなるものを「改正」と表現するのはいかがものかと私は思う。
とにかく、自営であろうとなんであろうと、人が人と戦い殺し合うなんてことは絶亭に「正しい」とは言えないと私は思っているのだ。太平洋戦争で肉親を亡くし、70数年をその肉親を亡くしたことの副作用的な人生を送らねばならなかった一人の人間として、同じ思いを子供や孫に背負わせたくはない。何につけ戦うことに向かうことには、反対の気持ちを表現しておきたいのだ。
昨日、ある党の国会議員から手紙がきた。「安保法制をよろしく」というパンフレットが入っていた。私は、即刻破り捨てた。次回の選挙で、この議員が落ちることを祈るばかりだ。
数の力は恐ろしい。
タグ :改正と改定