2017年06月16日

久しぶりのナタリー

 今日3月16日の昼下がり、NHKのBSで映画をやっていた。なんとなんと「草原の輝き」なのだ。
 この映画、私が高校3年の時にロードショーになった。何回見たかなぁ。。。
 あの年(昭和36年)の秋は色々な映画に出会った。大学受験を控えてよくもなぁそんなに映画を見ていたなんて、だから落っこちたんだよなぁ。
 記憶に残る映画は、この「草原の輝き」の他には同じナタリー・ウッドの「WestSide Story
」そして「ベン・ハー」と私の人生に欠かすことのできない3作。

  「草原の輝き」は、ナタリーとの出会いだったけど、その他に”ワーズ・ワース」との出会いでもあった。映画の中で、特に最後のシーンで病院から出て昔のコイビチに友人たちと会いにいった帰りに車の中でみんなで唱和するのが”ワーズ・ワース」の「草原の輝き」なのだ。
 英語の題名は”Splendor In grass"で、これが映画の原題にもなっている。

 左の画像は、その映画「草原の輝き」の中での彼女が昔の恋人(ウォーレン・ビーティー)に会いにいった時の衣装のもので、かがきを表現していたのかなぁ?

 この映画を見て”ワーズ・ワース”に接してから大学を卒業するまでの5年間の間に、たくさんの英語の文章、師に出会ったけどこの氏が一番長く記憶に残っていたと思うし、大学卒業間際の秋に真似て英語の詩も書いいたことあったよなぁ。。本当は、その師に絵をつけたかったけど、美大生でありながら絵が描けないというなんとも不思議な人間なので、ついぞ実現することはなかった。
What though the radiance
which was once so bright
Be now for ever taken from my sight,
Though nothing can bring back the hour
Of splendour in the grass,
of glory in the flower,
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind;
In the primal sympathy
Which having been must ever be;
In the soothing thoughts that spring
Out of human suffering;
In the faith that looks through death,
In years that bring the philosophic mind.

 これが、元になったワーズ・ワースの詩で、14行のソネットです。今となっては、そんな詩の意味も忘れかけているし、作る英語力ももう全くなくなっているから、絵付きの英語のソネットなんて無理、無理、無理ですねぇ。。。

 ナタリーは、一昨日だったかBSの映画「グレートレース」でもトニー・カーチスとの共演もあったけど、あまりたくさんお映画には出なかったのかな?最も私は就職してから映画を見ることがほとんどなかったので、わからないけど。。。
 ナタリー・ウッドは、事故で死んだ。噂では事故ではなく、殺されたとも言われている。やったのは、旦那だった”ロバート・ワグナー”という話もあったけどねぇ。その死ぬ前に撮った最後の映画が「ブレイン・ストーム」だったと思う。あの映画のどこだったっけかな?「For Natalie」と書かれていたと思う。いい俳優さんだったけど、早くなくなって惜しい気がのこ凝ってます。

 あぁ。このテレビの今回の放映は、最初の方見てたけど、なぜか睡魔に襲われて2時間はくらい寝てた。なのでほとんど見てませんが、録画しっかりとしてます。あとでじっくり見ます。ということでこの記事は、すべて記憶で書いてますので、間違っていることも多いかも。  

Posted by 生田 at 15:51Comments(0)TrackBack(0)思い出話

2017年06月15日

4泊5日 石垣島の旅 最終日 8 首里城 最終

 前回で主目的の首里城の見学を終えました。これからはもどり道です。また下まで降りねばなりません。そして最後はゆいレールの駅まで上り坂になるんです。杖を持って来て正解でしたねぇ。。。

 出口を出て、帰りの順路に従って出たところで多分北の方角になると思うのですが、下のような画像の景色が広がっています。


 眼下に見えているのは、沖縄県立芸術大学の校舎です。むかしむかしのおのあたりはこんなに貼ってものが密集していなかっただろうと思うのですが、そんな頃はものすごく見晴らしのいいところだ他のだろうと想像しました。

 この辺りから右(東)に向かって行きます。他の道でもいいのですが、奥に何かありそうだと思っただけのことです。多くの観光客はこの道は選んでいないようで、こちらに向かう人はチラホラでした。でも、歩くのは長いけど坂は急でないです。


 城壁に沿って坂を下って行くとその先に目下整備中の庭園がありました。(上の画像)。ただの庭園かと思ったのですが、右手奥の方に何か面白いものがありそうな予感です。庭園自体はなんもないですが、城壁の下に・・・・
 城壁の突き当たりの右手に左の画像のようなものを見つけました。一見遠くから見たときは牢獄かと思ったのですが、近くに来て立ち入り禁止は最近のもので、決して牢獄の子鉄格子ではないのです。

 実はここは「ガマ遺構」というもので、”ガマ”は沖縄の言葉で”洞窟”のことだそうです。つまりはこの城壁の下に洞窟があるということなのですが、多分に危険なのでしょうか?中には入ることは禁じらているということです。
 ”ガマ行こう”とネット調べたら戦争中は防空壕として使用していたらしく、沖縄中にたくさんあるとのことです。私の記憶の中に映画”ひめゆりの塔”の女子学生たちが潜んでいたのがそれなのかぁといったことです。



 振り返ったら上の画像のように、首里城正殿の横にいたのですねぇ。毛っこい鵜の高さの上にあったのだと。。。。。

 さて、もう守るものはないと思って、引き返して行きます。だんだん坂を下りますが、方向は西を向いているようです。下の画像のような景色が目に入って来ました。


 画像では判断が難しいですが、遥か彼方に海が見えているはずです。ひょっとしたら、この首里城の正殿からは、昔々はいくつかの方向に海が見えたのかもしれませんね。那覇の中でのそんな高いところに首里城はありました。

 さて、これから坂を下って、首里城を後にします。

  

Posted by 生田 at 21:22Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2017年06月14日

4泊5日 石垣島の旅 最終日 7 首里城 6

 お菓子を昼飯が割りとは情けないけど、首里城の中には他に食べるものもなく、首里城を出てどこかで食べるものを探すことになるのかなぁ。。。

 首里城の菓子を食べたところは、「鎖之間」というらしい。なんで鎖なのかはわかりませんが。。。ここを出て、回廊を進みます。
 
 アァ、今更なんですが、私が「本丸」といっていたものは正式には「首里城正殿」というのだそうです。これまでの記事の修正をするのが面倒なんで、この記事で全文の訂正とさせてください。御免なさい。

 回廊を進むと、別なってものがあり、そこにも庭がありますが、これを「奥庭園」というのだとか。この庭園はもう城壁に近くて街を見渡すこともできますが、何中に入って方向側kらなくなっているので東西南北どっちを見ているのやら。。。(方向音痴ではないはずなのに、アメリカ絵行った時の時差ボケ並みの方向感覚が狂ってます。)


 上のような画像の景色が見えます。また少し行くと左の画像のような景色になるのですが、この画像の左下にちらっと写っているますが、この奥庭園の解説です。
 結構いろいろ手入れをしているようですが、解説には昔の増援状態を示す写真入りで現在とは違うような印象を持ちましたが。。。

 どうもここの画像に写っている方向は、地図で見る限り東の方向のようです。昔は、この状態で海まで見渡せたのかもしれませんね。

 さて、ここからまた回廊を回って正殿に入りました。


 上の画像が玉座です。この右側から入って来たのですが、正面に回って、玉座というものがあること自体、わたhシアg知る日本の城とはかなり違うなぁということと、テレビの中国の歴史ドラマで見る中国の王朝の簡易版という印象も持ちました。まぁそれが正解なのかどうかは見る人によると思います。とにかく一般的な日本の文化よりも中国文化に近いのは致し方ないのでしょう。なにせ東京よりも上海の方がはるかに近いんですから。

 この玉座の左だったかに右の画像の王冠が展示されていました。これに関しては、ん???といった感じで、中国の皇帝のかぶる冠とは違うかな?といって大和文化にはないなぁ(と思うけど)

 本当はもっと描かなければいけないのですが、何せ2ヶ月も前の話で(これを書いている日14日はちょうど2ヶ月後の日なんです)頭の中に残っているものが少なすぎて。。。写真を見ても思い出せなかったり、年はとりたくないものです。

 これで正殿を見終わったわけで出口に行きますが、途中でトイレにとりました。左の画像が、そのトイレの洗面ですがなんとちょいと凝った彫り物の蛇口です。龍ではなさそうですが、獅子のようなので、ひょっとしたらシーサーかなぁ?
 今ネットで”シーサー”を調べたらWikiに「シーサーは獅子の沖縄での発音」だとか。ということはやっぱり獅子なのだろう。

 この後出口ですが、出口は売店を通過しなければなりません。結構広い場所でいろんなもの売ってましたが、なんも買いませんでした。もう空港までは買い物しない、最後の最後に空港で買おうということにしているからですが。。。(お腹すいたヨォ)  

Posted by 生田 at 21:08Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2017年06月12日

4泊5日 石垣島の旅 最終日 6 首里城 5

 石垣島、沖縄本島の露光から帰ってもうじき2ヶ月になります。頭の中からだんだん記憶がなくなっていきます。なので本当はもっと早く書かねばならないのに、な坂キーボードを押す速度が遅くなり、いやキーを叩くことすらしない日が多くなってしまっています。ということで、なかなか完結しないのですが、その点はご容赦いただいて、できる範囲で書いていきます。

 民族舞踊をたっぷり堪能して、やっと本丸に入ります。本丸といっても天守閣があるのではなく、なんとなく回り廊下に囲まれたお屋敷という雰囲気です。お屋敷といっても、これもかなり文化の違いが感じられます。


 関所を通って中に入りました。思ったよりも広くはないですが、なんとなく部分的に金沢城を思い浮かべてしまいました。といっても金沢城は白く解放されているが、こちらはエンジ(?)色だし、周囲を囲んでいるので思い浮かべた私がどうかしているようです。
 小さい画像ではわかりづらいので部分的に拡大した、日本の城郭でいうシャチホコの部分ですが、左の画像のようにシャチの代わりに龍が城をかじっています。思ったことは、地域によって屋根に乗る動物が変わる、その理由、いわれはやはり勉強しておかねばいかんかったのかなと。
 どうも、東南アジアや中国での国王や皇帝の象徴として龍が用いられているけど、その文化の流れなのだろうと思うが、では日本のいわゆる方んまるのシャチはどんな文化なのだろ?(調べハイスレ自分なりにしておかねば)

 
 上の全体の画像の正面がいわゆる本丸にあたるところですが、残念ながらこの日は修理中で覆いがかかってました。それを見ながら右手の回廊の入り口から見学をしていきます。中は写真を撮っても良かったはずですが、中にはダメというところもあったような。それよりもあまり撮ってもしょうがないような風景と思ったので撮ることを避けています。
 回廊を順路の案内に従って歩いていたら、庭園を見ながらお菓子を食べられるというサービスがあるとことがわかり、もうお昼を回っていて多少お腹も空いているし、沖縄の王宮のお菓子という斧を食べて見るかなんて気持ちで、ちおと待ち時間が長いというのもかまわずに順番待ちをしました。
 それにしても、待ち時間は長かったなぁ。。。。30分は待ったと思います。でもね、待った甲斐はあったかなぁ。。。

 右の画像の奥に見えるところが待合の場所で、その壁の向こうがお菓子を食べるところらしい。私たちはその待合の部屋を見て待つことになってました。
 右の画像にちょいとおじさんが写ってますが、この人がこの庭園のお世話を冴えているようです。たまたまこの時は植木に水をやっているところ大たのです。お昼なのにねぇ。。。

 30分くらい待ってやっとお菓子を食べるところに案内されました。畳の上に座卓がずらりの並んでます。そこに座っているのは、えっ??にほんじんよりもがいこくじんのほうがおおいよ・・・それも台湾からの旅行者らしい一団が10人くらい陣取ってたかなぁ。なんかワイワイやってました。
 おなしのオーダーを聞きに来て、その漢字を話す一団に歌詞の説明をするのに中居さんというか係の女性が漢字を話すことができないのか、たまたま一段に英語を話し人がいてので英語で説明してました。この様子をじっと見ていたら、その間味を話しをする女性に「何よ」って顔で睨みつけられました。恐ろしい。。。。

 オーダーを聞くのが私たちの番になった。同じ女性がオーダーを聞くのだけど、わたh氏は金尾助¥が喋り始める前に「ここは日本語で結構ですよ」っていうと、近くの日本人の数人とその女性が一同に笑ったものです。彼女はホッとしたような。。。。

 お菓子が出て来ました。画像が小さいのでわからないかと思いますが、いろいろ、4種類だったかな?結構な味でしたし、お茶(さんぴん茶というものですが、一般兄はジャスミン茶と言われている)でこれも結構いい味でしたね。(詳しいことはこちらをお読みください)


 さて、食べ終えたのですが、実は横にアメリカの女性の親子がいました。ちょっと挨拶を交わしたのですが、彼女らとまた後で顔を合わせたのですが、別れ際に「Have a nice trip」なんていったらすごくいい笑顔を返してくれました。

 あぁ・・・・これがこの時は昼ごはんになるのかと思ったくらい。食べ終えたのが1時近かったから。さて、これからまた回廊を回って、本丸の中に入ります。  

Posted by 生田 at 22:28Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2017年06月09日

4泊5日 石垣島の旅 最終日 5 首里城 4

 前の回で、「入城券を買って入城です」と書いたものの、確かにそのつもりでこの広場=正式には下之御庭に来たのだけど、来てわかったこと。ここで沖縄の民族舞踊を見ることができ、しかももう少し待てばそれが始まるということで、疲れた足を休めることもできるからと民族舞踊をみつことにした。


 結構長い時間舞踊を見ることができました。上の画像は、最初の踊りです。

 民族舞踊といえば、石垣島の初日の夜、先輩のお招きに預かったお食事どころ「舟蔵の里」で目の前で見ることができたのだが、あれは多分に民衆の踊りなのだと思う。しかし、今見ているのは民衆というよりも王朝に向けたものではないか?と思うのだ。衣装などもそれなりにかっけうカラフルで、踊りも重かったなぁ。でも、ものすごくうまかった。

 この一連の踊りは、椅子席で前から3列目くらいで座って見てたのだが、始まると後ろからどんどん立ち席の人が前に出てくる。右の写真は前の席の人の頭と、右に立ち席の人の頭だけど、そのショットの後でとんでもない女性が前に来て、立ったままになったのだ。周りはどう見ても外国人という感じが多い、欧米系はなんとか区別がつくけれど味アジア系特に中フォク系は区別がつきにくいが、なんとか言葉で区別できるかと思うが、この女性分からない。とにかくそんなこと考えてもいなかったが、私の口から即出た言葉がなんと「Sit Down」と英語が・・・・・自分でも驚いたが、前の女性も驚いたのか、即座ったよ。。。通じたのだ。
 
 それからはもう前に押し寄せる人も出てこれないから落ち着いて楽しむことができたのだ。その一部を画像として並べておこう。



この男踊りは、多分に江戸時代の江戸幕府統治下に入り込んだ文化のものだろうと思う。立っ少私の知る日本舞踊とは違うかなとおも思ったけど、踊る人が何せうまいあわぁ。


 これらは、石垣島で見た民衆のおどろの流れだろうともう、最もvほいと遠くkんアジるけどな。石垣島は本当に身近に感じる踊りだった。


 これが、この日の踊りのオールスターキャストです。

 最後全員が引き上げた後の拍手はそれはそれは大変なもので、見ていたからのほとんどが感嘆したのではないかとお思いますね。

 さて、ありも休めたので、今度こそ入城です。  

Posted by 生田 at 21:47Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2017年06月07日

4泊5日 石垣島の旅 最終日 4 首里城 3

 一旦キツイ階段を上がったものの守礼門には元の道の方から行こうとまたえっちら降りた。そしてまさ緩やかだけど坂を登っていくと、おやまぁその先に守礼門が見えるではないか。(途中右にかなり急な階段があって堀の方に入りていけるみたい)
 

 実は、これは正式な場内への入り方ではなくこのまま歩いていくと城から出てしまうということで、反対側からの入場をしたことのようです。守礼門をくぐると下り坂でそちらが正式な入り口で、総合案内所やバスの駐車場などがあります。博物館跡地からこちらに話待った方が近道だったようだと、後になってわかったんですが・・・・

 とりあえず一度守礼門をくぐって坂を下り総合案内所に向かいました。そしてなんか資料はないかと思ったんですが、配置図くらいだったかなぁ。わた人おな味入場の仕方をした人は、まぁ行く必要もないかなぁって思ったものです。
 また外に出て坂を登り守礼門に向かいます。


 上の画像が守礼門の正面ということになるのかな?これを通り抜けて坂を登って行くと、道が左右に分かれます。左は来た道で、右が場内に進む道です。当然右に道をとって進みます。
 このさきに交差点、ここでその道を行くかで首里城本丸(?)に入り道が変わりますが、私たちは左に折れて木曳門に向かいます。これが首里城本丸に入るためのチケット乳母へに一番の近道ではないかな?
 
 少しずつ坂を登ります。そして下の画像の木曳門に着きます。


 この小さいもんは、攻めるときにはものすごいネックになるでしょうねぇ。一気に押し寄せてもここで通せんぼで攻める側が渋滞したところで上からやでも、鉄砲でも打たれたらひとたまりもないですが・・・・それにしても本土の城の作りとはかなり違いますね。


 門の先には上の画像のような景色が展開されます。中脳の左にテント見たいmなものが写ってますが、その奥がチケット売り場です。 当然、ここでチケットを買ってそして入場です。  

Posted by 生田 at 16:52Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2017年06月04日

4泊5日 石垣島の旅 最終日 3 首里城 2

 沖縄県立芸大の前を通り過ぎ、右手に堀を眺めながら直進すると、右に折れて上り坂になる。これでだんだん首里城の中に入っていくという実感。それにしても城自体はかなり高いところに尽くされている。まぁ、本州などの城に比べると石垣の組み方や城自体にも全く異なったぶんんかであることは一目瞭然で、石垣というか城壁というか、それはなんとなく欧州のものを感じさせるかなぁ。といって、私は欧州の城って映像以外に見たことないんだよなぁ。(欧州に入ったことない、フランスには一度行って見たかったが・・・)

 左上の画像は、首里城で最初に出会った入場門だけど、2000円札に使ってあるあの門(守礼の門)とは違うよ。かなり高いところまで階段を登らないと行き着けない門で、これは守りのためのもんなんだろうなぁ。
 琉球王朝が戦争をしたのかどうかは知らないが、ここに攻め込んでもかなり攻め落とすのは難しいように思うなぁ。今なら上から落としてしまうだ絵追うけど、昔は下から攻め込むしかないかならなぁ。本来の城は太平洋戦争の末期に破壊されてしまったのだが、この擁壁は昔のままなんだろうと思う。
 それにしても、この高さは、この日の私にはかなりきついものがあったよなぁ。。。

 左を見ると下の画像のように、こちらも緩やかだけど長い上り坂で、その上に高い城壁が気づかれています。城本体(本州の城でいう本丸)はこの画像の一番右の右手奥にあります。



 坂を登っていくと、門から高校生くらいの集団がどんどん降りてくる。どこから湧いてくるのだ?修学旅行かと思うけど、観光バスなんて見てないから、違うところに駐車場でもあるのだろう。
 と、ここで私は何を思ったのか、この門に足にキツイことはわかっていても階段を登って門の中まで登ってしまったのだ。そして、そこが多くの人の帰り道だともわかったのだが、行ったのりたもののここはやはり入り口ではなく出口、もっとも入ってもいいけど守礼の門から入るにはここではなく一旦下りて別の入り口からの方が良さそうです。ということで、無謀にも修学旅行のガキどもに紛れて下りました。ほんとおバカだと思う。(杖持って行って正解でしたよ)

 そして、元のところに降りたところから、また少し坂を登って、したの画像の入り口から場内に入りました。

 
   

Posted by 生田 at 17:42Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2017年06月03日

4泊5日 石垣島の旅 最終日 2 首里城 1

 ゆいレールの終点・首里駅で降りて首里城を左手に見ながら坂をどんどん降りていく、結構降りるんだよな。これは帰りがきついということでもある、ちょいとこの日はきつかった。。

 博物館という案内に従って進んでいるが、それらしき建物はどこにも見当たらない。なんか変化予感がしたんだけど、まさか案内が間違っているわけではないよなぁ」ななんて思いながら。
 信号交差点で北側に移動した。こちら側にしかないだろうという勝手な判断で。歩道をさらに西に進んでいくと、なんかだだっ広い空き地がある、そかも周りには石垣が組まれているのだ。これが何かの古い施設の残りでここに博物館があってもいいと思ったのだが。。。

 その石垣に沿って歩いていると「国王頌徳碑」と書かれた標識を見つけた。どうもここにその「国王頌徳碑」というものがあったのだが、戦争で破壊されてしまったものの一部が歴史博物館に残されているというのだが、その歴史博物館は2006年に現在地(前日通ったところ)に移転したので、今はこの場所は跡地になっている。つまりは道路の案内板は、一部嘘だよなぁ。「跡地」の文字を入れておいてくれないとなぁ。でも、そのおかげでこんな画像のものに出会って知識を持つことにもなたので、まぁいいか。。。。。
 左の画像は、復刻された記念碑だそうですが、写真では何が書いてあるおやらわかりませんね。首里城にお行きになった際に、お時間がありましたら是非お立ち寄りください。


 さて、博物館がないことがわかったので、本来の目的「首里城」に行かねばならないのだが、どうにも入口がわからない、たぶんに通り越してきているからだろうと思うのだが、道路の案内は見当たらないので、通りかかったご婦人にちょいとお尋ねした。お教えによると道路反対側に堀(多分城の堀)があるのでそれに沿って、もと来た道を少し戻ってコンビニ?だかで右折していくと入り口に向かうとのこと。(後でわかったことだけど、ちょいと遠回りだったみたい、でもおかげで新たなものに出会ったし。。。)

 言われた通りに信号で道路反対側の歩道に移動して、元来た道を坂を少し登っていく。言われた通りに右折するところに下の画像のようなちょっとした広場あった。これは「沖縄県立芸術大学」なのだそうだ。昔は”芸術大学”といえば、国公立では芸大、京都美大、金沢工芸大、京都工業繊維大、私立では武蔵美、多摩美、女子美、日大芸術学部とうとう、そんな門だったが、今では全国に芸大といわれるものが多数ある。その中の一つなんだろうが。。。


 ここを右折すると、首里城が遠くのかなり上の方に見えたのだ。うぇあそこまで登るんかいなぁ。。。。。


 画像の右手が「沖縄県立芸大」の門で、その先遠くの上に首里城です。
  

Posted by 生田 at 16:58Comments(0)TrackBack(0)旅行など

2017年06月01日

久しぶりに庭の花を


庭に咲く花
ほとんど名前を知らない
知ろうとしないからだけど
でも
綺麗なものは見るのが好き


これは名前はわかる
黒檀の花
花の名は知らないけど
この木を買ったのは40年くらい前
娘の誕生を記念して
買うとき言われた
「大きく育つと娘さんの嫁入りの箪笥ができるかも」
嘘だよなぁ
こんな細い木でおもちゃの箪笥もできないだろう



これはひょっとして
ツユクサ?



  

Posted by 生田 at 09:55Comments(0)TrackBack(0)庭の花など
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
上田城内
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生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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