2009年07月02日
五木寛之 親鸞 やはり名前が善信に・・
五木寛之氏の小説・親鸞
7月2日分で 「新しい名前をいただき・・」という記述になった。やはり予想とおりに「善信」を「綽空」後の名前にするのだろう。
どうも新宗教団の中にも、五木氏の親鸞像には疑問もあるようだ。確かに公文書には姿を見せない親鸞なので、書きたいように書けばいいのだが、これまで言われてきた逸話を完全に無視している部分も多くあるし、どこにも書かれていない幼名を用いるなど、困ったものだということだ。
特に、奥さんとしての「玉日」というキーワードが全く出てこないのは、一番の問題。それに加えて九条兼実も一度も顔を出していないように思う。法然門下に名を連ねているのだから、法然の絶対的な支持者である兼実が登場しないのも何となく釈然としない。
特に、妻帯に際しては兼実が絡んでいるのではないかと取りざたされているのだが、そういったことは無関係なようだ。何となく五木氏は権力から親鸞を遠ざけようとしているのではないかとすら思える。
生まれが貧乏貴族。とはいえ、ストーリーのように子供の頃日野にいたら、それら貧乏貴族だったかどうか。あの日野の法界寺は信長の焼き討ちに会うまではそれなりの規模があったと聞いている。
歴史上の人物を書くときの、時代考証などの難しさがあるだろうが、チョットなぁ。。。。。
現実にゆかりの地を歩くといろんな事に気づくと思うけど。もっtもそのゆかりの地を記述している書物を無視すると違った解釈にはなるけどねぇ。
7月2日分で 「新しい名前をいただき・・」という記述になった。やはり予想とおりに「善信」を「綽空」後の名前にするのだろう。
どうも新宗教団の中にも、五木氏の親鸞像には疑問もあるようだ。確かに公文書には姿を見せない親鸞なので、書きたいように書けばいいのだが、これまで言われてきた逸話を完全に無視している部分も多くあるし、どこにも書かれていない幼名を用いるなど、困ったものだということだ。
特に、奥さんとしての「玉日」というキーワードが全く出てこないのは、一番の問題。それに加えて九条兼実も一度も顔を出していないように思う。法然門下に名を連ねているのだから、法然の絶対的な支持者である兼実が登場しないのも何となく釈然としない。
特に、妻帯に際しては兼実が絡んでいるのではないかと取りざたされているのだが、そういったことは無関係なようだ。何となく五木氏は権力から親鸞を遠ざけようとしているのではないかとすら思える。
生まれが貧乏貴族。とはいえ、ストーリーのように子供の頃日野にいたら、それら貧乏貴族だったかどうか。あの日野の法界寺は信長の焼き討ちに会うまではそれなりの規模があったと聞いている。
歴史上の人物を書くときの、時代考証などの難しさがあるだろうが、チョットなぁ。。。。。
現実にゆかりの地を歩くといろんな事に気づくと思うけど。もっtもそのゆかりの地を記述している書物を無視すると違った解釈にはなるけどねぇ。