2008年02月02日
死刑問題と小説と映画
みりんさんの「死刑廃止論者」を読んで、頭の中に浮かんだことを書くことに。
**珍しくチェックで読み返してみたら、ものすごい長文**
先日新聞で読んだことの中に、「帝銀事件」の平沢死刑囚のことがあった。彼は脳に異常があり虚言癖があったので、犯人とするには無理があるというような内容だった。
平沢死刑囚は、結局は処刑されることなく、この世を去ったが、なぜ処刑されなかったのかということが時折話題にもなる。「冤罪」という可能性が最後の最後まで捨て切れなかったということが大きいと見える。だから歴代の法務大臣は署名をしなかったとも。
そんな現実の問題も頭の中につい最近入れたばかりだが、過去に読んだ小説や見た映画の中に「冤罪」を扱ったものの記憶がよみがえってきた。
小説では、ミステリー作家島田荘司の「涙流るるままに」という小説がある。確か恩田事件(たぶん免田事件を扱った?)だったかとおもうが、冤罪事件がそこに流るるミステリーである。作者独特の長い長い話で、読むのにも疲れるが、テーマがテーマだけにその内容を読むにつけ重くて肩がこった。
たまたま、この話をネット検索したら2チャンで作家このことをこき下ろす話の中にいくつか書かれていた。作家は社会派作家?だと。
この小説で彼は何が言いたかったのか?ちょっと図りかねた。主人公がその冤罪を晴らすために活躍しているのだが、そこには『死刑廃止』を論ずることだったのだろうかと。冤罪を晴らすということで死刑を免れようとするところが、ひいては『死刑廃止』を論じたことになるのかもしれないが。
余談だが、彼・島田荘司は『社会派』作家となった理由がなんとなく書かれていたが、彼の学生生活を書いた人はいなかったように思う。彼は、東大紛争前後の学生運動のさなか、大学封鎖という問題の中に生きたはずなのだ。しかも、反骨精神の非常に強かった大学での生活だった。たぶんにそんなことも『涙流るるまま』の主人公の刑事の反骨精神に生きているのかとも思う。
さて、映画での冤罪で思い出すのは、数年前に上映されていた『ダンサーインザダーク』だ。
主人公が目が見えなくなったばかりに起きた冤罪事件。それを最後まで解決することなく、処刑シーンまで入っていたストーリー。見終わった後の後味の悪さを今も覚えている。
なぜ、主人公は自分の無罪をもっと主張することができなかったのか。周りの関係者の中に、誰一人として、その冤罪を晴らそうとする人間がいなかったのか。
裁判というものは、そういうものだといいたいがための映画だったようにも思えて、杓子定規の最近の判決を知るにつけ、裁判官の人間性がとにかく大きな問題になるようにも思える。
来年だったか、国民の裁判員制度が始まる。多くの外国の陪審員制度とはことなり、刑量まで踏み込んだ判断を求められるという。こういう制度になったとき、『死刑』という刑量はどうなるのだろう。詳しく知らないので、死刑判断のレベルは裁判員制度ではしないのかもしれないが・・・
昔ヘンリー・フォンだが主演した『12人の怒れる男』だったかな、陪審員の審決までの流れがストーリーの映画があった。これも記憶に残っている映画だが、こうした一人の人がいればこそ、しかしそれが正しい判断だったのか? 難しい問題が始まることにもなる。
私は、できることならば、公的に人を判断する立場にはもう立ちたくないように思う。一時、人の評価をしなければいけない立場にあったが、その評価、たった一人の評価が、評価された人の人生を狂わせることすらあるという現実を見て、恐ろしくなった。その職を辞したときには、本当にほっとしたものだ。
裁判官は、どういう気持ちで人を裁いているのだろう??
**珍しくチェックで読み返してみたら、ものすごい長文**
先日新聞で読んだことの中に、「帝銀事件」の平沢死刑囚のことがあった。彼は脳に異常があり虚言癖があったので、犯人とするには無理があるというような内容だった。
平沢死刑囚は、結局は処刑されることなく、この世を去ったが、なぜ処刑されなかったのかということが時折話題にもなる。「冤罪」という可能性が最後の最後まで捨て切れなかったということが大きいと見える。だから歴代の法務大臣は署名をしなかったとも。
そんな現実の問題も頭の中につい最近入れたばかりだが、過去に読んだ小説や見た映画の中に「冤罪」を扱ったものの記憶がよみがえってきた。
小説では、ミステリー作家島田荘司の「涙流るるままに」という小説がある。確か恩田事件(たぶん免田事件を扱った?)だったかとおもうが、冤罪事件がそこに流るるミステリーである。作者独特の長い長い話で、読むのにも疲れるが、テーマがテーマだけにその内容を読むにつけ重くて肩がこった。
たまたま、この話をネット検索したら2チャンで作家このことをこき下ろす話の中にいくつか書かれていた。作家は社会派作家?だと。
この小説で彼は何が言いたかったのか?ちょっと図りかねた。主人公がその冤罪を晴らすために活躍しているのだが、そこには『死刑廃止』を論ずることだったのだろうかと。冤罪を晴らすということで死刑を免れようとするところが、ひいては『死刑廃止』を論じたことになるのかもしれないが。
余談だが、彼・島田荘司は『社会派』作家となった理由がなんとなく書かれていたが、彼の学生生活を書いた人はいなかったように思う。彼は、東大紛争前後の学生運動のさなか、大学封鎖という問題の中に生きたはずなのだ。しかも、反骨精神の非常に強かった大学での生活だった。たぶんにそんなことも『涙流るるまま』の主人公の刑事の反骨精神に生きているのかとも思う。
さて、映画での冤罪で思い出すのは、数年前に上映されていた『ダンサーインザダーク』だ。
主人公が目が見えなくなったばかりに起きた冤罪事件。それを最後まで解決することなく、処刑シーンまで入っていたストーリー。見終わった後の後味の悪さを今も覚えている。
なぜ、主人公は自分の無罪をもっと主張することができなかったのか。周りの関係者の中に、誰一人として、その冤罪を晴らそうとする人間がいなかったのか。
裁判というものは、そういうものだといいたいがための映画だったようにも思えて、杓子定規の最近の判決を知るにつけ、裁判官の人間性がとにかく大きな問題になるようにも思える。
来年だったか、国民の裁判員制度が始まる。多くの外国の陪審員制度とはことなり、刑量まで踏み込んだ判断を求められるという。こういう制度になったとき、『死刑』という刑量はどうなるのだろう。詳しく知らないので、死刑判断のレベルは裁判員制度ではしないのかもしれないが・・・
昔ヘンリー・フォンだが主演した『12人の怒れる男』だったかな、陪審員の審決までの流れがストーリーの映画があった。これも記憶に残っている映画だが、こうした一人の人がいればこそ、しかしそれが正しい判断だったのか? 難しい問題が始まることにもなる。
私は、できることならば、公的に人を判断する立場にはもう立ちたくないように思う。一時、人の評価をしなければいけない立場にあったが、その評価、たった一人の評価が、評価された人の人生を狂わせることすらあるという現実を見て、恐ろしくなった。その職を辞したときには、本当にほっとしたものだ。
裁判官は、どういう気持ちで人を裁いているのだろう??
2008年02月02日
お嫁に行きました
愛車を次に乗られる方に引き渡しました。
お約束の時間まで少し時間があったので
中川区から中村、西区を経て伏見までドライブしました。
半分涙のドライブでした。
その後、引き渡したお相手と仕事のお話をし、
家に帰るときは、家まで運転させてもらいました。
運転を変わって、くるまが去るときは・・・・・・・
何につけ別れはつらいです。
今も涙目です。
お約束の時間まで少し時間があったので
中川区から中村、西区を経て伏見までドライブしました。
半分涙のドライブでした。
その後、引き渡したお相手と仕事のお話をし、
家に帰るときは、家まで運転させてもらいました。
運転を変わって、くるまが去るときは・・・・・・・
何につけ別れはつらいです。
今も涙目です。
2008年02月02日
もうじきお嫁に
14年6ヶ月つれそった愛車をもうじきお嫁に出します。
嫁入り先から電話があったら、連れて行きます。
寂しくなります。
そうかぁ。愛犬が死んだのも同じ年月だったなぁ。。。
何かの因縁かな?
嫁入り先から電話があったら、連れて行きます。
寂しくなります。
そうかぁ。愛犬が死んだのも同じ年月だったなぁ。。。
何かの因縁かな?
2008年02月02日
実家3日目と自宅
今日は自宅にいついて3日目。
ただ、仕事用のものがたりないので、公共交通機関を使って自宅に戻った。こちらに常駐できる駐車場があれば、嫁入り前の愛車で往復もできたのだけれど、何せこちらに駐車場はない。
実家から自宅までどういう経路をとろうかを思案した。とにかく戻ってこなければいけないし、自宅では仕事も片付けなければいけないので、できるだけ短時間で、それにできればお金をかけたくない。
バスと地下鉄を乗り継ぐとお金は690円かかるところ。時間はまず最低1時間はかかる。乗り換えの待ち時間を考えると下手すれば1時間半以上になるかもしれない。
何はともあれバス停にいったらバスは出た後、また15分待たねばならない。ならばこの時間で駅まで歩こう。そして私鉄に乗って、自宅の近くまで行くバスの出ている駅まで行く。そして後はバスで。
なんとこれが大正解で、私鉄駅ではすぐに電車が来た。バスの出る駅までは10分かからないか?液についてバス乗り場までいくと、バスが客を乗せているところ。つまりは乗り換えの待ち時間はほとんどなし。
それでもバスがかなり長く乗るので、結局は1時間かかったが、金額は380円だから、310円浮いたことになる。よかったよかった。
今日は、日差しは暖かいものの風が強くて冷たかった。駅まで歩く15分、寒さで凍えた。。嘘です。急いで歩いたので、汗をかなりかいた。バスに乗り換えてからは、降りるまで上を1枚脱いだまま。
私鉄に乗るなんて、久しぶり。3時過ぎの車内は、がらんとしている。学校の帰りもまだだし。。。
たまには、こんな経験もいいか。しかし、もうじきこうしたことが当たり前の生活になるのかもしれないと、自分に言い聞かせた今日のこと。
自宅について、即仕事。実家に戻るときに必要なデータを作らねばならない。これが結構大変だった。4時に自宅について、食事も仕事しながらおにぎりをぱくついて、終わったのが9時半だった。ちょっとだけのんびりとして、10時に愛車に最後の仕事をさせるべく、荷物を載せて、実家に向かって走ってきた。
愛車とのドライブは35分でした。
愛車は、今は近くのお借りしたところで眠ってます。
ただ、仕事用のものがたりないので、公共交通機関を使って自宅に戻った。こちらに常駐できる駐車場があれば、嫁入り前の愛車で往復もできたのだけれど、何せこちらに駐車場はない。
実家から自宅までどういう経路をとろうかを思案した。とにかく戻ってこなければいけないし、自宅では仕事も片付けなければいけないので、できるだけ短時間で、それにできればお金をかけたくない。
バスと地下鉄を乗り継ぐとお金は690円かかるところ。時間はまず最低1時間はかかる。乗り換えの待ち時間を考えると下手すれば1時間半以上になるかもしれない。
何はともあれバス停にいったらバスは出た後、また15分待たねばならない。ならばこの時間で駅まで歩こう。そして私鉄に乗って、自宅の近くまで行くバスの出ている駅まで行く。そして後はバスで。
なんとこれが大正解で、私鉄駅ではすぐに電車が来た。バスの出る駅までは10分かからないか?液についてバス乗り場までいくと、バスが客を乗せているところ。つまりは乗り換えの待ち時間はほとんどなし。
それでもバスがかなり長く乗るので、結局は1時間かかったが、金額は380円だから、310円浮いたことになる。よかったよかった。
今日は、日差しは暖かいものの風が強くて冷たかった。駅まで歩く15分、寒さで凍えた。。嘘です。急いで歩いたので、汗をかなりかいた。バスに乗り換えてからは、降りるまで上を1枚脱いだまま。
私鉄に乗るなんて、久しぶり。3時過ぎの車内は、がらんとしている。学校の帰りもまだだし。。。
たまには、こんな経験もいいか。しかし、もうじきこうしたことが当たり前の生活になるのかもしれないと、自分に言い聞かせた今日のこと。
自宅について、即仕事。実家に戻るときに必要なデータを作らねばならない。これが結構大変だった。4時に自宅について、食事も仕事しながらおにぎりをぱくついて、終わったのが9時半だった。ちょっとだけのんびりとして、10時に愛車に最後の仕事をさせるべく、荷物を載せて、実家に向かって走ってきた。
愛車とのドライブは35分でした。
愛車は、今は近くのお借りしたところで眠ってます。