2016年12月13日
仏さんに惚れ込んで。。。37 二尊院 釈迦如来・阿弥陀如来
二尊院・正式には小倉山二尊教院華台寺というんだそうです。嵯峨野にあるので、秋の紅葉シーズンにはかなり人出も多くゆっくりと拝観するのは結構難しい寺です。それもそのはずで紅葉の名所の一つですものね。
上の画像は、4年前にヘルニアの痛みをこらえながらの嵯峨野見物。その様子は、かなり以前に書いている期待外れだった祇王寺の後とも書いている。
で、ここの御本尊は二体ある、仲良く並んでお立ちなのだ。一体は釈迦如来、もう一体は阿弥陀如来だ、向かって右が釈迦如来で人を発遺の釈迦如来が現世から来世へと送り出し、左が阿弥陀如来で迎えに来る状態を示しているのだそうで、二尊で迎えに来て送り出そうってこととのこと。まぁよくお考えになりますねぇ。。
それにしても、ここの阿弥陀さんは、他と違う、左手を上にしてる。二尊を対称にするとこういうことになるのだなぁ。。。。。
で、二尊院に行った日は、何せ紅葉のシーズンを少しすぎていたとはいえ、観光客がひしめいていた。お堂の中は人人人、近くに寄って拝顔なんてできないですよ。遠くからただ見るだけ。。。。それに黒いから、どんなお顔なのか、どんな衣を着ておられるのか、なんてのは写真で。
写真で見る限り、お顔は結構細身で今ならイケメンで通りそうって釈迦如来の方が細いなぁ。後輩もかなり手が込んだ作りみたいだけど、なんだか違和感覚える。なんでと聞かれると困るけど、その姿の構えにスケールが感じられなくて。なんとなく遠慮しているというか。。堂々としていないっていうか。
実は、実際に拝観時には遠くから見ただけとはいうものの、やはりスケールを感じなかった。写真で見るのと同じなのか?それとも、過去二いくつかの写真を見ているから、その時のイメージが潜在意識に残っていたのか?どうにも不思議な気持ちなのだ。
それともう一つ、勝手な思い込みのものが。なぜかなぜか、この二尊が清涼寺の阿弥陀如来が二体並んでいるようなイメージを持っていたのだ。これもなぜなのかわからないのだ。
というように二尊院は、私の中でとんでもないいい加減なイメージで残っている目雨らしい寺であり仏像である。
2016年12月13日
木彫り部屋の大掃除終わり
冷たい雨が降ってます
外に行くのは嫌な日です
といっても
昨日から大掃除をしてます
年取ると1日丸々掃除できない
悲しい現実ですが
それで大掃除を小分けしてするという
大掃除にはならんかもなぁ
中掃除、小掃除の不連続の連続
で
昨日は、重要な部分をやった
とおいうことで
今日は
人間が寝ることができるように
その部屋の片付けと掃除機がけ
その部屋には
畳表のシートとブルーシートが敷かれている
そいつを上からホウキと掃除機をかけていき
最後に全部剥がして畳の掃除機がけ
思ったよりも短時間ですんだ
それでも3時間近くかかったかなぁ
あとは
今年最後の木彫り(会で彫る)を終えたら
彫刻等やのみを綺麗に研いで仕事納めです
外に行くのは嫌な日です
といっても
昨日から大掃除をしてます
年取ると1日丸々掃除できない
悲しい現実ですが
それで大掃除を小分けしてするという
大掃除にはならんかもなぁ
中掃除、小掃除の不連続の連続
で
昨日は、重要な部分をやった
とおいうことで
今日は
人間が寝ることができるように
その部屋の片付けと掃除機がけ
その部屋には
畳表のシートとブルーシートが敷かれている
そいつを上からホウキと掃除機をかけていき
最後に全部剥がして畳の掃除機がけ
思ったよりも短時間ですんだ
それでも3時間近くかかったかなぁ
あとは
今年最後の木彫り(会で彫る)を終えたら
彫刻等やのみを綺麗に研いで仕事納めです