2018年10月17日

庭の手入れ 終了 でも。。。

10月17日 午後4時

庭の手入れは2時に終了

人材センターの人たちはお帰りになりました

ちょいと後片付けをして家の中に


コーヒータイムです

コーヒー飲んでテレビつけて

おもろい番組ないので録画を

「そして誰もいなくなった」を見てる

はずなのに3時半くらいになって

ウトウトしたらしい

目が覚めた

これを書いてます


幸い今の所筋肉痛はほんのちょっと

本当の筋肉痛は

この老体になると明日か明後日になるかなぁ。。。

明後日は表彰式あるんだよなぁ

そのときに出なければいいけどなぁ


あぁ 見ている「そして誰もいなくなった」

あのアガサ・クリスティー原作の翻案物

まぁ豪華な俳優さんが

でも10人だからギャラ奮発しても

どうってことないか。。。。

さて誰が犯人やら
  

Posted by 生田 at 16:09Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2018年10月17日

お昼休み うわぁ〜〜〜

朝からお庭の手入れをしてもらっている

ただ今お昼休みです
かなりお疲れです>私
腰がすごく痛いです>私


今年はバッサバッサと切ってもらっている

垣根の枯れたのを切ってもらった

うわぁ スキスキでものすごく見通しがいい

防犯にはこれでないと

余分な植木は防犯に良くないので

この際切ってもらいましょう


これも断捨離かも



1時になったら

また ガンバ
  

Posted by 生田 at 12:00Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2018年10月17日

晴天・秋晴れ 10月17日

夜中どうしたことは腹痛
かなり痛んで夜中シクシク
おかげで夜中に3度もトイレに行くことに

そのおかげで睡眠不足

目覚めは7時前
なんとかお腹は戻ってきたが

きょうは
シルバー人材センターの人に
庭の手入れをしてもらう

お片付けは私らがするので
今日は夜は筋肉痛になるかも

ということで
ブログも書いているのは難しいかもなぁ

夜になって
筋肉痛がなければ書けるかも
  

Posted by 生田 at 08:14Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2018年10月16日

十一面観音を彫る 18 のっぺらぼうの顔

またまた久しぶりに十一面観音に刃物を入れました
彫り進んでいくとだんだん細かいところも出てきます
転移もそろそろひだを入れたいとは思えども
まだまだ全体がマトモにできていない
ということで
しこしこ体を削っています



  

   


 結構細くなってきましたが、これは天衣と体の間の隙間がかなりできたことによるものと思います。
 顔がのっぺらぼうですね。昨日いじったんです。というのは、顔を彫るにあたって観葉によるひび割れが顔に出てしまっていたので、このまま彫ると欠けたりする可能性が大きいので、ボンドと紙粘土をねって隙間に埋め込みました。これで多少は置くまで掘っても行けるかなぁと思ってます。それでも掘っていけば中には入り込んだ割れ目が出てくるとは思います。その時は、仕上げの段階か、その手前くらいでもう一度隙間埋めの作業をしなければならないかと思っています。
 ほり初めてまる9ヶ月立ちました。
 実際は、木取りから帷幄ともう1年以上になります。木取りの冒頭で、のこぎり引いているときに熱中症で死にかけて、それから途中で乾燥させること3ヶ月近くとまぁ長い長い制作です。
 これからまだまだ彫り進みます。どのくらいかかることやら、そして思うものになるかどうかもまだわからない。まぁ、すでに思い通りに行っていないところが出ているけど、もう修正できないことになっているので、それをいずれごまかすことも考えないとなぁ。

 また、彫り進んだら、アップすることにします。  

Posted by 生田 at 17:47Comments(0)TrackBack(0)趣味の木彫り

2018年10月16日

朝9時のお目覚め 10月16日

10月も半分過ぎてしまった
年齢的に75を過ぎて
毎日時間はたくさんあるように思えるけど
その沢山の時間がだんだん減っていく
こんなに早く減ってどうなるの????
 時間はあるのに残された時間が減っていく
時間に止まってもらいたい

昨夜は11時には寝たはずななんだけど
夜中に一度
明け方6時に一度
このときは家内に蹴飛ばされたから
なんで蹴飛ばされたんかなぁ?

それからもう一度寝たんだけど
頭が痛くて痛くて
でも寝付いたらしい

目覚め
肩がものすごく凝っている
頭が痛い
何をしたんかな????

夜中にメダカの夢を見た
メダカが水槽の中の筒の中に入り込んで
抜けるに抜けなくなってそれをどうするか悩んでいた
記憶はそこまで
  あぁ 残ったメダカ元気です
  でも 寂しそうです


そんな悩みが頭痛の種なんかな?


起きて朝飯食べて
庭に出たら曇天
新聞はビニール袋に入っていた
雨予想?

今11時になるところだけど
曇天です。。。。

定点観測の柿を
望遠レンズでショット

初めてだな望遠で撮るの



まだこんな色です
実物はもう少し青みを帯びている
これでも食べればそれなりに甘いんだけど
もう少し甘くしようと
収穫は先送り
鳥に突かれなければいいが

今年は全部で100個採れるかな?
昨年は600近く取れたと思うけど
なにせ外れ年
でも甘さは変わらない
  

Posted by 生田 at 11:05Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2018年10月15日

雨の朝 10月15日

今日は月曜日
70過ぎて仕事全部放り出して
ものすごく長い連休中の私には
曜日なんて無関係
ということはない
いろいろしなくてはならんことがあり
世の中の曜日の動きに結構影響される

先週などは
月曜日が体育の日でお休みで
その影響で日付が一日狂った感じで
あんまり気持ちのいい週ではなかった

今週はマトモに月曜から平日ねぇ

先週の狂った曜日のせいか
なんだか体の調子がおかしくって
    (おかしけりゃ笑えって????)
昨日などは1時間も昼寝した
おかげで夜寝付くのが今日の日付になっていた
その影響が朝に出て
お目覚めは8時だったぞ

外に出たら
おや 雨が降り出した
確か雨予想ではなかったはずだけど

雨と言っても
パラ パラ パラ という程度
今もそう

でもなぁ
暗いんだよなぁ。。。。

木彫りするんで
日向ぼっこする感じでやりたい
おひさま出てきてほしいんだよな
  

Posted by 生田 at 09:49Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2018年10月15日

下町ロケット 2018

下町ロケットの2018年版が始まった

またまた豪華な俳優が顔を連ねてる

それにしても

またまた以来あらするストーリーが展開されるのねぇ。。


でも 面白そうだよ

次回も延長版だってね
  

Posted by 生田 at 00:03Comments(0)TrackBack(0)TVなど

2018年10月14日

雨が上がった朝

昨日夕方くらいから?雨

大したことはない雨だった

7時に目覚めて新聞取りに出た

パラパラ降っていた


新聞はビニール袋の中

夜中ずっと降ってたのかな?

今8時45分

外は明るくなった

太陽が”元気だよ”と言わんばかりに


今日は23度を超えるらしい

ちょいと温かいのかな


昨日はセータを着込んだ

今日はいらないだろうと思う

でも外出のときは

一枚羽織るものを持っていこう
  

Posted by 生田 at 08:49Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2018年10月13日

悟り”って・・・ その6 親鸞 その2 女犯偈

 今回も親鸞の話。
 新宗教団の方には、”親鸞聖人”と言わないとお叱りを受けることがありました。”聖人”を"上人”と書いてもお叱りを受けます。その点はよく理解をしていますが、それをあえて無視して単に”親鸞”という表現をさせていただきます。
 
 今回は”女犯偈”に絞っての話です。
 ご存じない方のために伝えられている女犯偈の偈文を下に書いておきます。

行者宿報設女犯
我成玉女身被犯
一生之間能荘厳
臨終引導生極楽


 これは和訳すると

行者(この場合は親鸞)が              
  前世の因縁で女犯(女性と交わる)事になったときは
私(ここでは観音菩薩)が              
  そのs女性の身代わりとなって受け入れよう    
そして行者の一生を清らかなものとして        
臨終に際しては浄土へ迎え入れよう          


 と、まぁ凡人からするとなんとも虫のいい話ということになりそうなのだ。親鸞がこの偈文を夢で見たのは、京都烏丸・六角にある頂法寺(池坊のご本家)の六角堂で、年齢は29歳のときだった。この時代の仏教界は、実際には有名無実になっていたが僧侶は女性と交わることは禁止されていた。そんなときに三十路になろうという親鸞はどうも悩みに悩んだと見受けられる。
 このあたりは正式な文書が残っているわけではないので、小説や論文でかなり色んな話が書かれている。それに倣って私も私の思いをお持つことになって、それを書くことにする。

 親鸞は”三夢記”というもので3つの大きな夢を診たと言われている(これは親鸞の奥さんの恵信尼さんが書き残した文に書かれているらしい)。一つは19歳のとき法隆寺にいったときについでに立ち寄った大阪府太子町の聖徳太子廟で、聖徳太子が夢に現れて”お前の命は後10年”と病気でもあるまいに余命宣告、そしてその10年後の29歳になって、また夢を見て観音菩薩(六角堂の本尊は如意輪観音だけど関連はわかんない)が現れて、”お前の願望を満足させよう”みたいな事を言ったと。それで、比叡山を下りて六角堂にこもって念仏三昧だったのかな?そして90日目に3つ目の夢で今度は救世観音が現れて、件の女犯偈の偈文を言ったと言われている。

 まぁ最初の余命宣告は、”命短いからシッカリ修行せよ”ってことかもしれないけど、2つ目、そして最後の女犯偈は虫がいい夢と言われそうだ。とにかく願望=夢の達成を観音菩薩が保証してくれたということなんでしょう。そうありたいという親鸞の心の中が見えそうだ。

 で、本題です。なんで親鸞は女犯偈を夢に見ることになったのか?そして、なぜこんな危険な偈文が世の残っているのかという疑問を私は持つに至った。
 つらつら、いろいろ考えていたなぁ。親鸞研究、追っかけを始めてから10年位ったのかな?親鸞に習って夢を見たのです。
 女犯偈の戯文が後世に残ったのは、信州教団”高田派”の開祖・真仏が書写したと一般に言われている。実際には恵信尼さんが親鸞からもらった偈文を長く持っていて、それを親鸞が浄土に旅立ったのを機に末娘の覚信尼に送ったことになっているが、それは現存しない(と言われている)。では、真仏は何を見て書写したのか?通説になっているのは、親鸞自身が書いたものを配ったらしく、それを書写したと言われている。これも、それを証明する証拠の存在はわからんのだ。

 そこで私は、真仏が親鸞に会いに上洛した際に親鸞との話の中で、親鸞・恵信尼の馴れ初めの話となり、そこで女犯偈も話題に登り、「その席で真仏が書き取ったと」解釈した。
 実は、この私の解釈は、現実の生活の中で生まれたものではなく、ある夜の夢の中で見たものなのだ。その夢を見たときに、何故かその場で起き出してPCに向かって、小説をかきあげてしまった。


 とまぁ,今回も支離滅裂な話で、夢ばかりで申し訳なく思います。それに、まだ「親鸞が女犯偈を恵信尼書いたのか?」については書いていません。これは、次回ということにします。あしからず。  

Posted by 生田 at 20:30Comments(0)TrackBack(0)悟り って?

2018年10月13日

寒くなった朝と柿の収穫

19月13日土曜日
金曜でないのは幸い

夜中お腹の調子の問題でトイレに
パジャマだけでは寒かった

朝7時に起きて
新聞を入れに出た
薄曇り、西は少し青い
昨日に続いて北風
昨日よりも冷たい風だ
だんだん冬が近くなってきた

新聞を読みながら朝食
終わってランタンを出しに庭に

柿の木を見上げたら
ちょいと赤いのがあったので収穫


画像は一昨日、昨日と
鳥が突きに来ていたときに収穫したものもある

まだまだ色は青いものが多い
でもこのように並べて火に当てておくと赤くなる
熟すのを待つのだ

画像にはない1個
虫に食べられたかと思うのがあった
心まではいっていなかったがちょいと黒かった
その部分を除いて食べた

甘かったなぁ。。。
今年今のところ最高の甘さ
でも例年のあの甘さはまだだ

今年は数が少ない
後いくつ採れるかな?





この柿の樹は40年くらい前に
母が植木市で見つけて買ってきた
それがものすごく大きくなった
毎年たくさんの身をつけてくれる
それを食べて毎冬を乗り越えている

その母はがなくなってもうじき35年になる
私はその母なのなくなった歳を14年も超えてしまった

柿の木を植えてくれた母に感謝



  

Posted by 生田 at 09:07Comments(0)TrackBack(0)今日の日

2018年10月12日

”悟り”って・・・ その6 親鸞 その1

 前回の”悟り”って・・・ その5”の最後に、「次回は親鸞について書こうか」と書いている。その親鸞について思うことを書くことにしようと。

 実は、親鸞に関しては、もう20年近く前から”親鸞は何を言おうとしていたのか?”ということで本を漁っていろんな知識を得、それを自分なりに整理してみようと数年かけて考えていた。そのために”親鸞の追っかけ”と称して、親鸞の歩いた道をできる範囲でたどってみたりもしている。
 一番最初に訪れたのが、京都山科区の法界寺だ。この寺は、親鸞が生まれたところと言われているので、どんなところだろうかと5月の雨上がりの日にでかけた。また新潟の上越市(親鸞が流されたところ)やら、栃木県の高田専修寺にも言っている。この話はまた別に。
 
 なぜ、そんなことを始めたのか?それは、始める切っ掛けになった年の数年前から、親類縁者の葬儀やら法事やらが重なり、演者の殆どが本願寺系の檀家でああったことで、法要のたびに”正信偈”なるものを唱和する。何度も聞いていると時折理解できる単語が耳に入ってくるようになる。まぁ”門前の小僧経を覚える”に近いかもしれない。
 そしてある時、何故か”げんくう”という単語が耳に入ってきた。ん??と思い、手元に回されている正信偈の冊子の漢字を追っかけてみた。そこには"源空”とかかれていたのだ。ご存じない方のために、源空は浄土宗の開祖法然の僧名である。(法然は坊名)死者の法要の際になぜ法然さんが出てこなければいけないのかが不思議だった。
 つまり、それまで正信偈を仏教経典と思っていたし、漢文で書かれたものをそのまま読むだけで意味なんて考えてもいなかった。そこに源空が出てきて、なんだ???ということになり、正信偈ってなんだ?から始まって、親鸞のことを調べ始めた。

 実は、子供の頃。いくつくらいだったか確たる記憶はないけど、どこかのおばあちゃんが私に向かって”おみゃぁさん親鸞さんみたぁだね”って言ったんです。なぜそんなこと言ったのかは全くわからない。子供の頃に親鸞たる単語すら頭になかったし。しかし、何故かそのお言われたことが気になって、それが75歳になる今でも気になっている。
 そんなこと持ったことから、親鸞につてい調べてみるかってことになった。

 どれだけの書籍を読んだかな?多くは断捨離の関係で処分してしまっているけどね。小説あり、論説あり、経典あり。いろんなものから親鸞像を描きたかったのだが、私の求める資料は出てこなかった。
 正信偈も漢文はわかんないから和訳の方を読んだりしたし、浄土三部経も和訳を読んだ。しかし、歎異抄だけは読み始めて少し経ってから読むのをやめた。理由はいたって単純で、親鸞の書いたものではない、それに親鸞が残したものの中に出てこないものが書き並んでいると判断したから。
 これらの書籍を読んで知ったのが「親鸞三夢記」で、この中に”女犯偈”なる物が出てくる。で、そこでその女犯げをなぜ親鸞が残したのか?ということがあ大きな疑問の一つとなってきた。

 この女犯偈をかんがえると、これこそが親鸞の考えの根本かもしれないと思うようになった。今もそう思っている。一種の親鸞の悟りと思うんだけど。
 
 書き始めると、これまたつらつら長くなるので、読んでもらえそうないので、細切れにして、またシリーズにするかな?読んでももらえなくてもいいけど、ただ親鸞についてこういう事を考えた人間いたということだけを残そうと思う。

 またいずれ気が向いたら書きます。  

Posted by 生田 at 21:29Comments(0)TrackBack(0)悟り って?

2018年10月12日

バッタが・・・・

今日は金曜日
ゴミの収集日

ゴミを出しに外に出た
家に入ろうと門柱のポストをみた

おやおやこの冷たい風の中
ショウリョウバッタが張り付いていた



ステンレスの板の上に
どうやって吸い付いているのかな?
バッタも吸盤があるの??
  

Posted by 生田 at 09:49Comments(0)TrackBack(0)今日の日
  
2015大津・京都の旅
1泊2日のドライブ旅行
2015北海道・道東の旅
1週間870kmのドライブ旅行
大学OB会と
50年ぶりの鎌倉
OB会の後に鎌倉と横浜に行ってきました
15年年頭 広島宿泊の旅
鞆の浦、竹原、宮島に行きました
14年秋 京都宿泊の旅
久しぶりに新幹線に乗りましたが・・・
13年秋 京都ドライブ旅
京都の紅葉の名所・毘沙門堂に行きました
12年秋 室生寺ドライブ旅
すてきな観音様と再会です
室生寺五重塔
12年秋 京都ドライブ旅
1年ぶりの京都です
三千院
10年秋 平泉ドライブ旅
4泊5日 2000キロの一人旅です
平泉・わんこそば
   
10年夏 室生寺 日帰り旅
素晴らしい観音さんに出会いました
室生寺・五重塔
10年初夏 宇治・長岡 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに黄檗山満福寺・六地蔵・法界寺谷寺・長岡天神
布袋さん
09年秋京都 日帰り旅
09年11月26日久しぶりに 紅葉がきれいな京都
南禅寺の紅葉
08年秋京都 日帰り旅
08年11月25日貧乏・一人・日帰り旅の記録です。
鳳凰堂を望む
観光シーズン 京都の歩き方
京都市・地下鉄 東西線沿線
09年浅草と川越
浅草観音
07年信州の旅
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生田
生田
 トップの写真は、我が家の庭で、鳥達につつかれ実もなくなり枯れ果てた柿の枝です。人生も同じで、仕事仕事で突き回されてここまで来て、落ち着いたら、だんだん枯れていくんだという思いです。  
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