2024年09月10日

9月10日 火曜日 晴 弱風 たまには病気の話を

 昨日は、前立腺がんの定期診察日の話を書いたので、タイトルが違うのではないかといわれそうだけど、3ヶ月ごとの経過観察だからそ音結果を書いた。
 しかし、私が末期の前立腺がんを洗脳されて13にもなる話は、4月8日の宣告記念日以外はあまり描かないので、新しく読者になっていただいた方にはご存じない方もおいでかもしれない。

 私は、子供の頃から病弱で、何度も死にかけたことがあるのではないかと思うけど、本人の記憶にはあまり残っていない。
 それでもはっきりと記憶していることがいくつかある。

 幼稚園から小学校の低学年にかけては、呼吸器系の病気にしょっちゅうみまわえていた。耳鼻科系の問題もあって、毎年必ずと言っていいくらいに扁桃腺を腫らして高熱を出し、それが肺炎を併発して10日ほど学校を休んだこともある。中学1年の時にその高熱対策として、扁桃腺肥大症という病名のもとに、扁桃腺を切り取る手術を受けている。それ以来扁桃腺での高熱になることは無くなった。
 高熱は最高42度くらいまで出たと母親から聞いていたけど、小学校の低学年の頃までは、発熱のたびに(年に1度は必ず)ペニシリンを撃たれた記憶が残っている。尻への注射がかなり痛かったなオアはしっかりと覚えている。

 扁桃腺の手術以来、発熱をすることは少なくなったが、今思うと高校あたりから花粉症に見舞われてたいのではないかと思う。それが定期試験にかかることがお多く、鼻詰まりが思考能力を抑えるのか、とにかく成績が落ちていった、

 そんな病気に弱い体質だったのが、就職をした頃から割と病気になることもなか卯なったのだが、就職して数年目に、仕事で担当エリアに北海道と東北3県を持たされて、面積でいけば日本の4分の1くらいのエリアを、当時まだ東北には新幹線も行っておらないし、私の担当部署では北海道へは東京kら飛行機に乗ることは許されたけど、大阪から東京まで新幹線に乗れと言われたり、それは置いといても、広いエリアの営業活動は、毎日かなり長時間列車に揺られてことが多かった。最長は、青森から大阪までを12時間かけて移動したこともある。まぁ夜行も結構使ったりして。それが災いしたのだろう、1年で背中を痛め背筋痛という病名がつけられたりし、担当エリアの交代を命じられた。その配置転換で、無くなったものの、それから半年で、会社を辞めて、実家の名古屋にもどっることになった。

 名古屋に戻ってから、零細企業での仕事が大変で、持病の背筋痛がぶり返して、体を守るために仕事を転々とした。数えてみたら、大阪時代も含め、車内転勤を含めて12回くらい転職している。
 いろいろ仕事を経験して、最後はコンピュータを扱う仕事に就いたが、個人事業なので、かなり体を行使することにもあった。販売とソフトウェア作成と両方を同時にこなしていたので、徹夜することも多かった。それ以外に、仕事の影響から、全問学校や大学で教鞭を10年くらい取ることも経験した。

 65歳になった時、養父が死んだ。その煽りを受けて仕事を引き継がなけだならなかったが、この時に体を壊していたようだが、忙しすぎて気づかなかった。
 そして、68の時の特定健診(通称メタボ見真)でなんとなく”前立腺がん”の検診尾オプションで受けたのだが、この時に、担当したドクターが「なんだこれ!」と驚いたくらいにPSAが365くらいあったと記憶するが、単体が間違っているおではないかと思ったくらい高かった。即大病院で検査を受けて、メタボ検診から3ヶ月後に、末期の前立腺がんを宣告された。大病院に行ったときのPSAは600弱だったと記憶している。
 がん宣告の時には言われなかったが、後から担当医に聞いたら”余命半年”だったそうだ。ホルモン療法を開始して、1年くらいでPSAはゼロに近いところまで下がった。そして宣告ら13年をすぎても、PSAは限りなくゼロに近い状態で生き続けている。

 養父を亡くした翌年、前から予定していた、両眼の白内障の手術を受けた。これは受けるべきでなかったと今は思っているが。
 がん宣告の翌年に、事故で腰椎を骨折して死ぬかという思いをしたが、3センチ身長が低くなるというのを経験している。幸い、神経を圧迫することがなかったので、半身不随にはならなかった。
 そしてその2年後に、どうも聞こえが悪いと、補聴器外来のある耳鼻科を紹介されて、補償機を作ったのだが、6年で聞き取りが悪くなって大学病院に転院したが、ここでの4年で聞き取りの能力を無くしてしまった。そしてこの間にめまいを発症することが多くなった。そのために名古屋大学病院の耳鼻科に転院して、人工内耳を装着することになり23年4月に、人生初めての全身麻酔で頭部に人工内耳を埋め込んだ。
 耳の聞こえに関しては、内リンパ水腫という難病だそうで、原因不明で治療法はないとことだけど、とにかく聞こえが補聴器では無理な段階になったので、人工内耳である程度回復したと思っている。めまいもこの内リンパ水腫の影響で、三半規管に異常が影響私立と言われている。

 ここまで書いたこと以外にも、目下のところ病気を持っている。10年くらい前だったかに”一過性脳虚血発作”と診断されて入院し、その後から脳梗塞対策のバイアスピリンを服用せああるを得なくなっている。

 そのほかにも色々ありすぎて、全部書くのはしんどい。

 いろんな病気を克服してきているけど、経過を書いているもは前立腺がんだけで、その経過に関しては、連載「末期・前立腺がん 奇跡の軌跡」としてでまとめて残してます。



 病状の推移もあるけど、それ以上に、最初の頃のドクターには反対されたのを無視しての食事療法なども書いているので、興味を持たれたらお読みいただければ幸いです。
 ただ、誤解されるといけないのであえて書きます。
 がん、いやそれだけではなく、いろんな病気は、患者それぞれ症状などが異なり、治療法も異なります。ある患者が成功したからといって、他の患者がそれを実行しても成功するとがかぎません。
 病院での治療は、担当するドクターの目を通しての、その患者に最善と思う処置をします。しかし、多くが統計的な判断での処方です。それが正しいかどうかは、ドクター自身100%思っていないケースが多いとお思います

 私の前立腺がんの治療方針は、最初に採用されたホルモン療法で、カソデックスの服用と腹に打つ注射のドラデックスが、たまたま私にどんぴしゃりハマったようで、担当医も数回の経過をみて「これで行きましょう」といっていました。それから、薬はビカルタミドとリューブリンに変わったものの、効能は同じなので、13年以上同じ治療法で推移しているだけののことです。
 私の場合は、末期ではあったものの、転移が全くなかったということが幸いだったのだろうと思っています。
 私の前立腺がんの治療法ついて、以下のように聞いています。
 ”ホルモン療法”は、全身に飛んでいるがん細胞に対して効果のある、全身療法だと聞いています。そのために、現状消えていると判断されているがん病巣にも関わらず、私の治療が終了しないのは、細胞レベルで全身のどこかに転移している可能性が否定できないので、それらを抑えるためにホルモン療法は続けるのだと言われています。

 本当は、もっと色々書き残しておきたいのですが、前にも書いたように人そそれ病状も異なり治療法も異なるし、13年という時間経過で、私の記憶からかなり遠くなている部分も多くなり、こうして書くのが誠意杯かなぁと残念に思っています。

 この記事の最後に、斬立洗顔を患っておらる方に
  前立腺がんは、進行の遅いがんです、急激に悪くなるものとは聞いていません。問題になるのは骨転移のある場合ですが、悲しいかな私は未体験のことでコメントを書くことができません。この点については、しっかりと担当医に納得のいくまでお聞きになることをお勧めしておきます。
 「がんが消える食事療法」という書物も出回っていましたが、私が読んだ数冊は、統計的な考察がほとんどなく、何人かの事例からいい結果だけを抜き取って纏めたものだったと判断しています。
 最近は、ネット上にも色々情報がありますが、それらの中から何か思い立つものができたら、医師と相談するのも粋かと思います。
 私自身の場合も、色々思いついたことをその診察の際にドクターに話をして取り入れたものもあります。
 服用している薬がその例で、当初のカソデックスがそれで、当初薬剤費が高かったので、同じ効果のある薬を検索して、調剤薬局で相談したところ、ジェネリック薬あることがわかり、大病院院内処方から院外処方に切り替えてもらった経緯があります。

 何にしても、病で一番大切なのは、がんと宣告されても希望を失わないこと、ドクターの所見はあくまでもそのドクターの見解だということ、学説が違うと違った見解もありうるということで、セカンドオピニオンが有効になることもあると思ってください。最近のドクターは「セカンドオピニオンをとる」といっても嫌がる人はほとんどいません。たまに嫌がるドクターもいますが、逆に信用はいかがなものかと思っています。

 書いているととめどもなく書きそうなので、ここで止めることにします・
 多くのがん患者の方々に、希望を持って、ストレスを溜めないで、療養生活を送っていただきたいと願っています。
 できれば、がんと仲良く暮らしてください。
  


Posted by 生田 at 14:23Comments(0)TrackBack(0)自分の健康
  
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