2016年09月15日
仏さんに惚れ込んで。。。2 法界寺・阿弥陀如来坐像
好きな仏像はたくさんある。前回書いた中宮寺の「半跏思惟像」は最初に惚れた仏さん。それからなが〜〜〜く惚れることはなかった。まぁ、仏さんより生身に惚れることが多かったからかなぁ。
年をそれなりに取ったことで周りのいろんな事情から、法要の関わることが多くなって、そんな中で浄土真宗の葬式やら法事で「正信偈」を聞く機会が連続した。正信偈の中である時ふと耳についたのが「源空」という人の言葉。これは法然上人の僧名だけど、葬式に関係ないのになぜ出てくるのか疑問を持った。
その疑問を解明するべく、親鸞が何を言いたかったのかを調べ始めた。そのために、親鸞の歩いた道を歩み始め、最初に親鸞関係で訪れた寺が、親鸞誕生の地と言われる京都日野の法界寺だった。そこで出会った阿弥陀如来、阿弥陀堂に案内されて大きな阿弥陀さんを見上げた瞬間に、「来てよかったぁ」だった。
なぜそう思ったのかはわからない、とにかく心休まるという表現がぴったりの出会いだった。それから15年以上になるかと思うけど、毎年必ず1度は訪れている。
法界寺の阿弥陀如来は、平等院の阿弥陀如来と比較され、同じ定朝様式ということなのだろうが、私には平等院よりも表情はものすごく優れていると思う。これは好みの問題かもしれないが、
阿弥陀如来に関しては、親鸞研究の中で浄土三部経やらを読んだりして、「アァ、法蔵菩薩が願掛けして、その願掛けが成就して悟りを開き阿弥陀如来になったのだから、それは出来上がったものなんだろう」と思うようになった。物語の中の話とはいえ、これが浄土信仰の入り口のようだ。それ以降、あちこちの阿弥陀さんを訪ね歩くことも私の今の趣味の一つになっている。
年をそれなりに取ったことで周りのいろんな事情から、法要の関わることが多くなって、そんな中で浄土真宗の葬式やら法事で「正信偈」を聞く機会が連続した。正信偈の中である時ふと耳についたのが「源空」という人の言葉。これは法然上人の僧名だけど、葬式に関係ないのになぜ出てくるのか疑問を持った。
その疑問を解明するべく、親鸞が何を言いたかったのかを調べ始めた。そのために、親鸞の歩いた道を歩み始め、最初に親鸞関係で訪れた寺が、親鸞誕生の地と言われる京都日野の法界寺だった。そこで出会った阿弥陀如来、阿弥陀堂に案内されて大きな阿弥陀さんを見上げた瞬間に、「来てよかったぁ」だった。
なぜそう思ったのかはわからない、とにかく心休まるという表現がぴったりの出会いだった。それから15年以上になるかと思うけど、毎年必ず1度は訪れている。
法界寺の阿弥陀如来は、平等院の阿弥陀如来と比較され、同じ定朝様式ということなのだろうが、私には平等院よりも表情はものすごく優れていると思う。これは好みの問題かもしれないが、
阿弥陀如来に関しては、親鸞研究の中で浄土三部経やらを読んだりして、「アァ、法蔵菩薩が願掛けして、その願掛けが成就して悟りを開き阿弥陀如来になったのだから、それは出来上がったものなんだろう」と思うようになった。物語の中の話とはいえ、これが浄土信仰の入り口のようだ。それ以降、あちこちの阿弥陀さんを訪ね歩くことも私の今の趣味の一つになっている。