2016年09月23日
仏さんに惚れ込んで。。。6 法隆寺・百済観音立像
惚れ込んでいなくても、好きになった仏像はたくさんある。自宅に近いところにあれば、それこそ惚れ込んだかのようにできる限り訪れるだろうが、なにせたいていの国宝やら重要文化財の仏像は京都、奈良、はたまた結構遠いところが多いのだ。それでも、なんとか旅をすることでお会いに行くようには心がけてはいる。とはいうものの一度だけという仏さんが多いのは否めないなぁ。
奈良・斑鳩の法隆寺は何度となく訪れているところ。まぇ歴史上重要な寺で、さらには聖徳太子信仰のなせるものからか、学校関係の行事はよく行くところでもある。
初めて訪れたのは、やはり大学の古美術研究の時になる?いや、中学校の遠足で(名古屋から奈良への遠足です)で行ったのが最初。このシリーズの最初に書いた中宮寺の半跏思惟像に惚れ込んだその時だ。ただ、その時は中宮寺での出会いあの印象があまりにも強いので、法隆寺のことは記憶から消えてしまっている。今思えばただ行ったよなぁ・・くらいにした記憶にない。
そのあとで行ったのは、大学の修学旅行になるなぁ。あの時の思い出はかすかだが、五重の塔の羅漢像のあの悲壮な表情が印象に残っているし、五重塔の写真を撮ったことも覚えている。しかし、金堂の釈迦三尊やら講堂の仏像群の印象は全く残っていない。
が、ただ一体の印象が強烈に残っている。それは「百済観音」である。あの細身の背の高い観音さんが私を見下ろしている顔は、今もまぶたに浮かぶ。
それから、何度法隆寺に行ったことか。こうした寺巡りなどのために言っていいくらいの理由(もっと重要な理由があったのだが、それは夢破れた)で関西への就職。そして住み着いたのが、東大阪だった。ということで奈良へは何度も行くことができた。法隆寺も大阪在住5年の間に5回では済まないくらいに行っている。奈良への営業の途中に法隆寺に行くという見事なサボりもしている。
当時の法隆寺は、今のようは宝物殿ではなかった。今は朱塗りの宝物殿だが、当時はなんとなく薄暗いいわゆる博物館候の宝物殿だった。ただ、百済観音はその時どこに?あれ???宝物殿ではなかった?どこにあったの?確か、百済観音は法隆寺の中での居場所がはっきりとしていなかったのだ。
それが10数年前に現在の朱塗りの宝物殿になって、その真ん中といっていいくらいのところに立っておいでになる。やっと居場所を作ってもらえたといった感じだった。
百済観音がなぜ好きなの?と聞かれるとはた困る。中宮寺の思惟像と同じくただただ好きになったということかな?あの細身の柔らかいお顔は、私が本当にならねばならない顔だとは思うのだが、それができない。だからこそ好きなのかもしれない。
今私は、今年二体の十一面観音をなんとか今の力で彫ったけど、そこには室生寺の十一面観音に百済観音の印象を加えたものをイメージして彫って行った。思うようにはならないので全くもって違う印象で出来上がっているけど、私の心の中は十一面百済観音といった感じかなぁ。。。
今は力のない私、いつかそんなしっかりとしたイメージの十一面観音を彫ってみたいと思っている。
奈良・斑鳩の法隆寺は何度となく訪れているところ。まぇ歴史上重要な寺で、さらには聖徳太子信仰のなせるものからか、学校関係の行事はよく行くところでもある。
初めて訪れたのは、やはり大学の古美術研究の時になる?いや、中学校の遠足で(名古屋から奈良への遠足です)で行ったのが最初。このシリーズの最初に書いた中宮寺の半跏思惟像に惚れ込んだその時だ。ただ、その時は中宮寺での出会いあの印象があまりにも強いので、法隆寺のことは記憶から消えてしまっている。今思えばただ行ったよなぁ・・くらいにした記憶にない。
そのあとで行ったのは、大学の修学旅行になるなぁ。あの時の思い出はかすかだが、五重の塔の羅漢像のあの悲壮な表情が印象に残っているし、五重塔の写真を撮ったことも覚えている。しかし、金堂の釈迦三尊やら講堂の仏像群の印象は全く残っていない。
が、ただ一体の印象が強烈に残っている。それは「百済観音」である。あの細身の背の高い観音さんが私を見下ろしている顔は、今もまぶたに浮かぶ。
それから、何度法隆寺に行ったことか。こうした寺巡りなどのために言っていいくらいの理由(もっと重要な理由があったのだが、それは夢破れた)で関西への就職。そして住み着いたのが、東大阪だった。ということで奈良へは何度も行くことができた。法隆寺も大阪在住5年の間に5回では済まないくらいに行っている。奈良への営業の途中に法隆寺に行くという見事なサボりもしている。
当時の法隆寺は、今のようは宝物殿ではなかった。今は朱塗りの宝物殿だが、当時はなんとなく薄暗いいわゆる博物館候の宝物殿だった。ただ、百済観音はその時どこに?あれ???宝物殿ではなかった?どこにあったの?確か、百済観音は法隆寺の中での居場所がはっきりとしていなかったのだ。
それが10数年前に現在の朱塗りの宝物殿になって、その真ん中といっていいくらいのところに立っておいでになる。やっと居場所を作ってもらえたといった感じだった。
百済観音がなぜ好きなの?と聞かれるとはた困る。中宮寺の思惟像と同じくただただ好きになったということかな?あの細身の柔らかいお顔は、私が本当にならねばならない顔だとは思うのだが、それができない。だからこそ好きなのかもしれない。
今私は、今年二体の十一面観音をなんとか今の力で彫ったけど、そこには室生寺の十一面観音に百済観音の印象を加えたものをイメージして彫って行った。思うようにはならないので全くもって違う印象で出来上がっているけど、私の心の中は十一面百済観音といった感じかなぁ。。。
今は力のない私、いつかそんなしっかりとしたイメージの十一面観音を彫ってみたいと思っている。