2016年10月31日
仏さんに惚れ込んで。。。23 笠松町 慈眼寺 毘沙門天立像
円空仏を彫り始めて6年くらいになる。最初の2年半は本を買ってきて一人でコツコツ彫っていた。それから1年くらいして荒子観音に行った折に、多くの方が集って彫っておられるのに接し、私もと思って準備をしたのだけど、その直後に腰椎の圧迫骨折というとんでもない事故を起こして、参加を断念した。荒子は我が家からは距離があって結構時間がかかる。そこで近くにはないかと思ったら、近くで彫っているグループがあるのでそこに参加。参加してしばらくして彫ったのが、慈眼寺の毘沙門天だった。
この毘沙門天は、いや毘沙門天に限らず、私が円空さんを彫るのは多くがその造形的な興味からなのだが、まともに彫ることも少なく、最も完全に模刻する力もないので、結構なアレンジをしてしまうことが多い。左の写真は笠松町の慈眼寺の紹介ページから拝借したものです。
本物には、一宮市で開催された「円空展」で一度出会っているはずなのだが、その時の記憶はなぜかかなり薄い。それが写真集を見て「ん???」と思った。顔の表情に興味を惹かれたのだ。たぶんに本物を見た時は照明効果であまり顔の表情がよく見えなかったのかもしれない。
そのと興味を持って彫ったのが、左の写真ものの。円空仏を掘り始めて2年半くらいの時になるんだが、まぁ何とか本物に近い模刻をしようという気持ちがあったのか、多分にグループの皆さんの姿勢を真似ようとしていたからかもしれない。
その時は、初心というのかなぁ。。。。写真がなかったのか、当時のものを今振り返ると結構まともに彫っている感じで、今となると大いに反省しなければいかんとは思うが、何せ人と同じことをすることが苦手な私は、今はその初心を忘れ、雑念に侵されて模刻なんて言われないものも良く彫るようになってしまっている。
その毘沙門天の第1作からしばらくして、同じ毘沙門天を数体彫っているが、初心を忘れた私には、技術もないくせに硬い愛良で挑戦したばかりに、もう慈眼寺の毘沙門天とは言えないものになってしまった。(このうちの二体は、9月に「ごめんなさい」と言いつつ分解させてもらいました。
そして、それから1年くらいしてから、手元にくすの材料があったので、くすの置物として作ろうと挑戦したのが左の写真のもの。これを彫る時は、元の慈眼寺の毘沙門さんをそっくる作るのではなく、そのイメージをいただいて私なりの毘沙門さんを彫らせてもらいました。
一応模刻の範疇に入るので、似るようにはしているけど、体型は、本物厚みの薄さは完全に無視して、多くの有名寺院にある四天王の毘沙門天よろしく、かなり太めに仕上げた。ということで、逆に、円空さんらしさが消えてしまったなぁと、反省させられた作品になってしまた。
慈眼寺は、一度本物を見たいと、訪れたのだが、どうも無住寺のようで拝観叶わずでしたが、先日訪れた岐阜県博物館での「円空展」で久々にお会いしました。模刻したものの本物と出会うのは、一種の感慨と気恥ずかしさが混じったものになりました。しかし、その像の大きさがかなり違うので、できれば一度本物の大きさで彫ってみたいと思うことしきりです。
この毘沙門天は、いや毘沙門天に限らず、私が円空さんを彫るのは多くがその造形的な興味からなのだが、まともに彫ることも少なく、最も完全に模刻する力もないので、結構なアレンジをしてしまうことが多い。左の写真は笠松町の慈眼寺の紹介ページから拝借したものです。
本物には、一宮市で開催された「円空展」で一度出会っているはずなのだが、その時の記憶はなぜかかなり薄い。それが写真集を見て「ん???」と思った。顔の表情に興味を惹かれたのだ。たぶんに本物を見た時は照明効果であまり顔の表情がよく見えなかったのかもしれない。
そのと興味を持って彫ったのが、左の写真ものの。円空仏を掘り始めて2年半くらいの時になるんだが、まぁ何とか本物に近い模刻をしようという気持ちがあったのか、多分にグループの皆さんの姿勢を真似ようとしていたからかもしれない。
その時は、初心というのかなぁ。。。。写真がなかったのか、当時のものを今振り返ると結構まともに彫っている感じで、今となると大いに反省しなければいかんとは思うが、何せ人と同じことをすることが苦手な私は、今はその初心を忘れ、雑念に侵されて模刻なんて言われないものも良く彫るようになってしまっている。
その毘沙門天の第1作からしばらくして、同じ毘沙門天を数体彫っているが、初心を忘れた私には、技術もないくせに硬い愛良で挑戦したばかりに、もう慈眼寺の毘沙門天とは言えないものになってしまった。(このうちの二体は、9月に「ごめんなさい」と言いつつ分解させてもらいました。
そして、それから1年くらいしてから、手元にくすの材料があったので、くすの置物として作ろうと挑戦したのが左の写真のもの。これを彫る時は、元の慈眼寺の毘沙門さんをそっくる作るのではなく、そのイメージをいただいて私なりの毘沙門さんを彫らせてもらいました。
一応模刻の範疇に入るので、似るようにはしているけど、体型は、本物厚みの薄さは完全に無視して、多くの有名寺院にある四天王の毘沙門天よろしく、かなり太めに仕上げた。ということで、逆に、円空さんらしさが消えてしまったなぁと、反省させられた作品になってしまた。
慈眼寺は、一度本物を見たいと、訪れたのだが、どうも無住寺のようで拝観叶わずでしたが、先日訪れた岐阜県博物館での「円空展」で久々にお会いしました。模刻したものの本物と出会うのは、一種の感慨と気恥ずかしさが混じったものになりました。しかし、その像の大きさがかなり違うので、できれば一度本物の大きさで彫ってみたいと思うことしきりです。