2018年04月23日
ガン患者の難しさ 希望
昨日、私のブログを見ていただいた方のブログを読ませてもらいました。この方は多分に私のブログの”闘病”のテーマのところをお読みなられたのだろうと思います。
その方のブログを読ませていただいて、かなり辛い思いをされていることがわかりました。抗がん剤などは辛いんだろうと想像するばかりの私です。
私は末期癌を宣告されたとはいえ、手術できない、放射線できない、残されたのはホルモン剤治療だけというステージ4の宣告を受け、ホルモン剤治療を受けてきた。
宣告された時は、”なんで私がガンに?”という思いが強かった。今思えば多分その時は頭の中真っ白だったのかもしれないんですが、その時のショックは記憶にはないです(役人や政治家のいう意味とはちがって本当に)。主治医に言ったことは記憶してます、”死ぬまで仲良く付き合います”と。
幸いなことに前立腺癌は進行が遅いので、骨転移さえなければ結構長く生きられるようなのですが、その時はまだどの程度の重症なのかの意識、知識はなかったのですが、ホルモン剤治療でしばらく様子見だったようです。これは今になって思えることですが。
ただ、わたしは”希望”だけはなくしたことはないのです。よく”ガンと闘う”話を聞きますが、それもなかった。年齢的な問題もあるかもしれないですが、もう20年も前、55歳くらいの時に”もうこれまで生きてきただけを生きることはでけいないと悟って、それから自分がこれまで生きてきたことの証を残そうと思うようになった。いつかお迎えが来ることはわかっている。その時までいかに生きるか、いかに生きた証を残すかを考えるようになった。
その当時はまだ現役で仕事をこなしていたので、趣味なんかをする(もっとも仕事が趣味と言われていた)こともなかったのですが、10年前に父を見送ってから、残したものを嫌々受け継いで、そのおかげで本業を捨てざるを得なくなり、そのあとでガン宣告を受けた。
父の残した仕事も世の流れから消滅する運命にあることもわかったていたので、それで命を削ることよりも、残されている時間はわからないけど、悔いを残すことのないようにと、趣味の道を選んだ。仏さんを彫るようになった。
彫っている間は何も考えていない。本当に無心の世界なんでしょうね。。。。じぶんがガン患者ということは、毎日の薬を飲む時と最初は月に一度、1年くらい経ってから3ヶ月に一度の採血、診察の時くらいになった。
正直、ガンのせいで死を迎えるなんて考えたこともなかった。そしてマーカーがどんどん下がっていき、ほとんどゼロに近くなって、安定したから大病院を放り出されて、それから3年近くなるけど、今は”奇跡的”と言われるようにガン病巣はCTなどでは見ることができなくなった。といって無罪放免にはなってないけど。。。
この7年間に、ガン患者の集いでお付き合いしている仲間を何人か失った。その都度辛い思いをしているけど、これは私のがガン患者であることを辛いと思っているのではなく、仲間、知り合いを失ったということの辛さです。
集いでのお付き合いの人たちの多くが、それぞれの思いで生きています。特に新患で、余命宣告された方はもう絶望の中でおいでになります。その方たちにお話をします。”ガンの一番の敵は希望をなくす、希望を捨てること”だって。なかなか理解してもらえないのでしょう、逆に”何も気持ちがわかってもらえない”と切り返されたことも多々ありました。それでも理解していただけた方々の多くが、今もお付き合いをさせていただいていると自己満足かももしれないけど思っています。
とにかく、ガン患者ということだけではなく、人間生きている限り、希望は無くしてはいかんのだと思います。生きていればこそできることがあります。痛い、辛い、それでも明日は回復している希望はあるのです。回復しないなんてことは言い切れない、医者の余命宣告も神様が言うわけではないので真実ではないでしょう。その真実でもない言葉を聞いて希望をなくすなんて・・・・
書いていると、とめどもなく書き続けそうです。支離滅裂にもなっているかと思うので、ここいらで止めます。
とにかく
と私は思っています。
その方のブログを読ませていただいて、かなり辛い思いをされていることがわかりました。抗がん剤などは辛いんだろうと想像するばかりの私です。
私は末期癌を宣告されたとはいえ、手術できない、放射線できない、残されたのはホルモン剤治療だけというステージ4の宣告を受け、ホルモン剤治療を受けてきた。
宣告された時は、”なんで私がガンに?”という思いが強かった。今思えば多分その時は頭の中真っ白だったのかもしれないんですが、その時のショックは記憶にはないです(役人や政治家のいう意味とはちがって本当に)。主治医に言ったことは記憶してます、”死ぬまで仲良く付き合います”と。
幸いなことに前立腺癌は進行が遅いので、骨転移さえなければ結構長く生きられるようなのですが、その時はまだどの程度の重症なのかの意識、知識はなかったのですが、ホルモン剤治療でしばらく様子見だったようです。これは今になって思えることですが。
ただ、わたしは”希望”だけはなくしたことはないのです。よく”ガンと闘う”話を聞きますが、それもなかった。年齢的な問題もあるかもしれないですが、もう20年も前、55歳くらいの時に”もうこれまで生きてきただけを生きることはでけいないと悟って、それから自分がこれまで生きてきたことの証を残そうと思うようになった。いつかお迎えが来ることはわかっている。その時までいかに生きるか、いかに生きた証を残すかを考えるようになった。
その当時はまだ現役で仕事をこなしていたので、趣味なんかをする(もっとも仕事が趣味と言われていた)こともなかったのですが、10年前に父を見送ってから、残したものを嫌々受け継いで、そのおかげで本業を捨てざるを得なくなり、そのあとでガン宣告を受けた。
父の残した仕事も世の流れから消滅する運命にあることもわかったていたので、それで命を削ることよりも、残されている時間はわからないけど、悔いを残すことのないようにと、趣味の道を選んだ。仏さんを彫るようになった。
彫っている間は何も考えていない。本当に無心の世界なんでしょうね。。。。じぶんがガン患者ということは、毎日の薬を飲む時と最初は月に一度、1年くらい経ってから3ヶ月に一度の採血、診察の時くらいになった。
正直、ガンのせいで死を迎えるなんて考えたこともなかった。そしてマーカーがどんどん下がっていき、ほとんどゼロに近くなって、安定したから大病院を放り出されて、それから3年近くなるけど、今は”奇跡的”と言われるようにガン病巣はCTなどでは見ることができなくなった。といって無罪放免にはなってないけど。。。
この7年間に、ガン患者の集いでお付き合いしている仲間を何人か失った。その都度辛い思いをしているけど、これは私のがガン患者であることを辛いと思っているのではなく、仲間、知り合いを失ったということの辛さです。
集いでのお付き合いの人たちの多くが、それぞれの思いで生きています。特に新患で、余命宣告された方はもう絶望の中でおいでになります。その方たちにお話をします。”ガンの一番の敵は希望をなくす、希望を捨てること”だって。なかなか理解してもらえないのでしょう、逆に”何も気持ちがわかってもらえない”と切り返されたことも多々ありました。それでも理解していただけた方々の多くが、今もお付き合いをさせていただいていると自己満足かももしれないけど思っています。
とにかく、ガン患者ということだけではなく、人間生きている限り、希望は無くしてはいかんのだと思います。生きていればこそできることがあります。痛い、辛い、それでも明日は回復している希望はあるのです。回復しないなんてことは言い切れない、医者の余命宣告も神様が言うわけではないので真実ではないでしょう。その真実でもない言葉を聞いて希望をなくすなんて・・・・
書いていると、とめどもなく書き続けそうです。支離滅裂にもなっているかと思うので、ここいらで止めます。
とにかく
希望はできるのではく
持つものなのです。
持つものなのです。
と私は思っています。
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今晩は。
今日、昼から時間が取れましたので、江南市の
曼陀羅寺のフジを見に行きました。 多くの人出賑わっていました。 そして、帰りに、音楽寺にもお参りしましたが、生憎、仏像の置いてある館は、閉まっていました。また、アジサイの季節にお参りしたいです。(希望はもつもの)常に心に持っていたいですね。
今日、昼から時間が取れましたので、江南市の
曼陀羅寺のフジを見に行きました。 多くの人出賑わっていました。 そして、帰りに、音楽寺にもお参りしましたが、生憎、仏像の置いてある館は、閉まっていました。また、アジサイの季節にお参りしたいです。(希望はもつもの)常に心に持っていたいですね。
Posted by ハマ at 2018年04月23日 17:40