2018年08月30日

”悟り”って・・・ その2

 ”悟り”と言うのは、その定義によって中身が大きく違うのではないかと思う。仏教の世界には”悟り”と言う言葉が出てくるけど、キリスト教で”悟り”って聞いたことがないような。仏教でも密教やら禅宗やらと浄土教ではなんとなく違う。なので育った環境で、宗教的な”悟り”は大きく違うかもしれない。

 しかし、一般的に生活の中で”悟る”と言うことはよく使われる。でも、会話が本当にまとものぶつかっているとは限らないのではないか。人それぞれの”悟り”の定義の差で本当は噛み合ってなかったりしてるかもしれない。

 で、今回はそんなこととは無関係に、私が20年前に思ったことを書いてみることに。
 今からほんと20年前、55歳の誕生日のこと。ふと自分の年齢を思った時、「年齢というのはこれまで生きてきた時間だけど、あぁこれまでと同じ時間生きることはできないのだ」と思った。いやその時は”悟った”と思った。つまり自分の死というものがいつかくることを悟った=実感したということなのだ。

 この場合の”悟り”は、”知る”、”実感”、”理解”と言ってもいいかな。。。 かなり強引な自分勝手の解釈だけどね。
 実はこの後、私は”ではどう残りを生きるか”をある程度考えるようになった。当時はまだまだ現役バリバリで、自分仕事をこなし、教職も2つ、いや3つこなしていたはず。なので、さほど深く考えたわけではないけど、”何か生きた証を残さねば”と思うよになったことは確か。
 過去には、お力をいただいて出版したのが5冊あったけど、それは生きた証にはなるとは思うけど、小説などとは全く世界の違うもので、後世に残るものではない。なので”生きた証”にするのはちょいときついだろうって。。。

 それからは生きた証を残すというよりも、生きることに精一杯だったこともあるけど。”証”なんて残せたものではない。
 10年前に父を亡くし、そのおかげで残されたた私の仕事でない仕事をもこなさねばならなくなったところで、本業を上手くこなすことが無理になってしまった。その前に教職もそ遊行をしていたし、時間的な余裕を生んだ。そこで何か趣味を持たねばと、木彫りを始めた。
 最初は、木彫りの範疇を決めないで、とにかくいろんなものに手を出したが、その中の一つに”円空仏”があった。円空仏を彫り始めてから、それに前から持っていた仏像拝観の趣味が一体化してきて、木彫りを始めた頃は無理と思っていた”十一面観音”の全身像に手を染めた。
 そして、義弟、叔母、叔父をなくして、その弔いの気持ちを持つようになり、義弟の闘病期には病気平癒の願掛けを初めてした。このことから、自分の病気平癒、がん患者仲間の病気平癒を願う気持ちを込めて掘るようにもなった。

 ただ、仏教の教え、教義云々は一切頭にない。ただただ自分の気持ちを込めているに過ぎないけど、その形を何かの仏などの形で表して自己満足の世界に入っている。
 たまたま彫ったものをもらってくださった方に喜んでいただけるものあり、これでその方の中に私の”生きた証”が残るかなぁって思ったりもしている。

 自分の彫っているときの気持ち、願いが叶うといいなぁとは思うなぁ。法蔵菩薩が48の”願”を成就して阿弥陀如来になったように。到底無理な話ですが。。。。。


 今回は、20年前に私自身が”死”というものがいつか必ずくると、悟った(確信した)ことを書きました。

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